6-74 オルタナという男
太陽が沈み、月が昇るアクアウルプス。星々が煌めき、夜を迎えた。
前回とは違い、リザの活躍により避難船が落とされなかった事で、評議会の立てた避難計画は完了していた。生存者たちは街を脱出した。それでも全ての生存者が脱出できたわけではない。
避難船には限りがあり、その限りある避難船にすら商品や私物を積み込もうとする商会の人間たち。我先にと乗り込んだ貴族や豪族。それらの護衛として潜りこめた冒険者や兵士たち。そういった力ある者が船に乗れ、力無き者達は街に残された。彼らは穴倉に篭る獣のように身を寄せ合い、扉という扉を塞ぎ、窓という窓を閉め、家財道具などを使ったバリケードを作って、建物の中に閉じこもった。息をひそめ、夜が過ぎ去るのを今か今かと待っていた。
何故なら、水の都に新しくできた支配者たちが、通りを闊歩しているのだ。彼らに見つからないようにしていた。
レイの懸念通り、感染者たちは夜になって一斉に動き出した。万をゆうに超す感染者たちの内、いくらかは拘束や隔離に成功していたが、それも焼け石に水。自分たちの時間が来たとばかりに感染者は日陰から外にでて月光を浴びた。さらには隔離施設からも脱出に成功した者達が地上に溢れていた。
どこの通りにも感染者の姿が見かけられ、自由に振る舞っていた。その動作に人のような知性はなく、獣じみている。《アニマ・フォール》の行きつく先が別の生命に変質させるなら、それは確実に人に劣る畜生だろう。
レイ達はそんな中を駆けていた。
アスタルテに騎乗したレイとクトゥス。キュイの背に乗る従者とシアラの二組は迫りくる感染者を物ともせずに突き進んだ。
「そこは右だ。そうすれば、見えてくるはずだ」
道案内役のクトゥスに従い、レイは手綱を引いた。船を降りた一行は地下に降りるべく、最寄りの入り口まで進んでいた。この場に居ないガシャクラたちは既に地下への侵入を果たし、エレオノールが目撃された芯層に地下から進んでいる。オルタナは魔法陣絡みの資料と、役に立つ道具を持って合流することになっている。
既に日が沈んで三十分が経過した。
残り時間はわずか五時間半。仮に地下でエレオノール本人か、あるいは《アニマ・フォール・リジェネ》の資料が見つからなければ状況は詰みだ。
かといって、地下以外にエレオノールが潜伏してそうな場所に心当たりはない。《トライ&エラー》が『使用不可』となり、あとが無くなった状況。一分一秒が過ぎる度に、足元が砂のように崩れていく感覚に陥る。この判断は正しいのか、もっといい判断は無いのかと自問自答する声が聞こえてくる。
それを振り払うように頭を振ると、クトゥスが見えたぞと告げた。
辿り着いたのは外層部の一角だ。アクアウルプス特有の無個性な建物の一つが、地下の点検施設だとクトゥスは説明していた。それゆえ、地下に繋がる梯子があるのだと。
辺りを見回すと、ちょうどよく二つの人型が姿を現した。一人は煌めく星が零れたかのように上から落ちてきて、一人は通りの闇からはい出したかのようにズルズルと姿を現した。
前者はオルタナだ。肉体強化魔法をフルに使って、屋上から屋上を跳んで移動してきた。西部劇に出てきそうな服に中折れ帽子という格好は変わらないが、背中にはこれでもかと膨れ上がった鞄がある。隙間からは丸まった大判の羊皮紙が顔を覗かせていた。
他は持ってくると言っていた道具だろうと判断して、レイは通りから出て来た人型を見て、沈黙する。
闇と同化するような黒色の装束に身を包んだ男は鋭いナイフのような視線をレイにぶつける。その装束の左腕部分が海風に揺らめいた。隻腕の男にレイは見覚えがあった。なぜなら、その男を隻腕にしたのは他でもない、レイなのだから。
「アンタが来たのか。すり抜け野郎」
「フジワラだ。頭領の命でな」
じゃなければ、誰が貴様の所にという言葉は口元を覆う覆面に阻まれた。
(よりにもよって、こいつを橋渡しに使うか? そりゃ、他の黒装束よりも知ってはいるけどさ)
当たり前だが、フジワラは腕を斬られたことを恨んでおり、それが態度や視線の端々から伝わってくる。ガシャクラの底意地の悪さを垣間見た。
睨むフジワラを睨み返していると、彼もまたオルタナと同様に荷物を下げている事に気が付いた。
「ガシャクラ達はいま、どの辺りに」
レイとフジワラの間に漂う険悪な雰囲気を断ち切って、キュイから降りた従者が尋ねた。意表をつかれたフジワラは慌てて説明する。
「頭領たちはいま、内層部地下の辺りを進行中との事。いまの所、異変や異常は確認できずとの事です」
結構と従者は返し、フジワラの荷物を確認し始めた。同じようにアスタルテから降りたレイはオルタナの方に近づいた。先に居たシアラが素っ頓狂な声を出した。
「うわぁ。エリクシルにアミドにぺルオキシに……これなんてソーマじゃないの。よくもまあ、こんなに集めたわね」
「おい、姫さん。あさるのは良いが、扱いは慎重にしてくれよ。中には混ぜ方次第で爆発する液体もあるんだからな」
シアラに荷物をあさられたオルタナは冷や冷やしながらそれを見守っている。何があったのか知らないが、暗闇でも分かるぐらい薄汚れていた。まるで煙突掃除をしたかのように埃や、黒ずみが肌や衣服に付いていた。
レイが近づくと、シアラは鞄の中の物をみせた。それは瓶や試験管などの容器に入った液体だ。だけど、レイが知る回復薬とは違い、色は様々だ。
「どれも調合が面倒なポーションよ。例えば、エリクシルは飲めば魔人種の精神力でさえ一瞬で回復してくれるし、アミドは一時的な筋力増加。それに、ソーマは生命力の回復としては有用よ。もっとも欠点があって、あまり好んで使われないから自然と廃れていったけどね」
「役に立ちそうなのを纏めて拝借してきた。好きに使え」
「……いや、好きに使えって。拝借って事は盗んできたのかよ」
レイの質問にオルタナはそっぽを向いた。それが答えだ。ダメな大人だとレイが思う中、背後からクトゥスが声を掛けた。
「道案内はこれで十分だな。あとはお前らの好きにしろ」
振り返ると、クトゥスはまだアスタルテに騎乗したまま上から告げていた。そして当然のように手綱を握ろうとするのでレイは先んじて行動した。ダガーを抜き放ち、手綱を握る手首に刃を当てた。切るのではなく、刃先を立てて突くように構えた。バジリスクのダガーなら骨の隙間を貫くことが可能だ。
「……この馬は借りて行くぞ」
「断る。それは契約には無かっただろ。降りろ」
レイとクトゥスの視線がぶつかり、しかし、すぐにクトゥスが折れる形で逸れた。そのまま男は地面に降り立つ。そして一歩二歩と刃から距離を取った。その隙にアスタルテがレイの背後に逃げて来た。
「あんたにもう用はない。さっさと船に戻るのがお薦めだ。じゃないと感染者に囲まれて身動きが取れなくなるぞ」
これは脅しではないが、クトゥス自信同じように思うのか警戒した視線を周囲に向けた。そしてレイは今度こそ用はないとアスタルテを連れて離れようとした。しかし、クトゥスが待てと呼び止めた。
「なんだよ。いくら頼まれてもアスタルテは貸さないぞ」
「まあ待て。それじゃない。それよりも重要な話だ。……あの男の事をオルタナと呼んでいたよな」
クトゥスの視線は荷物を背負い直したオルタナに向かっていた。レイは頷くと、クトゥスは興味深そうに、
「あれがオルタナか。実物を見るのは初めてだが……何とも厄介な奴と行動しているじゃねえか」
などと呟いた。意味が分からないレイが首を傾げると、クトゥスは頼まれても居ないのに喋り始めた。
「この街に潜りこんだ時に、街で有名な人物については名簿を作っていた。下手に接触して、こちらの正体がばれない様にするための名簿だ。評議会の人間や、元冒険者や、商会の生き字引。高名な魔法使いもそこに含まれていた。その中の最上位にオルタナは居た。……言っている意味は分かるか」
レイの反応を確かめてから、クトゥスは秘密を打ち明けるかのように囁いた。
「あの男は、アクアウルプスにおいて一番の権力者って事さ。評議会に所属していなくても、多くの弟子を抱えていなくても、そういう権力者に対して影響力が強い、いわゆる影の支配者のような存在だ」
「……それってどういう意味だよ」
「なに、アクアウルプスに根付く、都市伝説のようなものだ。曰く、オルタナという魔法使いは不老不死を目指した魔法使いだとな」
「……はぁ?」
突拍子もない発言にレイは驚くよりもまず呆れた。すると、クトゥスは慌てた様子で言葉を続けた。
「俺が言い出した事じゃないぞ。この街の魔法使いなら誰もが知っている。人の肉体を永遠に保つ秘法や、老いた体を若返らせる秘薬を作ったとかな。それを確かめた者はいないが、この街の、特に高齢の魔法使いはオルタナに頭が上がらないそうだ。それは不老不死の秘密を分けて貰っているからだと」
「馬鹿々々しい。そんな与太話に付き合ってられるか」
話を遮るように背中を向けたレイに向かってクトゥスは意地になったかのように言葉を投げた。
「なら、お前はあの男についてどれだけ知っていると言うんだ?」
そんなの知っているさ、と言い返そうとして―――レイはぞくりと背筋が凍るような思いをした。
自分はオルタナの事をどれだけ知っているというのか。
彼が肉体強化を専門にしている魔法使いで、新式魔法の術式にも精通している事。アクアウルプスの魔法使いに顔が広く、この緊急時に置いて《アニマ・フォール》解明の要請が出来る事。そして彼の息子を助けるためにシアラの居た島への入り方を探していた事。
それぐらいだ。
他は何も知らない。この異常事態に置いて、一人でも多くの手伝いが欲しいと思い、都合よく申し出てくれたオルタナをレイは受け入れた。そのまま彼は自分たちと行動を共にして、ここまで来ていた。
それなのに、オルタナという人物を自分はほとんど知らない。どうしてここまで協力的なのか。エレオノールと対峙すると言う事は、自分が死ぬかもしれないというのにそれを恐れる素振りをみせないのはなぜか。
不信の種は一気に芽吹く。冷汗が背中を伝うのを止められなかった。
他にも疑問点はあった。シアラの裁判の時、あの評議会の老人はオルタナに対して殿と付けていたではないか。その上、オルタナの証言を重要視していた。あの老人はジェロニモの言葉よりもオルタナの証言の方が信頼できると判断したのだ。
いくら裁判が出来レースのような体裁で、都合のいい証言だとしても、おかしい。
疑問は一つ浮かぶ度に、他の行動も怪しく思えてくる。次第にそれは疑惑へと変化していった。
(まさか、エレオノールとグルじゃないだろうな)
レイはエレオノールがレティとエトネの事を知ったのは、ジョゼフィーヌ経由だと考えていたが、それが間違っているかもしれないと思う。もしかしたら、オルタナが知らせたのかもしれないと想像を膨らませる。
ふと、背後に目をやればそこにクトゥスの姿は無かった。あの暗殺者は最後の最後まで余計な事をして消えたのだ。
後に残ったのはオルタナへの疑念という置き土産だ。
疑惑に対する答えが出ないまま、レイ達はキュイとアスタルテに隠れているように指示を出して建物へと入っていった。
地下空間への入口は直ぐに見つかった。室内の隅にあった丸い蓋を開けると、ぽっかりと闇が続いた。フジワラが用意してくれたランタンに明かりをつけて、闇を照らしてもなお暗い。足を滑らせば無事では済まない高さだ。そのためか傍には落下防止のフックが吊るされている。
レイ達は腰のベルトにそれを装着していく。
「この下は点検用の通路となっていて、かなり狭い。空気はあるらしいが慎重に進むべきだろう」
何処からか調達した地図を眺めたフジワラが呟いた。海上都市の地下となれば、そこは海面の下だ。仮にエレオノールとばったり会い、戦闘になって破壊されれば海の藻屑となってしまうだろう。
「とりあえず、降りてみるとするか」
背負った鞄を先に入れたオルタナが梯子に足を掛けて下へ下へと消えて行った。レイは一瞬、クトゥスの置き土産を思い出した。
不老不死の魔法使い。都市建設時から名前が存在している。評議会から一目を置かれている。そのどれもがオルタナという人間の素を覆い隠している。彼が本当に善意から自分たちに協力しているのか、あるいは何かしらの目的があって行動を共にしているのか。その判断はつかない。一方で、オルタナの協力なしに此処まで来られたかといえば、それは難しいだろうと考える。少なくとも、レイとリザが漂流してアクアウルプスに戻るまでの間、シアラを助けてくれたのはオルタナだ。
答えは出ない。いっその事、足を滑らしてくれないかとすら思ってしまう。それで不老不死の真偽だけは判明する。そんな馬鹿々々しい事を考えているレイに対してシアラが小突いた。
「主様。ぼーっとしていないで、行きましょう」
金色黒色の瞳を眇めた少女に対して、レイはオルタナへの疑惑を告げる事はできなかった。告げるということは、自分がオルタナを信用していないという証拠であり、余計な疑心の種を植える事になる。タイムリミットが迫る中、仲間割れだけは避けないといけない。
レイはシアラに返事をすると、梯子を降りた。
落下を避けるために慎重に進んだせいか、時間は掛かったがどうにか下まで降りきった。
地下空間はフジワラの説明通り、人が並んで歩けないほど細長い通路だった。鉄の壁に挟まれ、壁や足元に何かしらの配管が張り付いている。空気の循環が悪いためか、すえた臭いが立ち込め、更に暑かった。
一列に並んだ五人は地図を持つフジワラ先導の元、入り組んだ通路を進んだ。
閉鎖空間という、居るだけで精神が削れそうな中で平然としているのは従者だった。彼女はガシャクラやその仲間との連絡役を務める。
オルタナは魔法使いとして、エレオノールの痕跡を割り出そうとし、シアラもそれを手伝う。
レイは荷物運びを主に行う。人探しの技術も技能も無いため、探索に仕えそうな地図や、水が詰まった鞄を背負っていた。
五人一塊となって、奥へ奥へと進んでいく。一時間が経ち、二時間が経つ頃には、いつの間にかレイ達は外層部から内層部の地下へと移動していた。
内層部の地下は、先程よりかは広く涼しくなったが、その代りに配管が無数に並んでおり水の流れる音や不快な匂いで充満していた。全員が顔にマスクをして、芯層を目指して進む中、一つの報せがレイ達に飛び込んだ。
『魔法で作られた障壁を発見した。おそらく、この先に目標がいると思われる』
読んで下さって、ありがとうございます。




