閑話:英雄散華Ⅱ
イーフェが戦場に降り立つ直前、エルフと人間の戦争は互角の展開をしていた。僅か百の戦士だけで万の軍勢を防げるエルフが恐ろしいのか、万の手勢を持って百のエルフと互角に戦える老将軍が優れているのか。
答えはそのどちらでも無かった。
エルフは一部隊二十五名の四部隊、合計百の戦士を二つに分けて、交代で風の通り道を守っていた。鉄の森はどんな攻撃でも破られることのない鉄壁の防壁の為、唯一の切れ間である風の通り道が戦の中心地になっている。そのため、風の通り道は平時には関所として、そして戦時には砦として使える建物が塞いでいた。
更に風の通り道前には二重三重に土塁と柵と空堀が展開され、騎馬や歩兵の突撃を阻む。そんな防衛網の中をエルフたちは駆けまわっていた。
エルフたちの主な武器は剣や弓、それに魔法と精霊だ。人よりも魔法に長けたエルフは後の世で旧式魔法と呼ばれる魔法を何発も発動できた。更にエルフは精霊との親和性が高いために精霊魔法を習得して居る者もいた。どちらも威力は凄まじく、一人一人が投石機並みの破壊力を有していた。
付け加えると、エルフの国である花の都周辺で精霊魔法を使えるのはエルフだけである。これは今代のエルフの中に『精霊の寵愛を受けし者』が居る事と、精霊が自分の遺志で顕在できるだけの魔力が土地に残っているからだ。花の都周辺で精霊魔法を使おうとしても、精霊側から断られてしまう。それどころか、物見雄山とばかりに戦場にふらふらと現れて、勝手に参加することもある。
もっとも、精霊は誰かに使役されていないと人を殺してはならない掟があるため、やれることは限られている。投石機から放たれて弧を描く巨石を打ち砕いたり、突撃を掛ける騎馬隊の足元を泥に変えたり、突風を吹き荒らして矢を横に反らしたりとエルフのサポートぐらいしかできない。
それでも精霊の助力と、エルフ個人の高い力量も合わさって、風の通り道前は鉄壁の守りと謳われていた。
しかし、それを差し引いても一万もの数はエルフの手に余るはず。それが開戦から五時間が経過してもなお戦士を休ませる余裕があるのはおかしかった。
砦の最上階から戦場を見渡していたエルフの将軍はその理由を言い当てた。
「これは、あちらは本気ではないようだな」
「……そうなのですか?」
傍に居たエルフが不思議そうに尋ねた。
「ああ、見てごらん。先程から突撃を仕掛けてくるのは歩兵と弓兵と騎馬、合わせて二千。それを交代で休ませているから、一度に攻めているのは千だ。あとは投石機が二台。これも交互に撃つだけだ。ここから見える限りでは投石機は十以上あるというのに、二台しか動かさない」
エルフの将軍が言う通り、人間側には塔のように伸びた投石機が十以上存在していた。だけど、それらが動く様子は無い。現場からの報告では投石機は新型らしく、これまでよりも距離、砲弾の量、射撃間隔などの面で旧来の投石機を上回っているらしい。
「なにより、あちらには魔人種の傭兵部隊が居る。それなのに、突撃を仕掛けてくる気配がない」
魔人種と聞いて指揮所に居たエルフたちの顔が強張る。
エルフと魔人種は民族的に争う間柄では無い。だけど、どちらも長命種で、魔法に長けているという共通点があるせいか意識はしていた。また、エルフには人の持つ精神力の量が瞳に映るため、万の軍勢の中でも魔人種がどこにどれだけいるのか直ぐに分かる。
この時代、魔人種は国を持たない流浪の民だった。土地を持たず、定着することのできない彼らは傭兵となって各地を転々とする生活を余儀なくされた。高位の魔法を自由に使え、生命力にも優れた彼らは傭兵の中でもランクは高く、雇うのに多額の金銭が必要だと有名だった。
「三十……いや、五十人は雇ったか。あちらは随分と大枚をはたいたようだな。そんな虎の子の部隊に、新型投石機を大量に投入して、やっていることは小競り合い。……これは他に狙いがあるのだ」
「それは、一体なんなのでしょうか」
「決まっている。イーフェだ。あの子が戦場に来るまで、彼らは本気で戦うつもりが無いのだろうな」
将軍の傍に居たエルフは唾を飲み込んだ。人間の将軍は万の軍勢の大半と、新型投石機と、五十人の魔人種傭兵部隊は全て、たった一人のエルフを倒す為に温存しているのだ。
馬鹿げている。そもそも兵を動かすのとて金は要るはず。軍勢を維持するにも食料は必要なはず。民が飢えているというのなら、そんな余分な事をしないで大人しくしていればいいのだ。
この夥しい兵の数はそれだけ彼らが貧窮しているのを表していたのと同時に、これだけ『英雄』を恐れているのも表していた。
眼前の敵の群れは、恐怖の裏返しである。
「しかし、参ったな。彼方が本気にならない以上、こちらも迂闊に打って出る訳にはいかないし、かといって本気を出すなと守備隊にいう訳にもいかない。……サファはまだイーフェを見つけていないのか」
「どうやら、そのようです」
「あの放蕩娘は。今日はどこで道草を食っているんだ」
苛立ちを抑えきれないのか爪先で砦の欄干を蹴る将軍。すると、そんな彼らの真上を何かの影が通り過ぎたのだ。頭を上げるも、そこには晴れた空しかなく、続いて響き渡った男女の声と巨大な地響きに視線を下げた。
土塁と柵と堀のさらに向こう側。戦場の中央付近で土煙が舞い上がっていた。まるで、そこに火山があって噴火したかのような勢いだった。
戦場中の視線がそちらに向く中、奇妙な事に両軍の指揮官だけは全く同じことを呟いていた。
「「派手な登場だな、『英雄』!」」
舞い上がった土煙を《シナヅ》に吹き飛ばしてもらったイーフェは冷汗を拭いながらも口角を吊り上げて笑った。
「あっははははは! すげぇな! 見てみなよ、サファ! 地面が捲れて、盆地になってるよ。昔見た星堕ちの現場みたいじゃないか!」
興奮するイーフェとは真逆に、サファは地面に大の字になって倒れこんでいた。表情は青ざめ、四肢は震えが止まらなかった。
「死んだかと思った。今度ばかりは死んだかと思った。マンティコアの群れに投げられたときも、バジリスクの沼地に捨てられたときも、レッサーデーモンの洞窟に置き去りにされたときもやばかったけど、今回はそれ以上だ」
「大げさな奴だな。あたしはその辺りの匙加減はちゃんとしているんだぞ。お前の実力でぎりぎり死ぬかどうかのちょい上ぐらいをいつも選択してるだからな」
(つまり死の瀬戸際を超えてんじゃないか!)
声に出せずとも心の中でサファは叫んだ。ほかにも色々と思う事も言いたい事もあるが、彼はそれを一度諦めた。何しろここは戦場のど真ん中で、さらに言えば敵陣の中心近くだ。クレーターの縁の向こう側から敵の声が聞こえていた。
サファが起き上がるのを確認すると、イーフェは弟子を待たずにクレーターを飛び出した。軽い、幅跳びの要領でクレーターの外へと躍り出た彼女は腰に差してある剣を引き抜いた。
それは実にシンプルな剣だった。真っ直ぐな棒状の鍔に長い刀身。多少なりとも装飾は施されているが、一般的なロングソードにもよく似ていた。『英雄』と呼ばれる彼女が振るう剣にしてはどちらかと言えば地味な分類になる。だけど、そんなシンプルな剣にも二つばかり特徴があった。
一つは剣の鍔。中心部に魔法陣が刻まれている事と、もう一つは日光の当たり方のせいか刀身が淡い紅色に輝いているように見えるのだ。
一万の軍勢は浮足立っていた。何しろ自分たちのすぐ傍に天から何かが落ちたのだ。偶々人のいない陣形の隙間だったから人的被害は無かったが、それでも動揺と混乱は起きた。部隊を指揮する者は、兵の混乱を沈めようと躍起になる。
そこをイーフェは突く。浮足立ったのなら、それを利用するのだ。
クレーターを飛び出した彼女は、四方全てが敵なのを確認すると、手近に居た集団へと躍りかかった。
呆然と立ちすくむ兵の首に剣を突き入れ、抜いた拍子に体を蹴り飛ばす。血を噴き出した仲間の死体を受け止めた兵士の足を後ろから斬り態勢が崩れた所を柄で殴る。そして敵襲に気が付いて剣を引き抜いた敵の手首を切り落としてむき出しの目を裂いた。こういった状況で即座に反応が出来る敵は意外と侮れないので、念入りに首を落としておく。
そのまま続けざまに、兵士に躍りかかった。鎧の隙間や、時には鎧の薄い所を、そして何よりむき出しである首や目、指などの柔らかい所を切りつけて行く。サファがクレーターを駆け上がるまでの数十秒足らずで、イーフェは百近い敵を打ち倒していた。
折り重なって倒れる兵士達の上で、イーフェは息も切らしていなかった。
「……相変わらずの、容赦ない戦いぶりで。もう、百人切りですか」
「うんにゃ。九十一人切りだよ。それに容赦ないって、そんな事ないでしょ。生きている方がまだ多いんだから」
「いや……まあ、まだですけどね」
イーフェの言葉通り、倒れ伏す兵士たち割合は生者の方が多い。だけど、これは慈悲の心で手加減したわけではない。通常、戦争中なら遺体はその日の戦いが終わってから回収したり処理したりするのだが、負傷者は違う。例え矢が飛び交い、魔法が撃ちあわれる中でも回収は行われる。負傷者を放置すれば、次は自分がああなった時放置されてしまうと下っ端の兵士は恐怖してしまうからだ。一人の負傷者に着き、最低でも一人、もしくは二人が運搬に当たる。つまり、一人重傷者を出す事で、合計で三人を戦場から追い出すことが出来るかもしれない。
そしてイーフェは念には念を入れて、回復魔法でも完全な治癒が見込めない程度の傷を相手に与えている。腕を切り落として、目を裂いて、腱を断ち、内臓を潰す。戦場に戻ってこられないどころか、その後の日常生活も満足に行えないような深手を与えて、生かすのだ。
「さて、と。準備運動はこれぐらいかな。あちらもあたしのことに気が付いたみたいだし、本番はこっからだよ」
剣に着いた血を拭ったイーフェは周囲を見回した。彼女の言う通り、敵はイーフェの存在に気が付き、誰かの指示に従い動き出している。腰に差していた自分の剣を抜いたサファがイーフェの背中に声を掛けた。
「一度、指揮所に戻らなくてもいいんですか? 将軍から命令とか指示とか受けなくても」
真っ当な弟子の意見に師は即座に、
「嫌だ。めんどい」
と、返した。
「……めんどいって、アンタは」
あまりの言い草に頭痛を覚えるサファにイーフェは唇を尖らせた。
「だって、アイツの言う事難しくてわけわかんないし。それに、ここから砦まで戻ろうとするなら敵陣を突っ切るんだよ」
二人が居る場所は敵陣のど真ん中で、周囲はどこを見ても敵だらけ。つまりエルフの本陣がある風の通り道前も敵で埋め尽くされている。
「それだったら、あたしはあっちを目指すね」
あっちと剣で指した方角を見てサファの頭痛はさらに増した。砦と反対の方角。風の通り道とその前の平野を一望できる丘の方を彼女は指しているのだ。
風の通り道を攻める軍勢が必ずと言っていいほど、あそこの丘を押さえる、敵の本陣だ。当たり前の話だが、敵の本陣というのは、守りを固くしている物である。
「それじゃ、行くよ!」
「本気なんだな、本気なんだな、ちくしょう! こうなったら自棄だ。何処までも行きますよ!」
敵の本陣へと躍りかかるイーフェの背中を追ってサファも駆けだした。
「報告! やはり先の衝撃は『英雄』イーフェによるものと判明。現在、敵は弟子のサファを引きつれ……本陣であるこの丘を目指して進軍中の事です!」
天幕に飛び込んだ伝令の言葉に居並ぶ一同は騒めく。『英雄』の出現は予想していたが、それは風の通り道から出撃で、空からでは無かった。イーフェの思い付きではあったが、空を飛んでやって来た事で彼らの裏を掻いた事になる。
用意していた作戦が幾つか駄目になった事に軍師たちは頭を抱えるが、老将軍はただ一人落ち着き払っていた。
「皆の衆。まずは落ち着くのだ」
老いたとは思えない威厳に満ちた声。天幕内の混乱が潮を引くように消えて行った。
「相手は『英雄』にしてエルフの悪魔だ。この様な常識外の行動もあり得る。故に、どのような状況でも、其方らは落ち着くべきなのだ。さもなければ、我らの動揺は兵に伝わるぞ」
「で、ですが閣下。敵はほとんど疲弊しないまま、こちらへとやってくることになりました。こちらの切り札をすり抜けたも同然です」
「確かにな。当初の予定では一万の兵のうち八千を温存していたのは悪魔を疲弊させるためだ。それは無駄になった。しかし、こうも考えられるのではないか。八千の無傷の兵を、このまま風の通り道攻略に当てられる、と」
軍師は老将軍の言葉に弾かれるように机上の地図を振り返った。そして頭の中で激しく、それこそ火花を散らすかのように思考をまとめ上げた。
「なるほど。御慧眼、感服仕りました。早速、そのように差配いたします」
「うむ。許可する」
軍師は天幕を飛び出すと伝令を使い指示を各所に飛ばした。残された老将軍は地図へと視線を向けた。風の通り道前の戦況を表す地図には幾つもの駒や旗が突き刺さっている。その中の一つ。自分たち本陣が居る丘の麓に突き刺さっている黒色の旗に熱い視線を注いだ。
「来い、悪魔よ。貴様の行く手を阻むのは、魔人種の知恵の結晶である」
「師匠! 右手から騎馬隊。数は百です!」
「あいっよ!」
敵の本陣を目指して駆けだした二人を狙い、敵が動き出していた。歩兵が壁のように隊列を組み行く手を阻み、弓兵が雨あられの如き矢を放ち、騎馬兵が一塊となって蹂躙しようとする。
その全てをイーフェは打ち砕く。壁のような歩兵を水の触手で薙ぎ払い、雨のような矢を炎で防ぎ、いまも砲弾のような突進を土の精霊である《オシホホミ》の力を借りて対処する。
イーフェの足が地面を踏みしめると、ひとりでに地揺れが起きた。地揺れは騎馬の足を止めるだけでなく、そのまま地面が捲れ上がり彼らを持ち上げた。馬がひっくり返り、後ろへと落とされていく。
『精霊の寵愛を受けし者』であるイーフェにとって、精霊は己が手足の延長戦であった。『憑依』というレア技能を使い体に宿した精霊の力を、彼女は思いのままに操る。エルフの長い歴史において、《憑依》を使えた者は他にも居た。しかし、それは精霊の力を宿すことで能力値をいくらか上昇させる程度で、こんな環境を変えかねない威力は無かったと聞く。
最高位の精霊が『精霊の寵愛を受けし者』に身も心も委ねているのだ。
躍動する背中を追いかけながら、サファはイーフェの背中を守る。迫る敵を寄せ付けず、逆に切り倒していく彼の技量は決して低くは無い。それでも、イーフェの域に届いていないと自覚している。
彼女の剣は人を魅了する。淡い紅色の軌跡が血に染まって濃い深紅に変わりつつあると、ついついその剣に引き寄せられそうになるのだ。
サファはまたしてもイーフェの剣に魅了されている事に気が付き、自らの頬を張った。そして周りの状況を確認する。突撃が信条のイーフェに代わり戦場を見るのはサファの役目だ。
そして気が付いた。
巧妙に隠してはいるが、敵の流れに変化がある。それは敵軍が方針を変えたことになる。自分たちにある程度の兵をぶつけてはいるが、大部分の軍勢を風の通り道へと回している。敵の本陣まであと少しというこの状況で守りを薄くする兵の移動にサファは違和感を覚えた。
「師匠。敵の流れが変です。俺達を無視して、風の通り道を狙っています。多分、この先に罠があるかと」
引き返しましょうと続けようとするサファにイーフェは、
「そいつがどうしたっていうんだい」
向かってくる敵兵を躱しざまに切り捨てサファの方を向かずに喋る。
「コイツは戦なんだよ。罠だって使うし、下種な手も使ってくる、禁じ手無しの戦いだ。そんでもって、あたしのような頭の悪い遊撃剣士に出来る事は、倒れる瞬間まで派手に暴れる事さ!」
晴れ晴れとした表情で語るイーフェに対して、サファは呆然と、
「……頭悪いって自覚、あったんすか」
「驚く所はそこ!? いま、あたし。かなり良いこと言ったよね」
弟子の辛辣な言葉にイーフェは思わず振り向いて抗議する。それを好機と捉えたのか敵は躍りかかった。無論、それは隙でも何でもない。イーフェの剣が風の如き速さで振るわれるが、それよりも前にサファが飛び出して敵を切り伏せた。
「おお! やるじゃん」
「……これでもあんたの一番弟子……まあ、唯一の弟子ですから。そんでもって、頭の足りない師匠の背中を守るのが俺の役目です」
だからとサファは続けた。
「あんたは後ろを気兼ねなく進んで下さい。背後は俺が、きっちりと守りますんで」
「……痩せっぽちが言うねぇ。ご褒美だ。戦が終わったら食事を作る前に揉んでやるよ!」
背中をバシバシと上機嫌に叩くイーフェに対して、サファは顔を青ざめさせる。イーフェの食事は絶品だが、彼女の稽古は非情に厳しい。果たして自分は生きていられるだろうかと悩んでしまう。
どちらにしても、眼前の戦を勝利しなければ、全てが妄想で終わってしまう。イーフェが駆けだすのに合わせてサファも前進する。やはりサファの見立ては正しく、多くの敵兵は左右に分かれ、自分たちを素通りしていく。
一万の兵の内、おそらく六千近い数が風の通り道前を襲いかかるはずだ。まだ衝突は始まっていないが、それも時間の問題である。イーフェが退かないと決めた以上、一刻も早く敵本陣を叩く必要があった。
しかし、彼らを遮るように一つの影が躍りかかった。
手に持つ長槍が唸りを上げて振るわれ、イーフェの剣と激しく打ち合う。僅か一呼吸の間に三度の攻防が行われ、敵は大きく距離を取った。
「へぇ。この戦で初めてあたしに三回も振らせたわね」
イーフェが獰猛な笑みを顔に張り付けて笑う。サファは彼女の背後を守りつつ、敵の方を注視した。敵は長い槍を振るう、全身をすっぽり覆うフードを纏った不気味な相手だった。
「そんな邪魔そうな格好で戦えるのかい? 魔人種の誰かさん」
「……エルフの瞳は実に厄介であるな」
嘆息と同時にフードは取り払われ、特徴ある姿が白日に晒される。一見すると人間族のような優男だが、髪も瞳も闇を固めた様に黒く、サファは不吉だと感じた。
「魔人種の傭兵部隊か。あんたらが、守りの要? それとも攻めの要なのかな」
「決まっているだろ。『英雄』を殺す要だ」
男は言うなり槍を構え、イーフェに対して突きを放つ。高速の刺突を剣で下から弾いたイーフェはすぐさま距離を詰めて魔人種へと切りかかった。しかし、その一撃は男が距離を取った事で躱されてしまう。
続いてイーフェが距離を詰めようとすると、槍が斜め下から振るわれる。狙いは首―――と見せかけて軌道が変わりイーフェの肩を狙った。だけどそれを読んでいたイーフェは剣の柄で槍を受け止めるという離れ業を披露して防いだ。槍の間合いに這入りこみ、一気に距離を詰める。すると男は長槍を回して石突きでイーフェの額を撃つ。額の皮膚が破け、鮮血が噴き出した。
よろめくイーフェの背後で、サファは慌てることなく様子を伺っていた。これは演技、イーフェなりの罠だ。自分の作った隙を相手にちらつかせて不用意に飛び込んだところを襲う。石突きを食らう直前、重心が後ろに下がっていたのをサファは見ていた。
ところが、二人の予想に反して魔人種の男は深追いをせずに、逆に詰めた距離を開こうとして後ろに飛んだ。慌ててイーフェが追いすがり、攻撃を加えた。
そのまま一合、三合、七合とぶつかり合うも、男は攻撃しては距離を取ろうとするため、イーフェでも捕まえきれなかった。
「のらり、くらりと。木の葉みたいな男だね、あんたは」
「はっは。『英雄』相手だ。用心に用心を重ねるのは当たり前だと思うが」
明らかに敵はイーフェを誘導しようとしている。問題は、それが何処へ誘導しようとしているのか。いま、二人は敵本陣がある丘の麓まで来ようとしているのだ。これが戦場の端とかに誘導されるなら、流石のイーフェでも魔人種を無視して本陣へと向かっていたはず。だけど、わざわざ敵本陣近くへと誘導するせいで、相手に主導権を取られる形になった。
「師匠っ! やっぱり、これは」
罠だと続けようとしたサファだが、それよりも前に魔人種が動き出した。丘の麓に辿り着いた男は、槍の穂先を自分に向けるなり、なんと自らの体を貫いたのだ。左胸の心臓めがけて、槍は突き刺さる。
背中から突き抜けた槍が魔人種特有の青い血を大地に垂らしていく。男の予想外な行動に驚くサファとは裏腹にイーフェは醒めた目で男を睨んだ。
「……おいおい。こいつは一体、どんな余興だよ。とんだ幕切れで興醒めだよ。折角、まともに戦える相手が出てきたと思ったのに」
「そいつは……済まないね。……だけど、ここからが……本番だ」
男は口元を青く汚しながら、不敵に笑う。すると、流れた青い血が大地に染み込むのと同時に大地が劇的な変化を見せたのだ。男を起点として巨大な魔法陣が発動したのだ。
イーフェとサファが離脱しようとするも、二人に異変が起きた。体が見えない鎖に繋がれたかのように重く、息も苦しくなったのだ。まるで全力疾走を延々と続けた直後のように息が荒い。
二人の様子に血を流す男は満足そうに言う。
「どうだ。魔人種の……魔法陣は。……いま、貴様らの……能力値が十分の一まで……低下しているぞ。普段とは……体の感覚が……違い、力が……出ないだろ」
男の言う通りである。サファは血管に鉛を流し込まれたかのような重さを感じ、立っているのも難しくなった。イーフェもどうにか両の足で立っているが、そこから一歩も進めずにいた。
「おかしいね。あんたの様子はとても深手を負ったうえで十分の一になった奴には見えないね」
「……御明察。……この魔法陣は……魔人種の血で……作動している。ゆえに、魔人種だけは……いつもと変わらない……力を振るえるのさ」
男の言葉を待っていたかのように、魔法陣の中に這入って来る影が居た。それは全員が黒髪黒目の者達だった。
「天下に名を轟かしている魔人種の切り札が、こんなちゃちな罠なんて。正直、いつか戦える日を待っていたあたしにしたら、がっかりね」
「そう言うな。……これは……魔人種の……心臓の血を……使わなければ、発動しない……魔法陣。発動すれば、必ず一人は……死ぬんだ。俺の命と……引き換えに、『英雄』を……殺せるんなら、大……金……星……さ」
自らの体に槍を突き刺した男は、そう言って地面に倒れこんだ。名前すら知らない相手の勝ち誇った笑みにイーフェは軽く目をつぶる。
その動作を、負けを認めた潔い覚悟と勘違いした魔人種たちが、彼女に躍りかかった。ただでさえ能力値が高い魔人種と、十分の一まで下げられたイーフェなら勝負にもならない―――はずだった。
迫りくる斧を片手で受け止めると、イーフェは返す刀で魔人種のわき腹から肩までを切断した。驚く魔人種の傭兵部隊に向かって、斧を力任せに投げると、魔人種の胸に突き刺さって止まった。イーフェは敵の中で厄介そうな弓兵か魔法使いを探し、手近に居た魔法使いに躍りかかる。詠唱が完成するよりも早くに、イーフェは相手の喉に剣を突き刺した。
引き抜くと同時に、後ろから襲い掛かる槍持ちと激しく撃ち合う。その一撃たるや、魔法陣によって能力値が十分の一に減らされている人間の動きでは無かった。
「ど、どういう事だ!? 貴様、何故、この魔法陣の中でまともに動けるのだ!? まさか、効いていないのか!?」
「いーや。十分に効いているよ。頭はガンガンと痛むし、立っていると眩暈が襲い掛かって来るし、手足は冷たく、関節は重りを撒いたかのように動きが悪い。ちょっと動くだけで息は切れるし、多分かすり傷でも食らったら死んじゃうかもね」
「だったら、何故これほど動けるんだ!」
槍と剣がつばぜり合いをする中、魔人種の槍が押されていた。剣がゆっくりと槍を切り始めていた。くい込む刃を止める事が出来ない。
「そりゃ、あれだ。十分の一に下げられているから、気合入れて、普段の十倍分、頑張ってるんだよ!」
「―――何を……言っているんだ、おまえは?」
男は信じられないとばかりに呆然と呟き、同時に槍は剣を押しとどめる事が出来ずに断ち切られ、男の体も同じように斜めに切られたのだ。
魔法陣の上で魔人種たちがイーフェを囲むも、怯えた様に距離を取る。彼らにしてみれば万全の構えで臨んだ戦いなのに、それを気合だの、頑張るだのと言った精神論で撃ち破られると思っていなかったのだ。
すると、イーフェは遠くの方で投石機が動き出しているのに気が付いた。敵の将軍はイーフェに魔人種の傭兵部隊をぶつけて、残りの戦力を投入するつもりなのだ。いくらエルフと精霊でも、あれだけの数の投石機を使われたら守るのは厳しい。
「そう、思い通りにはさせないよ!」
言うなり、イーフェは剣を両手で握る。そして、自分の中であふれ出して止まらない生命力を剣へと流し込む。すると何の変哲もない剣に刻まれた魔法陣が起動した。
イーフェは生まれた瞬間から、一つの技能を持って生まれた。人はそれを特殊技能と呼んだ。彼女の持っていた技能は《パッシング・フォワード》。
効果は実に単純だ。
生命力の自動回復。
たったそれだけだ。イーフェはどれだけ傷を負っても、勝手に体は回復していく。先程の石突きの攻撃も、ポーションや回復魔法を使っていないのに傷口は塞がり、血は乾いていた。何より、戦場に落下した瞬間。あの時も、イーフェは怪我を負っていた。何しろ、高高度からの落下だ。足手まといを庇ったため、彼女は頭蓋骨にひびが入り、肋骨が三本折れて肺に突き刺さり、背骨も砕け、着地した足なんて折れた際に皮膚を突き破っていた。そんな重傷すら、僅か数秒で回復してしまう、驚異の回復力だった。そして、この技能は自動で、常に発動している。彼女の器を満たして溢れる事になっても、注がれる。そのため消費されない生命力は彼女の体を蝕む毒となった。
その異常ともいえる過剰回復を見かねたエルフの王族は、彼女にある武器を与えた。それはエルフにおいても使い道の無かったとある剣だった。
元はエルフの国でしか取れない貴重な鉱石を剣の形に整え、王家に献上された一品だった。素材となった鉱石が淡い紅色の美しい輝きをしていたため、単なる美術品としての献上だったが、後にその鉱石にある特性が判明した。
精神力を流し込むと、その量に応じて熱線が発射されるのだ。
当初は新しい武器になるかと期待されたが、流し込む精神力の量の割に熱線の威力が低い事が判明。これなら同じ精神力の量で、魔法を撃った方が効率は良かった。結果、鉱石は使い道がないと判断された。美しいとされた剣の輝きも、使えない品という評価と共に、王家の蔵へと収められてしまった。
その精神力を吸い上げるという特性に目をつけた。剣の柄にとある魔法陣を刻み、彼女に渡した瞬間、エルフの『英雄』は誕生した。
剣に刻まれた魔法陣が生命力を精神力へと変化させ、刀身が輝きだした。そして、彼女ははるか遠くに見える投石機に向かって剣を振り下ろした。
「吼えな、精霊剣バルムンク!」
剣に刻まれた銘と共に、極光が刃の形となって大地を駆ける。避ける事も敵わず、巨大な投石機は光に飲み込まれて蒸発したのだった。
「……相変わらず、出鱈目な威力だな」
丘の上から全てを見ていた老将軍は憎々しげに呟いた。近習の兵士は口を大きく開けて呆然と立ち尽くしていた。
「封じ込めには失敗したようだな。……まったく。魔人種の傭兵部隊もたいしたこと無いではないか」
「い、いかがいたしましょうか?」
「退くぞ。これ以上戦を続けても兵を徒に死なすだけだ。この戦の肝は、悪魔を封じ込められるかどうかに掛かっていたのだ。早くせんと、全ての投石機を薙ぎ払われてしまう。撤退の銅鑼を鳴らせ!」
老将軍の言葉に、兵士たちは慌ただしく動き出した。必勝の構えを作り、何重もの策を要していた軍師は、空からの襲来という奇想天外な行動で全てを崩された敗戦に悔しそうに地面を穴が開くほど見つめていた。そんな男たちに老将軍は言う。
「この敗戦、責は私にある。其方らに累が及ばないように取り図ろう」
「しかし、それではあなたの御身が!」
「良い。老兵の首一つで済むのなら、それに越したことは無い。あの悪魔殺しは、若い其方らに託すとしようではないか」
こうして、朝方から始まった戦争は夕方を待たずに終了した。一万の兵を撃退したエルフの脅威は周囲の国々に喧伝され、ますます同盟軍への機運が高まる事になった。対して、エルフは戦争の勝利に増長し、自国の方針を変えようとはしなかった。
それがエルフの国の崩壊に繋がると、この時はまだ誰も想像すらしていなかったのである。
読んで下さって、ありがとうございます。




