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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第6章 水の都
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6-66 二度目の決断

 鼻歌をするほど上機嫌なエレオノールに、何が起きているのか分からず混乱するレティ。そして、脊髄に突き刺された糸のせいで身動きの取れなくなったレイ。


 どう考えても手詰まりな状況なのだが、意外な事に有利なのはレイの方だ。


 四肢を拘束され、レティが敵の手に落ち、エトネの行方は分からず、リザとシアラも居ないという四面楚歌な状況でも《トライ&エラー》を持つレイなら、有利といえた。


 死ねば、時を巻き戻して、やり直す事が出来る。


 直前のセーブポイントは、無人の住宅だ。あそこで目覚めてからエレオノールが船を襲うまでしばらく時間がある。その間に上手く人員を配置できれば軍船を守る事が出来る。


 その上、《アニマ・フォール・リジェネ》の詠唱を知る事が出来たのが大きい。この情報をシアラか、あるいはこの街にいる魔法使いの誰かに伝えれば、感染者を元に戻す事が出来る。


 レティが敵の手に落ちているのも、ある意味有利といえた。


 彼女の死が対等契約によって繋がっているレイにも死を与える。この状況でどちらが死んでも、《トライ&エラー》を発動できるのだ。そう考えると、《アニマ・フォール》が解除されたのも幸運といえた。感染者は死ぬことが出来ないのだから。


 なのに。


 レイの胃は泥を詰められたかのような不快感に覆われ、背中を流れる汗は冷たい。この状況がちっとも有利だとは思えないでいた。


 目元を隠したエレオノールの、口だけの凄惨な笑みが、これから起きる何かを予言していた。


「レティを……離せ。……彼女に……何かするなら、まず……僕に……しろ」


 体の主導権を奪われたレイは、声を絞り出すのが限界だ。それ以外、指先一つ動かす事もままならない。


 だけど、事情を知らないレティは必死の形相で、


「ご主人さま! あたしの事は良いから逃げて!」


 と、主の身を案じて叫んだ。


「逃げられるわけ……ないだろ。折角、元に……戻ったんだ」


 レイは意識と切り離された四肢に力を入れようと懸命に集中する。だけど、自分の体との繋がりを断ち切られたかのように、ピクリとも動かなかった。そんなレイに対してレティは逃げるように、見捨てるようにと懇願していた。すると、レティを縛る繭が絞られ、レティの口から悲鳴が上がった。


 エレオノールは耳の後ろに手を当て、うっとりとした表情で聞き入る。


「いい声だ。若いと言うだけで、声に艶と張りがある。もっとも、年老いた悲鳴というのも、あれはあれで乙なものだよ。ダメなのは、醜く太った悲鳴だ。脂肪で喉が潰れていたら、本当に豚の鳴き声にしか聞こえない」


「そんな……通ぶった……批評に……興味……無い。レティ……を離せ!」


「断る。それじゃ、ぼくがこの状況を作り出した意味が無くなるだろう」


 エレオノールの意図がレイには分からなかった。彼女は何をしようとしているのか。ただ、ひたすらに悪寒が虫のように全身を這いずり回っていた。


「ふむ。随分と時間を費やしてしまったかな。あまり楽しみ過ぎると、増援が来てしまう」


 誰かに向けたのではなく、独り言のように呟いたエレオノールは更に指を動かした。すると、レイの首筋に突き刺さった糸が、さらに奥へと侵入を果たそうとする。


 激痛がレイを襲う。視界が点滅し、脳が爆発したかのような衝撃を味わった。


「ぐううう、おおおおお! がああああああ!!」


 獣じみた絶叫がレイの口から吐き出される。四肢が地面に縫い付けられたように動かないのは変わらないのだが、表情が歪み、脂汗が滲んでいた。


「ご主人さま? ねえ、ご主人さま! あんた、ご主人さまに何してんのよ!!」


 尋常じゃないレイの様子にレティは気色ばんだ。首から下を繭のように固められているため、首だけを後ろに回してエレオノールに怒声を浴びせた。


 もっとも、少女の怒声に怯む悪魔エレオノールではない。彼女はさらりと、


「うん? 何って、肉体の主導権を奪おうとしているのさ。さっきまでのとは違い、もっと奥深くにまで這入りこむのさ」


 と、手の内を明らかにした。意味の分からないレティに対して、エレオノールは得意げに己が能力を明かした。


「この糸は、ぼくの神経を培養した疑似神経。皮膚を貫通して、ぼくの神経と接続してあるんだ。御覧の通り、ぼくは目が見えない。それで、この糸と神経を繋げることで周りの状況を立体的に捉えることができるんだ」


 レティにはエレオノールの説明が分からない。だけど、何か人の範疇から外れたことを平気でしているんだという悍ましさだけは伝わった。


 エレオノールも理解してもらうつもりがないのか、一方的に話す。


「糸の使い道は他にもあって、肉体操作はその一つさ。他者の体。神経中枢に糸を突き刺す事で、相手の体を自分の手足のように動かす事が出来るようになるんだ。もっとも、生きた肉体は本人の抵抗力しだいであんまり自由自在とはいかない。その点死体は、自由に使えるから便利かな」


「あなた……最低ね」


 レティの言葉に、エレオノールは満面の笑みを浮かべて返した。その間も、レイは咆哮のような苦悶の声をあげ、体の内側から発生する逃れられない痛みに耐えていた。


 なにしろ、神経を侵食されているのだ。


 その痛みはこれまでの激痛をはるかに超え、それだけでショック死しかねないほどだった。しかし、エレオノールがその痛みを、糸を通じて認識し、自分に流れ込むように調節する。脳が堪えきれない痛みの量を引き受けていたのだ。


 彼女が生者を操るのに消極的な理由は、痛みを分かち合わないとすぐに死んでしまうからだった。特に、鍛えた冒険者などは抵抗力が強く、その分痛みの度合いが高くなる。


 だけど、エレオノールはそうまでしてもレイを操りたい理由があった。


「あっはっはっは! この痛みすら、この後を思えば、安い先行投資さ!」


 不可思議な光景だ。一人は四肢を動かす事もままならず見えない痛みに呻き、一人は首から下を繭のように押さえられ、一人は身を捩るほどの痛みを感じながら歓喜の笑みを浮かべていた。


 それも終わりを迎える。


 レイの叫びが止まったのだ。


 まるで死んだかのように地面に頭を叩きつけた後、レイは一言も発さなくなった。同時にエレオノールの体も動きを止め、だらりと両腕を垂らす。それでもレティを縛る拘束は外れていない。


 先に動いたのはエレオノールだった。


 彼女は顔を上げると、口の端から流れる涎を強引にふき取ると、勝利を告げた。


「これで、レイの体はぼくの支配下さ。生かすも殺すも、ぼくの自由さ」


 だけど、と一言間を置いてから、エレオノールは続けた。


「君は殺さないよ。その方が、面白い」






(どうなっているんだ、これは)


 レイは不思議な状況に陥っていた。視界は地面を向いたまま固定され、微かに揺れるのはうつ伏せで呼吸しているせいだろう。


 自分は生きている。


 生きているのに、肉体から追い出されたのだ。


 先程までは、まだ喋る事も出来たし、嗅覚や触覚を始めとした五感を感じる事も出来た。それなのに、いまでは何一つ、感じる事が出来ない。魂だけの状態だと言われたら、納得できてしまう。


 唯一、視界だけが内側から覗くことが出来る。


(これが、体を乗っ取られると言う事か)


 信じ難いが、現実として起きている以上信じるしかない。


 すると突然、視界が大きく揺れた。数秒遅れてから、自分が起き上がり、立ち上がったのだと気が付いた。だが、それも一瞬の事で、またしても視界が大きく揺れ、レイの体は後ろへと倒れてしまう。尻餅をついた体は首を支えられず、視界が逆さまの世界を映し出す。


「うーん。やっぱり、冒険者を操るのは難しいな。特に男の子の体は全く別物だ。上手く行かないな」


「だったら、早くご主人さまを解放しなさいよ」


 困った風に呟くエレオノールにレティが噛みつくのが聞こえた。ただ、その声も奇妙に反響しており、距離感が掴めない。


「まあ、動かしたい部位が違うから、この際それはどうでもいい事なんだけどね」


 エレオノールの声に反応して、頭が動く。天地がまともになった視界に二人の姿が写る。レティは繭に拘束されたままだ。


「さてと。あーあ。ううん、あーあーあー」


 突然、エレオノールが声を上げ始めた。自分の喉を触り、何か発声練習のように意味のない単語を繰り返した。


 ―――それはまさに発声練習だった。


「これで……繋がったかな」


「……ええ?」(どういうことだ!?)


 レティが声に出して驚き、レイは声もなく驚いた。


 なぜなら、エレオノールの声がレイの口から出てきたのだ。


「糸電話って知っているかな。まあ、関単に言えば、声の振動を、糸を通して送り込むんだけど、ぼくの糸なら声帯を操る事も出来るんだ。だからほら、御覧の通り、レイの声にもできる」


 掠れた少女の声が後半になると少年の声と変わっていくのを目の当たりにして、レティは驚きを通り越して呆れてもいた。


 その技術が何になるんだと首を捻る。


 だけど。


(最悪だ。最悪だ。最悪だ! コイツ、そういう事か。それが狙いなのか!!)


 レイはエレオノールの思考が読めた。


 読めてしまった。どうしてこんな七面倒な事をしているのか。どうしてエトネではなくレティを連れて来たのか。どうしてレティの《アニマ・フォール》を治したのか。


 固定された視界の中で薄気味悪い笑みを浮かべる少女の悪魔的な思いつきにレイは戦慄と同時に激しい嫌悪感を抱く。


 その発想が出来るエレオノールを。そしてその発想に至った自分に嫌悪する。


(こんなやり方、思いつく方がどうかしている! やろうとする奴はどうかしている! くそっ!!)


 彼は体の主導権を取り戻そうとするが、エレオノールはそれをあざ笑うかのように告げた。


「《奴隷契約書ギアスロール・オープン》」


 言葉と共に、古びた羊皮紙が一枚、レイの右手から飛び出し、宙を舞った。レティの翠色の瞳が驚きと恐怖から引き絞られる中、エレオノールの操り人形となったレイはその羊皮紙を掴んだ。


 そして、


(やめろぉおおおおおおおお!)


 叫ぶ意思とは裏腹に、レイの口からエレオノールの悪意が零れた。


「《奴隷契約書ギアスロール・デストラクション》」


 瞬間、世界が停止したかのように思えた。しかし、それはレイの祈りから来る錯覚に過ぎない。世界は止まらず、握られた羊皮紙が震え出した。その震えは収まるどころか、自分が破けるまで震えてもなお止まることは無く、切れ目が縦横無尽に走る。


 最後には、風に吹かれて何もかもが千切れて消えた。


 同時に、レイと三人の戦奴隷を縛る契約が千切れた。心臓とは別の、魂で繋がれていたけいやくが消えて行く。レティも同じのを感じたのか、言葉にならない悲鳴を上げた。


 それを満足そうに堪能するエレオノールが呟いた。


「ああ、これで契約は消えた。奴隷と主。天秤に乗せられた両者の釣り合いは均等だったが、天秤自体が無くなったんだ。喜びな、レイ。君は仲間の死を看取る事が出来るようになったよ」


 どこまでも優しく、穏やかに、慈しむかのように放たれた言葉は、これ以上ない悪意に模られていた。


 それを証明するかのようにエレオノールが再度大鎌を生み出す。糸を幾絵に編み込んだそれの刃先は鋭く、人の体を容易く裂くだろう。


 そして、レイの前でゆっくりとレティの体が繭ごと起き上がり立たされる。


(やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、止めてくれ!)


「嫌だよ」


 エレオノールは残酷に言うと、大鎌を振るい、刃先が繭を貫いた。


 ぽたり、ぽたりと。繭を貫通した刃先から赤い血が雫となって落ちた。


 レティの体を貫いた刃は、赤い血を吸って徐々に真紅に染まる。すると、それが突然はらりと解け、血が噴き出した。大鎌が栓の代わりをしていたのだろう。それが無くなった分、血は流れ出した。


 同時に彼女を拘束していた繭も解け、レティの体は自分の流した血の海に沈んだ。際限なく流れる血の量は、果たしてこの少女のどこに収まっていたのか。


「ご……しゅ……じん……さま。にげ……て」


(レティイイイイ!)


 崩れ落ちて、力無く呟くレティに向けて、レイは必死に叫んだ。だけど、その叫びは声にならず、自分の中にしか響かない。肉体を掌握されているレイに許されるのは思考だけだった。


 対等契約を解除されたことで、レティが死んでもレイは死ぬことができない。


 エレオノールの目的はこれだったのだ。


 助けようと必死になっていた仲間をレイの目の前で殺す。ただそれだけの為に、彼女はこの状況を作り出した。


 現に、細い少女は身を捩って哄笑を上げていた。


「あっはっはっはっはっはっは! 身動きの取れない主に、死にゆく元奴隷。二人の距離は近いのに、まるで世界が引き裂かれたかのように届かない。なんて悲劇的なんだ! 糸を通じて、君の深い絶望が、慟哭が、狂乱が伝わって来るよ。ああ、最高だとも、レイ! 君は最高だ!!」


 声は喜色に満ち、これ以上ないほど楽しんでいるのがレイにも伝わる。その分、レイの中で殺意は純度を増していく。


 だけど、いまはエレオノールに構っている暇はない。レイは必死になって自分の体の主導権を取り戻そうとする。指先一つ動かないのは承知だ。だから、口だけでも、言葉だけでも取り返そうとする。


 愉悦に笑うエレオノールとか細い可能性に向かってもがくレイ。両者の心理が一つの隙と奇跡を生んだ。


「―――あ――――ああ。ああああ! 紫電流!」


 言葉と共に、レイの全身を雷が走った。鞘に収まったままのバジリスクのダガーが雷を発生させたのだ。一瞬でレイの体を雷が包み込むと、脊髄に突き刺さっていた糸が電流を浴びて焼き切れる。


 途端に、レイの体が意識と重なる。失われた五感が収まるべきところに収まり、同時にレイの怒りが全身を覆う。


「へぇ。凄いや。まさか自力で脱出するなんて」


 感心したような呟きと共に、三度エレオノールの手元に大鎌が生まれた。ただし、今度は銀色では無い。真っ赤なルビーのような光沢を放つ真紅の大鎌だ。何で染めたのかは考えるまでもない。それが余計にレイの怒りに拍車をかけた。


「そこをどけぇえええええ! エレオノール!」


 レイは腰に差してあるダガーを引き抜いた。右手で逆手に構え、エレオノールの懐に飛び込もうとする。だけど、エレオノールはそれを許さないとばかりに大鎌を振るった。


 大鎌とダガーが何度も交錯する。


 間合いでは大鎌。攻撃の回転速度ではレイの方が上だ。


 攻撃が弾かれるたびに、レイは角度を、立ち位置を、タイミングを変えてみるも、それら全てを撃ち落す。


 大鎌の間合いより内側に行かせまいと、鉄壁の防御陣を敷いている。レイは距離を離すべく下がる振りをして、後方に突き刺さっているコウエンを目指した。


 だが、エレオノールはそれを読んでいたかのようにレイの足首を糸で縛る。地面に腹這いに倒れるレイは振り向くと、エレオノールの背後に巨大な氷柱が幾つも展開されている事に気が付いた。


 歪な先端が全て自分に向き、放たれた。


 レイは氷柱に向けて紫電を飛ばす。牙の形をした雷は二つ。それがレイの限界で、氷柱の向きを変えるのが限界だ。自分の周囲に氷柱が何本も突き刺さるが、どうにか躱すことに成功した―――はずだった。


 エレオノールがもう一本、特大の氷柱を生み出した。それが本命だと言わんばかりに、氷柱が放たれた。あれを電撃で逸らすのは不可能と判断するなり、足首の糸を切り離し脱出しようとする。だけどレイの周囲は氷柱の壁で塞がれていた。


 先の攻撃はレイの退路を奪うための攻撃だったのだ。


「なら、《砕―――》」


 戦技を発動して逃げ道を作ろうとしたレイの背中に、巨大な氷柱が突き刺さる。衝撃で集中が掻き乱される。氷柱はレイの体を貫けずにいた。なぜなら、氷柱を受け止めるように盾のようなものが展開されていた。


 ニコラスの作りし胸当てには《耐久》の加護が付いている。この加護が切れるまでは物理的に攻撃を加えられることは無い。


 盾を突破しようと氷柱は自重で割れそうなほど強く押す。しだいに盾は輝きを失っていき、ついに互いに弾けてしまう。


 光の盾はバラバラに壊れ、加護を失い、氷柱はひび割れが広がり砕け、数と鋭さを増してレイの背中に突き刺さった。あっという間に、レイはハリネズミのような姿になった。


 防具は砕け、氷柱が血を吸い赤く染まっていく。だけど、致命傷だけは避けていた。何度も死んだ経験から、地面に倒れ伏したレイは、このダメージでは死ぬまでに時間が掛かると予測する。


 すると、レイに突き刺さった氷柱はそのままなのに、周囲の氷柱が消えて行く。代わりにエレオノールが優雅な足取りでレイの正面に姿を現した。


「あっはっは。随分と珍妙な姿になったようだ。昔、そんな動物を見たような気がするよ」


 口元に嘲りの笑みを浮かべる少女を無視し、レイは後ろを振り返ろうとした。レティの方へと地面を這ってでも行こうとした。


 それを読んだかのようにエレオノールは糸を手繰り寄せる。


「お探しの者はこれかな」


 地面に影が出来たと思ったら、そこにどさりと音を立ててレティが落ちて来た。胸元に空いた傷口から血は出ておらず、堕ちた衝撃で手足がおかしな方向にねじ曲がっているというのに、レティは何も言わない。ガラス玉のような瞳があらぬ方向を向いている。


 それはつまり。


「おや、残念だな。もう死んでいるようだね」


 エレオノールが残酷な事実を突きつけた。レイは一瞬だが、痛覚を忘れて横に並べられたレティの方を見つめた。彼女のエメラルドグリーンの瞳は光を無くし、半開きの唇から血が溢れていた。


 もう、二度と。その少女が動き出すことは無い。


 喋る事も、笑う事も無い。


「ああああ! エレオノール、お前は、お前だけは絶対に!」


 おかしな話だが、レイは初めて仲間の死というものを本当の意味で味わっていた。初めて、リザが死んだ時。その死を捉える前にレイは対等契約によって死んだ。ナリンザの死は目が覚めてから知らされたことで、現実の物とは思えなかった。


 だけど、いま目の前で、レティが死んだ。それは紛れもなく現実の光景で、例えようのない悲しみと怒りが込み上げてきた。


「あっはっはっはっはっはっは! いいね、いいよ。ぞくぞくするよ、その怒り。目が見えないぼくでも、君の怒りが伝わって来るよ!」


 狂ったように笑うエレオノールだったが、何かに気が付いたようにあらぬ方向を向いた。盲目の彼女には糸による感知で遠くの光景を近くに捉える事が出来る。


 レイは気が付いていないが、集団で近づく者達が居る。エレオノールにとっては取るに足りない存在だが、わざわざ相手をする必要はない。


「残念だ。無粋な輩がやって来たようだね。いまはここまで。お開きとさせてもらうよ」


 エレオノールはどこからか日傘を取り出すと、ふわりと浮き上がった。腹に手を当て腰を折ると優雅に一礼し、


「しばしのお別れだ。今は君の命を取らないであげよう。君みたいな人間はね、自分の命を奪われる事よりも、仲間の命を奪われることの方がずっと耐えがたい苦痛のはずさ」


 断定的な口調でエレオノールは告げた。


「君は、自身の命に価値を見出していない。そんな奴の命を奪った所で、楽しくない。だから、君の周りを殺す。次は剣士の子か、あるいは魔法使いの子を殺すと予告するよ」


「……ふざけるな。そんなこと、絶対に、させない。その前に、お前を殺す」


「あっはっは。―――強がるなよ。もう、君は仲間の命をも奪われたんだからね」


 二人という言葉にレイの思考が硬直した。すでに空高く飛んでいるエレオノールはレイの心に毒を打ち込む。


「軍船に乗っていた感染者のうち、ハーフエルフの少女。彼女も治してあげた上で、きっちりと殺しておいたよ。海に沈んだのは感染者では無く死体なんだ」


「―――エレオノール!!」


「あっはっはっはっはっはっは! またね、レイ。ぼくの暇つぶしのおもちゃ。こんな所で壊れないでくれよ!」


 そのままエレオノールの姿は夏の空へと吸い込まれるように消えて行った。


 代わりに桟橋に姿を現したのは兵士や冒険者、ヒーラーの類だった。逃げ出した避難民たちから暴れている不審者の情報を受け取り、現場に急行したのだ。


 桟橋の向こう、沖に出ていた船が何隻も沈没している状況に言葉を無くしているが、とにかく行動しなくてはならない。正気に戻った男が指示を飛ばす。


「評議会に連絡して、沈んだ船の救難活動に次の避難船を使えるように交渉しろ。それまでは動かせる小舟を使って、要救助者の救出を。それと、あそこにいる怪我人の手当てを。早くしろ」


 指示に従って誰もが動き出し、レイの傍にヒーラーが駆け寄った。


「大丈夫ですか!? 意識はありますか」


「……はい、なん……とか」


 背中にぶすぶすと刺さっている氷柱は幸か不幸か重要な臓器を躱しており、致命傷は無い。かと言って軽傷でも無い。激しい痛みが意識を途切れさせまいと繋いでいた。


 ここで意識を無くせば、次に目が覚めた時にセーブポイントが生まれてしまう。そうなればどれだけ死に戻っても、そのセーブポイントよりも前には戻れない。


 レティとエトネの死が確定してしまう。それだけは何としても回避しなければならない。


 強靭な意思で意識を保ち、回復しだい速やかに死に戻る必要があった。


 ところがだ。


 レイの覚悟を裏切るように、ヒーラーが告げた。


「酷い傷。治療中に動かれたら大変だわ。いま、眠らせるから待ってて」


 ―――それは今のレイにとって、死亡宣告に等しい内容だ。


 レイの傷口は背中の広範囲にわたり、深く及んでいた。回復魔法に置いて、傷口が深かったり、切断された手足を繋げる際、体を不用意に動かされると綺麗に繋がらない場合がある。下手をすれば他の血管や、神経、更には臓器なども巻き込んで二次被害が起きる可能性もある。


 そのため、重症患者の意識を眠らせてから治療を始めるのは一般的な治療手順なのだ。レイを治療しようとするヒーラーはその手順に従っているに過ぎない。


 だけど、杖が抜かれた瞬間、レイは決断した。


 右手に握りしめたダガーを順手に持ち替え、それを首筋に当てた。ヒーラーがレイの行動に気づき何か叫ぶか、少年には構っている余裕はない。


(そういえば、前にした時も、コイツだったな)


 赤龍の体で溶けてしまい、テオドールによって新しく生まれ変わったダガー。その刀身が再び自分の血で染まる。


 首筋を切り裂いた上でレイは用心の為にとさらに奥に刃を突き刺した。


 痛みは感じるが、それを上回る執念で実行した。


 あふれ出した血がレティの体に届きそうなほど広がった時、レイの意識は電源を落としたかのように闇に染まった。



 ×



 無数の黒い粒が全身を這いずり回る。それは蟻のように細い足を動かして皮膚を丘のように登り、牙のような咢で肉を啄む。


 痛みは無い。


 痛みよりも、悍ましさが上回る。


 黒い塊となった全身から血が溢れ、避けた肉から奥へと虫が侵入する。ぐちゃぐちゃと噛まれていく。血管も、神経も。


 だけど、体は再生しようとしてしまう。そのため、虫を体内に入れたまま、皮膚は新しいのが張り直されてしまう。


 すると、新しい虫が全身を這いずり回る。内側と外側。両方から体を食い破られるというのに、痛みよりも悍ましさが先行した。


 自分の肉体を掘り進む虫は探検家の如く、遂に心臓へと辿り着いた。咢が肉を裂き、溢れた血を物ともせずに、彼らは心臓へと乗り込んだ。


 いつしか、心臓が血では無く、虫で満たされた。


 いや、心臓だけでない。再生と捕食と侵入を繰り返された体は虫で埋め尽くされた。肉の上に皮膚があるのではなく、虫の上に皮膚があるため、彼らが動く度に表面がもぞもぞと蠢いた。


 自分という存在の境界線が曖昧になっていく。自分が人なのか、虫の集合体なのか、それさえも判断がつかなくなって、初めて痛みとも悍ましさとも違う、冷たい恐怖を感じる。


 自分が自分では無い何かに変わりつつあるという恐怖。


 果たして、自分は何に変わろうとしているのか。


 レイには分からなかった。



 ×



 ゆっくりと眼を開けた。


 死に戻りのイタミに体が動かせないが、それどころでは無かった。レイは民家の天井に別れを告げるように瞼を閉じて、自分のステータス画面を呼び出した。


 瞼の裏に現れた古ぼけた本。そこから自分のパラメータが乗っているページを開いた。目当ては特殊ユニーク技能スキル


 《トライ&エラー》とそこから派生するように分かれている《トライ&エラー・グレートディバイド》。そのどちらにも大きくバツが張られていた。


 その上にさらに書かれていたのはたった一文。


『使用不可』


 何度見ても、その一文は変わらない。


 ここに来て、レイは最大のアドバンテージを失った。


 だけど、後悔はしない。二人はまだ生きているのだから。


 時が巻き戻った事で無かったことになった歴史。それはレイの記憶にしか存在しない。


「エレオノール。お前は許さない。絶対に、許さない」


 静かにレイは呟いた。


読んで下さって、ありがとうございます。

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