6-67 歪んだ嗜好
『使用不可』。
レイがこの表記を見るのは二度目で、その意味を正確に理解しているとは言い難い。読んで字のごとく、技能が使えないのだろうとしか推測できていない。
それを確かめるためには死ななければならない。
だが、推測が正しければ、戻ってくることはできない。なぜなら、『使用不可』となっているのは《トライ&エラー》なのだから。
(《トライ&エラー》がダメになるのは分かっていたけど、《トライ&エラー・グレートディバイド》の方もダメになるのか。そうそう都合良いようにはならないか)
《グレートディバイド》の方は《トライ&エラー》からの派生である以上、大本が使えなくなればこちらも使えなくなるのは納得がいく話でもある。
ここに来て、レイは最大の切り札を失った事になる。エレオノールという悪魔じみた存在を相手に、やり直すという選択肢は無くなった。
それに、状況の過酷さはファルナ救出時よりも上だ。
ファルナの時は、レイは一人だった。仲間らしい仲間がおらず、対等契約を結んだ戦奴隷も居なかった。
だけど、いまは違う。
レイには《ミクリヤ》の四人が居る。それにダリーシャスも。
彼らだけでは無い。オルタナやジェロニモなど世話になった人もいる。彼らが大怪我を負ったり、死んだりしても死に戻る事はできない。
対等契約を結んだリザとシアラが死ねば、レイも契約に従って死んでしまう。
(こいつは早まったかな……自殺するの。もしかしたら、自殺以外の選択肢があったかもしれないな)
例えば、ヒーラーが自分を眠らせようとするのを抵抗したり、あるいはヒーラーを説得するといった選択肢があったかもしれない。もしかしたら、セーブポイントが出来る前に治療が終わり、改めて死に戻りを発動できたかもしれない。
だけど、それは可能性に過ぎない。
あったかもしれないというイフの話だ。
そこに仲間の命を賭ける訳にはいかない。
あと十時間前後で《アニマ・フォール》感染者の魂の変質は完了する。真夜中を過ぎれば、レティを始めとした感染者は元に戻せなくなってしまう。なにより、エレオノールのこのままにしておくわけにはいかない。彼女はこの先、さらに大きな悲劇を起こす存在だ。超級魔法を扱う彼女を、誰も死なせずに倒さなくちゃいけない。
状況は最悪といえた。
でも、この状況に繋がった判断を間違えたとはレイは思っていなかった。
レティとエトネを殺されてしまった以上、レイにとれた選択肢はあれしかなかった。
そして、選んでしまった以上、もう他の道は無い。どれだけ険しく、途切れそうな程細くても、進むしかないのだ。
「だったら。迷っている暇はないな」
「ん? 起きたのか、レイ」
呟きに反応したダリーシャスに返事をせず、レイは《伝声》を唱え、中継役の従者にリザと繋げてもらう。
数秒待たされると、レイの方から声を掛けた。
「リザ、聞こえるかな」
『はい、聞こえます。起きられたのですか、レイ様。体調の方は』
心配そうな少女の声を遮り、レイはダリーシャスに聞かれないように小声で、端的に告げた。
「《トライ&エラー》が使えなくなった」
『……あぁ。……そう、なのですか』
リザはどういう意味かと返さなかった。これだけで何が起きたのかを理解したのだ。
レイが自殺をして《トライ&エラー》を発動したのだと。
《伝声》の精度は高く、リザの息を呑む声すら正確に聞き取れた。傍に居るダリーシャスが怪訝そうな顔をしているが、説明をしている余裕はない。
レイは必要な情報を伝える。
「いいかい、リザ。エレオノールのこれからの行動を教える。多分、位置的に君が一番近いはずだ。僕やシアラじゃ、くい止める事はできない」
『……わ、分かりました』
返事だけでも、緊迫した様子が手に取るようにわかる。レイは前回の記憶を正確に思い出しながら伝える。ここを間違えれば、本当に取り返しがつかなくなる。
「あと三十分ぐらいすると、避難民を乗せた船が出港する。エレオノールはそれを潰そうと、北の方角に出現する。その時、どういう訳か、僕らの軍船から先に襲撃するんだ」
『私達の乗っていた軍船も標的という事ですか』
「うん。逆に言えば、軍船に居れば、アイツの先手を取れる。リザ、君はいま、北の桟橋近くにいるんだよね。他には誰かいるの」
『はい。私の他には従者殿が一緒に』
レイは判断に迷った。このまま、従者を、つまりジョゼフィーヌ側の人間をエレオノールと接触させてもいいのかどうか。エレオノールがレティの事や契約について知っていた口ぶりからすると、ジョゼフィーヌからレイについての情報を仕入れたのだろう。
味方すると言っておきながらこの行動。ウージアの女帝は一筋縄どころではない。従者とエレオノールを接触させるのは危ないのではないかと思う。
だけど、リザ一人ではエレオノールに勝てないのも明らかだ。シアラは南西の何処か。レイは南東にいるいま、北のリザへの救援は間に合わない。
レイは苦渋の決断を下した。
「なら、従者と共に軍船に行ってくれ。彼女と協力して、エレオノールを……止めてくれ。アイツの狙いは……レティとエトネなんだ」
『……分かりました』
リザはどうしてとは尋ねなかった。レイの緊迫した、そして自殺したという理由からそれほど追い詰められたのだとだけ理解して、覚悟を胸に宿して答えた。
『絶対に、生きて戻ります。そして、エレオノールから《アニマ・フォール》の治療法を聞きだしてみせます』
「ああ、それなら……」
大丈夫だ。自殺する前にエレオノールのから詠唱を聞きだせたと続けようとしてある事に気が付いてしまった。
エレオノールという悪意の塊。彼女の嗜好や行動からやりかねない行動。いや、エレオノールならして当然な行動。
それに気が付いてしまった以上、その可能性を無視することはできない。
不自然に口籠ったレイに対してリザが不思議そうに尋ねるまで、レイは呼吸をする事も忘れていた。
「……いや。何でもない。……それと、シアラにもこの情報を共有してくれ。彼女なら、エレオノールに対する作戦も思いついているかもしれない」
分かったとリザは返事をした。レイは自分の中にある疑念を口に出せずにいた。余計な情報はリザを逆に混乱させかねない。
「僕も、そっちに向かう。だから、あまり無茶な行動はしないでくれよ」
『レイ様がそれを言いますか』
「いつも心配かけて、面目次第もありません。……でも、本当に気を付けてくれよ。何なら、二人を連れて軍船を降りるという選択肢もあるんだから」
返事は無かったが、リザの苦笑したような声が聞こえ、それがぷっつりと途絶えた。そして、すぐさま従者の平坦な声が飛び込んできた。
『失礼。エリザベートの方から協力を要請されたのですが』
「僕からもお願いします。エレオノールが軍船に向かったという情報が飛び込んできたんです。リザと共に向かってほしいんです」
『……了解いたしました。それでは、また』
従者の冷淡な声は響かなくなった。レイは嫌な胸騒ぎを感じつつ、起き上がろうとする。だけど、自殺からの死に戻りのイタミがまだ残っているのか、上体を支えていた腕が力を無くしてしまう。
「おっと。まだ、無茶はするな」
床に落ちそうになったレイを支えたのはダリーシャスだった。彼はレイを寝かそうとするが、レイはそれを拒んだ。
力の入らない手で、ダリーシャスを掴んだ。
「行かせてくれ。頼む」
「おいおい。こんなに疲弊している奴を何処に連れていけというんだ。何があったか分からんが、足手まといにしかならんぞ」
「それでも、行かなくちゃいけないんだ」
ダリーシャスは無言でレイを見下ろすと、大きなため息を吐いた。これまでの付き合いで、こうなった時のレイの頑固さは理解していた。
レイの脇に自分の体を入れると、一気に持ち上げた。ダリーシャスの肩を借りて立つレイの足は力なく、引きずるようにしか進まない。
「とりあえず、アスタルテの所までは連れてってやる。それで、俺の後ろにしがみ付けるようならどこにでも連れてってやる。無理そうなら、また寝てもらうからな」
「……ありがと、ダリーシャス」
「礼はいらんから、ちったぁ自分の足で歩け。重いんだよ、其方!」
文句を言いながらもレイを懸命に運ぼうとするダリーシャス。レイはそんな彼に心の中でもう一度礼を言う。
狭い室内。《伝声》の声はレイの分だけなら聞こえていたはずだ。ダリーシャスは聞きたいことがいくらでもあるはずなのだ。
それなのに、質問を堪えて、自分を連れて行こうとするダリーシャスに礼を言う。
エレオノールは盲目だ。
生まれた直後に、産みの母によって目を焼かれてしまった。古傷の為、いまからでは治療も不可能と自分で判断を下した時から、彼女は戦闘スタイルを変えた。
これまでは遠距離からの魔法による戦場の制圧。そして残敵の掃討を自分が作った死体を操る事で済ませて来た。それこそ、戦場に姿を見せずとも、勝利を手に出来ていた。
だけど、糸の使い方が戦闘よりも周囲の感知に配分を多くしたことによって、自分が直接現場に出向く必要に迫られたのだ。いまも、桟橋から出港する船を襲うべく、空を飛びながら情報収集に勤しむ。
手にした日傘をくるくるとまわすと、傘の先端から幾重にも伸びた糸がアクアウルプス全域の状況をエレオノールに教える。
今の彼女は糸が収集した情報を元に、アクアウルプスの全景を脳内で立体的に想像できる。流石に人の顔などの細かい所までは素手で触れなければ判別できないが、おおよその体格や武器なども立体的に捉えられる。
しかし、これにも欠点がある。
正確な立体的なイメージを作るには膨大な情報とそれを処理する頭脳が必要になるのだ。近距離、それも数の少ない相手なら情報収集と分析と処理を行いながら、糸を武器として扱う余裕もある。
だけど、街全体を把握しようとしている今の彼女に、戦闘をする余裕なんて無かった。糸から送られる情報を分析するので手一杯だった。
(ふむ。同時刻に東西南北全ての港から船を出向させて生存率を上げようとしているのか。どこか一つが襲われていても、他の港は無事で、更に全員を一度に逃がすのではなく、初回は様子見として死んでもいい人間だけを優先的に乗せて危険度の調査も兼ねていると)
評議会の立てた避難計画の裏の裏まで知り得たエレオノールは薄く微笑んだ。
(中々合理的な作戦だ。人の生存本能。それが如実に表れている。うん、悪くない)
ある種、醜いと思える行動をエレオノールは称賛した。彼女は生きようともがく人間の行動に美しさを覚える嗜好があった。
それだからこそ。
(弄した小細工が粉微塵になるのを目の当たりにしたら、絶望に心が折れるのか。それともさらに足掻いてくれるのかな。ふふ、楽しみだなぁ)
歪んだ嗜好に邪悪な笑みを浮かべた。
そんな時だった。都市全域に張り巡らせた糸から一つの情報が届いたのは。それは正確には都市の方では無く、防波堤に囲われた内海の方だった。
出港している最中の避難船とは別に、幾つか船舶が錨を降ろしていた。それは真夜中に起きた異変から船で逃げようとした者達だ。急な出港で、長距離を移動できず、かといって港に戻ろうともせずに成り行きを見守っている日和見主義。
エレオノールはそれらからも情報を収集しており、ある船に興味を引かれたのだ。
何処かの国の、威風堂々とした軍船。船長の指揮下に居る船員たちは不安を律し、平常を保っている。そんな船の中にどういう訳か、感染者が二人、拘束された状態で転がっているのだ。普通なら船という閉鎖空間で、こんな危ない事はしない。更なる情報を汲み取り、そしてエレオノールは理解した。
この船に乗っている感染者。その片割れが戦奴隷だという事に。
「あっはっはっはっはっ。成程、この子か。レイの仲間は。ふふ、こんな所に居たのか。さてさて、何か使えないかな」
宙に浮かんだまま、日傘をくるくるとまわす少女の行動は、傍から見ると幼気な姿だが、邪悪に微笑む口元が全てを無駄にする。そして、エレオノールは悪魔的な閃きを思いついた。
「そうだ! 彼の前で、彼女を回復してあげよう。その代り、彼を操って、奴隷契約を破棄させた上で、回復した仲間を殺してあげよう。ああ、ぞくぞくする。元に戻った仲間が死ぬ所を目の当たりにするレイ。でもね、ぼくは信じているよ。君なら、そこから立ち上がって、ぼくの前に現れてくれるって!」
上気させた頬。唇の端から涎が流れ落ちた。
邪悪な妄想を堪能したエレオノールは正気に戻ったのか、飛ばしていた糸を一つ以外全て断ち切った。残ったのは、軍船ただ一つ。
空中に浮かんでいた少女の体が傾き、前へ前へと突き進んだ。
そして、少女はシュウ王国海軍の船へと降り立った。
奇妙な事に、甲板には船員の姿は無かった。見張り台にも、マストにも誰も居ない。
だけど、事前に糸から情報を得ていたエレオノールは驚くことなく、自分を待っていた存在へと声を掛けた。
「君も生きていたんだ、剣士さん。君も《ミクリヤ》所属ということでいいのかな?」
船員が居ない甲板には女が二人、エレオノールを待ち構えていた。
二人とも、戦闘には似つかわしくない燕尾服を身に纏い、片方はそれの上に防具を身に付けていた。金髪をなびかせた少女がロングソードを引き抜いてエレオノールに突きつけた。
「《ミクリヤ》所属、エリザベート。エレオノール、貴女を倒して、《アニマ・フォール》の治療方法を教えてもらいます」
リザから放たれた強い気迫にエリザベートは悠然と笑った。
「二代目『魔導師』エレオノール。エリザベート、君もレイの戦奴隷なんだろ。だったら、君でも構わないかな。彼の前で、死んでくれるかな?」
返事の代わりと言わんばかりに、リザは甲板を蹴った。
読んで下さって、ありがとうございます。




