6-78 耐える戦い 『後編』
宙に浮いたエレオノールの肌が、突然出現した力の塊に反応して震えた。この感覚は三度目だ。一度目は、出島での戦闘。二度目は海上での戦闘だ。
盲目であろうと、いや盲目だからこそ分かる感覚というのがある。五感の一つを失ったからこそ、それ以外の器官が発達したというべきなのか。糸を使わずともレイの存在感が増したのをエレオノールは知覚した。切り札として取っていた肉体強化の魔法を使ったのだ。強化された者の凄まじさは、エレオノールは骨の髄まで知っている。
最大のピンチだが、同時にここを耐えきれれば、これ以上の切り札は存在しないはずだ。
従者とオルタナの二人を退けたエレオノールは、その直前にレイ達の目的を理解した。彼らは自分の精神力切れを狙って、戦力の各個投入をしたのだと。
狙いは《アニマ・フォール》の回復呪文を聞きだす事だ。
本当の研究室を燃やした以上、その詠唱方法と拡散のさせ方は自分の頭の中にしかない。その情報を知った事で、彼らが自分を生きたまま確保しようとしているのは明白だ。
最初から殺しに来ているのなら、こんなまどろっこしいやり方はしない。全員が全員、切り札を発動して挑んできていたはずだ。
以上の事から、エレオノールはレイ達の目的を精神力切れだと睨み、それは正しい。
レイ達の戦闘方針が判明したのなら、魔法を使わなければいい、という訳にもいかないのが現状だ。糸はもう、ほとんど残っていない。あちこちで水漏れならぬ、血漏れしている体を繋いでいる分と、周囲の感知に使う分しか存在しない。肉弾戦は、拳を振った衝撃で腕が飛んでしまう恐れもある。もう、エレオノールに残された武器は魔法しかないのだ。
それに先の二人にしろ、眼下で肉体強化の魔法を発動したレイにしろ、彼らを相手に魔法無しで凌ぐのは至難の業だ。使わないという選択肢は存在しない。かといって、使ったとしても勝てるとは限らない。
(でも、すんなりと死ぬなんて事は絶対にしたくないね)
幾らあと数時間か、もしかしたら数分で死ぬにしても、何もかもを投げ捨て、潔く死ぬのは自分の矜持には合わない。最後まで意地汚く抵抗し、悪あがきを重ねて、もがき抜いて死ぬべきだ。
打てる手を全て使い切り、醜いと後ろ指を指されるまでじたばたする。そうやって死ぬべきだ。
六つに分割した思考回路に、魔法は残っている。いつでも放つことは可能だ。
生きているのだから、最期の瞬間までもがかなくては相手をしてくれる存在にも申し訳ない。
最後の瞬間まで戦い抜くと覚悟を決めた瞬間を見計らったように、レイが行動を始めた。
「大炎刀」
龍刀から炎が噴き出した。最初はマグマの吹きあがりのように無秩序だったそれは、次第に一つの形に収束した。レイが握りしめた龍刀は元の三倍以上の長さに膨れ上がっていた。その刃が、宙に浮かぶエレオノールめがけて振り抜かれた。
エレオノールは間一髪それを掻い潜るが、刃の通った軌跡に炎が残り下に落ちる。まるで炎の滝だ。技能で浮かんでいたエレオノールは、頭から降り注ぐ滝を躱すべく跳び回るが、その行く手を悉く阻まれ、地面に着地した。
いつの間にか、周囲を囲うように炎の壁が出来上がり、エレオノールを逃がすまいと退路を断つ。仮に逃げるとしたら、正面に立つレイを倒さなければならない。
龍刀は纏った炎の量を減らした。そして、レイは龍刀を横にかざしながら、真っ直ぐに突き進む。フェイントも、虚もない、愚直なまでの吶喊。しかし、それが一番、エレオノールにとっては厄介だ。付け入る隙が無く、力技で立ち向かわなければならない。
すぐさま分割した思考の一つが魔法を発動した。
エレオノールに向けて走るレイの体が何処からか出現した水の帯に絡めとられた。それはレイの体に巻き付くと、一気に膨れ上がり球体となって浮かぶ。
水の上級旧式魔法《アクアプリズン》。魔法によって生成された高純度の水によって対象を拘束、窒息させる魔法だ。威力を調整すれば、自分を守る盾にも使えた魔法を攻撃に使う。
レイの体がみちみちと音を立てる。《アクアプリズン》の水は中心に向かって圧力を掛ける。捕えられた者は逃げ場のない檻の中で窒息するか、圧力に負けてミンチになるかを選ぶしかない。
龍刀が紅蓮の輝きを増して、更に炎を出すがそれは逆効果だ。《アクアプリズン》内の温度が上昇し、レイに余計なダメージを与えている。
肉体強化の魔法を受けたレイならば、あと数分は持ちこたえるかもしれない。その頃には肉体強化の効果自体が切れ、エレオノールは勝利するだろう。
しかし、彼女はそんな勝利を望まない。
六つの分割した思考が、一つの方向に纏まり、叫んだ。
勝利せよ、と。
エレオノールのぼろ布のような体はその思考に従い、切り札を発動させた。彼女の正面に黒い球体が出現した。
超級魔法《ディメンション》。全てを食いつぶす黒い球体が、周りの瓦礫などを吸い込みながらレイの元へ近づいていく。
これで終わりだとエレオノールは考え―――ぎくりとした。
盲目だからこそ分かる感覚。視力という感覚を失ったからこそ得た第六の感覚ともいうべきものが、それが降り立ったのを感じていた。レイの存在感が増した時以上の圧力が、エレオノールを押しつぶすかのように降り注いだ。
レイを挟んだ向こう側で戦闘が始まってから一度も動かなかったシアラが遂に動いた。吹けば消し飛ぶような精神力と相反して、膨大な生命力を保持したまま、叫んだ。
「お願い、来て頂戴! 《ミヅハノメ》!」
瞬間、シアラの体から蓄えられた生命力が一気に消えて行くのをエレオノールは捉えた。その生命力が、彼女の嵌めている指輪に集まり、そこから恐るべき存在が出現した。
「また、あの子以外に呼ばれるなんて。あなたたち、私の事を舐めているんじゃないの」
喋るだけで大気が震える存在なんてそんなに多くない。何より、その声には聞き覚えがあり、エレオノールは自分の読み違いに舌打ちをした。
全身が半透明な水の塊で出来た女性が空間を支配するかのように浮かんでいた。人のような姿形はしているが、それは形だけで、別の存在だ。
水の超級精霊が再びアクアウルプスに出現したのだ。
流石のエレオノールも、この展開には動揺した。普通に考えても、超級精霊が人の呼びかけに応じるなんて事はあり得ず、何かしらの契約があったとしてもそれは術者個人との契約のはずだ。
海上での戦闘時にミヅハノメを召喚したのはリザだった。だから、エレオノールは彼女が精霊使いだとばかり思っていた。
糸の情報からシアラが何かしらの魔法陣の上で待機しているのは知っていた。足元に落ちているのがポーションの瓶だという事も知っていた。だから、彼女が生命変換の陣を使い、身の丈に合わない魔法を発動しようとしていたと推測して、そこから先を考えていなかった。
だけど、実際は違った。もし、彼女が盲目では無かったら、シアラが飲んでいたポーションの色に気づけたはずだ。
彼女が飲んでいたのはエリクシルと呼ばれる、生命力と精神力を同時に回復するポーションだと。そして、情報をもっと精査すれば、気づけたはずだ。彼女が刻んだ陣は生命力を精神力に変換する陣では無い事に。その逆、精神力を生命力に変える陣だった事に気づけたはずだ。
「……あとは……おねがい……します」
生命力と精神力の両方を回復させ、その上で魔法陣によって精神力が生命力に変換させた。確実に呼べるようにと、追加で精神力を回復させるポーションを何本も飲み切り、最大値以上に膨れ上がった生命力の殆どを青の指輪につぎ込んだ。そのかいあって、ハヅミを主人格とした《ミヅハノメ》の召喚に成功した。見届けたシアラは生命力が瀕死となり、ついでに精神力切れを起こして意識を失って倒れこんだ。
体の全てを水で構成した、美しい女性はため息を吐く。
「嫌よ。……って言いたいけど、この状況だと、そうも言ってられないわよね。あれが死んだら、あの子絶対に泣くもん」
あれ呼ばわりされたレイは水球の中で迫りくる黒球を睨んでいた。《アクアプリズン》の拘束から逃れられないのは変わりないが、それでも龍刀を前に突き出していた。
それを見たミヅハノメは指を軽く振るった。それだけで、《アクアプリズン》に劇的な変化が起きる。
レイの体を押しつぶそうとしていた水が幾つもの水流に別れ、レイを解放するだけでなく、迫る黒球に向かって突撃した。水を司る精霊であるミヅハノメにとって、上級魔法で生み出された水も、その辺を流れている川や海と同じだ。操るのは造作もない。コントロールを簡単に奪われ絶句するエレオノールに、ミヅハノメは小首を傾けた。
「ここ、外側に海があるみたいだけど、それを呼びんだら水没しちゃうでしょ。だから使わせてもらうわ。ごめんなさいね」
悪びれない様子でいうミヅハノメ。操る水流は《ディメンション》と拮抗し、黒球を床に押し付ける。しかし、それでも超級魔法としての意地なのか膨張を止めようとはしない。
膨張する黒球がじわじわと周りを押しつぶす。水流も最初の勢いを無くし、ブラックホールのような球に飲み込まれていく。ミヅハノメはその様子を見ても、動じることは無かった。水で出来た体は足元から崩れ落ち、消え去る直前に淡々と、告げた。
「役割は果たしたでしょ。あとは自分たちでどうにかしなさいよ、『招かれた者』、赤龍」
「ああ!」『言われんでも!』
一人と一体が叫ぶと、室内を紅蓮の輝きが染め上げた。高い天井の隅々まで紅蓮は広がり、闇を追い払い、勝利を掴むかのようだ。レイが構えた龍刀の鍔から翼が一対現れ、刀身に巻き付いた。そして、レイは膨張を続ける黒球に向けて刀を突きつける。
「炎羽!」
―――瞬間、アクアウルプスが震えた。
翼から放たれた大炎は赤龍のブレスの如き一撃だ。紅蓮の塊が唸りを上げて黒球と激突した。轟音が響き、衝撃波が空間を揺らす。壁も天井も至る所でヒビを走らさた。
レイは吼えた。それに合わせるように紅蓮の輝きは増していく。龍刀から吐き出される炎も勢いを増していく。
エレオノールは無言だった。ただひたすらに、全てを呑み込む黒い球体が膨張と前進を行おうともがいていた。
永遠に続くかと思われた超常の力同士のつばぜり合いは、あっけなく終わりを迎える事になる。
びしり、と。
吼えるレイにも、無言のエレオノールにも聞こえた。世界が割れるかのような鈍い音は、黒い球体から聞こえた。
《ディメンション》は連続して同じ音を響かせると、あっという間に砕け散った。黒いステンドグラスの散っていく中、あとに残ったのは半円上に抉れたクレーターと紅蓮の炎だった。
これで六発の魔法、その全てをエレオノールは使い切ったのだ。
最後の防波堤をしていた《ディメンション》が無くなった事で、その背後に居たエレオノールに向けて炎が迫る。レイは咄嗟に炎羽をコントロールしようとして―――戦慄した。
エレオノールは笑ったのだ。
この圧倒的に不利な状況で、勝利を確信したかのように。
そして、彼女は―――七発目の魔法を発動させた。
勝利を掴む紅蓮に染まった室内が、純白の悪意に塗りつぶされた。宙に展開された魔法陣から放たれたのは、帯状の光だった。まるで神の裁きのような神々しい輝きをもったそれは真っ直ぐに炎羽に突き刺さった。
紅蓮の炎と純白の光が激突し拮抗する。つまり、この魔法は超級旧式魔法という事になる。
「どういうことだ!! 六発の魔法全て使い切ってまだ超級魔法を放つ余裕があったのかよ!」
「あっはっはっは、あっはっはっはっはっはっはっはっは!」
純白の光を浴びながら狂乱するエレオノール。彼女はリザに敗北した瞬間から、一つの可能性を想定していた。
レイは必ず来る、と。
出島で戦った瞬間から、彼の正体についてはおぼろげに理解できた。ジョゼフィーヌとの歓談を経て、理解は一層深まり、リザとの戦闘を経て確信に至る。
彼は確実に追ってくる。まるで優秀な猟犬のように自分を追いつめるだろうとエレオノールは推測というよりも信じていた。
信頼していたともいえる。
それゆえ、彼女は最悪の状況を想定して一つの博打を仕込んでいた。
眩い輝きを浴びている前面とは逆。影となった背中は炎の壁に飛び込んだ時に焼けて剥きだしとなっていた。水魔法で消火したその背中にあり得ない物が存在していた。
それは魔法陣だ。
糸で縫われた生命変換の魔法陣がそこにはあった。
生命力を精神力に変換させる陣だ。
瀕死の状態のエレオノールは自分の体がどんなポーションも受け付けなくなったことを悟ると、残り少ない生命力を精神力に変換し始めたのだ。研究室で息をひそめ、残り少ない命を削る。
それは死期を早める行為だ。レイが来なければ、無駄に死ぬだけで終わっていた。
だけど、レイは来た。エレオノールの信頼に応えるように、来てくれたのだ。
エレオノールは水魔法で炎を消した瞬間から、その分に使用していた思考回路で光の超級旧式魔法《ネメシス》を詠唱していた。
六つの分割した思考の内、二つを超級魔法に使用したのだ。
普通の魔法使いが知れば、卒倒する芸当だ。
ほんの一瞬でも、意識が乱れれば暴発して自分が消えるというリスクを承知でエレオノールは賭けに出た。来るかどうかも分からない敵が、来ると信じて。その敵に対して勝利を掴むため最大限の努力を講じた。
全ては勝利を掴むため。
そして、いま彼女は勝利しようとする。
《ネメシス》の光線が徐々に炎羽を食いつぶす。《ディメンション》を突破したことで勢いが減衰していた。
その上、もう一つの時間切れを迎える事になる。
レイの全身に満ちていた力が抜け落ち、消えてしまった。《全力全開》の一分が過ぎたのだ。
途端に、龍刀から放出されていた炎が勢いを失っていく。光線は更に勢いづいたかのように光を増して―――ついに炎羽を打ち破ってしまう。
レイは迫りくる光線を前に身動きが取れなかった。《全力全開》発動中の無茶な行動のつけと、何よりここまでつぎ込んでもなお届かない事にショックを覚えていた。
『逃げろ、レイ! 死ぬぞ!!』
コウエンが叫ぶも、レイは体を動かす事が出来ない。
そして光線はレイを呑み込もうとして、
「世話やかせるなよ、レイ」
その直前に割り込み、レイを突き飛ばしたオルタナを呑み込んだ。
読んで下さって、ありがとうございます。




