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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第6章 水の都
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6-82 魂の交換

 《全力全開オールバースト》の効果は全身の能力値パラメータを一分間だけ1.4倍上昇させる。レイはそれを四つ上乗せした。


 肉体強化の重ね掛けは全て自乗される。1.4の四乗、すなわち3.8倍に能力値が膨れ上がったのだ。それがどれ程の強化なのか。極端な話だが、現在のレイのレベルは58。それの3.8倍は220。レベルだけなら冒険者の中でも指折りとされるA級冒険者『岩壁』のオルドすら凌ぐ。


 事実、一部のステータスを除けば、それが誇張された表現ではなかった。


 龍刀から迸る紅蓮の炎は荒れ狂うマグマのように吹き荒れた。枯渇するという事を知らないかのように後から後から吹き上げた炎によって龍刀の刀身は何倍にも膨れ上がった。レイが振りかぶるだけで荘厳な宗教絵の描かれた天井に刃が突き刺さる。建物は炎の刃を阻む事なんて出来なくて、レイは障害なんて無いかのように龍刀を斜めに振った。当然のように刃が通った軌跡の障害は軒並み壊される。アクアウルプス建国の頃から建てられた塔の最上階が僅か一振りで吹き飛んだ。


 炎の刃は天井から、エレオノールの立っている床までを斜めに裂いた。それだけで、天井は崩れ、柱は折れ、床が砕けた。蓄積した埃が巻き起こる中、エレオノールが夜空に向けて飛翔した。


「む、無茶苦茶だな!」


 龍刀が自分に届く直前、エレオノールは飛行系の能力スキルを発動して外に飛び出した。反応が遅れれば地上に落下する瓦礫や鐘の仲間入りしていた。


 刃が届かない距離まで避難すると、崩れた塔の方に向いた。糸を通して状況を確認して改めて戦慄した。レイはその場を動かず、刃を振り下ろしただけなのに、塔の上半分が崩壊していた。円柱形の建物の頂点から斜めに裂いたかのように、不格好な姿を晒している。辛うじて残っているのは、龍刀を振るったレイの居た場所だけだ。落ちて行く瓦礫の中には、あまりの高温に耐えきれなくなり蒸発した物もある。崩壊が続いているのは余波のせいだ。龍刀を躱した際に、エレオノールの体は衝撃波を浴びて外に加速して押し出された。その衝撃波が被害を拡大しているのだ。


 たった一回の、それも単なる斬撃でこれだけの被害を作り出した。


 非現実的な結果に眩暈を覚えそうになったエレオノールは、ぎくりと身を強張らせた。瓦礫が転がり落ちる塔の最上階。辛うじて立つことが出来る部分にレイの姿は無かった。


 なぜなら、レイは既にエレオノールの背後に回り、龍刀を振り下ろしていたのだ。


 実はエレオノールが外に飛び出した直後、レイも塔を飛び出した。彼女を追いかけ、瓦礫を吹き飛ばし、そしてエレオノールの背後を取った。龍刀は初撃のようなバカげた大きさはしておらず、それでも炎を纏い一回り大きくなっていた。


 迫りくる死に気が付いたエレオノールは自分の背後、それも更に高い位置から龍刀を振り下ろしていたレイに対して魔法を発動した。


 二人の間に巨大な氷の壁が展開される。まるで氷山を削ったかのような分厚い壁は氷の上級魔法《コキュートス》だ。壁は炎を受け止めるのと同時に増殖していき、球体の形になってレイを閉じ込めた。


 遠目では氷山が空を飛んでいるようにしか見えない。《トライ&エラー》で消えた歴史で、リザ達を葬り去った《インフェルノ》とは対を成す魔法だ。


 分厚い、岩盤のように分厚い氷に包まれ、中の温度は極寒まで下がり、細胞の活動も停止する―――はずだった。


 氷山の天井部から紅蓮の刃が角のように突き出た。あまりの高温に氷はいっきに水蒸気となって蒸発し、自らの重さに耐えきれなくなって砕けて行く。魔法を展開してから一秒も経たずに上級旧式魔法は打ち破られた。


 魔法の氷から姿を現したレイの姿は、それまでとは違っていた。手にした龍刀は紅蓮の炎に巻かれ炎の刃と化し、その炎がレイの全身に絡みついていた。手甲、胸当て、膝当て、靴と中華風の鎧のように覆っていた。よくよく見れば細かい鱗のようなデザインで、龍の皮膚を思わせる。エレオノールは砕けた氷を操作してレイにぶつけた。一つ一つがシアラの《ブリザードパイル》並みの大きさだが、龍刀の柄から伸びた炎が勝手に防いでいた。それはまるで、龍の尾のように暴力的だ。


 空中に浮遊したまま微動だにしないのは、体を包む炎の効果なのだろう。そこには一匹の龍が存在していた。小さくとも、その存在感は古代種の龍に酷似している。


 破壊力、性質、変化、どれも常軌を逸している炎に触れているというのに、レイは痛みを感じている様子は無い。それは糸を通じて、エレオノールも気が付いていた。


 完璧に支配下に置かれた魔道具は主を傷つけたりはしない。


 つまり龍刀コウエンはレイの支配下に置かれたという事になる。


 だとすると、エレオノールには腑に落ちない点があった。これだけの力を振るえたのなら、地下空間や、その前の出島での戦いで使えばよかったのだ。出し惜しみする理由なんて無いはずだ。


 なにより、これだけの力を振るうのに、何の制限も、制約もないとは思えなかった。異常過ぎる力には必ず理由や原因がある。自分が死者や生者を操れるようになったのは、光を失ったのが原因のように、何かしらの代償が必要なはずだ。


 どちらも正しい推測だ。レイには使えなかった理由も、支払った代償もあった。


 それはコウエンの出した取引に全てあった。


 レイの心象風景にて彼女が出した内容は―――魂の交換。


 赤龍の生まれ変わりであるコウエンと、龍刀の所有者であるレイの魂を互いに差し出し、自らの中に取り込む、一種の融合だ。


 普通なら、魂を切り取り差し出し、あまつさえ融合させるなんて事はできない。


 魂とは生まれ、死ぬまでの間、その量も性質も変わらない不変の存在である。それゆえ、魂の肥大化というあり得ない現象が世界を崩壊に導くのだ。


 いくら赤龍の知識を引き継いだコウエンといえど、他者の魂と混ざり合うなんて芸当は不可能だ。


 だけど、それはレイとの間になら成立する。心象世界で互いにむき出しの魂で接しているレイとコウエンなら魂を差し出し合い、取り込むことが出来る。


 魂の交換とは、例えるなら、血液の交換。同じ量の血を体から抜き、それを相手の体に注入するのだ。これならば血の総量、つまり魂の総量は変わらない、と。


 問題は、魂の拒絶反応だ。


 輸血において問題なのは血に複数の種類があり、適合する組み合わせと、拒絶し合う組み合わせがある事だ。魂は血とは比較にならない。個々人でまったく違っており、さらに言えばレイは人間でコウエンは龍なのだ。長き時を生きた古代種の龍が一角、赤龍の魂。その一部を人間に取り込ませるというのは常軌を逸した考えだ。


 だけどコウエンには勝機があった。


 レイはこれまで《トライ&エラー》で幾百の死を経験して、耐え抜いてきたのだ。凡愚な魂なら死の刃に切り刻まれ滓となって消えるような目に遭っても、健在なのだ。


 ―――魂は言うに及ばず。百の死にすら耐える逸材。


 コウエンはレイの魂なら自分の魂を受け入れる事が出来ると確信していた。


 そして、レイは彼女の信頼に応えるかのように赤龍の魂を受け入れた。紅蓮に輝く右目はその証といえた。この燈火が消えるまでは、龍刀はレイの支配下にある。彼の思うがまま、秘めた力を発揮する。


 レイは龍刀を前に突き出すと、柄頭から伸びる尾を爆発させた。ロケットの噴射の如き勢いでレイはエレオノールに向けて突進する。


 エレオノールは糸を走らせた。縦横無尽に伸びた糸はレイを絡めとる前に、炎の鎧に阻まれ燃え尽きた。足止めどころか、減速させる事すらできない。


 仕方なく、エレオノールは下に向けて逃げる。崩壊が続く塔は内部が空洞となっており、地下まで続く縦穴が覗いていた。


 エレオノールはその塔に向けて光の刃を出現させて、まだ辛うじて塔を支えていた根元を切り倒した。そして、自分は魔法で吹き飛ばした根元の隙間に体を滑らせ通り抜けた。


 エレオノールを追いかけていたレイは自分の方に向かって倒れてくる塔に向けて、龍刀を構えた。


「龍炎刃」


 零れた呟きは小さく、放たれた一撃は巨大な刃となってアクアウルプスの夜空を切り裂く。僅か二振りの攻撃でアクアウルプスのシンボルだった鐘の塔、は姿を消したのだった。


「なんて……出鱈目な威力だ。まったく恐れ入るよ」


 ボヤキながらもエレオノールは次の攻撃に移っていた。レイよりも高所に陣取った彼女を中心として風が渦巻いていた。それは加速度的に勢いを増し、竜巻へと変貌した。エレオノールはそれをレイに向けて放った。


 散らばる瓦礫や感染者を呑み込んで勢いを増していく風の上級魔法。レイの体はじりじりと竜巻に引き寄せられていく。そんな中、レイは驚くべき行動に出た。


 あっさりと抵抗を止め、風の竜巻に身を任せたのだ。巨大な竜巻に比べれば矮小な体が木の葉のように巻き上げられ、飲み込まれる。だが、レイは動じることなく、


「《砕拳》」


 変化はあっという間だった。竜巻に手を触れた瞬間、その部分が掻き消えたのだ。まるで別回転の竜巻をぶつけられたかのように風は止む。風の拘束から逃れたレイの体は下へと落ちようとしていた。


 だけど、まだ風の上級魔法は生きていた。レイの砕いた部分は一部分にすぎないのだ。だからレイは次の行動に出た。再び吸い込もうとする竜巻に向けて龍刀を突き刺し、


「《崩剣》」


 と、二発目の戦技を発動したのだ。そのまま体は落下し、地面に見事な着地をした。その間、龍刀は竜巻を縦に切り裂き、風の上級魔法は強引に断ち切られた。


「上級魔法じゃ、足止め程度にしかならないか。理不尽どころの話じゃないな!」


 三つの魔法を発動した結果、レイにかすり傷も与えられなかった事にエレオノールは呻いた。その瞬間もレイは止まらない。地面を強く踏むと一気に上空のエレオノールまで跳んだのだ。衝撃で地面は放射状にひび割れたが、構っている暇はない。


 《全力全開オールバースト》が終了するまで残り三十秒。


 ここから先は単なる大技では取り逃がす恐れがあった。何より、エレオノールはまだ超級魔法を放っていないのだ。だから、レイは彼女を地上戦に引きずり込む。


 エレオノールは糸で生み出した大鎌で応戦しようとするが、龍刀の纏う炎にあっさりと燃やし尽くされてしまう。距離を取って逃げようとするも、レイの方が飛翔速度は速い。エレオノールは糸の刃を無数に作り、レイに向かって投げつけるも、その全てが炎の鎧から伸びた刃に応戦されてしまう。


 その間に再び生み出した大鎌を構えたエレオノールは、レイの意表を突く形で急ブレーキを掛け、逆に襲いかかった。しかし、それを読んでいたかのようにレイも止まっていた。破れかぶれの一撃は空を裂き、代わりにレイの足刀が襲い掛かった。とっさに柄で防御したはずなのに衝撃波凄まじく、エレオノールは地面へと叩きつけられた。受け身も取れず、地面の上を転がった。


 するとレイは龍刀から尾のように伸びていた巨大な炎を分裂させた。


「龍刀影打」


 言葉とともに分裂した尾が地面へと突き刺さる。落ちてきたのは、炎で形づくられた龍刀だ。エレオノールを逃がすまいと囲っている。


 細部まで完全に再現されたそれは一級品の美術品のようでもあった。しかし、それが単なる美術品の類ではないとエレオノールは理解していた。レイは炎で作った足場を蹴って地上に落下すると、エレオノールを囲う八本の影打の一つに手を伸ばした。


 それを無造作に投げつけた。


 無造作といってもそこはやはり強化されたレイの行動だ。エレオノールが大鎌で弾いたのは、胸を貫かれる直前だった。下げていた大鎌を両手で上に持ち上げて弾いた。


 その無防備な胴体にめがけて、レイは龍刀を横に薙いだ。刃はエレオノールが仕込んでいた糸の防具のみを切り裂いた。しかし、レイは左手に握りしめていた二本目の影打を斜めに振り下ろしていた。


 龍刀の一撃で緩んでいた所に炎で出来た影打の一撃は防ぎきれなかった。切られると同時に肉が焼ける。痛みで絶叫を上げるよりも前にエレオノールは持ち上げていた大鎌を振るったが、すでにそこにレイはいなかった。円を描くよう移動しながら突き刺さった影打を掴んでは投擲、掴んでは投擲を繰り返すこと四度。


 エレオノールは二つまでは防ぐことが出来た。しかし、残り二つは止められなかった。右肩と左足の太腿に影打が突き刺さった。突き刺さると同時に形が崩れ、炎が少女の体内に侵入を果たした。


 《アニマ・フォール》によって痛覚まで治ってしまったのが運の尽きなのか、エレオノールは痛みでのたうち回る。何しろ体の中から肉が焼けていくのだ。想像を絶する痛みのはずだ。


 それでも糸による感知を止めていなかったのは、流石というべきなのか。それとも単なる防衛本能なのか。どちらにしても、レイの次の行動をエレオノールは察知した。


 レイは残った二本の影打の一つを倒れ伏すエレオノールに向け投げ、右手に龍刀、左手に影打を握りしめて迫る。投げた影打を弾いても、避けても、態勢が崩れた瞬間を狙っている。


 苦痛の只中で喘ぐエレオノールはその行動を逆手に取った。立ち上がると、迫りくる影打をワザと体で受け止めたのだ。大鎌を振る際の影響を少なくして、そしてすでに攻撃を受けた箇所。つまり右肩で受け止めた。


 突き刺さった影打は炎となってエレオノールの体を焼く。右腕の神経や筋繊維が焼き切れてしまうが、それを外側から糸で強引につなぎ直す。


 レイは一瞬驚くも、直ぐに表情を打ち消して、二本の龍刀を繰り出した。上下左右、斜め、突き、フェイント。隙の無い二刀流に大鎌は為すすべなく削れて行く。洗練された剣術にエレオノールは圧倒されていた。


 勿論、これはレイの眠れる才能が目を覚ました訳ではない。


 古代種として長年生きた赤龍の魂と混ざり合い、得た知識や経験から伝達された技術


 赤龍はその貴重さから幾度か狙われてきた。ある者は名誉の為に、ある者は赤龍の体を目的とし、ある者は単なる力試しとして。名にしおう剣豪や、底冷えする槍捌きの武芸者、赤龍の鱗に傷をつけるほどの大剣使いも居た。そんな者達を赤龍はブレスと爪と尾で薙ぎ払って来た。武器を持った者との戦闘経験はあるが、武器を使った経験など一度たりともなかった。


 なのに、レイは太刀の二刀流を苦も無く扱えていた。それに疑問を抱くことなく、エレオノールを追い詰めるという目的の為に突き進んでいた。


 だから、自分の中で起きている異常事態にまったく気が付いていなかったのだ。






 無限の荒野が広がるレイの心象風景。滲んだ太陽が空を赤く染め上げる中で、荒く息を吐く者が居た。


 溶かした銅のような滑らかな肌には無数の汗が浮かび、大地を転がったのか土で汚れていた。目にも鮮やかに残る紅蓮の髪にも土が混じり、その姿は薄汚れている。常の彼女を知る者なら目を疑う光景だ。


 赤龍の生まれ変わりを名乗るコウエン。


 傲岸不遜を地で行き、レイと語らう時も常に彼よりも高い位置から見下ろすように喋っている彼女が地面にのたうち回る。荒い吐息に苦悶の声が混じり、耐え難い苦痛を味わっているのだと分かる。その様子は炎で内側から焼かれるエレオノールと比べても見劣りしない。


 周りには誰も居ない。つい先程まではレイが此処に居り、互いの魂の一部を差し出し合い、そして取り込んだのだ。レイはコウエンの予想通り赤龍の魂を受け入れてもなお、健在だった。


 エレオノールを倒し、仲間を助けるという強い覚悟がそうさせていたのかもしれない。彼はそのまま外に行き、戦っている。


 一方でコウエンはレイの魂を取り込んだ瞬間から衝撃を味わい、苦痛に呻いていた。


 否。


 それを単なる苦痛と表現するのは間違っているかもしれない。コウエンを襲っているのは魂の拒絶反応。コウエンは彼女の言う通り赤龍の生まれ変わりといっていい存在だ。人とは魂の形が違う。人の魂を受け入れ、それが簡単に馴染むとは彼女自身考えてはいなかった。


 しかし、それでもここまでの拒絶反応を示すとは思っても居なかった。古代種の龍と人の魂。どちらが質や量の点で優れているのか比べるまでもなかったはずだ。自分が被る痛みはさほど大きくは無いと高を括っていた。


 それなのに、コウエンは苦しんでいる。というよりも死にかけていた。


 人間の魂に殺されかけようとしていた。


「ぐぅうううう! な、なんだ、この魂は! あ、あ、頭がはち切れる!」


 コウエンは自らに流れ込む光景に苦悶する。それはいつかの、どこかの、なにかの光景だ。おそらく取り込んだレイの魂が記録していた記憶のはずだ。


 それなのに、先程から流れ込んでくる情報量は多すぎるのだ。分け合った魂の量からして、これだけの記憶があるのはおかしいし、何より説明のつかない内容なのだ。


 目まぐるしく切り替わるエルドラドの風景。それは春の風景もあれば、夏の風景もあれば、もあれば、もある。


 レイの行った街の風景もあれば、レイの行っていない街の風景もある。


 レイの知っている人も居れば、レイの知らないはずの人も居る。


 レイがエルドラドに来て半年にも満たないはずなのに、流れ込んでくる情報量は十年や百年では足りないのだ。それこそ千年や、それ以上の量だ。


「あーあ。つらそうじゃねえかよ。天下に名だたる赤龍の生まれ変わりを自称する存在が、こんな醜態を晒すなんて。俺にはできねぇな」


 耳障りな錆びついた声がコウエンの耳に届く。いつの間にか、傍には黒い影の塊、影法師が立っていた。頭のてっぺんからつま先まで黒ずくめのそれに顔なんて無いはずなのだが、まるで馬鹿にしたかのような様子でコウエンを見下ろす。


「短絡的な考え方なんだよな。レイの魂ぐらい、自分なら耐えられるって思ったんだろ。それが甘いって話さ」


 尋常ならざる痛みに耐えるコウエンに影法師の声は距離感がつかめない。トンネルの向こう側から語り掛けられているかのように響いたり、暴風で掻き消されたりしているように聞こえる。


「普通に考えてみろよ。死のイタミってのは、文字通り死ぬほど痛いんだぜ。そりゃ、一回や二回ぐらいなら連続でも耐えられるさ。日を置いてしばらくすれば三回目だって耐えられる。でもな、その日の内に十回以上も死んでなお動けるのは、異常を通り越して、異質だろ」


 影法師が言っているのはレイがエルドラドに来た直後の事だ。ネーデの森を彷徨い、スライムなどに何度も殺された夜の事だ。


「その後もそうさ。赤龍戦も魔王戦も。アイツは百を超える死を乗り越えた。乗り越えてしまった。……お前、そんな人間の魂がマトモだと思うのかよ」


「そ、それは、どういう、意味じゃ!?」


 紅蓮の瞳が影法師を睨んだ。それでも痛みは絶えることなく、コウエンを襲っていた。


「言葉通りさ。御厨玲。時を巻き戻すなんて言う常識外れの力を持った人間が、果たして普通の人間なのかって事さ」


 それに、と影法師は続けた。


「いまのアイツは意識を薄めた、限りなく無意識に近い状況だ。流石に赤龍の魂を受け入れたまま意識を真面に保って戦うって事はできなかったみたいだな。頭の中を空っぽにして戦ってやがるぜ。いわゆる無我の境地って奴か。良い動きしてるよ、マジで」


「何を、いい、たいんじゃ、貴様っ!」


「いやぁ。思い出すね。アンタは知らないだろうけどさ。前にも一度あったんだよな、こういうの。意識が無いのに、その方が洗練された動きをしていた事がさ」


 影法師が口にしたのはスタンピードの最中の一場面だ。急激なレベルアップによって意識を失ったレイはレティを守る為に敵の槍を使い応戦した。その動きは卓越しており、モンスターを圧倒していた。槍の振るい方なんてほとんど習っていなのに。


「お前は、何を言いたいのじゃ! 何を、知っておるのだ!」


「俺はアイツから生まれたからな。アイツが知っていることは俺も知っているし、アイツが知らない事も俺は知っている。13神が最後に選んだ『招かれた者』。そんな奴が、単なる偶然でこの世界に来るわけがねえ……っと、どうやら最後の激突らしいぜ」


 空を見上げた影法師の言葉通り、外では二人の戦いが最終局面へとなだれ込んでいた。






 《全力全開オールバースト》が消えるまで残り十五秒。レイは無心で刀を振り続けていた。それはいっそ機械的と表現しても良いほど正確な斬撃でエレオノールの体は幾筋もの傷跡を残していた。


 斬ると同時に焼かれた体から蒸気が立ち上り、休む間もない連続攻撃に肩で息をしている。それでも大鎌を振るい、レイから逃れようと必死になっていた。大鎌は炎で削れる度に補強されていく。そのせいで体の治療に糸を回す余裕がなくなっていた。


 エレオノールにしてみれば地上戦はリスクが高い。超級魔法、それも《ディメンション》は術者すら巻き込みかねない威力を持っている。下手に地上で使えば巻き込まれる恐れがある。それゆえ、使いどころが難しい。レイが地上戦を選んだのはそのためだ。


 だけど、エレオノールは決断した。最後の手札を一気に切る、と。その決断は表情や構え、立ち昇る雰囲気にはっきりと出る。レイもまたエレオノールが勝負に出るのだと理解し、攻撃を激しくする。


 嵐のような斬撃を浴びながら、何とエレオノールは自分の背後に向かって魔法を発動した。


 発動したのは全てを呑み込む、ブラックホールのような黒球、《ディメンション》。それを自分の背後に発動させたのだ。退路を断つかのように。


 エレオノールのドレスの裾が引力に従いふわりと持ち上がり、そのまま背中ごと飲み込まれようとする。レイは瞬時に判断を下し、エレオノールの腹を蹴った。蹴る時の反動で後ろに下がる。


 ―――それを待っていた。


 エレオノールは残していた二種類の魔法のうち、ある上級魔法を発動させた。すると驚くことに、レイの背後に黒球が存在したのだ。代わりにエレオノールの姿は黒球とは反対側にあった。


 数少ない空間系上級魔法、《トリックルーム》。術者と誰かの空間座標を入れ替えるという、シンプルな魔法だ。発動の条件が幾つか存在しており、術者と対象が向き合っている事と互いの距離が五メーチル以下でないと発動しない。それこそ、一呼吸で踏み込める距離での入れ替えだ。単なる位置の交換、それも向きはそのままという限定的な使い方しかできない魔法だ。


 その条件を全て満たしていた。レイの体が黒球に飲み込まれようとする。炎で脱出を図ろうとするが、《ディメンション》の方が引き寄せる力は強い。


 エレオノールはすかさず、最後に残していた魔法を発動させた。魔法陣が宙に浮かび、そこから白色の熱線が放たれる。


 前門には《テンペスト》。後門には《ディメンション》。


 逃げる事はできず、二つの超級魔法にレイは挟まれることになる。これが必勝の策だ。勝利の筋道だ。疑う余地はない。


 だけど、とエレオノールは思う。


 この胸中を掻き毟りたくなる不安はなんだ。


 レイは二種類の超級魔法を前に、脱出は諦めていた。《ディメンション》の引力を引き剥がす事は容易くなく、なによりあと十秒もしない内に《全力全開オールバースト》は切れる。


 だからレイは決めた。両方の魔法を破壊して、エレオノールを倒すと。


 左手に握る影打を龍刀の柄に合わせると、姿が変化した。炎の柄が伸び、まるで両刃の薙刀へと変貌する。レイはすぐ背後に存在する《ディメンション》に向けて炎の刃を突き刺し、本体である龍刀を前に向ける。


 残り八秒。《テンペスト》は目前に迫る。だけどレイは目前の脅威に目もくれず、ひたすらに龍刀へと意識を向けた。自然と精神力が龍刀へと注ぎ込まれ、紅蓮の輝きと混じり、一つの奇跡へと昇華されようとする。


「《赤龍咆哮》」


 それはあり得ざる光景といえた。


 全てを呑み込み、喰い潰すブラックホールの如き黒球の内部から紅蓮の炎が幾つも噴き出し、黒球を砕き、純色の白き熱線は龍の咢から放てた業火に捻じ曲げられ、両者は共に星空へと昇り爆発した。衝撃波がアクアウルプスという街自体を揺らし、海が荒れ、遠くの大地にまで轟音が届く。


 いまここに、古代種が一つ、世界を燃やし尽くすつと謳われた赤龍の咆哮ブレスが復活した。


 本来、レイの持つ貧弱な精神力では戦技は二発も三発も続けて放てない。ましてや、これほどの威力の戦技を発動する事さえできない。


 しかし、今のレイは違う。《全力全開オールバースト》は能力値アビリティの数値を上昇させる。それは筋力だったり、耐久だったり、敏捷、そして精神力も含まれている。


 レイは本能的にそれに気が付き、そして戦技に至ったのだ。


 紅蓮の炎は二つの超級魔法を打ち砕き、そして消えた。あとに残ったのは切り札を全て使い切った戦士が二人だ。互いに持っているのは愛用の武器だけだ。


 エレオノールは大鎌を構え、レイは龍刀を構えた。


 残り二秒。


 その短い時間では互いに繰り出せるのは一撃ずつ。そして、その一撃を放てば、レイは確実に倒れる。《全力全開オールバースト》の反動で、体が動けなくなるのだ。それは出島での戦いでエレオノールも見ていた。


 あと一手足りない。だけど、レイはそれを承知で地面を蹴った。エレオノールも応じるように地面を蹴った。


 両者の距離が零となり、互いの武器の間合いだ。体重を乗せた最後の切り合いは軍配が上がったのはレイだ。大鎌の刃は龍刀に切られ、ただの糸の塊となって落ちた。


 残り一秒。


 全力で振るったのが裏目に出た。一度振り切った姿勢からもう一度返そうとしても、それは確実に一秒以上かかる。


 対するエレオノールは糸を変形させる。彼女にしてみれば、武器は何でもよかった。最後の最後。無防備なレイを殺せる形ならそれで十分。柄のみになった大鎌を崩し、新しい武器を作ろうとする。


 そして残り零―――。


「―――《超短文ショートカット超級ウルトラ全力全開オールバースト》!」


 力の塊が抜け落ちる直前、レイは生命力を消費して最後の詠唱を行った。《全力全開オールバースト》は全ての能力値アビリティを上昇させる。その中に精神力が含まれているなら、生命力も含まれていた。


 3.8倍された生命力が消える前に、レイはそれを代価に赤色の指輪を発動し、《全力全開オールバースト》を延長させた。


 だけど、これは一回分の上昇だ。四つ重ね掛けした分は消え、残ったのは一つ分の上昇しかしていないレイだ。


 ―――それで十分だった。


 龍刀が弧を描き、下から振り上げられた。エレオノールの手の中で生まれようとしていた武器は、あっけなく両断された。あとに残ったのは何にも使えない糸の塊だ。


 夜空に向かって突きつけた刃先が、再び落ちる。エレオノールは自分に向かって振り下ろされようとする刃を前に足を止めた。


 映画のコマ送りのようにゆっくりと迫る刃の前に退避はできない。強化されたレイなら一秒もかからず追いつき、あるべき道筋に引き戻す。


 自分の敗北という運命だ。


 エレオノールは考える。魔法の詠唱という重責から離れ、統合された思考回路を高速に働かせ、この状況からレイに一矢報いる手段がないか模索し―――一つだけ見つけた。


(いいだろう、レイ。この勝負はぼくの負けだ。だけど、君にも負けてもらおうじゃないか)


 そして、凄惨な笑みを浮かべて、に踏み出した。


 レイが気づいた時には遅かった。


 エレオノールの肩口から入った刃は、彼女の鎖骨を切断し、肋骨を粉砕し、脇腹から抜けて出した。斜めに切られた少女の体。刃の通った個所は何の抵抗もなく斬られた。


 ―――少女の心臓も、二つに分かれてしまった。


読んで下さって、ありがとうございます。

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[一言] ここのレイの最強感好き
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