閑話:英雄散華Ⅲ
何処からか流れてくる壮麗な歌声。精霊が輪唱をしているのか、音が広がって聞こえてくる。
エルフは長い時を無為に過ごすのを避けるため、何かしらの趣味を持ち、生涯に渡って研鑽する。例えば、歌や楽器の演奏。絵や彫刻に熱中する者も居るし、演劇や詩に傾倒したり、文化方面とは真逆の剣や魔法の道を究めようとする。
花の都では飢えることは無いため、誰もが自分のしたい事を謳歌していた。それはエルフの王族も同じである。水晶で出来た王宮の奥まった場所にある謁見の間に飾られるバラの花はエルフ王が育てた物だ。
「面を上げよ、将軍、そして『英雄』よ」
威厳のある声が水晶の壁に反響し、跪く二人は顔を上げた。謁見の間に跪くのはイーフェとエルフの将軍の二人だ。二人とも先日行われた戦の埃を落とし、緑髪を纏めて正装をしていた。将軍は板についているのだが、イーフェはどこかむず痒そうに身を捩る。
二人が顔を上げた先には男女のエルフが玉座に着いていた。女性の方は他のエルフたちと同じ緑髪だが、男の方は違った。黄金のインゴットを溶かして固めたような曇りの無い金糸の如き髪を持つ男こそ、エルフの王だ。
王は頬を綻ばせながら口を開いた。
「此度の戦。其方らの尽力無くして、この勝利は無かった。誠に大儀である」
「過分なお言葉、有り難く頂戴します」
将軍が礼をする横で、イーフェは無言で頭を下げた。その態度に将軍は視線を鋭くするも、イーフェは自分の態度を改めようとはしない。むしろ、気が付いた上で無視をしている。
「この百年。幾度もわが国は悪しき者達に狙われてきた。その事ごとくを打ち払ってきたのは、我らが『英雄』であるイーフェ、其方のお蔭だ」
「お見事ですわ、イーフェ殿。これからも、花の都防衛に尽力してください」
王のみならず妃からの言葉にもイーフェは無言を貫いた。流石にその態度を見過ごせなかった将軍がイーフェに耳打ちをした。
「イーフェ殿。先程からその態度はどうしたんだ。陛下の御前だぞ」
すると、これまで無言だったイーフェが口を開いた。
「陛下にお願いの義があってまいりました」
唐突な内容に将軍は勿論の事、謁見の間に居並ぶ宰相や文官たちは色めき立った。
「イーフェ! お前、陛下に向かって、なんて無礼な」
「ほう? 其方の願いか。これは聞かぬわけにはいくまいな。よい、将軍よ。発言を許そう」
王が許可した以上、将軍に止める権利は無い。ここぞとばかりにイーフェは前に出て、王に向かって自分の願いを告げた。
「どうか、私に国を出る許可を下さい」
途端。
謁見の間に集まった者達が息を呑んだかのような音がした。願いを口にしたイーフェと、この願いを知っていた将軍だけは違った反応をする。
イーフェは己の思いをぶちまけるかのように必死になり、将軍はやはりそれかと呟いた。
「陛下! あたしはこの百年、この国を守って来ました。しかし、それはこの国が他国との国交を閉じたが故に生じた軋轢です。ですから、他国に門を開けば、きっと戦は無くなるはず。そうなればあたしがここに居る理由は―――」
「―――ならぬ」
イーフェの上奏は王の鉄のように重たく無機質な言葉に阻まれた。
「其方を手放す訳にはいかんのだ、イーフェよ」
「どうしてですか!?」
「花の都を取り巻く問題は他国との外交だけでは無いのだ。いまのエルドラドは其方も知っておるように、モンスターで溢れた世界だ。全ては三百年前に神々が居なくなった事による魔力の乱れが原因だ」
迷宮に居るモンスターは、迷宮から手に入る魔力をエネルギーとしている。それが不足すると、彼らは地上を目指し、外に巣を作り人々を襲うようになる。これをスタンピードと呼ぶのだが、この当時のエルドラドでは全地域に渡ってスタンピードが頻繁に起きていたのだ。
どこもかしこもモンスターが闊歩し、城壁の無い村や街は真っ先に襲われ、酷い場合には国すら滅ぼされているのだ。それは花の都周辺でも同じで、エルフたちは時折、モンスターの巣を排除するために遠出している。
「モンスターの脅威は、この国の方針を変えた所で減ることは無い。そもそも私は人間たちに門を開くつもりはないのだ」
「なら、このままいつまでも戦争を続けるのですか。彼らが飢えて死ぬ瞬間まで、待つのですか」
「そうだとも。それが彼らの選択である。百年前、我が国は困窮するかの国々に持っている物を差し出した。其方も知っているように、その量は多く、この国が傾くほどの財を投げ打った。どうしてそうしたのか。私はな、人間を信じたのだよ。長い時を生きるがゆえに、変化の乏しいエルフと違い、短い寿命を駆け抜ける様に生きる彼らなら、この苦しい時代も手を取り合って生きのびてくれると。その結果、彼らはどうなった?」
王は憂いを帯びた表情で過去を振り返った。
「争ったではないか。私達が与えた物を巡り、奪い合い、無為に消費した。あれを見て私は決断したのだ。あの者らと手を取り合う事はできない、と」
「それは傲慢ではありませんか!? 我らエルフは、偶々豊饒なる大地に身を寄せているに過ぎません。その富を独占して、他が飢えるのを待つのは、余りにも非道な考えだ!」
「イーフェ! それは王への批判か!?」
将軍は激昂しながらイーフェの肩を掴もうとするも、逆にその手を掴まれ投げ飛ばされてしまう。王の御前での蛮行に警備の兵士たちは気色ばんだが、王は彼らを止めた。
「イーフェよ。其方は私の選択を間違っていると言うが、私は間違っていないと確信しているのだ」
「それは何を根拠に?」
王の指が真っ直ぐイーフェを指す。
「其方だ。其方がこの国に居るからこそ、私は間違っていないと確信できる」
「……あ、あたしが居るから」
「うむ。無神時代が始まってから、其方は生まれた。神々が呼んだ、『招かれた者』がこの国に居るという事は、エルフが正しき存在であると神々は仰せになっているのだ」
謁見の間に居る者が王の言葉に感嘆の声を上げた。ただ一人、イーフェだけは絶望に足元を掴まれながら王の言葉を聞いていた。
「『招かれた者』である其方が居る以上、この国は、エルフは決して間違っていないのだ。故に私は門を開く気はない。これは王命であるぞ」
厳しい言葉にイーフェは為す術も無かった。精霊の力を借りれば、遥か大空へと跳べる彼女なのに、王の言葉には逆らえない。そういう風に彼女は教育されているのだ。
風の通り道にある砦は外敵を防ぐだけではなく、彼女を外に出さないための壁でもあった。
悔しさから唇を強く噛みしめたイーフェは踵を返すと、将軍が止める暇もなく謁見の間を足早に出て行った。
「イーフェ! イーフェ! あの子は全く」
あとに残された将軍はイーフェを追うのではなく、まず王に頭を下げた。
「申し訳ありません、陛下。数々の御無礼、平にご容赦を」
「よい。考えてみれば、あの子にも苦労を掛け続けている。それを考えれば、いまの言葉なぞ。……其方も兄として大変だな」
『英雄』の兄である将軍は無言で頭を下げると、そのまま妹を追って謁見の間を飛び出して行った。
しかし、一足遅かったようだ。謁見の間に続く控えの間にはイーフェの姿は無く、この部屋で待っていた弟子のサファの姿も無かった。
二人の姿は王宮の中には既になかった。
「し、師匠? 将軍を置いて、良かったんですか」
「アイツの事なんて知るか! 大体、お前も付いてくんな!」
馬に乗った二人が風を切りながら叫んでいる。先行するのはイーフェで、あとを追いかけるのは弟子のサファだ。街の人々は振り返る度に、いつもの光景かと思い首を元に戻していく。
二頭は都市部を離れ、そのまま花畑の方へと進んでいった。エルフにとって花が咲き誇る大地は土地の清らかさを表す。また、精霊も多く訪れる場所だ。
「《カテギダ》! サファを落とせ!」
それゆえ、花の周りをふわふわと飛んでいた風の精霊を見つけるなり、イーフェは頼みごとをした。『精霊の寵愛を受けし者』の頼みならばと《カテギダ》は風を圧縮し砲弾のようにはじき出した。サファは反応する間もなく、馬上から吹き飛ばされてしまった。
足を止めたサファを振り切り、イーフェは花畑の丘へと突き進んだ。いつの間にか、両目からは涙がこぼれ、視界が滲んでいた。
胸の内を湧き出るのは悔しさとやり場のない怒りだった。
丘に着くなり、イーフェは花畑に向かって飛び込んだ。受け身を取ろうとしない、短い高さの飛び降りに水の精霊である《ミヅハノメ》が反応した。彼女の落下地点に水のマットを作ると、イーフェを受け止めた。
「あらあら。随分と荒れているわね。戦に勝ったというのに、こんなに荒れている所を見ると。またお兄さんと喧嘩したのかしら」
イーフェを自分の膝へと引き寄せた《ミヅハノメ》は、幼子にするかのように髪を撫でる。すると膝の上で涙を流すイーフェは違うと首を振った。
「王様が……陛下が……」
涙声に混じってそれしか言えないイーフェだが、長い付き合いである《ミヅハノメ》は全てを察した。
「そう。エルフ王に嘆願したけど、拒絶されちゃったのね」
イーフェは悔しさを滲ませて、地面に拳を叩きつけた。
「どうして、どうして、あたしは! 外に出ちゃ、駄目なんだよ!」
嗚咽と共に流れる言葉に《ミヅハノメ》は困った顔を浮かべる。王の気持ちも、イーフェの気持ちもどちらも理解できるのだ。
神々に見捨てられたエルドラドにおいて、動揺と混乱と悲嘆は例外なくエルフの国も襲っていた。特に、魔力が乱れる中で、花の都周辺だけは正常どころか、濃い魔力を保っていることもあり遠くないいつか、狙われるのは分かりきっていた。
そのいつか来る日に備えて、籠城をするのか、それとも他国と融和するのか、あるいは他国を攻めるのか。王は国の難しい舵取りを迫られたのだ。そんな時に見つかった、『招かれた者』であるイーフェの存在は王の心を救った。
神々は自分たちを見離してはいない。豊饒なる大地を残したのもその証拠だと思うようになったのだ。王が自らの選択を省みない柱は、この大地と『招かれた者』であるイーフェの二つだ。
一方で、イーフェにして見ればふざけるなという話だ。幼少のころに自分にだけ見えたステータス画面の話をした途端から、彼女の人生は一変した。下にも付かない、それこそ王族に近い待遇を与えられる代わりに、エルフの為に力を振るう事を要求され、そのように育てられた。
短い手足で精霊剣を振る日々。背丈が伸びきればすぐに防衛に駆り出される日々。どれだけ重傷を負っても復活する体に、敵は悪魔と罵り、味方は『英雄』と喝采を上げるようになった。
皮肉な事だ。
エルフの自由を守る『英雄』こそ、エルフの中で最も不自由なのだ。
唯一、心と体を解き放てたのが、戦の時だけだ。その時だけは誰にも気兼ねすることなく、自由に振る舞えた。
こうして、イーフェは戦いを望む女となってしまったのだ。
本人の望みとは無関係に。
「……外に出たいよ。世界を見たいよ」
「出ればいいじゃない。見て回ればいいじゃない」
《ミヅハノメ》の言葉を他のエルフが聞いたのなら卒倒したかもしれない。何を簡単に言うのだと文句を言うかもしれない。しかし、《ミヅハノメ》は本気で言っているのだ。彼女はイーフェが望むなら、出奔の手伝いぐらいするつもりでいた。
それは全ての精霊が思っていることだ。彼女を籠の鳥から空へと羽ばたかせたいといつも願っているのだ。
だけど。
「……駄目だよ。あたしが居なければ、この国は滅んじゃう。……今回の戦、相手は本気だった。形振り構わず、魔人種の命すら消費させてあたしに挑んできた。それだけ本気になっているんだよ。次はどんな手でくるのか分からないけど、きっと厳しい戦いになる」
だから、あたしが居なければダメなんだとイーフェは口にする。自分を縛る鎖を憂う彼女の心に《ミヅハノメ》は悲しみを覚えた。
「此処が無くなったら、あたしは帰る場所が分かんないよ。……どこから来たのかすら知らないのに」
イーフェはこれまでの、無神時代よりも前の『招かれた者』とは決定的に違う点があった。それゆえか、彼女は花の都が無くなる事を極端に恐れてもいた。
《ミヅハノメ》は自分を構成する水の一部を霧状にしつつ成分を変える。それは精神を安定させると同時に睡眠を誘発する効果があった。吸い込んだイーフェは次第に瞼が重くなってきた。
「あたしは……どこから……来て……どこに……いけば……いいんだよ」
その言葉を最後に『英雄』は眠りにつくのだった。
「お休み、イーフェ。……前世の記憶を持たない『招かれた者』に安らぎを」
イーフェは眠ると必ず二つの夢を見る。
その内容はどちらも奇妙で、確実に言えるのはエルドラドに来てから見た光景ではないという事だ。つまり、自分の転生前の記憶という事になる。
しかし、そのどちらも不明瞭で、不確かな物だ。それゆえ、彼女は目覚める度に夢で見た光景をおぼろげにしか思い出せないでいた。
まず、初めに見る夢は酷く清潔な夢だった。
真っ白な絹のような不思議な手触りの布に寝かされ、透明な四角い箱に自分は収められている。葬式ではないはずだが、周りの雰囲気は酷く静謐だ。
周囲は見慣れない物体で埋め尽くされている。透明な液体が入った袋は細い管に繋がり、深緑の色が付いた板は水面のように波打つ。行き交う人々は手袋をはめ、全身を包むエプロンをつけ、更には髪を包む帽子まで被っている。
どうやら自分以外にも同じような箱に収められた赤ん坊が居るようで、音が鳴る度にそちらへと駆けまわっている。
そう、この記憶だと自分は赤ん坊なのだ。
鏡で全体を見たわけではないが、恐ろしく小さな手足は子供よりも小さい。だけど、普通の赤ん坊よりも小さい手足なのが不思議だ。こんなに小さい手足で、母の胎から生きて出てこれるのものなのか。子供を持たないイーフェにはその辺りの知識は少なかった。
夢はそれほど長く続くことは無く、終わりは唐突にやって来る。
息苦しさを覚えた途端に、耳に触る音が響き、巨人のような大人たちが近づいてくる。彼らに向けて苦しみを訴えようとするも言葉なんて出ない。もがく中、視界に飛び込んでくるのは淡い紅色の塊だ。まるで、燃えが上がる炎のように、鮮やかに、激しく目に焼き付いていた。まるでバルムンクから放たれる光刃のようだ。
それを最後に夢は暗闇に覆い尽くされてしまう。
そして場面は切り替わる。といっても、今度の夢は場面では無く、言葉だ。
どこか遠くのようで、それでいて近くのようで。遠雷のように轟くようで、虫の羽音のように囁く。そんな不思議の声が自分に向かって言うのだ。
「生前のお前は自由を知る事もなく死んだ」
「だから、今度のお前は誰よりも自由であるべきだ」
その言葉は熱い炎となってイーフェの胸の裡に宿る。
おそらく、この言葉は自分を送り出した神が送った言葉なのだろうが、自分はその言葉とは真逆の人生を歩んでいる。申し訳なく思いながら、いつも目が覚めるのだ。
いつの間にか、日が暮れようとしていた。寒くないようにと《カグツチ》が火の粉を降り注ぐ中、少し離れた場所でサファが剣を振っていた。土の精霊に出してもらった土人形を相手に特訓している。
「……相変わらずの、へっぴり腰だね」
「目が覚めて早々に言うのがそれですか。いつもと変わらないようで、師匠」
剣を振るのを止めると土人形は土へと戻った。そして振り返ったサファの体を大量の汗が流れた。衣服は土砂降りの雨を浴びたかのように湿っており、距離があっても汗のにおいが伝わる。
「くさい、こっちくんな」
「そりゃないでしょ!」
にべもない言い方にショックを受けるサファ。すると、イーフェは周りに居る精霊に目配せした。
視線を受けた《ミヅハノメ》が水の塊を呼び出すとサファを頭から爪先までを洗い流した。一気に濡れ鼠になったサファに対して、今度は《カグツチ》と《シナヅ》が協力して熱風を当てて行く。あっという間に乾いたものの、まだ汗の臭いがした。
「《コノハナ》、ちょっと来てー」
「お呼びかしら、イーフェ」
返事は直ぐ足元からした。いつの間にか、花の裏から小さな人が姿を現した。彼女は花の精霊、《コノハナ》である。エルフの国には他に、鉄の精霊、闇の精霊、樹の精霊など数多の精霊が暮らしていた。そんな精霊たちを呼ぶだけで引き寄せられるのは、イーフェの特権である。
「あいつ、クサいからどうにかしてくんない?」
「お安い御用よ。痩せっぽち、こっちにいらっしゃい」
「俺は痩せっぽちなんて名前じゃないんだけどな」
痩せっぽちと呼ばれることに不満を口にしつつも、精霊に逆らわず、サファは《コノハナ》から花の香りをかけて貰った。これで大分マシになった。
考えてみれば、この痩せた男との付き合いも長くなる。一回り以上違う年下のサファを弟子に取ったのは理由があった。いまから五十年ほど前、国を出奔するには自分に代わる戦士を育てればいいのだと考えた彼女は、弟子を取ると国に広めた。
すると大挙して押し寄せた人々を、彼女はまず弟子見習いとしてふるいにかける事にしたのだ。サファはその一人にすぎなかった。それも集まった者の中ではあまり技量は高くなかったはずだ。ところが、五十年経って、残ったのは彼一人だった。
理由はイーフェの修業が厳しすぎたことにある。もっとも、彼女自身は厳しいとは考えていなかった。元々、弟子を取った事も、師を持ったことも無い彼女は弟子の育て方を知らなかった。そのため、自分がしている修行を弟子見習い達にやらしてみた。
結果、僅か二月後には弟子見習いはほとんどいなくなってしまった。
本人は気が付いていなかったが、《パッシング・フォワード》による生命力の過剰回復を避けるために、彼女は常軌を逸した特訓を自分に課していた。それは勝手に生命力が回復する彼女だけにしかできず、他の者がすれば自殺行為に他ならなかった。
そんな過酷な修行を一年、二年と続けて行って、残ったのはサファただ一人だった。そのサファもはっきり言えば、死の瀬戸際を行ったり来たりしているような貧弱ぶりだった。だから、彼女は言ったのだ。
「去れ、お前はこれ以上は強くなれない。お前を教えても時間の無駄だ」
辛辣な物言いだが、これはイーフェなりの優しさでもあった。無理な物はハッキリと無理という事で諦めるだろうと。ところがサファはすんなりと引き下がらなかった。ちょうど、この花畑の丘に陣取り、弟子として認めてくれるまでここに居ると言ったのだ。雨が降ろうとも、精霊がちょっかいを出そうとも、彼は微動だにしなかった。その頑固な態度に、イーフェは一つ、意地悪な質問をぶつけてみた。
「それじゃ聞くが、お前を強くしたら、あたしに何か得することがあるのかい」
その時点でエルフ最強とまで呼ばれたイーフェの得と言われれば、答えに窮すると思ったのだ。ところが、サファは間髪入れずにこう言い放ったのだ。
「俺を強くしてくれたら、アンタを助けてやれるぞ!」
予想だにしていない回答に面喰い、そしてイーフェは国に響き渡る大音声で笑ってしまった。これまで、戦士としての自分を信頼した者は大勢いたが、助けようとしてくれた者は一人も居なかった。そんな身の程を弁えない答えがイーフェにとって逆に新鮮で、彼女は折れた。
こうしてサファは弟子見習いから正式な弟子となり―――地獄の特訓が始まった。その時点でのサファの実力を見極め、どう成長させるべきかを寝ずに考え、それに到る最短距離を導き出して、練りに練られた特訓計画。それは断崖絶壁を飛び降りる行為に近い。落下して生きているか、墜落して死ぬかの二択。そして、サファはどうにか生き残ったのだった。
そのかいあってか今では彼の単体での実力は、エルフの戦士の中で五本の指に入る。もっと鍛えれば、自分の次に強い戦士になりうるかもしれない逸材である。
だけど、自分を超えられる可能性は限りなく低かった。
彼が成長する以上のスピードでイーフェは成長していると自覚していた。戦えば戦うほど、自分は際限なく強くなっていると自負していた。
「これじゃ、あたしが国を出られるのはいつになるのやら」
口にしてから自分が口に出していたことに気が付き、イーフェは口を押えた。しかし、時すでに遅く、精霊にもサファにも零した本音が聞こえていた。
「イーフェ。貴女、その気になったのね」
「よっしゃ。イーフェの門出だ。派手な見送りをしようぜ」
「あーあ。寂しくなるな。でも、イーフェの為だから、我慢するね」
「いや、ちょっと待って。そりゃ、出たいとは思うけど、直ぐにって訳にはいかないし、出るとしたらこっそりと出た方が良いし……ああ、もう。話を聞いてよ!」
諸手を上げて喜ぶ精霊たちを押しとどめようとするイーフェ。そんな中、サファだけは口を真一文字に結んでイーフェをじっと見つめていた。そして、思い切ったかのように尋ねた。
「師匠。どうして師匠は、国を出ようと考えているんですか?」
真剣な声色に、イーフェは驚く。今までも、国を出たいと口に出してはいたが、こんな質問が返ってきたのは初めてだった。兄である将軍は頭ごなしに拒否してきたし、精霊はイーフェが望むならするべきだと肯定した。彼女に理由を尋ねる者はいなかった。
真っ直ぐな瞳を見て、適当に返すべきではないと考えるも、彼女は王から自分が『招かれた者』だと明かす事を禁じられている。この無神時代に置いて、『招かれた者』を独占していることが他国にばれたら、余計な火種を作りかねないためだ。だから、彼女が『招かれた者』だと知っているのは王家の人間や、エルフの上層部。それに精霊と親族だけだ。
「あたしは……あたしが生まれた理由を、意味を知りたいんだ。この無神時代という嵐の中で、何で産み落とされたのか。なんで、あたしだったのか」
ちゃんとした説明ができない中で答えようとするも、サファにはいまいち理解できないようだった。首を傾げ自分なりに咀嚼しようとしていた。だけど、横で聞いている《ミヅハノメ》には痛いほど理解できた。
エルフの寿命は長い。人間種の中でも飛びぬけて長く、平民のエルフなら五百年程度は生きる。その分、エルフは人生に意味を求めない。長い時間を己の持つ技や作品に注ぎ込み、それを次世代に託していくのだ。エルフが重要視しているのは過去から受け継いだものを未来へと繋いでいくことであって、そこに個人の感情や功績を挟む余地はない。
だけど、イーフェは『招かれた者』なのだ。それも無神時代が始まってからの、いわば神の置き土産のようなもの。そこに何の意味も目的も無いはずがない。付け加えれば、彼女は前世の記憶がない、特別な転生者。数多の世界、幾多の生命の中でどうして彼女が選ばれたのか。彼女に何をさせたいのか。イーフェはそれを知りたがっていた。
だから、外の世界に出たかったのだ。
「うーん。師匠、それは―――」
「―――無理な話だ、イーフェ」
サファの言葉を遮って、男の言葉が放たれた。いつの間にか、花畑に新しい男の影が伸びていた。男はエルフの将軍だった。
「イーフェ。お前がどう考えているのか、薄々だが気が付いていた。気が付いた上で、私は無視をしていた」
「……どういうことだよ、兄貴」
公式の場では将軍と呼び、非公式の場では会う機会がめっきりと減った妹から兄と呼ばれ将軍は薄く笑う。するとイーフェは眦を吊り上げた。
「いや、失礼。……お前も知っての通り、花の都は周辺国との軋轢を増している。今回の戦も始まる前には何度も書簡が届けられていた。そこには民が飢えて死ぬのを座して待つ向うの王の悲嘆が綴られていた。しかし、エルフ王はそれでも門を開かなかった。結果、彼らは戦争に踏み切った」
「王様がそんな態度をとれるのも、あたしが居るせいだろ。だったら、国を出てやるよ。そしたら、王様も考えを変えるだろ!」
妹の恫喝じみた内容を将軍は一笑に付した。
「お前にそれが出来るか?」
「……なんだって」
「お前は自分が生まれた意味を知りたいのと同時に、この国に対して強い執着を抱いている。お前はどれだけ外に焦がれようとも飛び出す事が出来ない。国が亡ぶことを誰よりも良しとしないのは、他ならぬお前なのだ」
兄の言葉はイーフェの心情を的確に言い表し、彼女は返答に窮した。彼女は物心ついた時から、自分が異世界からやって来た部外者だという扱いを王家から受けて来た。決して粗雑に扱われたわけではない。ただ、特別視されてきたのだ。事情を知らない他のエルフ達も、彼女を特別視していた。
これがもし、イーフェに前世の記憶があったのなら、その記憶や自分の立ち位置と折り合いをつける事も出来たかもしれない。だけど、彼女には前世の記憶なんてほとんどないのだ。それなのに『招かれた者』である以上、特別視されてしまう。望んでも居ないのに。
エルフたちの中で、エルフの容姿をしているというのに、『招かれた者』という事で特別視される幼少期。友達はできず、いつも精霊と過ごしていた。
無神時代が始まり、魔力が乱れた大地で友とも家族とも呼べる者と過ごせる場所は、ここしかないのだ。精霊の居る国を守りたいという思いと、自分の生まれた意味を知りたいという、相反する願いが彼女の中に存在していた。
「イーフェ。外の世界に出たという望みを捨てるんだ。それを抱いている限り、お前は苦しくなるだけなんだ」
「黙ってくれよ! 兄貴に、この世界に受け入れられてるあんたには分かんないんだよ!」
イーフェは怒鳴ると同時に走り出した。その速度は凄まじく、将軍は勿論の事、サファにも追いつくことはできない。あっという間に彼女の姿は花畑から消えてしまった。
精霊も姿を消してしまい、残されたのはサファと将軍の二人だけだ。
もうここに用は無いとばかりに背中を向けた将軍にサファは尋ねる。
「あの……本当に無理なんですか。その、師匠をちょっとの間だけ旅させることは」
「不可能だ。アイツの目的が自分の生まれた意味を知るという難題である以上、簡単に果たせる旅では無い。周辺のモンスター討伐とはわけが違うのだ。それに、あいつはエルフの『英雄』だ。戦場に現れるだけで味方の士気は上がり、敵は恐怖に慄く。それが居なくなれば、各国がここぞとばかりに攻めてくる。それぐらい、アイツだって分かっているんだ」
「……なら、俺が守ります!」
将軍は驚き、サファの方に振り向いた。
「俺がエルフの守護者になります。師匠と同じぐらい、いや、それ以上に強くなってみせます。そしたら、師匠が国を出る許可を下さい」
サファは口に出してから、それが途方もない事だと理解し心が震えた。イーフェとの実力差は痛いほど理解している。自分が地面に倒れ伏した魔人種の罠を、彼女は軽々と踏み越えた。その姿は『英雄』と呼ぶにふさわしい。自分があれを超えるなどと言うのはおこがましいと知りつつも、しかし同時に自分は知っていた。
《ミヅハノメ》の膝で眠るイーフェが涙の跡を作っていたのを。
「……残念ながら、その許可を出せるのは王だけだ」
再び背中を向けた将軍にサファは肩を落とす。しかし、彼は足を止め、付け足した。
「だけど、その時は口添えぐらいはできるかもしれないな」
「あ、ありがとうございます!」
将軍は今度こそ足を止めることなくそのまま花畑を立ち去った。残ったサファは剣を取り、稽古を再開した。
この時、青年が抱いた志は血と泥と憎悪に汚され、畏怖と軽蔑を持って呼ばれることになるのだが、それはまだ先の話である。
読んで下さって、ありがとうございます。




