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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第6章 水の都
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6-85 また嵐はやって来る

「それではオルタナ殿。あまり長く居られては」


「分かってる、分かってる。その代り、悪いが二人きりにさせてもらえるか」


 オルタナの言葉に審判官は不承不承ながらも従い、部屋を出た。取調室にはレイとオルタナの二人だけが残され、正対するようにオルタナは椅子に腰かけた。レイは呆然と、信じられない物を見るかのようにオルタナを凝視していた。彼が《テンペスト》に飲み込まれる瞬間を、レイは映画のコマ送りのようにはっきりと目に焼き付けていた。オルタナは死んだ。レイを突き飛ばした右腕を残して消えたはずだ。


 だけど、レイの目の前にいる男は実体を伴った存在だ。幽霊でも、魔法による幻術でもない、はっきりとした存在感を放つ。だとすれば誰かの変装かと思ったレイはオルタナに手を伸ばして頬をつねった。


「……おい。夢かどうかを確かめるなら、てめぇの頬を抓ろよ」


「いや。アンタが本当にオルタナかどうかを確かめたくて……アンタ、マジでオルタナなのか?」


 レイの手を打ち払うと、オルタナは自分の足を叩いた。幽霊なら足が無いと言うのは世界の壁を超えて共通の概念なのだろうか。その足を叩くのは右手だ。肩口から焼き切れた右腕は、切断面が炭化していた。エレオノールの糸でも繋ぎ合わせるのは不可能だろう。それなのに滑らかな動作だ。義手ではなく、生の皮膚だとレイは確認した。


「どういう事なんだよ。アンタは右腕だけを残して死んだんじゃ」


「ああ。俺、死ねないから」


 さらり、と。夕食の献立を告げるかのようにオルタナはおかしなことを告げた。レイは開いた口どころか、塞がった口すら開いてしまう。


「お前が放置した右腕から再生したんだ。こう、にょろにょろとな」


 素っ頓狂な発言に文句をつけようとして、クトゥスの言葉を思い出す。


 ―――曰く、オルタナという魔法使いは不老不死を目指した魔法使いだとな。


 荒唐無稽な内容だけに対して考えていなかったが、こうして不死だと本人の口から言われれば現実味を帯びてくる。だけど、まだ別の可能性もある。


「信じられないな。まだ、魔法を浴びた振りをして姿を隠していた方が筋が通る」


「……疑り深い奴だな。まあ、いい。その辺は今回の場合、重要じゃない。俺が不死かどうかは、大した問題じゃないだろ」


 不死を大したことではないと言いのけるオルタナに眩暈に似た感覚を覚える。同時に、こんな風にスケールの大きな事さらりと言う人間に一人だけ心当たりがあった。


「もうじき、船が出港しちまう。姫さんの暮らしていた、不戦の島近くまで連れていってくれる段取りになっているからな。逃す訳にはいかないんだ」


「だったら、こんな所に居ないでさっさと行けばいいじゃないか」


「寂しいこというなよ。一緒に戦った仲だろ。別れの挨拶ぐらいはしておくのが筋だと思ったんだ。……それに、聞きたいこともあるんだろ」


 その言葉に、レイは幾つもの疑問が土石流のように押し寄せた。オルタナが何者なのか、不死とはどういう意味なのか、不老でもあるのか、どうして自分たちに協力したのか、不戦の島に行く本当の理由は何か。だけど、それら全てを押しのけて、ある事だけは確認しておきたかった。すると、レイの表情から内心を読んだかのようにオルタナが口を開いた。


「色々と聞きたいだろうが、全部に正直に答える気はないし、時間もねえ。だから、一つだけだ」


 びしりと天井に向かって人差し指が伸びた。


「ある一つの質問に対しては正直に答えよう。その質問に関係した疑問も補足する形で教えてやる。……それを踏まえたうえで何が聞きたい?」


 挑発的な物言いにレイはぐつぐつと煮えた頭の中を整理するように深い呼吸を数度繰り返した。頭の中で質問の筋道を作り、どれだけの情報が手に入るかとシミュレーションをしてから、ゆっくりと口を開いた。


「《アニマ・フォール・リジェネ》を発動したのはアンタなのか」


 檻の中で何度も自問自答を繰り返した謎。それは誰が魔法陣を起動したかだった。あの状況下で魔法に詳しく、なおかつ怪しい人物はオルタナしかいない。だけど証拠がなかった。レイの真っ直ぐな視線を受け止めたオルタナは首をに振った。


 その返答に驚くレイの前で、オルタナは少し違うと補足した。


「俺がしたのは《アニマ・フォール・リジェネ》の魔法陣を改変しただけだ。あれは元々、術者であるエレオノールが《アニマ・フォール》に感染した時に、街のどこに居ても治療できるようにした保険だった。噛まれて、意識がある内に頭の中で発動の命令を下せば、即座に治療できるように設定してあった。俺はそれに術者が死んだ時に、街全体の感染者が治療できるように発動する式を加えた。だから発動したというのは語弊があるな」


「……やっぱり、アンタがしたのか。……いつ、改変したんだ」


「姫さんが軍船に向かった頃さ。一人になった時に地下に降りて、魔法陣を見つけて弄ったのさ」


 その答えはおおむねレイの予想通りで驚くことは無い。オルタナが魔法陣を見つけられたチャンスは三回。一つはレイとエレオノールが地上で最終決戦を行っている時。一つはエレオノールの探索中、シアラと別行動をとった時。そして最後がシアラの裁判が行われる前だ。


 この三つの中で、レイはシアラと別れた後、再び合流するまでの間が怪しいと睨んでいた。なぜなら、合流したオルタナの衣服は黒ずんだ汚れが付着していたのだ。レイは後になってそれが地下空間で付着した汚れだと気が付いた。なぜならレイにも同じ汚れが付いていたのだ。少なくともオルタナはレイ達と地下に降りる前に地下に降りていたことになる。


 しかし、事前に予想していて驚きは無いとはいえ、困惑と疑念は生まれた。


「その時に地下に魔法陣がある事を知っていたなら、どうして僕らに教えなかった。それに魔法陣を改変する事が出来るなら、発動することもできたんじゃないのか。いや、それ以前に、アンタは地下に魔法陣があると知っていたんじゃないか」


 もし、知っていたなら。リザが命を賭けた勝負に出る必要は無かった。仲間を余計な危険に晒す必要は無かったのだ。レイは静かな怒りに震え、取調室に張りつめた空気が押し寄せた。オルタナは数秒考えた後、口を開いた。


「誤解されちゃ困るが、俺とて地下に魔法陣があるとは確信していなかった。可能性の一つを潰す為に地下に降りて、そこで魔法による防衛と遭遇したんだ。それでここに何かあると考えて探索をしていたら、魔法陣を見つけたんだ」


「答えになっていないぞ。見つけたなら、僕らに教えればいいだろ。それに発動すれば―――」


「―――発動すれば、エレオノールが逃げるだろ」


 レイの言葉を遮ってオルタナは強い口調で言う。机の上に無造作に置かれた左手がきつく握りしめられる。


「俺にはエレオノールを逃がす訳にはいかない理由があった。感染者が元に戻れば、奴はここに居る理由を失うと考えた俺は、魔法陣に二つの式を加えた。一つはエレオノールが死亡した場合に発動する式を。そしてもう一つが真夜中直前に発動するように式を加えた」


「……ちょっと待てよ。それじゃ、アンタが魔法陣を改変した時点で《アニマ・フォール》は最終段階に辿りつけなかったてことかよ。……僕らのやっていたことは無駄だったのかよ」


 《トライ&エラー》が使えない状況下で、いまにも崩れそうな細い道をレイは歩いていた。全ては感染者を助けるためだ。それが無駄と言われてしまい、唖然としてしまう。するとオルタナが付け加えるように、


「無駄じゃない。特に戦奴隷の嬢ちゃんがエレオノールをあそこまで追い詰めてくれたおかげで、アイツは魔法陣の改変に気が付かなった。それに、レイ達が追いかけているという認識があったから、アイツも地下で余計な行動をとらずに体力の回復を図ろうとしてくれた。無駄な事なんかないぞ」


 慰めるように言われても、レイの心には響かない。これ以上、何を言っても状況は良くならないと判断したオルタナは少しだけバツの悪そうな顔をして押し黙った。


 取調室に時計は無い。窓もない。壁に掛けられたランタンが二人を照らしていた。


 しばらくしてから、レイが口を開いた。


「どうして……どうしてエレオノールを追おうとしていたんだ?」


「その質問は《アニマ・フォール・リジェネ》とは関係してないだろ」


「いいだろ、それぐらい。オマケしてくれ」


 疲れた様子で投げやりな口調のレイにオルタナは重いため息を吐くと、エレオノールを逃せられない理由を語り出した。


「俺の息子ってのは、俺とは血の繋がっていないんだ。捨て子だったのを俺が拾った」


 話の方向性にレイは疑問を挟もうとしたが、オルタナの沈痛な表情を見て口を噤んだ。その間もオルタナは淡々と話を続けた。


「俺も捨て子でな。色んな人の世話になりながら育てられた。そんな俺が子供を拾ったのも何かの縁だと思って育てていたんだ。……そりゃ、最初は戸惑いと試行錯誤の連続だ。何しろ、家庭的な事なんて、その時まで全くやってこなかった世捨て人。何処かに定住する事もしない流離い人……なんていえば格好はつくが実際は単なるごく潰しだ。そんなのが赤ん坊を育てるなんて、とんでもない難題だ。……それでも、どうにかなっていた。どうにかなっていた一番の理由は、俺の息子は年の割に随分と大人びていたんだ」


「年の割に……大人びていた?」


「ああ。流石に赤ん坊の頃は普通の子供だった。だけど、立って歩けるようになると、俺の持つ魔導書に興味を覚えた。俺の話言葉から共通文字を覚え、自力で魔法言語ヒエログリフすら習得しちまった。拾って五年経つ前には一端な魔法使いとなっていた。早熟何て言葉じゃ言い表せないぐらいだ」


 沈痛な表情は変わらないが、オルタナの語る口には自分の息子を誇らしく思う色が見え隠れしていた。だけど、オルタナの表情に更に影が差すようになった。


「ある日の事だった。息子は大事な話があると言って俺の前に座った。そして言いやがった。僕には前世の記憶がある、と」


 思わず、レイは息を飲んで、オルタナの顔を穴が開くほど見つめた。話の方向が自分とは無関係じゃなくなってきたのだ。そんなレイの様子に気が付かないほどオルタナは過去に没頭していた。


「別の世界で魔法を学び、死んだ自分はエルドラドの神に招かれ、この世界に来た。この世界は滅びへと向かっていて、それを救ってほしいと頼まれた。こうして生まれ変わり、この世界の住人になった以上、世界を救いたい。だから協力して欲しいと言われたんだ」


「……そんな、無茶苦茶な話を聞いてアンタはどうしたんだ」


「最初は驚いた。……だけど、まあ、はあったからな。息子の言う事を信じて、協力することに決めたんだ」


 心当たりという言葉に引っ掛かりを覚えたレイだが、オルタナの話を遮るべきではないと考えて黙った。


「息子と俺は、色んな事に挑戦した。既存の魔法を改良し、それを様々な魔法使いに伝え、未踏の分野にも挑戦した。全ては世界を救済すると言う目的のためだ。……《アニマ》はその一つだ」


「じゃあ、アンタの息子ってのは!?」


「《アニマ》を生み出した黄金期の三傑が一人、『魔導師』と呼ばれた男さ」


 初代『魔導師』。エレオノールが二代目と名乗っていたこともあり、便宜上初代と付けるが、その人物こそが今回の事件の発端といえた。『魔導師』が《アニマ》を作らなければエレオノールが《アニマ・フォール》を作ることは無かった。


 同時に『魔導師』はレイと同じ『招かれた者』の一人である可能性があった。オルタナの話が真実なら、それは確信となる。


 しかし。


(こいつと『魔導師』が親子だって。だって、こいつは……それとも、僕の勘違いなのか)


 混乱するレイを他所にオルタナは話を再開した。


「息子の作った魔法を……世界救済を願った祈りともいうべき物を、あんな醜悪な物に作り替えられて黙っていられなかった。術者を殺すのは当然だが、同時に研究資料や証拠になりそうな品。そして感染者の治療も行いたかった。そのためには俺という存在を術者から逸らす必要があったんだ」


「……つまり、僕らは囮として利用されていたってことか」


「まあ、そういう事になるな。……まさか、黒幕がの娘だとは思わなかったが」


 自嘲気味に呟いた内容はレイに届かなかった。頭の中で次々と発覚した衝撃の事実に翻弄されているが、一つだけ、言わなければならないことがあった。正直、言うのは憚られるが、しかし、事実としては彼が居なければ失敗していたのだ。


 レイは机に手を着けると、オルタナに向かって頭を下げた。驚くオルタナに対して、


「……アンタには色々と言いたいことがある。だけど、アンタが居なければリザやレティ、エトネたちはまだ感染者のままだったかもしれない。だから……その……助けてくれて、ありがとう」


 オルタナは礼を言われるとは思っていなかっただけに面喰った表情を浮かべた。すると、外からノックが響く。二人がそちらに向くと、閉じた扉の向こうから審判官の声がする。


「オルタナ殿。そろそろ時間です」


「あ……ああ。分かった」


 言うなり、オルタナは席を立とうとする。レイはそれを制するように口を開いた。


「待ってくれ! 最後にもう一つ教えてくれ。……アンタはやっぱり、『し―――」


『七帝』なのかと続けようとしたレイに叩きつけるような殺気が放たれた。体を外側から押しつぶして、内臓が破裂し、心臓が折れた骨に突き刺さるような恐怖を感じた。思わず口を押え、吐き気を堪えたレイに、オルタナは静かな口調で告げた。


「それ以上は口にするな。口にしなくても、もう分かっているだろ。俺とお前は相容れない存在だ。あの忌まわしい神々のしもべ。それをお前の口から聞かされれば、俺はお前を殺したくなる。だから言わないでくれ。……じゃあな、レイ。せいぜい気を抜くなよ。神の玩具にだけはなるんじゃないぞ」


 そう言って、オルタナは取調室を出て行った。途端に押しつぶすような殺気は途絶え、レイは呼吸の仕方を取り戻したかのように荒い息を繰り返した。


 間違いない。


 この出鱈目な殺気。そして不死という共通点。オルタナは『守護者』サファや『魔王』フィーニスと同類。存在するだけで世界を滅ぼす『七帝』が一角、おそらくは『魔術師』と呼ばれている存在だ。






 オルタナが出たのと入れ替わるように審判官が室内に入ってきた。レイの様子に不審を抱いたが、彼は粛粛と職務を進めた。釈放の命令書を読み上げ、書類に名前を求め、レイが倒れていた付近にあった物や没収された荷物を渡した。


 龍刀や赤色の指輪。ブレイブサラマンダーの手袋に、炎鉄の手甲、ニコラス作の防具とポーチを身に付けたレイは、兵士達の敬礼を背に浴びながら留置場を出た。数日振りに浴びる夏の日差しは鋭く突き刺さるように眩しかった。


 留置場は外層部に幾つか点在しており、どこも満杯だそうだ。レイのような不審者を確保しているからではなく、元感染者の身体検査が行われている。彼らが再び感染者に戻らないかどうか、不安の種を潰しているのだ。そのため、留置場の周りは元感染者の家族や友人たちが集まり、人が出て来る度に一斉に視線を向けていた。


 無数の視線に晒されたレイは、思っていた以上の人ごみに後ずさりをする。数日前まで、感染者だらけだったこともあり、もう大丈夫だと頭では分かっていても体が反応してしまう。


 アクアウルプスには元の住人に加え、近隣の国から調査団や医師団や魔法学者らが送られており、人で埋まっていると説明を受けた。この中からどうやってリザ達と合流するべきかと悩み、龍刀の鯉口を切る。僅かに覗いた紅蓮の刀身に呼びかけるも、コウエンの返事は無かった。拘束されてからコウエンに自分の考えを相談しようと呼びかけたが一度も返事は無かった。いまも、沈黙が厚い壁のように阻んでいる。どういうことかと悩むレイの耳に、複数の少女の声が届いた。


「レイ様!」「ご主人さま!」「主様!」「おにいちゃん!」


 呼び方は様々だが、彼女らが指しているのはたった一人しかいない。レイは声のした方向に振り向くのと同時に腰に衝撃を浴びた。


 視線を下げれば、しがみ付く二人の少女の頭が飛び込んできた。一人は栗色の頭髪が細かく震え、もう一人は灰色まじりの緑髪から飛び出した長い耳がピコピコと揺れていた。


「ご主人さまぁー! ご主人さまだ!」


「おにいちゃん、おにいちゃん、おにいちゃん!」


 顔を体にこすりつけて喜びを表している二人にレイは驚き、そして優しく語りかけた。


「……レティ。……エトネ。二人とも、無事かい? 痛い所とか、気持ち悪いとか、変な所は無いか」


 名前を呼ばれた二人は弾かれたように顔を上げ、満面の笑みを浮かべて答えた。


「うん! 元気いっぱいだよ!」「ぜんぜんへいき」


 その答えにレイは胸が詰まる思いだった。宝石のように綺麗なエメラルドグリーンの瞳がレイを見つめ、笑いかける口元に牙なんて生えていない。レティもエトネも、感染者だった頃の面影は一切なかった。


 雑踏を掻き分け、二人に遅れてリザとシアラがレイの傍にやって来た。リザとはエレオノールを倒した直後に《伝声ボイスコール》で話したのが。シアラとは地下空間での戦闘以来の再会だ。


 二人は目頭が熱くなるのを感じた。レイとレティとエトネの三人がこうして一緒に居ると言う光景を見るために、彼女らも戦ってきたのだ。元に戻ったレティ達と再会した時に枯れるほど流したはずの涙が目に溜まり、手の甲で拭う。


「お勤め、ご苦労様です」


「待って、リザ。それ使い方が間違っているわよ」


 頭を下げるリザにシアラが突っ込みを入れる。その何でもない光景に涙があふれ出しそうになる。レイは誤魔化すように、口を開いた。


「リザ。君も体の方は無事かい? その……従者さんから聞いたよ。船での戦いの事を」


「問題ありません。どこも異常なしと医師とレティとシアラからの太鼓判を受けました」


「本当よ。少なくとも、臓器が破裂していたり、骨が突き破っていた瀕死の患者とは思えないほどの健康優良児よ。何なら、主様も見てみる? リザの肌」


「シアラ! ……ごほん。その……《トライ&エラー》が使えない状況下で命を散らしかねない行動をとったこと。深くお詫びします。申し訳ありません」


 深々と頭を下げたリザにレイは首を横に振った。


「頭を上げて、リザ。君の命懸けの献身が無ければ、状況はもっと最悪になっていた。なにより、君はあのエレオノールを最初に追い詰めたんだ。従者さんが居たとしても、ほとんど独力だ。……その……僕は君を誇りに思うよ」


 耳を赤くしつつそっぽを向きながら最後の言葉を付け足したレイ。頭を上げたリザは顔を真っ赤にしてそんなことありませんと小声で呟いていた。


「……お姉ちゃんがデレた。デレた事は喜ばしいんだけど、そこに到るまでの経過を知らないというのがもどかしいよう」


「どうかしたの、レティおねいちゃん?」


 嬉しさ半分、悔しさ半分といったレティに対してエトネは不思議そうに首を傾げた。


 場の空気がピンク色に変わっていくのを感じたシアラが咳払いと共に、空気を一掃しようとする。


「ゴホッン。……そういえば、オルタナとすれ違ったわ。アイツ、急いでいたのか目礼もそこそこにさっさと消えたけどね」


 失礼しちゃうわと怒るシアラにレイは首を傾げ、直ぐに納得した。シアラはオルタナが《テンペスト》に飲み込まれたのを知らないのだ。青の指輪に込められたハヅミを呼んだ際に、シアラは気絶していた。右腕だけになったオルタナを知っているのはレイを除けば従者だけだ。


「ねえ。従者さんはどこに行ったの? それにダリーシャスは?」


「従者様なら翌朝には都を立ったと、書簡で連絡が。これがそうです」


 リザが懐から取り出した手紙を開くと、強い香水の香りが鼻をついた。レイでも顔をしかめると言うほどだから、鼻が優れているエトネにはより強く感じられる。レイの体に顔を押し付けて香水から逃れようとする。


 手紙の差出人はウージアの女帝だった。文章は短く、


『楽しませてもらったわ。私の指輪は回収させてもらったから。それじゃ、またどこかでお会いしましょう』


 と、だけ書かれていた。文章の終わりには紅をつけた唇の跡が残っていた。レイはそれをシアラに渡して、燃やしておいてと頼む。シアラは自分でやりなさいよと文句をつけつつも炎を出して手紙を灰に変えた。


「それで、ダリーシャスさまは……あれ? さっきまでその辺に居たよね」


 レイにしがみ付いたままレティは周囲を見渡す。すると、遅れて雑踏から飛び出してきた男を見つけ指差した。そこに居たのはいつものラフな格好をしたダリーシャスだ。


「いてて……盗人め。危く腕輪をはぎ取られるところだったわ。よう、レイ! やっと外に出れたな。息災そうで何よりだが、少し痩せたか?」


 大股で近づいたダリーシャスはレイを爪先から頭までを何度も視線を走らせた。橙色の瞳がレイの無事を確認すると白い歯を向きだしにして笑った。


「まあ、とにかく! これで《ミクリヤ》の五人が揃った、という事だな」


 ダリーシャスから指摘され、レイ達は改めてその事実を嬉しく思い、笑いあった。すると、レイの裾をエトネが引っ張った。どうかしたのかと尋ねると、少女は不思議そうに口を開いた。


「ちがうよ。《ミクリヤ》は六人だよ」


 エトネはレイを指して一と言い、リザを指して二と言い、レティを指して三と言い、シアラを指して四と言い、自分を指して五と言い、そしてダリーシャスを指して六と言った。


「ね? 六人でしょ」


「……うん、そうだね。六人だよな」


 レイはエトネの頭を撫でると、エトネは嬉しそうに目を細めた。ダリーシャスが照れくさそうに顔を背け、シアラとレティが目敏く見つけてからかい、リザが窘めた。


 そんな、今ではありふれた光景を前にして、レイはオルタナの気持ちを少しだけ理解できた。街を地獄に落とした原因が《アニマ》だと知り、息子を侮辱されたと思い可能な限りの手段を用いてエレオノールを止めようとしていた。そのためにレイ達を利用したのだ。


 それはレティ達を助けるために、ガシャクラやクトゥスの力を借りた自分と同じだった。


「……そういえば、皆は荷物をどうしたの?」


 ふと、レイは集まった五人が手荷物らしき物を持っていない事に気が付いた。それにこの場にはアスタルテとキュイも居ない。代表するようにリザが説明をする。


「荷物は全て軍船の方に置いてあります。もちろんキュイ達もそちらに。船はいつ出港しても大丈夫なように手はずは整っています」


「そうか。船長にも随分と迷惑を掛けたし、早い所デゼルト国に向かうとしますか。……ダリーシャスはそれでいいか」


「む。……まあ、仕方あるまい。今日まで何の連絡もなかったのだ。こうなれば直接叔父上に直談判するしかあるまい」


 どうやらレイが居ない間にクトゥス達からの接触は無かったようだ。どういう事だと不思議がるリザ等に説明は後でと告げると、シアラが驚いた声を上げた。


 大きく開かれた金色黒色の瞳の先に、いつの間にか日焼けした肌に厳めしい顔つきの青年、クトゥスが立っていたのだ。


「噂をすればなんとやらとはこの事だな。おう、クトゥス。ようやく、来よったか!」


 ダリーシャスが親しげに手を振る横で彼を知らないリザ達がレイに視線を向けた。レイは短く、ダリーシャスを狙う暗殺者だと伝えた。


 自分の命を狙う暗殺者相手にこれだけ親しげに出来るダリーシャスに目を白黒させつつも、リザ達は周囲を警戒するように身構えた。どこにヌギドの一族が潜んでいるのか分からないのだ。雑踏だらけという環境は彼らにとって身を隠す森のようなものだ。


「叔父上との連絡は取れたか? それとも、やはり俺の命を取りに来たのか」


 後者ならすぐさま戦闘が始まるというのに、ダリーシャスは飄々とした態度を崩さない。むしろ、近づくクトゥスの方が緊張しているようにさえ見えた。クトゥスはレイ達を警戒してか、剣の間合いから離れた場所で立ち止まった。


 真一文字に結ばれた唇が解け、そこから固い声がもれた。


「状況が変わった。……それも、かなりややこしい方向にな」


 クトゥスの言葉にダリーシャスが怪訝な顔を浮かべ、内容を聞き返そうとした。しかし、それを遮るようにダリーシャスの名前が叫ばれた。


 叫んだのは人ごみを掻き分けて近づく青年、ジェロニモだ。焦っているのかターバンが解けても直そうともしない。全力疾走を繰り返したのかレイ達の前に立った彼は大粒の汗を流していた。


「ジェロニモ。其方、どうかしたのか? 何かあったのか?」


 ただならぬ様子のダリーシャスが息切れを繰り返すジェロニモに尋ねる。


「王子。……王子。……落ち着いて聞いて下さいませ」


「落ち着くのは其方の方だ。呼吸を整えろ」


 促されるように呼吸を繰り返したジェロニモは表情を強張らせて、告げた。


「首都で反乱が起きました。首謀者はプラティス家当主とその一族。結果……首都は彼らの手に落ち……オードヴァーン家当主ファラハ様が殺されたとのことです」


 奇妙な事に、雑踏に紛れることなくジェロニモの言葉は全員の耳に正確に届いた。聞き洩らしも、聞き間違いもない。ダリーシャスが信じられないとばかりに呟いた。


「……父上が……死んだ?」






 水の都を襲った嵐は去った。


 しかし、熱砂の国にいま新たな嵐が吹き荒れようとしていた。


読んで下さって、ありがとうございます。


これにて6章本編は終了です。今後の投稿は閑話を二本投稿しようかと思っています。その後はいつも通り、6章終了時のステータスや登場人物などを投稿しようと予定しています。

詳しくは活動報告に載せますので、ご確認して頂けると幸いです。

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