6-79 どれだけ細い道でも
熱線がオルタナの体を呑み込んだ。焼けた鉄なべに水滴を落としたような、じゅっと何かが燃える音が聞こえた。自分を突き飛ばした腕を逆に掴み―――その腕と共に床を転がった。
エレオノールが用意した最後の切り札、超級魔法《テンペスト》は分厚い鋼鉄の壁面を溶かして、大穴を作る。その壁に阻まれていた何かを破壊しながら光量を弱めていき、最後にはふっと消えてしまった。後に残ったのは縁が溶けた大穴と、その奥から聞こえてくる固い鋼同士がぶつかり合う音だ。
次の瞬間、轟音が響き、地下空間が細かい振動を起こす。元から激戦の影響で崩壊寸前だった空間は《テンペスト》の一撃が止めを刺した。ひび割れた天井や壁面から水が染み込んでくる。
「しぶといな……君も。まだ……生きて……いるの……か」
荒い息を吐きながらエレオノールはどこか苛立ったように呟いた。彼女にとって《テンペスト》は切り札中の切り札。これ以上、奥の手も秘策も無い。正真正銘、無策だ。
瀕死の体を保持するのと動かすのだけで精一杯。戦闘を続行するのは不可能だ。
だから、エレオノールは舌打ちをするとくるりと反転し、奥に続く通路の方へと向かった。
牛歩並みの速度でしか進めない少女は首だけを回して、レイに向かって言い放った。
「ここで……足を……止めるなら……お別れだ。まだ……立ち上がる……なら、受けて……立つよ。……一足先に……待って……いる」
どこか弾んだ声で言うと、今度こそエレオノールは歩みを止めずに通路の奥へと消えて行った。後に残されたのは崩壊を始める地下空間と、意識を失っているシアラと従者。そして、腕だけを残して消えたオルタナと、それを呆然と見つめるレイだけだ。
足元を水が濡らしていくのに気付きながらも動けず、レイは掴んだままのオルタナの手から視線を離せなかった。
断面は焼け焦げ、高温のせいか血液が蒸発していた。肌の色艶は良く、いまにも動き出しそうだ。だけど、この腕が二度と動くことは無い。なぜならオルタナの体は光線に飲み込まれて蒸発してしまったのだから。
クトゥスはオルタナの事を、不老不死を探求する魔法使いだと説明していたが、こうなった人間が蘇るとはレイには想像もできない。
「どうして……また……僕を守って……死ぬんだよ」
ナリンザに引き続いてまたひとり、人を死なせてしまった。アクアウルプスの魔法使い、オルタナ。彼との出会いは良好とは言えなかった。シアラの辛い過去を暴き立てる、墓荒らし、無法者のような印象を持っていた。彼の息子がどういう状況なのか知らないが、その子を助けるためにシアラの居た島に行かなくてはいけないといっていた。
彼には守るべき存在が居たのだ。
それなのに、オルタナは自分を守って死んだ。
彼の死を無かった事には出来ない。《トライ&エラー》は失われたままだ。死に戻ることはできないのだ。
脱力感と無力感がレイを苛む。
いつの間にか、彼の心は自分の精神世界へと閉じこもっていた。
命が失われたかのような、荒れ果てた大地が延々と続く赤灼けた世界。いつもならそこに一人雄々しく君臨するコウエンが居るのだが、いまはレイ一人だった。
いや、違った。
滲んだ太陽が作る影がむくりと起き上がったのだ。
影は人のようなおうとつを持ち、人のように笑ってレイの傍にしゃがんだ。
「また、人を殺したな」
錆びた歯車を無理やり動かしたような声がレイに囁いた。振り返らなくても分かる。落胆する時を狙い、ここぞとばかりに自分に追い打ちをかける存在、それに心当たりはあった。
「……久しぶりだな、影法師」
「おひさ、レイ」
まるで気心の知れた友人に挨拶するかのように影法師は手を上げる。だが、レイはこれに対して、心を許した覚えは無かった。
自分の罪悪感から生み出された影は我が物顔で、自分の心の中に居座っていた。時折、自分が精神的なショックを受けている時を狙って姿を現している。
前回はオウリョウでの一件だ。
「くははは。お前も進歩しないな。何度だって言ってやろうか? 人は誰だって一つしか命を持ってないんだぞ。死ねばそれっきり、ゲームオーバー。コンティニュー画面なんて存在しないし、連コンもあり得ねえ」
影はレイの肩になれなれしく手を回して、一方的に喋った。
「傑作だよな。エレオノールの《アニマ・フォール》は怪物化した人間を一応、死なせてねえのに、お前と来たら会う奴会う奴、片っ端から死なせて回ってやんの。なに、お前。死神にでも憑かれてんじゃねえの」
ゲラゲラと影法師は笑うが、レイは無言だった。俯いた表情は、影法師から見えない。
「関わる奴を片っ端から死の沼に引きずり込んで、何がしたいんだって話だ。次の狙いは従者か、それとも意表をついてダリーシャスを殺す気なのか。……おい、レイ。なに黙ってんだよ」
影法師はレイの肩を小突く。すると、レイはポツリと呟いた。
「お前なら……分かるだろ」
呟きに影法師は怪訝そうな声を出した。おうとつしかない顔に表情は無く、声だけが、彼の感情を表す唯一の方法だ。
「口に出さなくても、お前なら僕の考えが読めるだろ」
レイから生まれた影法師には、レイの感情や思考が流れ込む。川が上流から下流に向けて流れるように、一方的に流れ込むのだ。
心象世界に降り立った瞬間から、レイの心は影法師に流れ込んでいた。問題はその内容にあった。お喋りな影法師すら黙り込んでしまう姿にレイは苦笑した。
「僕がオルタナの死に……罪悪感を抱いていないのがそんなにおかしいか」
レイと影法師は見つめ合う。もっとも、おうとつしかない影法師には目と思わしき部位は無いが。先に目を逸らしたのは影法師だった。顔を背けると、
「……ああ、そうだな。お前は……オルタナの死を悼み、哀しみ、憐れみ、そして責任を感じている。自分に付き合ったせいで死んだと。アイツにはアイツの守るべき存在が居るのに、死なせてしまったと思っている。だがそれとは別に、お前はこうも思っている。いまなら―――」
「―――エレオノールを追い詰める最後のチャンスだと」
影法師の言葉を引き継ぐようにレイは告げた。あまりにもあっさりと、淡々とした寒々しい声色に、影法師すら怯んだ。
「……お前、何を考えているんだ」
「はは。お前がそんな事を言うのかよ、影法師」
笑い声すら乾いていた。レイは立ちあがると、地の彼方まで続く荒野を睨みつける。まるでそこに仇敵が居るかのように。
「エレオノールは死に体だ。超級魔法を二発も撃ち、糸による攻撃も出来ないぐらい消耗している。これ以上、何かするとは思えないし、仮に出来たとしたらそれをする前に止める」
レイの言っていることは一見すると正しい。エレオノールがこれほどまでに消耗しているのは後にも先にもこの瞬間だけだ。《アニマ・フォール》に感染した全ての人を助ける最大のチャンスといえた。
しかしそれは、オルタナの犠牲の上に成り立っている。
「……いつの間にか、残酷になったねぇ、お前さん。まあ、俺としちゃ、文句もねえよ。一人の命を代価に、大勢が救われるってのも世の真理だ。間違ってねえよ、お前は」
理解があるような雰囲気でレイに向かって口を開く影法師。ところがレイは不思議そうな顔をして、影法師に振り向いた。
「ちょっと待てよ。お前、何を言っているんだ」
「あ? だから、オルタナの犠牲は必要だって―――」
「―――お前は馬鹿だな。必要な犠牲なんて、僕の命一つで十分だ。それ以外の死は、全部犠牲にしちゃいけない命だ」
影法師は唖然とした。いましがた目の前で死んだオルタナの死を、まるで認識していないかのような振る舞いをレイはする。だが、心が流れてくる影法師にはレイがオルタナの死を認識しているのは伝わっている。
矛盾した心理に混乱する影法師に対してレイは尋ねた。
「《アニマ・フォール》が完了するまで、あとどれ位だ」
「……なんだよ、急に。あと一時間だな。それがどうかしたのかよ」
レティのステータス画面を呼び出して確認した影法師。レイはそれを一瞥すると、
「なら話は簡単だ。あと一時間の内にエレオノールから《アニマ・フォール・リジェネ》の本当の詠唱を聞きだし、残った時間で《トライ&エラー》の『使用不可』を解く方法を見つければいいんだ」
と、あっさりと言いのける。
「…………はぁ?」
影法師は二重の意味で呆然とした。口にした内容の荒唐無稽さと、その荒唐無稽な内容を心の底から信じていることに。流れ込む心と口にした内容は一致しているのだ。
つまりレイは、冗談や強がりで言っているのではなく、本気で言っている。
エレオノールを捕まえ、《アニマ・フォール・リジェネ》の詠唱を聞きだしたうえで、《トライ&エラー》の『使用不可』を解除すると。
「元から考えていた事だった。次に自殺したら、『使用不可』を解く方法を探そうって。まあ、今回はそれどころじゃなかったから、これまでは探索に時間を取られたけど、あと一時間もあるんだ。なんとかなるだろ」
「……な、なる訳ねえだろ! 馬鹿かお前!!」
影法師はありったけの声量でレイを罵倒した。
「脳味噌詰まってんのかお前。エレオノールを捕まえて本当の詠唱を取り戻すってのは、百歩譲って認めてやんよ。だけどな、『使用不可』を一時間でどうにかできる訳ねえだろ!」
罵倒されたレイは冷静に言い返した。
「難しいのは分かるけどな、それ以外僕に残された可能性は無いんだ。《アニマ・フォール》のタイムリミットは狙ったように真夜中。つまり、あと一時間経てば、次のセーブポイントはその真夜中になってしまう。そうなったら、オルタナが死ぬ前には戻れない」
レイの《トライ&エラー》が作るセーブポイントの条件は二種類ある。一つは睡眠や気絶から意識が覚醒した瞬間。もう一つは真夜中だ。このどちらかの内、一番近い方に死に戻る。
「真夜中を過ぎる前なら、戻るのはエレオノールが軍船を襲う前だ。あるいは、今さっきの戦闘の《全力全開》が切れた直後か。どちらにしてもオルタナはまだ生きている」
それは限りなく細い道だ。あるいは、道のように見えて途中で崖にぶつかって進めなくなるかもしれない。だけど、レイは迷いなく、その道を進もうとする。
影法師は流れ込むレイの覚悟を振り切るように叫ぶ。
「そんなの希望的観測に過ぎねえだろ! お前は自分のせいで死んだオルタナの死を受け止めたくないから、必死に目を逸らしているんだ!」
レイの前に立ちふさがり、彼の胸倉を掴んだ。
「正直になれよ。《トライ&エラー》が無くなり、仲間が次々と倒れて、残り時間は少ないって言う絶望的な状況。もう、足を止めたいって思っているんだろ。だったら―――」
「―――だったらなんだよ。楽になれって言うのか」
胸倉を掴まれたレイが、影法師の腕を掴んだ。もっとも影のように質感の無い腕を掴むことはできず、触れた部分は靄のように消えた。
「そんな事、僕に許されるわけないだろ。楽になるなんてことは、もうできないんだよ」
影法師はレイの瞳を覗きこんで、言葉を失った。そこには歪な色の感情が宿っていた。後悔、反省、憔悴、動揺、無念、憤慨、不安。それらマイナスの感情をねじ伏せるかのように、レイの瞳は希望を見つめていた。全員が生きて帰るという、希望に満ち溢れた結末を追い求めている。
「オルタナは僕に可能性をくれたんだ。ここで立ち止まったら、本当に何の意味もなくなる。それは、リザの献身も、シアラの奮闘も、レティやエトネ、そして僕を生かしてくれたナリンザさんの死を無駄にすることだ。生きている限り、僕は可能性を突き進む。だから、戯言で僕の道を遮るな、影法師。そこを退け!」
言葉と共に一閃。
何処からか出現した龍刀が影法師を斜めに切り裂いた。切られた影法師はゆらゆらと蠢くようにレイの足元に戻ろうとした。
ただの影になる直前、レイに向かってぽつりと告げた。
「はっはっ。そいつはある意味、『傲慢』な考え方だぜ」
それっきり、影は起き上がる事もなく、レイの足元に収まっていた。静かになったとレイが思うのもつかの間、今度は手にした龍刀からコウエンが身を乗り出した。
刀身から上半身だけを器用に出した褐色の少女は満面の笑みを浮かべていた。
「呵々呵々呵々! 戯言を抜かしておるのは、其方の方ではないか。《トライ&エラー》の戻し方なんて、見当もついておらんのに、あんな大言を吐くとはな! 呵々呵々呵々! その意気だけは認めても良いかもしれんのう」
「うるさいのがもう一匹増えやがったよ」
ぼそりと呟いた声は大音声で笑うコウエンには届かない。ひとしきり笑い終えたコウエンは目頭に浮かんだ涙を擦りながら質問をぶつけた。
「ところでだ。其方、何ゆえ妾との取引を行わなかったのじゃ。折角、待ちわびておったのに」
「あのな。ぶっつけ本番で試す奴が何処にいるんだよ。下手に使って失敗して身動きが取れなくなったら、それこそ目も当てられないよ」
レイの現実的な物言いにコウエンはつまらなそうに唇を尖らせた。
そしてそのまま刀身に戻ってしまう。後に残されたのはレイ一人だ。そのレイの姿も薄く、消えて行く。
次の瞬間、レイは自分が元の場所に戻ってきたのを実感した。まだ流れ込む水は足元を濡らす程度で、オルタナの腕を握りしめたままだ。レイはそのまま左見右見してシアラの姿を探した。彼女は指輪を前に突き出した姿勢のまま床に倒れていた。水が高さを増していく中、よりにもよってうつ伏せの姿勢だ。
水を蹴散らしながらレイはシアラの元へ辿り着いた。ひっくり返した少女は意識を失っており、水に塗れ重くなっているが、息をしている。
レイは彼女の腕を肩に回すと、一気に持ち上げた。そして、そのまま前へと進んだ。向かうのはエレオノールが消えた方向だ。
浸水は思ったよりも勢いがある。エレオノールが消えた通路へと辿り着いた時には足元までの水深が膝にまで辿り着いていた。レイはシアラと、オルタナの腕を通路に置くと、すぐさま引き返した。通路の入り口付近には動けなくなっている従者が居るのだ。
「無事ですか!? 意識はありますか」
駆け寄りながら尋ねると、従者はシアラと違い頷いた。もっとも水に浸かりそうになっているので声を出す余裕はない。
レイは従者の脇に両手を入れると一気に持ち上げた。体格の関係で、彼女を背負うよりも引き摺って運搬した方が早いと考えた。
もっとも燕尾服が海水を吸ってしまい、重量は増していた。それでもどうにか引きずって通路にまで辿り着いた。
しかしそれでも安心はできない。通路にも海水は流れ込んでいるのだ。
すると、従者が海水を吐き出してから喋る。
「けほ、けほ。……そこの壁。……突起物がありますか?」
震える指先が示したのは通路の壁だ。レイはそちらに飛びつくと、彼女の言う通り突起物があった。
「あります! これがどうしました!?」
「押してください……早く!」
レイは言われるがままに突起物の先端を押すと、地響きが起きた。これ以上、何が起きるんだと身構えていると、レイ達が先程まで居たと通路を繋ぐ入り口が上から降りて来た壁に塞がれようとしていた。
「有事の際の……隔壁です……地図に……ありました」
息も絶え絶えに喋る従者の前で、隔壁は最後まで降りきった。そして、隔壁の下から海水が流れてくるようなことは無かった。
「これで、一先ずは安心ですね。……動けそうですか」
レイの問いかけに従者は力なく首を横に振った。レイはそれほど落胆せずに言う。
「それじゃ、シアラと……オルタナの遺体をよろしくお願いします。僕はエレオノールを追いかけます」
抜き放った龍刀から灯り代わりの火を放つと、レイはそのまま奥へと進もうとした。
しかし、その背中を従者が止めた。
振り返ると彼女は黄色の液体が詰まったポーションを差し出していた。それは戦闘が始まる前にオルタナが渡していた物だ。
「……使ってください。私にはもう、必要ありません」
「それじゃ、遠慮なく」
レイは受け取るとついでとばかりにシアラからもポーションを抜き取り、自分のポーチに突っ込んだ。
そして、今度こそ振り返らずに、エレオノールが消えた方向へと走り出した。
従者はそれを見送り、シアラは気絶したまま見る事も出来なかった。
だから、誰も気が付かなかった。
二人から死角になった位置で、体の大部分を熱線に焼かれ失われたオルタナの右腕がピクリと動いたのを、見ていたのは誰も居なかった。
読んで下さって、ありがとうございます。




