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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第6章 水の都
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閑話:英雄散華Ⅳ

 エルフたちは気が付かないでいた。


 百年という時間、エルフは諸外国に対して鎖国を続け、幾度も争いが起きた。その度に勝利してきたエルフたちにしてみれば、百年という時間は短くもないが、それほど長くもないという時間だった。しかし、その百年の間に人間がどれだけ飢え、苦しみ、死んでいったかを知らなかった。


 百年という時間が熟成させた人間の憎悪を、執念を、狂気を。


 人間が本当の意味で形振り構わなくなるというのが、どういう事なのか、その瞬間が来るまで気が付くことは無かった。






 老将軍は地の底まで続くのではないかという階段を降りていた。季節に合わない、底冷えする空気に身震いする。いや、寒さから体が震えるのではなく、階下から伝わってくる恐ろしい何かに体が反応していた。


 一兵卒から一国の大将軍にまで上り詰めた男が、伝わってくる気配だけに震えているのだ。階段を降りた先が、迷宮にあるとされる深層に繋がっていても不思議では無かった。


 エルフとの戦争が終わり、一万の軍勢と十を超える投石機の内、満足に故郷の地を踏めたのは半分を大きく下回っていた。撤退する最中も、イーフェを始めとしたエルフたちは追撃を仕掛け、王都に辿り着いた兵士たちは消耗しきった姿だった。


 出立の時は晴れ晴れとしていた兵の顔は恥辱と泥にまみれた薄汚れた敗残兵のそれだった。


 敗軍の将となった老将軍を待っていたのは意外な事に断頭台の刃では無かった。王の御前で敗北を伝え、責は全て自分にあると口にするも、王の反応は芳しくなかった。


 王は労いの言葉発し、敗北については責めなかったのだ。流石に領地の一部を没収されたが、それも死んだ兵や、負傷者に対する補償のための措置である。


 出立前は国の未来は其方らに掛かっていると言っていた王と同一人物なのかと疑ってしまうほどの変貌ぶりだった。国を空けている間に何かがあったとしか思えなかった。


 その何かを問う前に、王は老将軍に向かって付いてこいと命じたのだ。


 言われるがまま支度をした老将軍と王、そして随行の者達は王都を遠く離れ、大陸の僻地へと足を延ばしていた。それも大地に深い亀裂を走らせた谷に並行するように地下へと伸びる螺旋階段を降りているのだ。状況に流されてしまい、


 何が起きているのか老将軍には分からなかった。


 先を行く王は無言だった。地上に隠すように置かれた扉の前で待っていた案内に従って地下へと降りてはいるが、どうやら一度この場所を訪れているようで、老将軍のように躊躇いや警戒を持っていない。


 この場所に王の変心の理由があるのではないかと考えていると、ようやく螺旋階段が終わった。固く閉ざされた扉を、フードを被った男か女なのかもわからない案内人が開けた。


 扉が開くと、そこは地下とは思えないほど明るく、そして何より豪奢な部屋だった。目にも鮮やかな赤い絨毯が一面に敷き詰められ、部屋を彩るのは様々な装飾品の数々。驚くことに窓やテラスがあるようで、地の底まで裂けていると言われている谷に向かってせり出している。


 まるで貴族らの屋敷の貴賓室のような一室に唖然とする。すると、呆然とする老将軍を置いて王は先に歩きだして部屋の中央に置かれた長机の方に近づいた。


 用意された席は一つを残してすべて埋まっており、王は空いた席に向かって進む。老将軍が追いかけると、すでに席に着いている男たちに見覚えがあり、目を剥いた。そこに居たのは時に戦場で、時に政治の場で顔を合わせた者達だ。


「ふむ。私が最後だったようだな。遅参、すまなく思う」


「なに。一番遠い国からいらしたのだ。仕方あるまい」


「しかし、あれだな。年寄りを待たせるのはいかんな。若者なら、もっと素早く行動せんと」


 王の詫びに尊大な態度で返した男たちもまた王だった。隣国の王が椅子に座り、その後ろを年若い青年が守護するかのように睨みを利かしていた。青年は隣国の将軍である。彼と戦ったことは無いが、彼の父親である先代の将軍とは何度も矛を交えた間柄である。


 長机を囲う男たちは全て同じ大陸の王だった。背後に控えているのは、その国の将軍や宰相たちだ。笑えない話だが、魔法で室内を吹き飛ばされてしまえば、大陸の主だった国は一気に混乱するだろうと思ってしまう。そんなふざけた妄想をしてしまうほど、目の前の光景が現実だと認識できなかった。


(……なるほど。つまり、ここは連合軍の会議の場所と言う訳か)


 ここ数年でよく聞く、エルフの国に対抗するために結成するという連合軍の話が、自分の想像よりも遥かに早く、それに大規模に形成しつつあった。そして、同時に二つの事に考えが到り、気持ちが憂鬱となる。


 一つは、この連合軍が行き着く先である。仮に、エルフの国である花の都を占拠したとしても、国土は有限である。尽きぬ水も、枯れぬ花々も、豊かな大地も、ここ居る全ての国を救い上げる事はできない。現実的に分割することになるだろう。そうなればしばらくは延命出来るだろうが、抜本的な問題の解決にはならない。


 むしろ、占拠した土地を巡って争いが始まると、王は危惧していた。それを避けるために、自国の戦力だけでエルフを攻める作戦を打ち出したのだ。


 もう一つは、連合軍を作ったからといってエルフを、ひいてはエルフの悪魔を打ち倒せるとは思えない事だ。先日の戦を含めて五度、老将軍はイーフェと戦った。


 直接、剣を交わしたことは無かったが、それでもその強さを戦場に立つことで肌に感じていた。鍛えた戦士としての経験が語る。


 彼女はいまも進化を続ける怪物だと。


 今回魔人種に多額の報酬を支払い、用意した罠は彼女の強さを十分の一まで下げた。それでもイーフェは止まらなかった。生き残った魔人種から、彼女が必殺の罠を気合と根性という知性の欠片も無い泥臭い精神論で突破したと聞いた時は、余りの出鱈目ぶりに視界が揺れた。


 敗走の最中、エルフの悪魔を倒すには有象無象を集めた中途半端な数や生半可な質では駄目だと彼は結論付けていた。単に国同士が協力したとしても、勝てる確率は非常に少ない。


 はっきり言って、勝ち目なんてなかった。


 そんな連合軍に参加しようとする王を止める方法は無いのかと考えている老将軍の耳に衣擦れが聞こえて来た。そちらの方を向くと、いつの間にか女性が立っていた。見覚えのある顔や、心当たりのある人物で構成された室内で、唯一、彼女だけが誰なのか分からなかった。


 華やかな室内にそぐわない、漆黒の闇を固めたような黒いドレスに身を包む、妙齢の女性だった。切れ長な瞳で居並ぶ王たちを一瞥すると、深々とお辞儀をした。


「お集まりの皆様。ようこそ、いらっしゃいました。当館の主人としてお礼を申し上げるのと同時に、お祝いを述べたいと存じます」


「お祝いだと。いったい、何を祝うというのだ」


 長机を囲む王の一人が質問を発すると、女主人は顔を伏したまま答えた。


「もちろん。鉄の森に引きこもるエルフの滅亡を祝って、でございます」


 女主人の言葉に、場の空気が固くなる。この場に集った者達は結論を言えば、エルフの死を願っているのだ。豊饒なる大地を我が物顔で占拠する彼らを滅ぼしたいと考えているから、こんな場所まで集まったのだ。国を憂い、民を救うという大層なお題目を剥げば、出てくるのは暴力的で、何処までも利己的な欲望だ。


「……ああ、そうだ。エルフは滅ぶべきなのだ」「あの土地を我らの手に」「わが国の民を救うために」「エルフは根絶やしに」「待て、待て。男はともかくとしても、女のエルフは使い道があるじゃろう」


 口々に言い合う王を見て、老将軍は不味いと思う。これでは中途半端な熱に浮かされた若者と同じで、先を見据えていない。これが単なる平民なら問題は無いのだ。しかし、彼らは王なのだ。王の決めた方向に民は走る。そこが崖だとしても、堕ちる瞬間までは王を信じて走ってしまうのだ。


「お待ち下され、御一同」


 老将軍の言葉に、熱に浮かされた王たちはぴたりと止まり、老将軍の方を向いた。


「私は、恥ずかしながら先の戦で大敗を喫しながらもこうして生きております。そんな愚か者の私見ではございますが、どうかお聞きください」


「止さないか、将軍。いまは―――」


「―――いいではありませんか」


 止めに入った王を更に制した女主人は探るような瞳で老将軍を見つめた。


「この場において、最新の『英雄』を知るのは彼です。そして、五度に渡り『英雄』と戦ったご経験もおありとか。ならば、彼の見識はきっと役に立つはずです」


 自分の事を知っているのかと驚きつつも、老将軍は自分の王を説得するべく口を開いた。


「先の戦に置いて、我が国は魔人種の傭兵部隊を雇い入れ、罠を仕掛けました。それはどう考えても突破不可能な罠で、事実、悪魔は罠に掛かりました。しかし、それでもあの悪魔は生き延び、エルフに勝利を齎したのです」


「その事ならすでに聞いている。それで、其方はどうしろというのか。この集まりから余に抜けるようにと言うのか?」


 王に何かを指図できるような立ち位置に居ない老将軍は押し黙る。それでも、かつて王の軍略における教鞭をとった間柄か黙っていても意図は伝わる。


「其方の言いたいことは分かる。しかしな、やはりあの土地は奪わなくてはいけないのだ。さもなくば民は死を待つしかないのだ」


「ですが! 数を揃えた所で悪魔には敵いません。あれは最強の一。生半可な物を揃えた所で、逆に損失が出るばかりです」


 老将軍の叫びに反応を示したのは、意外な事に女主人だった。彼女は両手を一度強く叩くと、場の視線を自分に集めた。満面の笑みを浮かべて、彼女は我が意を得たりとばかりに頷いた。


「それです! 流石ですわ、将軍。貴方の見識に深い尊敬を。そして感謝を。そのご意見こそ、重要なのです」


「……どういうつもりなんだ、女?」


 老将軍だけでなく、室内に居た軍事を司る者は同じ反応をした。彼らも大抵一度は花の都に攻め入り、手ひどい敗北を味わったか、その情報を伝え聞いている。彼らは口に出さなくても老将軍の意見に同調していた。


 しかし、王たちは女主人の言葉に不信感を抱かず、むしろ不敵に笑っていた。


 女主人は一同の視線を受け止めつつ、谷に向かって突きだしているテラスの方を指差した。すると、フードを被った者達がテラスの方へと近づき、窓を開け放った。


 途端。


 女主人を除く全員が一斉に身震いをした。特に戦に体が慣れている者ほど震えは強く、彼らは腰に下げている物へと反射的に手を伸ばした。


 窓を開け放っただけなのに、室内の空気が一変していた。まるで、質量を持った恐怖が室内を押し潰すような重たい重圧を感じていた。


「怯えなくてもいいのですよ」


 老将軍はこの状況でも平然としていられる女主人を不気味に思う。彼女はコツコツと音を立ててテラスの方へと近づいて行った。前腕まで覆うレース状の黒い手袋が手招きをすると、老将軍はいつの間にか歩き出していた。


 そして、テラスに辿り着くと、欄干に身を預けるように下を覗きこみ―――と眼を合わせた。


「――――っ!! あ……ありえん、こんな、馬鹿な、ありえん」


 老将軍は自分の価値観が全て吹き飛ぶような衝撃を味わった。欄干を掴んでいないと、そのまま下へと落ちて行きかねないほど足が震えていた。


 谷底から老将軍を見つめ返すそれを、知識としては知っていた。それがエルドラドに置いて、なんと呼ばれ、どんな役割をしているのかも理解していた。


 そんな存在がどうしてここに居るのか、それが分からなかった。


 老将軍の反応を見て、各国の将軍や宰相たちがテラスへと足を踏み入れ、同じように下を覗きこんで衝撃を味わう中、女主人が語る。


「エルフの『英雄』イーフェ。あれは確かに、今代における最強の一と呼ばれるでしょう。『堕ちた精霊』や『旧神』といった怪物と比肩しても劣らない数少ない存在。それを倒すというには、こちらも最強の一を用意するしかありません」


「そ、そ、それでこれか!? 貴様は正気か!?」


 老将軍が激昂すると女主人はええと涼しげな返答をする。老将軍の体は老いたとは思えないほどの気を纏っているのに、動じる様子は無かった。


「あれが何か知らないのとは言わせんぞ! あれは、あの方は神に仕える存在。それを使うなどとは―――」


「―――お忘れか! いまは無神時代ですわ!!」


 女主人の喝に老将軍は一瞬だが押しとどめられた。その隙に、女主人は腕を振るいまるで舞台役者のように情感たっぷりに語りかけた。


「いまの時代、人は神に見捨てられた存在。それは荒れ狂う大海に投げ出されたのに等しい。岸は見えず、寄る辺もなく、ただ沈みゆくだけの存在。―――否! そんな事はありません。人は足掻く事が出来るのです。足を捥がれようとも、腕を潰されようとも、心さえあれば、決して諦めることは無い気高い生き物なのです」


「し、しかし、いくらなんでも、これは」


「人を見捨てた神に繋がる物を利用して、気が咎めるというのですか。貴方は神々の声も、姿も知らない。そんな相手に義理を尽くす必要がどこに在るというのか。むしろ、あれは神々が残した遺産として、人が使うべき代物なのです」


 尚も言い返そうとする老将軍を制するように、拍手が起きた。発したのは自国の王だ。その拍手は次第に広がっていき、長机を囲む王たちは全員拍手を送っていた。


 おそらく、彼らは谷底に居る物を知っているのだ。知っているからこそ、そして決断したからこその拍手なのだ。


 彼らは、あれを使う気なのだ。


 拍手に対して丁寧にお辞儀をする女主人に向けて、老将軍は最後の質問をぶつけた。


「……貴様。一体何者なんだ。谷底のあれにしても、各国の王に対する根回しにしろ、何を狙っているのだ」


 すると、頭を上げた女主人は妖艶な笑みを湛えたまま、


「狙いなんてとんでもない。はただ、滅びを前に足掻こうとする人を応援したいだけの存在ですわ」


 と、言った。





 花の都が滅ぶ時は前触れもなく訪れた。


 九ヵ国同盟軍、総勢十八万の軍勢は大地を埋め尽くす津波の如き陣容だった。エルフ側は直ぐに臨戦態勢を整え、正規の守備隊以外にも、戦闘に参加できる年頃の男女全てを総動員した総力戦の構えを取った。


 エルフ側が用意できた兵の数は約八千。両軍の戦力が風の通り道を巡り争う事になった。恐るべきことに、エルフ側は二十倍以上も離れた戦力を相手に持ちこたえる事が出来たのだ。


 古代より伝わる禁呪、邪法の類を駆使し、精霊の力を最大限に活用し、何よりエルフの『英雄』がその名に恥じない活躍を発揮した。


 バルムンクの輝きが戦場を横断するたびに、九カ国同盟軍の兵が蒸発して消え、投石機が燃え尽き、戦意がそぎ落とされていく。それでも同盟軍の兵士は尽きる事の無い湖の如く湧きだし、エルフを苦しめる。


 八千の守備兵が六千にまで減って、十八万の同盟軍が十二万にまで削れた時、戦局が大きく動き出した。


「将軍! 敵兵に奇妙な動きがあります」


 遠くを見通せる『窓』を使って監視をしていたエルフの言葉に将軍は弾かれたように反応した。連日続く、終わりなき戦争に疲弊しているのが顔に現れていた。


「どうした、何が起きた?」


「およそ二万の兵が戦場を離脱。風の通り道とは真逆の方向に向けて進行しています」


 将軍が窓を覗きこむと、そこには監視の言う通り、二万の兵が戦場を離れて主戦場とは都を挟んだ反対側へと進もうとしていた。


「どういう事だ。ここで二万の兵を離脱させても、まだ十万はあるとはいえ、徒に兵を動かす必要はないだろうに。……投石機や魔人種の部隊か?」


「いえ。そのような特殊な部隊は確認できていません。歩兵、弓兵、重装騎兵などの混合部隊かと」


 エルフの国が難航不落の要因は、国を取り囲む鉄の森にある。神代の時代から存在するとまで囁かれるこの森は幹と幹との間が以上に狭く、人が入り込む隙間すらない。また非常に背が高い事もあって、上空を飛び越えるのも容易ではない。念には念を入れて、上空から侵入された時を想定した都市防衛部隊も置いている。


「投石機や魔人種といった厄介なのが居なければ鉄の森を突破することは不可能なはずだが……妙だな。……放っておくのも気持ちが悪い。しかし、追いかけるにしても動かせる者は」


 悩むエルフの将軍は頭の中で自由に動かせる手札を考えた。鉄の森が人を拒むのは、何も外からだけでは無い。内からも侵入を拒んでいる。つまり、後背へと回ろうとしている敵を撃つには前方の敵を打ち破り、敵の移動したルートを追いかける、突破力と機動力が必要なのだ。


 そんな二つの要素を兼ね備えているのは、一人しかいない。


 イーフェだ。


 だけど彼女を風の通り道から離脱させれば、ここが苦しくなる。終わりの見えない戦争によりどのエルフも疲労がピークを迎えている。裏を返せば、敵も苦しい時なのだ。ここを乗りきれれば、勝機を一気に引き寄せる事が出来る。


(もしくは、敵も今が疲労の極みと睨んだからこそ、このような突拍子もない行動に出たのかもしれないな)


 二万という兵を主戦場から遠くの方に移動させる事で、こちらに何かを仕掛けると匂わせ、イーフェを引きずり出すという策なのかもしれない。将軍は幾つもの可能性を想定し、それら全てに対応する作戦を用意してから結論を告げようとした。


「……よし! この二万は放置」


 すると最後まで言う事はできなかった。なぜなら、将軍の体が宙を浮いたのだった。


 いや、将軍だけでは無かった。風の通り道を塞ぐ砦に居る誰もが、防衛線を守るイーフェやサファを含めた全員が、九カ国同盟の兵士全てが、花の都に住むすべてのエルフが宙に浮いた。


 それは握り拳一つ分にも満たない高さだったが、この浮遊は彼らの意思では無い。


 僅かに遅れてやって来た轟音で、自分たちが何か巨大な物の振動で飛び上がってしまったのだと気が付いた。衝撃に地面が波打つように揺れた。


「な、な、何だ、この揺れは!?」


 将軍が驚くのも無理はない。これが普通の地揺れなら微細な振動から起こる。もしくは隕石のような超高度からの落下なら、堕ちるまでの間に空気の層を突き破る音が聞こえたかもしれない。


 だけど、彼らを襲う揺れは一度。


 まるで、巨大すぎる何かが落ちたかのような振動だったのだ。


 短い、強烈な振動により砦の中は一部が崩れたり、埃が落ちるが、どうにか崩落は免れたようだ。将軍は周りを見て、怪我人や砦の負傷、先程の地揺れによる影響を報告するようにと命じた。


 すると、真っ先に上がったのは報告では無く悲鳴だった。


「あああ、ああああああ、ああああああああ!!」


「今度はどうしたというんだ!?」


 金切り声を上げるエルフは、先程まで『窓』を覗いていたエルフだ。将軍は悲鳴を上げた後、糸が切れたかのようにばたりと倒れた男を押しのけ、窓を覗きこんだ。まだ込めた精神力が残っていたのか映像は写っていた。


 将軍は窓を覗きこみ―――そこに映っていた光景に思わず絶望してしまった。


 悲鳴を上げなかった自分を褒めたくなった。


「……何という事をしでかすのだ、人間めぇぇっ!!」


 指揮所に将軍の絶叫が響き渡り、全員が注目するなか、将軍は矢継ぎ早に指示を飛ばした。羊皮紙に叩きつけるように文字を書くと、


「王宮にこれを! それと、これから先の指揮は副官に任す。私は戦場に出て、防衛に参加するぞ」


「しょ、将軍。本気ですか!?」


「仕方あるまい。それとイーフェの居場所を! アイツはいまどこにいる!」





 その頃、イーフェは防衛線の最前線に居た。どれだけ押し返しても、尽きることのない津波のような敵に対して彼女がする事は少ない。打ち寄せる敵に向かい、バルムンクを放つ。淡い紅色の光線が走る度に敵が血も残さずに蒸発していく、固定砲台のような役目を押し付けられていた。


 サファはそんなイーフェの護衛として傍に控えていた。バルムンクによる攻撃は疲労が付き纏うため、連発すれば眩暈に近い立ちくらみに襲われるそうで、サファはイーフェが息を整えるまでの間の壁である。


 その二人はいま、他の者と同じように地面にしがみ付くようにして揺れに備えていた。地揺れなら更に続く場合があるからだ。ところがいくら待っても続きが来ない事を不審に思い、イーフェは顔を上げた。


 奇妙な事に、両軍ともに似たような反応をしていた。この隙に『英雄』を討ち取ろうとする気概のある者は居なかった。


「いまの揺れは何だったんだよ」


「変な揺れでしたよね。あっちの方から伝わったように感じたんですけど」


 サファが指し示すのは風の通り道のさらに先の方だ。その感覚は間違っていないとイーフェは思う。彼女も似たように感じていたのだ。


 いまの振動は、いわば水面に石を投げ込んだ波紋に近いのだ。都を挟んだ向う側に何か途方もない巨大なナニカを投げ込まれた、そんな想像が過ってしまう。


「ねえ、《ミヅハノメ》、《カグツチ》。あっちの方向に何が起きているか、分かるかしら」


 自分の中に宿る精霊に話しかけてみるも、彼らは無言だった。ただ、憑依をしている最中は精霊の感情が直接伝わってくる。彼らは戸惑いと怯えていると伝わってきた。


「……うん。悪いサファ。少しの間、防衛抜けるから、あとをお願いね」


「そうっすか……はぁ!? 何言ってんすか、師匠!」


 そのまま砦の方に向かおうとしたイーフェをサファは掴む。


「敵はそっちじゃなくて、こっち。こっちにわんさか居るんですよ」


「いや、まあ、そうなんだけどさ。精霊たちが怯えてるんだよね。向こう側で何か起きているのかもしれないんだ」


「何かって何ですか」


「それが分かれば苦労はしないって。ちょっと行って、様子を見てくるだけだから。ね、お願い」


 サファはどうするべきか悩んだ。戦況からすれば、ここで守りの要を失う訳にはいかない。だけど、イーフェがそのことを理解していない訳がない。理解した上でこんなことを言い出しているのだ。


 自分には分からないだけで、何か厄介な事が水面下で起きていて、状況が逼迫しているのではないかと考えていると、別の方向から声が響く。


「行かせてやってくれ、サファ」


 二人が声のした方を弾かれたように見ると、そこにはエルフの将軍が居た。どういう訳か戦支度を整えている。


「兄……将軍。その恰好はどうしたんだよ」


「お前の代わりを務めようと思ってな。……行くんだろ、あっちに」


 将軍は自分が来たばかりの砦の方向を指し示した。その向こうにあるナニカを指すかのように。イーフェが頷くと、


「お前不在の間は私がここを守り切る。だから、行って来い」


「……ん。分かった。後、頼んだよ、兄貴、それにサファ」


「き、気を付けてください、師匠!」


 言うなりイーフェは風の精霊の力を借りて空高くに向かって飛翔した。こうなれば、サファは見送る事しかできない。それでも付いて行けなかった弟子として尋ねることはあった。


「向こうで、何が起きているんですか。師匠が行かなくちゃいけない事態が起きているんですか」


 質問に対して将軍は表情を硬くした。


「……何が起きているかは言えん。言えば、確実に士気は下がる。ただ、言える事は、向うで起きていることはイーフェ以外誰にもどうにもできない事だ」


「そんな! それじゃ、まさか」


「ああ、イーフェが負けた瞬間。それはエルフの国が終わる瞬間だ」








 将軍の言葉が真実であったかのようにそれから三日後。


 エルフの『英雄』イーフェは死に、エルフの国は滅んだ。


 彼女は国を守る為に三日三晩、とある存在と戦い続けた。それは人の怨念によって神の側から引きずり下ろされた、堕ちた存在。元の強さに加えて、百年という時間をかけて注がれた憎悪が、『英雄』を喰い殺した。


 決して壊れる事の無いと謳われた鉄の森は撃ち破られ、二万の兵士が雪崩れ込み、美しく清らかだった水晶の王宮は略奪の嵐に見舞われた。


 王族を始めとしたエルフたちは、将軍が送った伝令によってこの事態を想定して避難の準備を始めていたため、すんでの所で、都で始まった簒奪から免れる事が出来た。


 魔法の馬車を用意し、生き残るべきエルフを選定し、何処に向かって旅立つのかを決めると、死を覚悟したエルフの将軍を始めとした戦士たちが血路を開き、エルフたちは国を棄てて逃げ出した。あとに残ったのは、踏み荒らされた花の都と、夥しい人間とエルフの死体という陰惨たる光景である。


 エルフが居なくなった九カ国連合軍は花の都をどうやって分割するかで揉め―――ることは無かった。エルフを滅ぼす為に用意された全ての兵が、エルフを滅ぼす為に用意された存在に喰い潰されてしまったのだ。


 それは際限なく全てを平らげた。人間の死体を、エルフの死体を、そして何より豊饒なる大地を支える魔力その物を吸い上げたのだ。


 魔力は大地を豊かにする源。それが枯渇するほど吸い上げられればどうなるのか。侵入者を拒む鉄の森はみるみるうちに細くなり自重を支えきれなくなって折れ、色とりどりの花畑は一瞬で枯れ、澄み切った清流は川底を晒し、豊かな大地が乾ききった砂地へと変貌した。空気は淀み、エルフは勿論のこと人も住めない土地へと変貌してしまった。


 それは人が禁忌に手を出した報いなのか、それとも黒ずくめの女主人が仕掛けた罠だったのか。真実を確かめる術は無い。


 こうしてエルフの国を滅ぼし、大地を汚した存在は、同種の五体によって封印されることとなった。後の歴史書においてエルフ滅亡の正確な記述が少ないのは、人間が禁忌に手を出した事を隠すためだったのかもしれない。


 九カ国連合軍は投入した戦力が全滅したことと、エルフの土地が砂漠とかしたことを受け、同盟を解消。結局、老将軍が危惧していた互いの土地を奪い合う全面戦争に突入してしまい、全ての国はさほどの時を置かずに滅んだ。


 大陸にあった国がこの時期を境に悉く滅んだことを受け、発端となったエルフの国が滅んだ原因をエルフたちは『国喰い』と呼ぶようになった。


 もっとも、その名称も、エルフの国が滅んだ原因もあまり広く伝わらなかったのは、その後に起きた出来事が原因である。


 生き延びたエルフたちが新天地を求めて始まった大移動である。


 それは血塗られた旅であり、先住者を奪う略奪でもあった。大移動が終わる頃、先陣を切って戦った一人の若者がこう呼ばれるようになる。


 エルフの『守護者』、と。


読んで下さって、ありがとうございます。

次回で閑話終了です。

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