6-69 船上の戦い 『後編』
『思考の分割による同時詠唱は脅威だけど、それだけに欠点もあるわ』
確信めいた力強い声がリザの耳朶を揺らした。エレオノールとの戦闘前。事情を説明して船員たちを船室に押し込め、戦闘の準備を整えたリザはシアラからエレオノールの戦闘方法に対する考察をレクチャーされていた。
エレオノールが旧式魔法を連発できる秘密。それは思考の分裂だとシアラは言った。あまりにも奇想天外な考察だが、シアラが考え抜いた末の結論だ。疑う余地はない。
『まず、前提として思考の分割をしたとしても、エレオノールは一人の人間でしかないという事を忘れないで。どれだけ魔法を使おうとしても、アイツが使える精神力は、自前の物しかないわ』
エレオノールの思考の分割による同時詠唱は、言うなれば複数人の魔法使いを頭の中に宿らせているようなものだ。それぞれが別の魔法を詠唱し、発動する。だけど、その魔法を撃つための精神力は一つしかない。
『そこを踏まえて、一つ疑問があった。エレオノールは同時に複数の魔法を詠唱できるのに、旧式の超級魔法を使えるのに、どうしてそれを最初から使わなかったのか。どうして上級や中級の魔法で攻撃していたのか。どうして、超級魔法が使えるのに、糸なんていう近接用の武器を用意しているのか』
極論ではあるが、魔法使いは大砲であるべきなのだ。
敵の反撃が届かない遠距離から魔法を放ち、一方的に敵を嬲る。それだけで十分なのだ。超級魔法を扱えるエレオノールならその条件にあてはまるというのに、わざわざ姿を見せ、あまつさえ接近戦をしていることがおかしいのだ。
『考えられるのは、エレオノールの精神力の量が同時に超級魔法を詠唱できるだけなく、なおかつ普通の人間よりも消費が激しいという可能性よ』
教師然とした口調で語るシアラだが、声に若干の震えがある。だがリザはそのことを指摘せず、黙って話に耳を傾けた。
『魔法は宣言を行い、放つのに必要な精神力を絞り出す必要があるのは知っているわよね。水瓶から組みだした水は、普通なら元に戻せる。でも精神力はそれが出来ない。一度詠唱を始めれば、その精神力は成否に関わらず体には戻ってこない。だから、エレオノールはまず超級魔法を詠唱して発動に必要な分の精神力を確保して、それをいつでも発動できる切り札にしていたのよ』
真夜中のアクアウルプスにて、あの短時間で超級魔法を完成させるのは不可能に近い。また、それまでにも中級や上級魔法を惜しげもなく使っていた。あれは既に切り札を発動可能な状態で手元に残しているからこそできる芸当だ。
そうでなければ、あんな余裕に魔法を放つことはできない。
「前者の、同時に超級魔法を詠唱できないという所は納得できます。ですが、精神力の消費が激しいというのはどういう意味ですか」
『さっきも言ったけど、アイツは頭の中に複数の魔法使いを置いているけど、使える精神力は一人分なのよ。二つの魔法を同時に詠唱すれば二倍。三つの魔法を詠唱すれば三倍の速度で精神力を消費するわ。しかも、詠唱した魔法の精神力は、元には戻せない』
「エレオノールは長期戦が……いえ、普通の戦闘行為だけでも一気に消耗してしまう。そして、精神力が少なくなれば」
『糸を武器として使うのよ。……まあ、消耗を遅らせるために使っているという可能性もあるわ』
シアラの推測は根拠の乏しい推測にしか過ぎない。
ある種の懇願でもある。
だけど、一定の可能性もある。エレオノールが無尽蔵に魔法を放てるなら、糸を武器として使ったり、死体を操るような事をする必要が無いはずだ。
「思考の分割による同時詠唱が精神力を一気に消耗させるのは分かりましたが、私達はどう戦えばいいのですか」
『……リザ達には相手の超級魔法を引き出したうえで、それを躱してほしいの』
重苦しい口調で放たれた内容にリザは表情を強張らせる。
超級魔法は局所的な天変地異を起こし得る魔法だ。それを使わせる前に倒すという内容ならまだ理解できる。だけど、使わせたうえで回避しろというのは難易度が高い注文だ。
シアラ自身、そのことを理解できているのか苦しそうな口調で続けた。
『今までの推測を元に考えると、エレオノールが超級魔法を放つのは決め手に欠けた時だと思うの。上級魔法でも、糸でも倒せない相手を一気に叩き潰すための切り札。それゆえ、出した直後のアイツは出せる手が無くなっている。だから―――』
「―――相手が切り札を使った直後を狙って、逆にこちらの最大火力を叩きこむという事ですか。その理屈は分かりましたが……問題が一つ」
リザは周囲を見回した。そこは四方を海に囲まれた船上。逃げ場も隠れる場所も無い。超級魔法を躱すなんて事が出来るようには思えなかった。
そもそも、この船が壊れてしまえば、ダリーシャスをデゼルト国まで秘密裏に連れていく方法も無いのだ。
船長からも船を傷つけずに戦ってほしいと懇願されてしまった。
エレオノールが使う超級魔法は《ディメンション》。引力を持った黒い球が全てを押しつぶし抉る。逃げ場のない船上で躱す事は不可能に近い。
「船を破壊されないように回避するなんて方法があるのでしょうか」
『それなら大丈夫よ。さっき言った物は回収できたかしら』
シアラの言葉にリザは自分の指にはめている二つの指輪を見下ろした。一つは赤く、もう一つは青く輝いている。
『そこは海上。あれにとっては一番力が振るえる環境よ。例え紛い物であってもその実力が超級魔法に劣る事は決してないはず』
「それは心配していません。問題は私の呼びかけに応じるかどうかです」
『……それに関しては祈るしかないわ。でも、あれの性格上、エトネがあんな目に合っているのに、何の行動をしないとも思えないのよね』
その意見にはリザも同意だ。何しろ、指輪を嵌めた指が熱を感じている。まるで指輪に込められた意思が外に漏れているかのように、熱くなっているのだ。
呼べば、応えてくれる確率は高い。
『……ごめんなさい、リザ』
唐突な謝罪にリザは戸惑う。沈痛な声が耳元で続いた。
『ワタシの考察はちゃんとした証拠がある訳じゃない、願望が混じった推測よ。こうだったらいい。こうであって欲しいという感情が混じっているわ。《トライ&エラー》が発動しない状況で、こんな曖昧な情報だけでアンタ一人を死地に送り出して。……その場に立てない自分が情けないわ』
シアラが居る場所はアクアウルプス外層部の西側だ。リザから事情を聞いて、大急ぎで北の港に向かっているのだが、到着した時には勝敗は別として戦闘が終わっているはずだ。
もうやり直す事の出来ない、唯一無二の今。
レイとシアラ、そしてレティとエトネの四人の命と未来を背負ってリザは一人戦場に立つのだ。シアラは仲間として、友達として傍に居る事すらできない事に打ちのめされていた。
だけど、リザは平時と変わらない調子で、
「大丈夫よ、シアラ。貴女が足りない情報から導き出した結論ですもの。きっと真実に迫っているし、役に立つ……ううん。役立たせてみるわ」
《伝声》を通じてシアラに届く声は強がりや虚勢の色はない。ごく自然な、不純物の無い声だった。生真面目なリザなら、この場面は気負った様子があってもおかしくは無いのに。
自然体のままリザは自分の中にある思いをシアラに伝えた。
「それにね。考えてみれば、それが当たり前なのよ。やり直しは出来ないのが当たり前で、失敗を無かったことになんてできない」
脳裏を過るのは隠しておきたかった過去。知られたくなかった恥辱に塗れた秘密。
だけど、それらを全てレイの言葉が吹き飛ばした。
「だけど、生きている限り、それを挽回する事はできる。どれだけ最悪な状況でも、どうにかする道はきっとあるはずなのよ。まだ、私は生きている。だから、出来るわ」
リザの心の底から出て来た言葉に、シアラが驚いて息を呑む。数秒の沈黙を打ち破って、
『……驚いた。最近のアンタからそんな発言が出るなんてね』
「それってどういう意味よ」
『だって、最近のリザは誰が見ても……まあ、鈍感な主様は除いて、しかめっ面に難しそうな顔をしてたわよ』
シアラの指摘にリザは驚いた。確かに、彼女の言う通り自分は悩んでいた。シアトラ村でシアラの過去を知り、自分と似た境遇の彼女に対して親近感を抱きつつも、その過去を明かせたという事に嫉妬に近い感情を抱いていた。そして、明かせないでいる自分に恥じた気持ちを抱いていた。
それを自分なりに隠していたつもりだったのがばれていたとは。
「えっと、それは、その」
『主様の事を名前で呼んだって事は、何かしら気持ちの変化なり区切りがついたんでしょ。違う?』
「……いえ、その通りです。……あの、シアラ。全部が終わってからでいいのですが、聞いて欲しいことがあります。だから、その」
『いいわよ。聞いてあげるわ。だから、生きて帰って来なさいよ』
「はい!」
リザの返事を最後にシアラの声は聞こえなくなった。するとタイミングを見計らったように従者が近づいてきた。
「作戦会議は終わりましたか」
問いかけにリザはシアラか聞いた内容を従者に伝えた上で、ある事を付け足した。
それは全部が上手く行っても、いや、上手く行ったからこそ起こり得る状況に対する保険だ。話を聞いた従者はリザの発想に驚き、そして納得したかのように頷いた。
「それじゃ、その時は頼みます」
「了解いたしました。……どうやら、来たようですよ」
従者の視線を追いかけると、邪悪さを人の形に鋳造したかのような存在が青い空を背負って姿を見せた。
二代目『魔導師』エレオノールを前にして、リザは勝利の可能性を引き寄せようとする。
エレオノールは勝利を手にしようとしていた。
生み出された黒い球体が彼女の手を離れ、下へと落ちて行く。凄まじい引力が周囲を捻じ曲げる。空間が歪み、塵が闇に飲み込まれ、更に膨張しながら落下していく。
膨れ上がる球体に飲み込まれれば最後、脱出は不可能。まさにブラックホールを地上に落とすような魔法だった。
これはエレオノールが扱える魔法の中で最大級の威力を擁するのと同時に、精神力の消費量も最大である。一発放つだけで保有する精神力の半分以上を消費するこの魔法を続けて放つ余裕はない。
だけど、シアラの目論見とは違い、エレオノールはこの魔法を放ってもなお、上級魔法を数発放つ余裕を残していた。なぜならこの後に避難民を乗せた船を襲撃するつもりなのだ。
彼女の整えた舞台から生きて降りる事は許さない。見せしめの意味を込めて、派手に潰すつもりだった。
それゆえ、これ以上無駄な精神力の消費を嫌って、切り札を出した。
糸による感知も乱れるほどの引力。エレオノールは魔法の影響から逃れられる位置に陣取り、全てが飲み込まれるのを待っていた。
光を無くした彼女でも、《ディメンション》がこれ以上ないほど膨張し、それが一気に収束して弾けたのを感じた。
ドレスの裾がはためき、黒い球体は世界を抉りとった。
それを確認しようと糸からの情報を受け取ったエレオノールは―――奇妙な現象に直面する。
自分の足元。
軍船があった付近を包み込むように海水が持ち上がり、ドームのような曲面を描いていた。海水からは途方もない魔力の塊を感じた。
―――それは精霊の気配によく似ていた。
「精霊魔法!? 一体、誰が、何時の間に!?」
衝撃的な光景を前に狼狽するエレオノール。すると、球体の一部が盛り上がり、人のような形を生み出した。そこから弾んだ声が響く。
「初めて呼ばれたって言うのに、呼んだのがあの子じゃないなんて、失礼しちゃうわよ」
幼い少女の形をした精霊はどこか怒っているのか、つっけんどんな口調で言う。
「それにあの子も変な病気に掛かっちゃっておかしくなってるし。本当に頭にくるわ。……でもね」
ぞくり、と。エレオノールは背筋にうすら寒い物を感じた。
超級精霊ミヅハノメ。その末端であり中核でもある矛盾した存在ハヅミ。自らをエトネの守護者と自負する彼女は殺意を持って告げた。
「あの子を酷い目に合わせた元凶を倒すためなら、喜んで手を貸してあげるわ。だから、決めなさい、人間」
言葉と共に、ドームの天井が二つに分かれ、中から隠されていた軍船が姿を現した。威風堂々とした姿に曇りは無く、どこも破損していない。
その頂点。
船のマストの上に金髪をなびかせた少女が佇んでいた。少女はロングソードを構えて、ただ一言。
「行きます! 《超短文・超級・全力全開!》」
赤色の指輪に込められた魔法を発動した。途端に膨大な力の奔流が少女の四肢に流れ込み、少女のステータスを増幅した。
それが合図だった。
すり鉢状にへこんだ海面が一気に持ちあがり、下から突き上げを受けて船は浮上する。エレオノールとの距離を縮めたリザは技能を発動させる。
「《この身は、一陣の風と為る》!」
瞬間、圧縮された風が解放され、少女の体は空を駆けた。
海面の上昇と技能の発動によって、あっという間に、エレオノールよりも高い位置に駆け上がった少女はロングソードの切っ先を少女に向け、新式魔法を唱えた。
「《超短文・低級・形状変化》!」
光と共に剣の大きさが巨大化した。それは大剣というよりも、巨人が持つにふさわしい剣まで膨れ上がった。今までにないほどの巨大化だが肉体強化を受けたリザなら扱う事が出来る。柱のような太さになった柄にしがみ付き、右足に残した暴風を解放すると同時に、この技の名前を叫んだ。
「届け、飛翔穿!」
圧縮された暴風が、リザと巨人の剣を加速して打ちだした。一つの塊となって、エレオノールに迫った。その流れを、糸を通して感知していたエレオノールは退避行動をとりつつ魔法を放とうとする。
だけど、海面から伸びた水柱が、エレオノールの逃げ場を奪う。
「これはおまけよ」
ハヅミが消える直前に呟いたのをリザは微かに聞こえた気がした。
それに礼を抱きつつ、飛翔穿がエレオノールを直撃し―――二人は一筋の流星のように海面に激突した。衝撃の凄まじさを物語るように水柱が天にも届きそうなほど伸びた。
リザの勝利と―――敗北が決まった瞬間だった。
『聞こえますか、レイ殿』
「ええ! 聞こえます!」
アスタルテを走らせるダリーシャスにしがみ付いていたレイに従者が《伝声》で連絡を取ったのは激しい音が響いてからしばらく経ってからだ。
その間、どれだけレイが《伝声》を送っても何の反応も無かった。
ようやく北の港に付く頃になって、従者から連絡が来たのだ。
「そっちの状況は!? レティ達は!? 船は!? リザは!? どうなっているんですか」
「落ち着け、レイ」『落ち着いてください』
ダリーシャスと従者。双方から窘められてしまう。従者は静かな口調で連絡が遅くなったことを詫び、
『船は無事です。また、エレオノールを撃退した上で、此方に死者並びに怪我人はいません。……ですが、無事とはいえません』
「……それはどういう意味なんですか」
不吉な予感が胸を締め付ける。それの予感は正しいと証明するように従者は告げた。
『エリザベートは《アニマ・フォール》に感染しました』
読んで下さって、ありがとうございます。




