6-64 希望とは摘み取られるもの
レイが目を覚ますと、見慣れない天井が飛び込んできた。何度か瞬きを繰り返すも、心当たりのない天井だった。
起き上がって周りを見渡すと、そこは誰かの住居らしき場所だった。感染者のせいなのか、幾らか荒れてはいるが椅子などの家具は破損しておらず、そこに座ってパンにかじりついている男と眼があった。
ダリーシャスは皿に乗っているパンを差し出しながら、
「やっと目を覚ましたか。まったく、この緊急時にぶっ倒れるとは情けない……などと言っても始まらんな。腹が空いているなら、これを食べろ。炊き出しの食料だ。こっちには冷めてしまったがスープもあるぞ」
状況に理解が追いつかないまま、レイは立ちあがり椅子に近づこうとして、膝から力が抜けてしまう。慌てて椅子にしがみ付くことで倒れるのを回避した。
奇妙な倦怠感がレイの全身を蝕んでいた。まるで、全身の関節に重りを着けたかのように動きがぎこちない。椅子に座るのも一苦労だった。
「えっと……何で、僕は……くそっ。この疲労はなんだよ、一体?」
原因不明の疲労に苛立つと、ダリーシャスがレイの右手を指した。つられてレイも自分のむき出しの手を見た。いつもなら炎鉄の手甲が覆っているそこに防具は無く、そして赤色の指輪も無かった。
「そこに嵌っていた指輪が原因だとさ」
「指輪が原因。それって、どういう意味なんだよ」
パンを呑み込んだダリーシャスの説明を纏めると、レイの疲労は生命力の急激な喪失によるものだ。その原因が指輪だと彼は言う。
「其方が倒れたことを、《伝声》でリザとシアラに説明して、俺は手近にあったこの家に其方を放り込んだ。すると、二人の間で情報のやり取りがあったらしく、キュイに乗って飛び込んできたリザが指輪をもぎ取っていったぞ」
ダリーシャスの説明でレイにも心当たりを思い出す。
エレオノールとの戦闘時。一度使ってしまった《全力全開》をもう一度使えないかという奇跡に縋った結果、奇跡は叶い、代わりに代償を要求された。一気に、命の炎が消えていきそうな喪失感にレイは意識を失った。
あの時、指輪が使い手の生命力を魔力に変換しているのだと直感したのだ。
「僕の生命力を急速に奪って魔法を発動したから、また空になったのかよ、あの指輪。それを補うために、僕の生命力を吸い上げていたのか」
「シアラの説明によればな。いまはリザが請け負っている。だからお前は飯を食って、体力の回復に務めろ。何しろもう、午後の二時を過ぎてしまったからな。日没まで時間がない」
ダリーシャスが掲げられた時計を見上げて時間を告げた。自分の最後の記憶は昼前だったというのに、そんなに寝ていたのかとレイは落胆する。そして時計を見上げつつ、気になった事を尋ねた。
「昼を過ぎたのなら、避難民の脱出はどうなったんだ。もう始まっているのか」
「いや、まだだ。船の割り振りに揉めているようだぞ」
「なら、上の階層にはまだ行けないのか」
「ああ、それなんだが。残念な報せがある。ガシャクラとやらの報告が従者から来たが、どうも鐘その物に何かしらの仕込みが施された形跡はないそうだ。それに鐘の付近にエレオノールの潜伏場所も無いとの事だ」
「……そうですか」
ダリーシャスの言葉に落胆しつつレイはパンを口に運び、冷めたスープで流し込む。体力の回復の為でもあるが、何より空腹では頭が回らない。昨晩屋台で買い食いしてから何も食べておらず、戦闘と漂流と探索に忙しくそれどころでは無かった。
無理やり押し込みながら時計を睨みつける。そんな事をしても時が止まる訳でもないのに。
(エルドラドの四季や太陽の軌道は地球と似ている。だとしたら今の季節の日没は六時から七時。問題は太陽が隠れた瞬間に感染者が動き出すかどうかだけど。ああ、でも振り出しに戻った。次にどこを探せばいんだ)
頭の中でぐるぐると思考が空回りしてしまう。だけど、立ち止まっていられる時間は無い。
レイは腹をとりあえず満たすと、装備品を身に付けた。心配そうにダリーシャスが、
「もう動けそうか」
「まだふらつきますけど、これ以上休んでいる暇はないだろ」
それが強がりなのはダリーシャスの目にも明らかだ。顔色はまだ青白く、呼吸も浅い。だけど、レイは口で言った所で止まりはしないのを彼は知っていた。
「分かった。それで、次はどこを探索する。この辺りの目ぼしい場所は探し回ったぞ」
ダリーシャスが取り出した地図はアクアウルプスを三分割に分けた物だ。レイ達はアクアウルプスの南東方向を探索していた。四角い建物にバツが幾つも付いているのは、探索した印だ。
レイは残っている部分を指差す。そこは内層部にほど近い場所だ。
「ここら辺を回りつつ、何時でも内層に行けるように近づいて行こうと思う」
「坂の方へ移動しつつ探索するんだな。それで行こうか」
ダリーシャスは方針に納得して地図を畳む。レイは勝手に侵入した住宅から外に出て、夏の暑い日差しにくらりと揺れた。傍で紐で繋がれているアスタルテが心配そうにこちらを見ているのに気が付き、問題ないよと告げた。
まさにその時だった。
アクアウルプスの中心部から鐘の音が響き渡ったのは。
外に出たレイとダリーシャスは揃って顔を見合わせた。まさか、《アニマ・フォール》絡みの鐘ではないかと嫌な想像が頭を過る。
だけど、港の方から人々の声が聞こえてくると鐘の音の正体に思い至った。
「なんだ。避難船の出港合図だったか」
「どうやらそのようだな。人の流れが港へと動いているぞ」
ちらほらと家財道具や身の回りの物を持った生存者が港へと向かっている。やっと避難活動が始まったのだ。だとすれば、邪魔な兵士も居なくなり上に行けるかもしれない。
「どうする、レイ。先に鐘の方を確認しておくか」
「……そうですね。みんなも向かうはずだから、そこで合流して情報を擦り合わせよう」
言うなりレイは《伝声》を唱えた。中継役である従者からシアラへとつなげてもらう。
『主様? 体調はどうかしら?』
《伝声》は超能力物によくあるテレパシーとは違い、自分が口にした言葉が相手の耳に届くようになっている。いまもシアラの声がレイの耳に飛び込んだ。まるで耳元で囁かれているかのような擽ったさを覚える。
「もう大丈夫だ。心配かけて、ごめん」
『本当にそうよ。いつも、いつも、いつも。いつも心配ばかりかけて』
シアラの沈んだ声だけで、彼女が拗ねてそっぽを向いている姿が思い描けてしまう。
「本当に、悪かった。……それでさ船が出港しているようだけど、そっちで確認できるか」
『船自体は見えないけど、どうやらそのようね』
「だったら、鐘へ行けるはずだ。合流して情報をすり合わせる意味を兼ねて、芯層の鐘で落ち会おう」
数秒の沈黙の後、シアラは承諾した。
『いいわよ。アイツらが見落としをした可能性もあるしね。鐘で会いましょ』
その言葉を最後に、シアラの声は聞こえなくなった。レイは続けてリザに繋げてもらった。本来なら、リザと従者は共に行動しているから、従者に合流の事を伝えればそれで済むのだが、心配をかけたことと指輪の件もある。数秒のタイムラグを置いて、リザと繋がった。
「リザ、聞こえてるか」
『レイ様。良かった、起きられたのですか』
声だけだが、それだけでリザが胸をなで下ろしているのが、ありありと伝わった。
「うん。心配かけて、ごめん。でも、もう大丈夫だ。それより、赤の指輪を付けているんだって?」
『勝手に持ち出してしまい、申し訳ありません』
今度はしゅんと項垂れた姿が見えてしまう。レイは慌てて、
「いや、別に怒っていないから。それよりもリザの体調はどうなんだい。疲労とか倦怠感吾は」
『それなら大丈夫です。時々外したりして、様子を見ています。いまでは着けていてもほとんど疲労を感じなくなりましたから、指輪の魔力が溜まったと思います』
「そうなのか、だったら」
合流した時に返してもらうよ、とレイは続けようとした。しかし、彼の言葉は遠方から聞こえた破壊音に吹き飛ばされた。
まさに轟音だった。雷を束ねたような音が北の方角から二度三度と響き渡る。
「な……なんだ、いまのは」
音のした方向を向いたダリーシャスがぽかんとした表情で呟いた。だけど、レイは不吉な予感で身を強張らせていた。
その予感を裏付けるようにリザが叫んだ。
『レイ様! 奴です、エレオノールです!』
「見つけたのか、リザ!?」
『はい。私たちは桟橋が見える位置にいるのですが、そこからさらに沖の方で雷が走りました。そしたら……出港したばかりの避難船が……吹き飛ばされました。従者殿の言葉では、傍に黒い影が居るとの事です』
「くそっ。やっぱり、エレオノールが避難船を!」
ダリーシャスがレイの呟きに驚く。あまりの悪辣なやり方に眩暈すらしそうだった。
レイは自分の嫌な想像が当たった事に苛立つ。エレオノールの性格を考えれば、これは想定できたことだ。あの女が避難船で街を脱出することを見過ごすはずがない。
すると、リザが急に誰かと話を始めた。リザの声だけがレイに伝わる。
『え? 移動する。移動するんですか。エレオノールが移動していると従者殿は言っています』
「移動? 移動ってどういうことなんだ」
レイの疑問にダリーシャスが答えた。
「おそらく、避難船を潰して回るのだろう。避難船は東西南北全ての港から逐次出港する手はずになっている。北が終わったから、次に向かうのだろうな」
「逃げるのは許さないって訳か。リザ、どっちの方向に移動しているか分かるか」
『待ってください。従者様、西回りですか、それとも東回りですか。……分かりました、西回りです。西に向かって移動しているとの事です!』
レイ達が居るのは南東だ。エレオノールの移動速度は分からないが、先回りできる可能性がある。
「僕はこれから近くの港へ向かって、エレオノールの足止めをしてみる。リザ達はシアラ達に連絡を取ってこっちに来てくれ!」
『わ、分かりました!』
ぷつん、とリザとの連絡が切れた。レイは繋がれたアスタルテを解放すると、跨りダリーシャスを見下ろした。
「エレオノールの足止めをする。貴方はここで待っていてくれ」
レイの有無を言わせない口調で、エレオノールの危険性を間接的に理解したダリーシャスは悔しそうに頷いた。
「……ああ、分かった。だが、気を付けろよ。其方はまだ本調子ではないのだから」
「分かっています。そっちも気を付けて」
レイは手綱を引いて、アスタルテを走らせた。また、遠くの方から轟音が響いた。
あまり時間は残されていないのかもしれない。レイはアスタルテを走らせながら港へと急いだ。
港までの行き道は簡単に分かった。
避難船に向かって進む人の流れを追いかければいいのだ。誰もかれもが轟音に不安そうになりながら港へと殺到する。その流れを強引に進み、レイは港へと到着した。
海に向かって突きだす桟橋には、まだ出港前の船が停泊しており、沖合にはすでに出港した船が防波堤を超えようと進んでいる。
順番待ちの生存者たちが列を作る中、レイは空を睨む。
北から反時計周りでやって来るということは、エレオノールが来るのは南の空だ。
双眼鏡も無いレイには青い空に不審な影が浮かんでいるかどうかの判別がつかなかった。
しかし、そこに居るのを証明するように轟音が響いた。
青白い空を割るように稲妻が幾つも放たれ、避難民を乗せた船を貫いた。大型帆船があっという間にボロくずへと変わり、それを港に集まっていた避難民は見てしまった。
恐怖があっという間に彼らを覆い尽くした。我先にと逃げだす中、レイとアスタルテは桟橋の先端へと向かった。駆けて行くなか、どうにか黒い影がレイの肉眼でも見えた。
それが北の方へと移動する直前、レイは賭けに出た。
「エレオノール! 《留めよ、我が身に憎悪の視線を》!」
レベルアップした《心ノ誘導》でも届くかどうか微妙な距離だった。事実、黒い影は一瞬停止して、直ぐに何事もなかったかのように移動しようとした。
だからレイは狼煙を上げる事にした。
コウエンを抜き放ち、空に向けて紅蓮の炎を突きあげた。それは黒い影の興味を引くのに十分だったらしく、進行方向を変えた。
ぐんぐんと近づいてくると、黒い影の正体がはっきりと分かった。
黒いドレスに黒い日傘をさして空を飛ぶ少女の姿は、まるでピクニックをするかのように楽しげで、それだけに悍ましさが際立つ。
レイはアスタルテの向きを変えて桟橋を戻る。ここは戦うのに不向きだ。
陸地は避難民の残した荷物などが置き去りになっており、無人となっていた。船が沈没したのとコウエンの炎が引き金となってパニックを起こしたのだろう。
アスタルテから降りたレイは、白馬に向けてどこかに隠れていろと告げた。頭の良い彼はこれからここで何かが起きると察して遠くへと走り出した。
これで周りは無人となり、気兼ねなく戦える。メインとして使っていたファルシオンを失ったレイは抜いたままの龍刀を構えると、剣からコウエンが語りかけた。
『一応尋ねておくが、正気か、其方は』
呆れたと言わんばかりの声だった。
「どういう意味だよ」
『先の戦い。一人で挑んでどうにかなったのは、魔法のお蔭だ。其方一人の、素の力量では無い』
「そんなのわかっているよ」
『分かっておらんだろ。その指輪が無いのだぞ。どうやって戦うつもりなんじゃ』
コウエンの質問にレイはふてぶてしく笑い、
「……全然、思いつかない。本当に、どうしよう」
『正気かっ! 指輪無しでは、あの取引は行えんぞ! ええい、勝ち目のない戦いほど愚かな物は無い。ここは逃げるのも一つの手じゃぞ』
コウエンの助言にも一理ある。だけど、それをするには手遅れだった。
エレオノールが桟橋に降り立ったのだ。
読んで下さって、ありがとうございます。




