6-65 絶望への治療薬
「ああ、やはり君か。あの禍々しい炎。君の憎悪を形にしたかのようだ。ふふ。そんなにお仲間の事が心配なのかい」
地面に降り立ったエレオノールは日傘を閉じると、それが黒色の液体に溶けてドレスに飲み込まれた。
闇を固めたような衣装を身に纏う姿に変化は無かったが、一点だけ気になる点があった。それは彼女の右手の先にある。
指先から伸びた糸で絡めとっているのか、銀色の繭が彼女の足元に落ちている。大きさはそれこそ人ぐらいだ。その正体に考えを巡らしているレイを遮るようにエレオノールが声を掛けた。
「それで? ぼくを呼んだのはどういう理由なのか、教えてくれないかな、レイ」
「理由なんて、一つしかないだろ。僕の仲間を救う治療法を教えろ。それだけだ」
コウエンを構え、エレオノールの出方を探る。いまの状況でレイに出来る事はリザ達が来るまでの時間稼ぎしかない。エレオノールの魔法攻撃をコウエンで防ぎながら彼女の足を止める。
いつ魔法が放たれても問題ないように刀身が紅蓮の炎に包まれると、エレオノールは予想外の返事をした。
「ああ、分かった。教えてあげよう」
「……はぁ?」
あっさりと。
何でもないように。
エレオノールは《アニマ・フォール》の治療方法を教えると言い出したのだ。レイは予想外の発言に言葉が出なかった。そんなレイを置き去りにエレオノールは話を進めた。
「驚くのも無理ない。だけど、本心さ。《アニマ・フォール》の治療方法を君に教えてあげよう」
「……何を考えているんだ、お前。治療方法を教える代わりに何かを要求する気か。それとも、出鱈目な治療方法を教えて、こっちを落胆させるつもりか」
「ふふ。心外だな。ぼくを信用してくれよ。それに、言葉だけじゃ信じられないと思って、こうして実験体を用意してみたんだ」
エレオノールは足元に落ちている繭に跪き、その一部を破いてみせた。人の大きさの繭から覗かせたのは栗色の髪をした少女の虚ろな表情だった。起きているのか、眠っているのか分からない曖昧な瞳は血走り、薄く空いた口には牙のような歯がちらりと見えた。
軍船に預けていたレティがそこに居た。
「エレオノール! お前!!」
「ここに来る前に拾ってね。おや、もしかして、知り合いだったかな。だったら、すまない事をしたかな」
口元を邪悪に歪めたエレオノールは白々しい口調でレイに謝罪する。
「一緒に居たハーフエルフの少女。彼女は沈んだ軍船と共に海の底だろうね」
「お前! エトネを!」
臓腑が怒りで煮えくり返りそうになった。視界が狭まり、エレオノールに吶喊しようと足が動く。だが、そのレイの怒りに水を浴びせるかのように紅蓮が舞い上がった。
龍刀から飛び出した炎がレイの周囲を壁のように包んだのだ。
『未熟者。攻撃されたことに気が付かんのか』
「どういう意味だよ、コウエン!」
『視野の狭くなった瞳で見てみろ』
促されて炎の壁を見つめると、そこに燃え盛る糸が突き出ているのに気が付いた。それはエレオノールが操る糸だ。
炎が消えると、エレオノールが不満そうに呟いた。
「残念。折角隙だらけだったのに。それにしても凄い武器だね。自動で防御する魔道具なんて聞いた事ない。それに、その炎、まるで竜のブレスのようだ。もしかして、竜の素材からできているのかい」
『正解じゃ、道化師。我が身は赤龍の骨から生み出された一振り。操る炎は赤龍の吐息と心しろ』
「あっはっはっはっ。冗談が上手いね。それに声色を変えての腹話術か。君の方が芸人に向いているんじゃないのかい」
まったく信じていないエレオノールにコウエンは不機嫌そうに唸る。彼女が時間を稼いだ隙にレイは深呼吸を繰り返して頭を冷やした。
(エトネの事をいまは考えるな。それよりもまずはレティだ。彼女を助けないと)
怒りに蓋をしてレイは視界を広くすると、見逃していたことに気が付いた。エレオノールの指から触手のように伸びている銀色の糸が自分に飛びかかろうとしているのを。
レイはコウエンを振るい、それを切り裂いていく。
「冷静になったか。これで少しだけ面倒になったかな」
「どういうつもりだ、エレオノール! 治療方法を話すというのはやっぱり嘘なのか」
「嘘じゃないよ。ただ、それには君に大人しくしてもらいたいだけなんだけど。こうなったら、仕方ない。力づくで動けなくさせてもらうよ」
言うなりエレオノールは銀色の糸を編み込み、一つの形を生み出した。それは銀色の大鎌だ。少女の体格よりも大きなそれをエレオノールは軽々と振るった。刃先が地面を削る。
(糸を編んであんな事もできるのか。……来るっ!)
エレオノールは感触を確かめるように二度三度振るうと、一気に距離を詰めた。
袈裟に振るわれた一撃を躱して、逆に龍刀を袈裟に振るう。エレオノールはレイの一撃を柄で受け止めた。糸で編み込んだはずの大鎌は鋼鉄以上の硬度を持っており、コウエンの刃先を受け止めていた。炎を纏っているというのに延焼しないのは精神力で強化されているのか、あるいは技能を発動しているのか。一つ分かっているのは、この大鎌が普通の大鎌では無い事だ。
エレオノールがつばぜり合いを嫌い、柄の後端を回してレイを突こうとする。その一撃を胸に食らうも、《耐久》の加護によってレイはダメージを受けなかった。むしろ防がれた衝撃でエレオノールの体が後ろへと弾かれた。
すかさず、レイは龍刀を二度三度と振る。奇妙な事に、エレオノールはその攻撃を大鎌の刃でどうにか受け止める事しかできないでいた。
余りにも弱々しく、お世辞にも戦い慣れているとは言えない動きだ。
(なんだ、これは。この素人臭い動きは。これは罠なのか)
一度距離を置いたレイはエレオノールを睨んだ。対象にエレオノールは息切れをしており、大鎌を地面に突き刺して寄りかかっている。数時間前、レイ達を苦しめた姿はそこに無かった。
そもそも、一番奇妙な点は別にある。
「どういうつもりだ、お前。どうして魔法を使って来ないんだ」
「はぁ……はぁ……。こっちにも、事情ってのがあるんだよ。ほっといてくれないかな」
どこか自棄ぱっちな口調でエレオノールは返した。余裕のない姿にレイは一つの仮説を立てた。
それは精神力切寸前という可能性だ。
あまり見た目の姿と年齢が一致しないエルドラドではあるが、エレオノールの姿形は普通の人間種の人間族のはず。エルフや魔人種と違い、平均的な能力値が特徴だ。
つまり旧式魔法を連発出来ないのではないかとレイは考えた。
ここに来るまで轟音は合計で九回聞こえた。それが全て上級魔法なら消費した精神力はそれなりのはずだ。この短時間で全て回復したとも思えない。
(いまなら……倒せるんじゃないか)
魔法が使えないエレオノールという絶好の状況を逃がすまいと、レイは駆けだした。
直後。
少女の口元が笑ったのを見て、レイはコウエンに向かって叫んだ。
「コウエン、壁!」
返事は炎として返ってきた。紅蓮の炎が空に向かって打ち上げられ、レイの周囲をドーム型に覆った。だが、エレオノールの糸はそれよりもはるか下。地面を突き破って侵入を果たす。
突き刺した大鎌から伸びた糸がレイを襲う。
「これぐらい、自力で!」
レイはコウエンを振るい、四方から襲い来る糸を切り伏せる。炎を纏った龍刀に斬られた糸は一瞬にして灰となって消えた。
侵入を果たした糸を全て斬るのと炎のドームが消えるのは同時だった。
そして、エレオノールはレイを休ませるつもりはない。彼女はドームが消えた瞬間を見計らって、大鎌を背負って突撃をした。
一気に距離を縮められたレイは龍刀を下から振り上げて反撃しようとする。しかし、レイの予想に反した行動をエレオノールはとった。
背負った大鎌を投げた。
まるで要らない物を捨てるかのような気軽さで。武器を手放した。レイの一撃は鋼鉄の如き大鎌を弾きかえ―――せなかった。
龍刀が触れる直前。大鎌はその身を崩したのだ。
糸で編み込まれた大鎌が、解けて糸に戻った。あの鋼鉄のような硬さは無く、絹糸を裂くような手応えが伝わる。だけど、レイが切ったのは糸の一部だった。
大鎌を形成していた糸は津波のようにレイに襲い掛かった。あっという間に糸はレイの体に絡みつき、巻き付く。身動きが取れなくなったレイはコウエンに助けを求めた。
「なっ! しま、コウエン!」
『猪口才な! 燃やし尽くしてやる!』
レイと同じように糸が巻き付いた龍刀から炎が吹きあがる。しかし、その炎を呑み込もうとさらに糸の津波が巻き起こる。そして、するりとレイの手から取り上げられ、龍刀は遠くへと投げ飛ばされた。
「コウエン! くそ、なら《崩―――》」
戦技を発動しようとするレイだが、それを遮る悪魔の針が突き刺さった。首筋に何かが突き刺さった痛みが走った瞬間、レイの体は自分の意思では動かせない物へと変えられてしまう。
「拘束完了。ああ、こんな泥臭いやり方。ぼくの流儀に反するよ」
ぼやくエレオノールは不要になった糸を回収する。レイの全身に絡みついていた糸は彼女の手元に戻っていき、自分の意思で立つこともままならないレイは地面に崩れ落ちた。
「お前……何を……何をしやがった」
「おおっと。驚いたな。自発的に喋れるなんて。やっぱり冒険者は頑丈だ。普通なら体の制御を奪われた時点で呼吸するのもままならないのに」
「制御を……奪う?」
「そうさ。いまの君はぼくの操り人形さ」
エレオノールとレイは、首筋に突き刺さった一本の糸で繋がっていた。
生かすも殺すも、少女の指先一つで決まる。
「やっとこれで状況が整ったよ。手間をかけさせてくれる。……さて、それでは、これより《アニマ・フォール》の治療方法を御覧に入れよう」
エレオノールは芸人が観客にパフォーマンスをするかのように気取った言い回しで語り始めた。
「まず、《アニマ・フォール》は魂の変質を促す《アニマ》を僕が発展、改良した魔法だ。人の魂を全く別の物へと作り替えるという画期的な魔法だよ。副作用として肉体の変貌や光に対して過剰な防御反応を示すが、これは些細な事だ。……むしろ、問題は感染条件にあるんだよね」
たった一人しかいない観客であるレイは感染条件に一つ思い当たることがあった。それは彼女自身が口にしていた。
「子供……にしか……効かないことか」
「正解だ。飴に仕込んだ魔法は幼い子供にしか反応しないんだ。これは子供が大人と違い、生物的に未熟かつ多様性に富んでいるからなのか、あるいは魔法に反応するレセプターが子供にしかないのか。この辺りは次回までの課題としておこう」
訳知り顔で納得するエレオノールの語りに熱がこもっていく。止める事の出来ないレイは聞くしかできないでいた。
「そこでぼくは人の体内で《アニマ・フォール》の術式を別の媒介方法で感染できるように式を加えたんだ。飴によって発症した子供を第一次感染として、その子供の体内で《アニマ・フォール》は新しい感染方法で感染するように変化するんだ」
「それが……牙と……噛みつくことか」
「その通り! 一次感染者は本能に突き動かされるように《アニマ・フォール》を周囲に感染させていく。子供から子供。あるいは子供から大人へと。この牙による感染したのを第二次感染者と呼ぼう。そして、そこから感染は一気に広がる。第三次、第四次、第五次とネズミ算式に増えて行く……はずだったんだけどね」
熱に浮かされたエレオノールの口調が急に冷めた物へと変わった。彼女は自分が沈めた船の方を見ながら、
「どうも第二次感染者の体内でも術式の変化は起きてしまったようだ。二次感染者から《アニマ・フォール》を感染された第三次感染者は起き上がれなくなってしまうという弊害が見つかったよ」
「起き上がれる者と……起き上がれない者……の違いが、それか」
「ああ、まったく。数時間前の自分を殴りたくなる。こんな失敗をしたぼくが二代目『魔導師』を名乗ってしまうなんて。穴があったら入りたいよ」
肺の中の息を全て吐き出すかのような溜息を吐いたエレオノールは、自らを奮い立たせるように頭を振った。そして、レイの視える位置にレティを引きずり置いた。
「いまからする方法は、一次でも三次感染者でも関係なく、全ての感染者に効くやり方さ。《アニマ・フォール》感染者にしか効果がない、《アニマ・フォール・リジェネ》」
繭の一部が切り裂かれ、動かないレティの額に手を当てて、エレオノールは詠唱を開始した。
「《時は、満ちた》」
宣誓と共に、膨大な精神力が彼女の体から解き放たれていく。
「《この者を蝕む毒蛇に告げる》、《汝は不浄の化身なり》」
何かの異変を感じたのか、レティの体が動き出した。繭を壊そうともがき、血走った目があちらこちらを向く。
「《清廉なる風よ、吹け》、《邪悪なる霧を晴らしたまえ》」
エレオノールはレティの異変に構わず、詠唱を続ける。
「《魂はあるべき姿に戻り》、《その身もあるべき姿に戻れ》」
まるで詠唱そのものが癒しの力を持っているかのように染み込んでいき、
「《アニマ・フォール・リジェネ》」
最期の言葉が告げられた瞬間、レティの体が光に包まれた。
至近距離でその光を見たレイは瞼を閉じる事もできず白い世界に包まれてしまう。
光が収まってもなお白い世界。すると、その世界からレティの声が聞こえた。
「……あれ、ご主人さま? どうかしたの、そんな所で」
慣れ親しんだ、何時もの少女の声だった。やっと視力が戻ってきたレイの視界には、繭で拘束されたレティがきょとんとした顔でこちらを見つめていた。エメラルドグリーンの瞳は血走っておらず、半分開いた口に牙は無くなっていた。
「レティ! 僕が……誰だか……分かるか!?」
「誰って、そりゃご主人さまだよね」
言葉も通じた。少なくとも、外見から《アニマ・フォール》の名残は感じられない。
「……良かった、元に……戻ったのか。本当に……良かった」
「元にって、いったいどういう意味なの? それにこれはいったい―――」
「―――感動の再会を邪魔して悪いけど、少しいいかな」
無粋な言葉が上から降り注いだ。身動きが取れず、地面に寝かされている二人を遮るようにエレオノールは立ち、
「ぼくのお楽しみはこれからなんだよね」
と、見た者を身震いするような笑みを浮かべていた
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は七日月曜日頃を予定しております。




