6-70 生きているのなら
超級魔法《ディメンション》。全てを黒く塗りつぶす、引力の塊を前にしてリザがした事は単純な事だ。
青の指輪に込められたハヅミを召喚し、超級精霊ミヅハノメの力を振るってもらい、海面の高さを下げた。前回、真夜中のアクアウルプスに置いて、リザがレイを連れて海に潜ったのと発想は同じだ。球体から距離を取る事で回避する。
四方が海という逃げ場のない環境を逆手に取った策だ。
指輪の魔力問題に関しては、紫の指輪を使用することで生命力を吸い取って回復するかどうかを試して、吸い取られるのを確認していた。五個ある指輪の内、二個にその機構が組み込まれているのだ。おそらく、残りの三つにも同様の物があるはずと踏んだ。
ミヅハノメを攻撃に使ったり、直接超級魔法を撃ち落すのに使うつもりは全くなかった。
理由は複数あり、一つはエレオノールが《ディメンション》以外の超級魔法を使え、それが水と相性の悪いものなら逆に突破されてしまう可能性。そしてもう一つが、ハヅミがそこまでリザの呼びかけに応じるとは思えなかったからだ。エトネに対してはだだ甘の精霊が、それ以外の呼びかけに易々と力を貸すはずがない。
だから攻撃では無く、超級魔法の回避の為に使った。
軍船が浮かんでいる海面を下げ、物理的に《ディメンション》から遠ざける。そして下げた分の海水を使って海水の蓋を形成する。海水が《ディメンション》の引力を阻んでくれた。
アクアブルーに染まった世界で、リザはマストに昇り、魔法が消える瞬間を待った。自分の最大火力を畳み込むべく、刃を研ぎ澄ますように集中していた。
そして、黒い球体が消えた瞬間、海水の蓋は開き、海面の高さが元に戻る最中、リザは動いた。
赤の指輪に込められた《全力全開》を発動させて。
増幅された力の奔流がリザを突き動かし、今まで以上に巨大化させたロングソードを構えて、リザは飛翔穿を放った。それは隕石のように一直線にエレオノールを貫いた。
晴れた空のような瞳が、交錯する瞬間、エレオノールが腹部に糸を巻きつけ防御しようとしていたのを見抜いた。
だけど、それは無駄な努力となった。高速で迫った刃に押されるように、エレオノールの体は海水に叩きつけられた。激しく舞い上がる水しぶきに交じって、鮮血が飛び散り、ハスキーな絶叫が響く。
リザは剣を通じて手応えを感じていた。深手どころか、致命傷を与えたという確かな確信が伝わった。
しかし同時に、無茶な行為のしっぺ返しが少女を襲った。
高度から超高速で海面に激突したロングソードが衝撃に耐えられなくなり―――砕けたのだ。一秒にも満たない時間で、粉々に砕けた刃の欠片が水しぶきに巻きあげられて―――リザに襲い掛かった。
「私が回収した段階では瀕死の状態で沈みかけていました。刃の浮かんだ海に飛び込んだのです。防具は砕け、全身の至る所に刃がくい込み、皮膚などの柔らかな部位は紫に染まり、眼球などは……失礼。この辺りは必要のない情報でしたね」
港に辿り着いたレイを出迎えたのは、停泊した軍船と従者、そして同時に到着したシアラだ。顔面を蒼白に染めたシアラと共にレイはダリーシャスを甲板に残して、船室に向かい歩き、淡々と従者はリザに何があったのか説明を始めた。
「一目見て、回復などは無意味と判断。事前に本人から頼まれていた提案に基づき、彼女を《アニマ・フォール》に感染させました。元々、彼女自身この作戦に置いて自分も重傷を負うと予測。肉体強化の魔法を使っても瀕死に近い状態になるのではと考え、その上で行動していました」
忙しなく人が行き交う軍船の中、レイとシアラは共に表情を硬くして、話を聞いているのかどうか怪しかった。だけど、従者は気にした素振りをみせず説明を続けた。
「結果として、実験は成功に終わりました。レティシアによって感染されたエリザベートの肉体は数秒後には完全に修復され、彼女は《アニマ・フォール》感染者に成り果てました。現在、他の二名と共に船室にて隔離中です。それが、この部屋です」
先導する従者が奥まった船室の前で止まる。そこは鍵が外から付けられており、扉に丸い窓が一つ付いていた。
「此処からどうぞご覧ください。三人とも拘束された上で停止中の為安全かと」
レイが丸窓からのぞき込むと中には毛布で体をくるまれた上で、ロープで縛られた感染者が三人居た。一人はエトネ、一人はレティ。そして二人に挟まれてリザが居た。此処からでは彼女が感染しているかどうか判断がつかない。
「……それで、エレオノールはどうなったんだ」
「エリザベートの回収をした段階では、同海域に大量の血痕と刃は浮かんでおりましたが、エレオノールの姿はありませんでした。……もっとも、あの一撃をまともに浴びて、生きているというのは考えにくいかと」
生死不明。
それはある意味、最悪の状況といえた。
《アニマ・フォール》の解除が術者の死によって起こるのなら、レイは進んであの女を殺すだろう。だけど、彼女はこの魔法を病原菌のように語っていた。病原菌は人から人へと媒介していく。悪意を持って作った製作者が死んでも、その悪意をバトンのように繋げていくのだ。
いまの所、《アニマ・フォール》感染者が元に戻る様子がない事から、エレオノールが生きているのか、あるいは彼女の生死が解除に関係ないかの二択だ。
だとしたら、希望はレイの中にしかない。
レイは扉が開くのを固く拒んでいる錠に対して鍵を差し込んだ。船長の許可は取っている。
「中に入るのですか」
「はい。ただ、仲間だけになりたいので、貴女は入らないでください」
従者の入室を拒むと、レイとシアラだけが扉の隙間を潜り船室に入った。
船室の中で横になっている三人と対面する。少女たちは虚ろな瞳で天井を見つめていた。そこには意思なんてないようで、機能を停止した機械のようだ。
レイは中央で寝かされているリザにそっと手を伸ばした。金色の髪を撫でながら、その顔を見つめた。生気の失った白い肌に傷は無い。従者の語りからすると相当な深手を負ったはずなのだが、微かな傷跡も残っていなかった。
(《アニマ・フォール》に感謝しなくちゃな。……ってそれはそれで変な話か)
リザの無事と感染してしまったという事実を確認したレイはシアラの方に体を向けた。少女は室内に入るなりに隠し持っていたチョークで魔法陣を刻むのに集中していた。
コンパスも定規も使わないのに、滑らかな曲線や鋭い直線に乱れはない。あっという間に幾何学模様の魔法陣が完成された。
それは生命力を精神力に変換する魔法陣だった。
シアラはその陣に座ると瞑想するように座った。それから五分。レイは焦燥にかられつつ待ち続けた。シアラの生命力が精神力に変換しきるのを。
徐々にシアラの顔色が悪くなっていく。元から色素の薄い肌だったのが、青ざめ、汗が流れ落ちる。呼吸が荒く、浅く、はた目からも疲弊しているのが直ぐに分かった。
生命力が吸い取られるというのがどれほどの苦痛と疲労を受けるのか、レイは赤色の指輪で思い知った。自分の時のように高速で吸い取られている訳ではないが、それでも疲労は計り知れないはずだ。
そんな中、シアラがゆっくりと金色黒色の瞳を開いた。
「準備が出来たわ、主様」
「わかった。それじゃ、宣言をしたら僕の詠唱に続いてくれ。掛けるのはまずレティからだ」
シアラは手を伸ばして、虚ろな表情のレティに当てる。そして、宣言をする。
「《器を、満たせ》」
途端にシアラの体から夥しい量の精神力が吐き出された。魔人種としてのずば抜けた精神力と生命力を合わせた全てを使っているのだ。なにしろ、これから唱える魔法がどれ程の精神力を必要とするのかは分からない。多いいに越したことは無い。
「《この者を蝕む毒蛇に告げる》、《汝は不浄の化身なり》」
「《この者を蝕む毒蛇に告げる》、《汝は不浄の化身なり》」
レイの言葉を追いかけてシアラの詠唱が始まった。だけど、前回の時のような変化は起きない。訝しげな視線を受けつつ、レイは続けた。
「《清廉なる風よ、吹け》、《邪悪なる霧を晴らしたまえ》」
「《清廉なる風よ、吹け》、《邪悪なる霧を晴らしたまえ》」
自分の記憶にある詠唱を間違えないように慎重に告げるものの、レティの様子は変わらない。それが余計に不安を増していく。
「《魂はあるべき姿に戻り》、《その身もあるべき姿に戻れ》」
「《魂はあるべき姿に戻り》、《その身もあるべき姿に戻れ》」
最後の段階に至り、レイは怒りに震えていた。声が揺れ、いまにも叫び出しそうな怒りを秘めていた。
「《アニマ・フォール・リジェネ》」
「《アニマ・フォール・リジェネ》」
レイの期待とは裏腹に癒しの光など起きず、氷のような静寂が船室を包み込む。虚しい詠唱が終わり、シアラがどう声を掛けようかと悩んでいる間に、床を激しく打ち鳴らす音が静寂を破った。
レイが拳を床に叩きつけていた。木の板にひびが入り、割れて行くのもお構いなしに、何度も殴打する。リザと《伝声》で会話した時に過った予想が当たっていた。
「あの、女は、本当に、最悪、な、女、だな!! 出鱈目、な、詠唱を、教え、やがった!!」
シアラの魔人種として高い能力値でも、《アニマ・フォール・リジェネ》を失敗する可能性はある。だけど、これは違う。失敗以前に、何の反応もしなかったのだ。それはレイの知る詠唱が出鱈目だったからに他ならない。
しかし、エレオノールはレイの目の前でレティを元に戻したのは事実だ。彼女はレイに嘘の詠唱を教えながら、本当の詠唱並行して行っていたことになるが、そんなのは可能なのだろうか。
エレオノールなら可能だ。
彼女は心の中で詠唱を唱える事で魔法を発動出来る。その上、思考を分割することも出来る。片方の思考でレイを騙す詠唱を口ずさみ、もう片方の思考で本当の回復呪文を詠唱していたのだ。
そんな面倒な事をした理由も直ぐに分かった。
「僕を、生かして、絶望させて、さらに、絶望させようと、したんだ!」
仲間の死を味合わせ、せめて手に入れた希望を使おうと立ち上がった所に、その希望がガラクタだと思い知らせる。
あの時。エレオノールはレイを殺さないように注意を払っていた。自分の手で奴隷を失ってしまった実感を味合わせるためにレティを殺した女だ。それぐらいの事は平気でする。
だからこそ、あんなに簡単に回復の呪文を教えたのだ。
全てエレオノールの掌で転がされたことにレイは怒りを覚えていた。仲間を危険に追い込み、特殊技能すら使用不可に追い込まれたことに屈辱を感じる。拳で床を叩くのはどこかにぶつけないと、怒りで内臓をかき毟りたくなるのを抑えられないからだ。
そんなレイの拳をシアラが優しくつかんだ。
「落ち着いてよ主様。いくら怒った所で、床板が抜けるだけよ」
「……ああ、分かってる。……分かってるよ」
答える声に力は無かった。何しろ万策尽きてしまったのだ。
エレオノールの行方は分からず、《アニマ・フォール》の解除方法は分からず、もうじき夜は訪れ、タイムリミットまで時間が無くなっていく。レティとエトネが《アニマ・フォール》に倒れ、リザもまた倒れてしまった。
そして何より、《トライ&エラー》が使えないのだ。もう、やり直す事も、巻き戻すこともできない。掌から零れ落ちた砂は拾えない。
進むべき道も、頼れる存在も、切り札も無い八方塞がりの袋小路にレイは立たされていた。
しかし、それでも。
(考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。考えるのを止めるな。その瞬間が本当の敗北だ)
レイは諦めていない。これまでにも地獄のような状況はあった。
ゲオルギウス、赤龍、フィーニス。
(こんな状況は地獄が増えただけだ。地獄なら、何度も潜ってきた。今度も、全員を連れて生き残ってやる)
まだレイは生きている。シアラも、ダリーシャスも、従者も、コウエンも居る。タイムリミットが迫っているのではなく、残っているのだ。
足掻くことはできる。足掻くことしか勝利は掴めないと少年は学んだ。
(まだ負けてない。負けてない内は、諦めている暇はないんだ)
これまでの経験が、レイの中で鋼鉄のような意思を宿らせていた。
「リザ、ご苦労様。君の命がけの献身が無ければ、僕はレティとエトネを失っていたよ。ありがとう。そしてレティ、エトネ。もう少しだけ待っていてくれ。必ず、皆を元に戻してみせる。だから、また会おう」
返事なんて無い。だけど、伝わったとレイは思いたかった。
リザ達に再会を約束して、必要な物を取って船室を出ると従者が直立の姿勢のまま待っていた。彼女を伴い甲板に上がると、人で溢れていた。
エレオノールとの戦闘後、軍船が港に停泊していたのには幾つか理由がある。そのうち、一番の理由はダリーシャスの為だ。
いま船に食料や水が運び込まれていく。船員のみならず下働き風の男たちが忙しく荷物の積み込みを行っていた。荷物の殆どが、水や食料だ。全て、フェスティオ商会から届けられた物資だ。
実は、船長は持っていた魔水晶を通じて、東方大陸に居るスヴェン王子と連絡を取っていた。アクアウルプスに起きた危機的状況とレイ達の状況を報せ、今後の判断を仰いでいたのだ。別の情報網でアクアウルプスでの惨劇を知っていたスヴェンは、最悪の場合に備えるように船長に命じた。それはレイ達がこの街で倒れた場合だ。
その場合において、ダリーシャスが生存していたら、彼を連れてシュウ王国に戻るようにと指示が出ていたのだ。いま積み込まれている物資は、シュウ王国に戻るまでの日数分だ。
(もう夕暮れだ。これ以上、ダリーシャスを連れて探索するのは不可能だな。彼を説得して、ここに残るように言わないとな)
そう考えたレイは人で溢れた甲板の中でダリーシャスを探す。
ダリーシャスの姿は直ぐに見つかった。甲板の後部にて地図と睨みあいながらしかめっ面を浮かべている。
そんな青年の元へ向かおうとして、ふと、レイは気になる人物を見つけた。
荷物を運びこむ列から、一歩外に出た下働き風の衣装を身に纏った青年が真っ直ぐにダリーシャスの方へ近づく。その手には何も持たず、違和感ない動作なのにどういう訳かレイの気を引いた。その理由を深く考えようと注視していると、服の内側が捲れ、隠し持ったナイフが顔を覗かせたのだ。
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