6-72 交渉の行方
軍船の甲板に緊迫した空気が流れる。限界寸前まで膨らませた風船のように、いつ割れるのか分からない。ダリーシャスのクーデター宣言を受けて、甲板に居たレイや海兵、そしてクトゥスは驚きのあまり硬直していた。
そんな中でダリーシャスだけは自信満々に笑い、あまつさえ自分の命を狙う暗殺者に向けて手を伸ばしていた。
硬直から解放されたクトゥスが、あからさまに馬鹿にしたような視線でダリーシャスを睨んだ。
「馬鹿々々しい。交渉にすらならんぞ、そんな荒唐無稽な話は」
血が混じった塊のような唾を吐いたクトゥスは冷たく言い放った。潰れた喉を外から弄ったせいか声の通りは良くなった。
ダリーシャスは不思議そうに首を傾げ、
「そうか? 俺は生き残り、叔父上は父上から票を奪い取れ、そして其方らは叔父上から報酬を貰える。三方丸く収まるだろう」
「それよりも、お前の命を奪えればそれで話は済むだろう」
にべもない言い方ではあるが事実だ。
「そもそも、お前の話に俺が信じるに足る根拠がない。お前が、本当にプラティス家当主に票を投じるか分からん。人間、追い詰められれば、どんなでまかせも言える」
「不思議な事を言う。この状況で追い詰められているのは其方であろう」
クトゥスは自分の足元に倒れている部下たちを見た。レイによって昏倒させられた男たちはまだ目覚める様子は無い。
「……大体、どこの世界に謀反を起こすという野心を露わにする馬鹿が居るんだ!」
「此処に居るではないか」
「……正気なのか、お前」
「それに関しては僕も聞きたいよ」
信じられないとばかりに呟くレイを無視して、ダリーシャスは胸を張って答えた。
「正気かどうかと問われれば、正気の沙汰とは言えんだろうな。だが、このまま父上を王にしたところで、俺が兄上に勝てる確率は皆無に等しい。それは国内に居る其方らの方が詳しいだろう」
クトゥスは内心で同意を示した。デゼルト国の王家は、各自が十四氏族のどれかの影響を受け、それを後ろ盾にしている。必然的に、国内に長くいればそれだけ地盤を安定させることができ、権力を強める事が出来る。
長年、父親の傍で補佐を続けて来たダリーシャスの兄と外交官として世界中を回ってきたダリーシャスでは地力の差が大きすぎる。例え、オードヴァーン家当主が王になっても、その後の政争でダリーシャスが負けるのは火を見るより明らかだ。
「そんな俺にとって、神前投票はまたとない機会だ。兄上を葬る、唯一無二のな」
ダリーシャスは淡々と、感情を排したかのように喋るが、その奥底で刃のように研ぎ澄まされた意思を感じさせる。シアトラ村で、オウリョウで、トトスで、そしてアクアウルプスに至るまでに彼が考えていたのがクーデターという答えなのだ。
「王が倒られ、帰還の命が下されてから幾月。その間、其方らは暗殺者として幾度となく失敗した。仮に俺をここで殺したとしても、叱責は免れないはずだ。だが、ここで俺の票という手土産があれば叱責を挽回するどころか、おぼえも目出度くなるはず」
「代わりに敵に懐柔された無能者の烙印を押されるかもしれんぞ」
クトゥスの的確な指摘にダリーシャスは口を閉ざした。すると、クトゥスは倒れ伏す仲間を見つめながら、
「一族を、家族を裏切ってまで、王になりたいというのか」
理解できないとばかりにクトゥスは首を振った。ダリーシャスは表情に陰りを見せながらも、それでもと言う。
「それでも、なりたい。それが俺に付き従い、散った者達への手向けとなる。……いや、それは理由の一つにすぎんな。……これは単なる我欲だ、王に成りたいという欲が俺を突き動かしているのだ。狂おしいほどの欲が、玉座を奪えと叫んでいるのだ」
そうかとクトゥスは呟くと、考え込むかのように視線を下げた。その姿にレイは驚かされる。真っ当な暗殺者ならそもそも考えたりはしない。考えるのは上に立つ者の役目で、その手足に過ぎない暗殺者は与えられた命令を実行するに過ぎない。場の流れがダリーシャスの望む方向に引き寄せられている。これが彼の持つ特殊技能、《ユマン・ゲンニュ》の真骨頂か。
ふと気が付くと。すでに夕日が半ばまで水平線に飲み込まれていた。西の空が赤く染まり、東の空から薄紫色の夜空が姿を見せていた。
もうじき、夜が来る。
船員たちはいつ、感染者が押し寄せてくるのか気が気では無い様子だ。クトゥスが答えを出す前に、決着をつけようと殺気立つ者も居る。ゆっくりと人の集団が割れ、弓兵がそこかしこに姿を見せていた。
いつ弾けるか分からない緊張感の中で、遂にクトゥスが己の答えを言う。
「ダリーシャス・オードヴァーン。お前の提案に乗る義理も義務もない。俺は、俺達ヌギドは貴様の命を奪い、依頼人へ差し出す。たとえ、ここで命尽きようが、その最後の火が落ちるまで戦い続けよう」
それは明確な拒絶だ。
ダリーシャスの眉が下がり、船員たちが武器を強く握りしめた。その一言は火薬庫に火を放つような内容だった。いつ、クトゥスへの攻撃が始まってもおかしくない。
だからなのか、クトゥスはすぐさま視線をレイの方に向けた。
「だが、甘ちゃん冒険者。お前には助けられた恩がある。借りがあったな」
途端に、集まった人々の視線がレイの方に集中した。ダリーシャスは呆れながら、
「なんだ。俺を狙う暗殺者を助けたのか。まったく、其方はどちらの味方なのだか」
「いや、あれは状況とか場の流れ的なやつで手を出しただけで、アイツが暗殺者なんて全く知らなかったんだよ」
どうして自分が妻の友人に手を出した亭主のような弁明をしなくちゃならないんだとレイは思う。
「とにかく。その借りは借りだ。ここで命を潰えれば、その借りを持ったまま御霊に向かう事になる。それは未練だ。未練を残して死ぬわけにはいかない」
妙な所で律儀な男だ。
ダリーシャスがニヤリと笑い、クトゥスに話しかけた。
「だったら、俺の賭けに乗る気になったのか」
「馬鹿か、貴様。俺の借りはそっちの冒険者の方だ。お前じゃない」
ぴしゃりと言われてダリーシャスは落ち込む。そしてクトゥスはレイに向かって尋ねた。
「お前の話を聞いてやるぐらいの事はしてやるべきだと、そう考えたんだ。さっき気になる事を言っていたな。エレオノールとかいう女が今回の事件の黒幕だと。その辺り詳しく教えろ」
レイは沈む夕日に焦りながら、要点だけを纏めて説明した。アウローラサーカスに所属しているピエロのエレオノール。彼女が配った飴に仕込まれていた《アニマ・フォール》によって子供たちが怪物となり、それが伝染するようになった、と。自分たちはその下手人であるエレオノールを追いかけ、何度か戦闘を繰り返し、《アニマ・フォール》の回復方法がある事を知った。
そこまでを説明した時、クトゥスの顔に驚きが広がった。
「待て、待て待て。……治せるのか? アイツらを元の姿に戻せるのか!」
アイツらと言われても一瞬分からなかった。だけど、直ぐに思い当たる。レイは宿屋を脱出した直後に、彼の仲間が数人感染したという事を教えて貰っていた。
おそらく、アイツらとは彼の感染した仲間の事だろうと見当をつけた。
「ああ、戻せる。そのためにはエレオノールを捕まえて、その回復呪文を吐かせる必要があるんだ」
「……だけど、お前らはエレオノールの行方が分からずに困っているという訳か」
クトゥスの言葉にレイは頷いた。残り時間的に、闇雲に探しても間に合うとは思えない。いまは、少しでも情報が欲しい。レイはクトゥスに対して頭を下げて、
「だから教えて欲しい。お前らが知っている情報を僕に教えて欲しんだ。次の真夜中を過ぎれば、《アニマ・フォール》は治せなくなる。もう時間が無いんだ」
必死の懇願に対してクトゥスは頭を掻いた。彼の中で天秤が揺れる。感染した仲間の復活と、依頼人の命令。どちらかを取れば、残った方を手放すことになる。どちらかを手にしたところで、その先の展望は暗い。
仲間を取れば、依頼人の命令を果たせず一族は困窮したままだ。
依頼人の命令を取れば、仲間は怪物と成り果て、一族は弱体化する。
若頭としてどうするのが最良の選択かを見極め、そして結論を出した。
「いくつか、条件がある。それを飲めるなら、エレオノールの情報を教えてやってもいい」
敵地でありながら、クトゥスは上からの物言いを崩さなかった。力関係では不利でも、立場は此方が上だと言わんばかりの態度だ。
「聞こうじゃないか。述べてみよ」
「ダリーシャス王子。貴様の身柄を此方で預からせてもらう」
クトゥスの出した条件にレイは身構える。だが、ダリーシャスは動じることなく、まるでそう来るだろうなと予期していたかのように頷いた。
「ふむ。……その理由については聞かせてもらえるか」
「俺達への命令は貴様の命を奪う事だ。生きてデゼルト国の土を踏ませるなというものだ。だが、お前の出した取引内容。神前投票の際にプラティス家当主に票を入れるというのは、依頼人にとって利のある話だ。……そこで依頼人に事の次第を伝え、判断を仰ぎたい」
「妥当な判断だな。其方の独断で俺を連れていけば、どう話が転んでも、其方らにとっては面白くもない方向へ行くだろう」
ダリーシャスの言葉に同意すると、クトゥスは話を続けた。
「いま、俺達の方から依頼人に連絡はつけられない。諸々の事情があり、明日にならなければ連絡がつかん。そこで、エレオノールが目撃された場所の入り口まで案内しよう。その代り、明日までダリーシャスの身柄を此方で預からせてもらう。無論、護衛は外れて貰うがな」
「そんな条件、飲めるはずがないだろ」
レイは吼えた。
ダリーシャスの身柄を引き渡せば最後、彼の命は全て暗殺者の思いのままとなってしまう。
生かすも殺すも自由だ。それこそ約束を破り、明日を待たずに殺してもいいのだ。
「アンタらに有利すぎる条件じゃないか!」
「不服か? エレオノールとやらの居場所に心当たりがないんだろ。そして、こちらにはそれがある。どちらが有利なのかは一目瞭然だ」
クトゥスの言う通りである。この状況でレイにとって重要なのはダリーシャスの命や、投票の行方では無い。
エレオノールの居場所だ。それを握るクトゥスの方が優勢なのは揺るがない。
だからといって、レイは引き下がる事はできない。この取引に置いて、レイは蚊帳の外だが、せめて相手を揺さぶろうと口を開いた。
「アンタはそれで良いのかよ。仲間を取り戻せる機会を捨てる事になるかもしれないんだぞ」
「元より、怪物に噛まれた時点で見放した命。いまさら捨てるも何もない。勘違いするなよ。これでも、こちらは譲歩しているのだ。これはお前に助けられた借りを返しているに過ぎない。俺としてはここで命尽きるまで戦う覚悟なのだから」
最初から死地に赴く覚悟をしていた男は、動じる様子は無い。それだけに厄介だ。どんな言葉や、条件、金銭ではこの男は揺れないし、心変わりすることは無い。
「さあ、今度はそっちの返答だ。どうするんだ、ダリーシャス・オードヴァーン」
全員の視線がダリーシャスに集中する中、当の本人は考える素振りをみせずに言い放った。
「仕方あるまい。飲もう、その条件を」
あっさりと。まるで夕食の内容を決めるかのような気楽さでダリーシャスは言う。レイはもちろんの事、クトゥスですら驚いてしまう。
「……本気なのだろうな。本気で、俺達に身柄を拘束されるつもりなのだろうな」
「疑り深い性格だな。其方の手間を省くために、体に縄でも巻き付けて置いてやろうか」
冗談なのか、本気なのか分からない発言をしたダリーシャスは至極真面目な調子で、
「こちらからもいくつか条件を付けさせてもらうぞ。まず、其方と其方の仲間は船から降りて貰う。そして、其方はレイ達をエレオノールが目撃された場所へ道案内をした後、俺を迎えに船に戻って来い。そしたら、俺を何処にでも連れていけ」
「駄目だ。道案内をしている最中に船が外洋に出るかもしれん。そうなれば追いつくことはできない」
「それは無い。この船にはレイの感染した仲間が乗っている。彼女らを元に戻せるまでは、船は出せん」
クトゥスの瞳が真実かどうかを確かめてくる。レイは頷いて答えた。
「……なら、いいだろう。この四人を船から降ろし、そいつを道案内した後、この船に戻ってお前を拘束させてもらう。小舟か何かぐらいは残してもらうぞ」
「交渉成立だな。それで? 其方の言う心当たりとは何なのだ。……まさかハッタリではあるまいな。それなら、この取引はご破算とさせてもらうが」
「いや……それは問題ない。その少女については此方でも目撃していたからな。奇妙な少女が出入りしていると不審に思い、かといってこちらの存在が露呈するのを嫌い接触はしなかったが、間違いないだろう」
随分と自信のあるような言い方だった。レイは龍刀を抜いたまま、クトゥスに向かって尋ねた。
「アンタらはエレオノールを何処で見かけたんだよ」
クトゥスは空いた手を下に向けて口を開いた。
「アクアウルプスの地下だ」
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