6-63 悪意に満ちた歓談
ぎらついた太陽が放つ日差しに甲板が熱せられる中、悪魔のお茶会を隠すようにパラソルが腕を伸ばしていた。
急遽用意された椅子にエレオノールが座る。布で目を覆っているはずなのに、その所作に盲人らしさは全くなく、メイドが介添えを申し出ても丁重に断った。
机を挟んで向かい合う二人に、グラスとワインが置かれた。コルクを外すと、栓によって抑えられていた芳醇な香りが噴き出した。
鼻をひくつかせたエレオノールが仕方ないなとばかりに笑う。
「こんな昼間から酒とはね。ぼくはお茶会に呼ばれたと思っていたのだけど」
「あら? ワインなんて、お茶とそう変わらないでしょ。紅茶にだって酒を入れる風習があるんですもの。これは紅茶抜きのお茶会と言った所かしら」
「詭弁だね。だけど、まあ、この芳醇な香りの前には些事といえる。まったく、長く生きておきながら、この香りを表現できない自分が情けない」
「良く言うわよ。昔から本の虫だった貴女が。どこに行くにしても、分厚い本を片手にしてたじゃない」
「ああ、懐かしい。そんな幼い時分がぼくにもあったね」
懐かしそうに語らう中、メイドが緊張した面持ちでワインをグラスに注ぎ、二人の前にそれぞれ差し出した。血の結晶の如き輝きを放つ赤ワインがグラスの中で揺れた。メイドを下がらせたジョゼフィーヌがホストして口火を切った。
「それでは。この再会を祝して」
「そして、水の都の惨劇にも」
「「乾杯」」
持ち上げたグラスを少しだけ傾けた二人は同時に赤ワインに口をつけた。喉が上下に動き、真っ赤な液体が胃へと送られる中、エレオノールが先にグラスを置いた。
「年代物の赤ワインだね。……でも、どこか懐かしい感覚もするな。……もしかして、これ、東方大陸の物かい?」
「ええ、そうよ。東方大陸の東に位置する、いまは存在しない小国。そこで作られた赤ワインよ。覚えがあるんじゃないかしら」
「ああ、あるとも。ぼくはそこで生まれ、そこの国を滅ぼしたんだから。いやはや全く。まさかこうして生まれ故郷の大地を味わう事になるなんて」
エレオノールが運命とはかくも面白いと続けると、ジョゼフィーヌがこらえきれないように笑いだした。過去に浸る少女は気分を害されたのかムッとした表情を浮かべた。
「ご、御免なさいね。でも、私達に生まれ故郷なんて幾つもあるじゃないの。それに、本当の意味での生まれ故郷は、このエルドラドには無い。そうでしょ」
「……ああ、そうだったね。ぼくらの故郷は、ここには無いんだ」
一瞬だが、二人は寂寥感に囚われた。どうしても、帰る事の出来ない故郷へと思いを馳せていた。しかし、それも一瞬の出来事。ジョゼフィーヌが興味深そうにエレオノールの目を隠す布へと視線を送った。
「……どうかしたのかい、ジョゼフィーヌ」
「その布。下はどうなっているのかしら。教えて下さらない」
「構わないが、おそらく見ても気持ちがいい物じゃないよ」
と、警告したエレオノールが慣れた手つきで布を解くと、そこから醜く焼け爛れた傷跡が露わになった。少女の白い肌を赤黒く染め、ミミズのような腫れが縦横無尽に駆けずり回り、溶けた肉で瞼が塞がっている。
もう、この瞳は二度と開かないだろうとジョゼフィーヌは冷静に診断を下す。
「それは、誰かとの戦闘で?」
「いや、生まれてすぐにだ」
ジョゼフィーヌの質問にエレオノールが淡々を答えた。布を巻きなおしながら、
「生まれた場所が悪くてね。魔眼持ちだったぼくを見た生みの親が、赤子のぼくの目を焼いたんだよ。排他的な村だったのが災いしたね。彼女は愚かにも、人と違う特徴があるだけで家族ごと村八分にされてしまう事を恐れたのだろう。古い傷だけに、どんな方法でも治療は不可能だったよ」
「そうなの。それじゃ、生まれた時から」
「闇の中さ。まあ、それはそれで面白かったし、彼らの立場を考えれば、恨む気持ちもないさ。ちゃんと、した事の責任も取ってもらった事だしね」
何をとはジョゼフィーヌは問わなかった。なぜなら語るエレオノールの微笑みが邪悪に染まり、これ以上ないほど歪んでいたのだ。彼女を生んだ親の末路は、簡単に想像できた。
「それでも、盲目はやりにくくないかしら。だって、視えているのに慣れていたのが、突然見えなくなったんでしょ」
「それは否定しないよ。最初は糸繰もままならなかったしね。でも、その分研鑽をつんで、技術を極めたと自負できる。それに新しい使い方にも目覚めたんだよ」
言葉と共に、エレオノールの五指から銀色の糸が繰り出され、机に置かれたワイングラスを持ち上げた。その中身を傾けていき、縁からワインが零れると、別の五指で編んだ銀色のワイングラスに中身を移し変えた。糸で編まれたグラスからワインは一滴も零れない。
宙を舞う銀色のワイングラスをエレオノールは自分の口元へと寄せ、ワインの味を舌先で堪能した。
「新しい使い方って、どんなのかしら。見てみたいわ」
「なら、君のメイドを一人使わせてもらうけど、構わないかな」
エレオノールは離れた場所で待機しているメイドの方を指差した。彼女は主と客人の会話が聞こえない位置に居たが、突然指差され動揺する。そんな姿を見たジョゼフィーヌは躊躇いなく、
「構わなくってよ」
と、告げたのだ。エレオノールは即座に行動する。ワイングラスの中身を飲み干すと、慌てふためくメイドに向けて糸を放つ。
昼間の強い日差しの下では銀色の反射が隠せないが、戦闘に無縁なメイドにはそれを見極める目は無かった。ただ、四肢を見えない何かに絡めとられる感触を味わう。
「ひぃ! な、なんですか、これぇ?」
恐怖から逃げ出そうとするも、足も腕も押さえつけられたメイドに逃走は許されない。ただひたすらに、身動きの取れない像のように突っ立て何かが終わるのを待つしかない。
しかし、それが一番の悪手だった。
メイドは自分の首筋に、ちくりとした痛みを感じたのを最後に、意識を失った。四肢に力が入らず、糸で縛られていなければ甲板に倒れていたかもしれない。開いたままの眼球はピクリとも動かず、浅い呼吸が辛うじて生命が存在することを証明していた。
「……エレオノール。あなた、何をしているのかしら」
「お楽しみはこれからさ。……よし、繋がったな」
指をそれこそ別の生物のように動かしていたエレオノールが満足げに呟くと、遠くで待機していたメイドが糸から解放されたのか、一度甲板に倒れた。しかし、すぐさま立ち上がると、悪魔のお茶会の方へと歩き出した。
ついさっきの異変がまるでなかったかのように、平然と。主である女帝への敬意も無くしたかのように、悠然と。
艶を無くした瞳は、ガラス玉のように平坦だ。
とても、生者のような姿では無い。
「死んでいるのかしら」
「いや、辛うじて生きているさ。ただ、あんまり長くしていると死んじゃうけどね。もっとも、死体を操る方が楽なんだけどね」
自分達の傍までやって来たメイドは、そこでぴたりと動かくなった。ジョゼフィーヌは立ち上がると、メイドを鑑定するかのように上から下まで品定めする。
辛うじて、銀色の細い糸が彼女の首筋に突き刺さっているのが分かる。それに触れようとすると、
「触れるのは勘弁してくれ。糸の先端は脳に繋がっているんだ。下手に触れられたらその振動だけで、死んじゃうよ」
「それは構わないわ。海の上なら処理も簡単だし」
と、事もなげに言うと躊躇いなく糸を引き抜いた。途端にメイドの体は痙攣し、白目を剥いて倒れてしまった。がくがくと体を震わしたメイドは数秒も経たずに泡を吹いて、そのまま動かなくなった。
「ほら、死体が出たわ。操ってごらんなさい」
「……君はあれだね。死んでもその嗜虐趣味は治らなかったのか」
「人の性癖なんて、死んでも治りっこないわよ」
唇を尖らせたジョゼフィーヌにため息を吐きつつも、エレオノールは糸を繰り、いましがた死んだばかりのメイドへと突き刺した。数秒の後、まるで魂が吹きこまれたかのようにメイドは立ち上がった。
「面白いわね。これも技能なのかしら」
「単なる技術さ。それで、この死体はどうするべきなんだい。このまま甲板に置いておけば、直ぐに腐っちゃうだろ」
問いかけに、ジョゼフィーヌは満面の笑みを浮かべた。性別を超えて魅了しかねない微笑みだが、盲目のエレオノールには通じず、むしろ、その仮面の下に潜む醜悪さだけが伝わった。
「だから言っているじゃない。ここは海上なのよ」
「……ああ、そういうことか」
理解したエレオノールはメイドの死体を船の先頭まで歩かせると、そこから飛び降りさせた。ぼちゃんという水音が響き、海面に水柱が生まれた。後には何も浮かばず、白波が隠すように船に打ちつける。
「これでいいのかい」
「ええ。グラスが空いているわね。お代わりはいるかしら」
「頂くとしようか。今度は、ちゃんとしたグラスで味わうよ」
席に戻ったジョゼフィーヌが手ずからワインを注ぐ。それを受け取ったエレオノールはアルコールで喉が回り始めたのか、会話に花を開かせた。
故郷の話。過去の話。男の話。食べ物の話。本の話。
とりとめのない、脈絡のないガールズトーク。いましがた、すぐ傍で人が死んだというのにもかかわらず、悪魔二人は楽しそうに語らいを続けていた。いつの間にか、太陽は随分と傾いていた。
「ああ、楽しいや。かれこれ……何年ぶりの再会になるかな」
「アナタとは、そうね。五十年ぶり……かしら」
「もうそんなになるのかい。それは話のタネがつきないはずだ。……ところで、ほかの彼女たちはどうしているのかな」
エレオノールが懐かしさに頬を緩ませながら尋ねると、ジョゼフィーヌが困った風に笑みを浮かべた。見えなくても、雰囲気だけは伝わる。
「どいつもこいつも、行方不明よ。名前のわかる一人は居場所が分からないし、残りの二人は名前だって分からないわよ」
「そうなのかい。足並みを揃えるという事に関して、ぼくらは壊滅的に向いていないね。……といっても、ぼくも生まれ落ちて十四年。君を含めた四人と連絡を取ろうとはしなかったから、責める権利は無いが」
「まったく。私も含めてだけど、どうしてこう協調性がないのかしら。……って、貴女、誰とも連絡を取っていないの」
ジョゼフィーヌが意外そうに言うと、エレオノールが首を縦に振った。
「おかしいわね。貴女がここで面白い事をするってカタリナから聞いたから私はここに来たのに」
するとエレオノールの表情が愉快気に歪んだ。
「カタリナ? あの魔人カタリナもそうなのかい!? これは傑作だ! とんでもない有名人がぼくらの姉妹だとはね」
「私達の中で、一番長く続いているんじゃないかしら。なにしろ暗黒期前から生きているんですもの」
「あっははは。面白いな。それに、なるほど。確かにぼくは彼女の手を借りた。もっとも、手紙でのやり取りだけで、顔を合わせていないから、気が付かなかったよ。ああ、彼女が誰かなんて言わないでくれたまえ。こういうのは会った時のお楽しみに取っておきたいんだ」
「そうね。それもいいかもしれないわ。それで―――」
と、続けようとした言葉が、突然鳴り響いた鐘の音に邪魔をされた。
二人は音のする方向、アクアウルプスの方へと振り向いた。鐘の音は街の中心部から外層部へと広がっていった。
ジョゼフィーヌは、街の異常事態が鐘の音から始まっていたという事を思い出した。これも何かの合図なのかと興奮を隠しきれない様子で尋ねようとして、エレオノールの異変に気が付いた。
アルコールを楽しんで、終始ご機嫌に笑っていた彼女は、いまでは不機嫌さを隠そうともせずに唇を尖らせていたのだ。
「この鐘は、貴女の仕業じゃないのかしら」
「違うね」
きっぱりと、これまでにないほど語気を強めて彼女は言う。
「ぼくなら、こんな中途半端な状況で鐘なんて鳴らさない。まったくもって美しくない。あれは、滅びの始まりと終わりを告げる象徴なんだよ。それなのに、一体どこのどいつが、あんな無粋な真似を」
まるでマグマが煮えたぎっているかのような怒りだ。表面上はまだ固まっているが、その下では煮えたぎったマグマが今にも噴き出しそうなエネルギーを放つ。
ふと、ジョゼフィーヌは従者からもたらされた報告の一つを思い出した。ほとんどが同じ内容だったが、一つだけ違う内容のがあった。確かそれは、
「ああ、この鐘は生存者の脱出船が出港する合図かもしれないわ」
「……どういうことだい」
「私の従者からの報告でね、生き残った評議会が生存者の脱出計画を立てたってのがあったのよ。それが確か、昼に始まるって話だったけど、随分と遅かったわね。そろそろ二時半ぐらいじゃないかしら。……ああ、やっぱり」
ジョゼフィーヌが双眼鏡をのぞき込むと、桟橋から船が一隻、また一隻と動きだしていく。おそらく、あれが生存者を乗せた船なのだろう。
すると、隣で話を聞いていたエレオノールが静かに呟いた。
「ふーん。なるほど。その船が沈没したら……さぞかし面白かもしれないや」
呟きと共に、エレオノールは日傘を取り出し、ぎらついた太陽を遮った。そして、ジョゼフィーヌに向けて腰を折ると、
「ジョゼフィーヌ。申し訳ないが、ぼくは急用が出来てしまったようだ。名残惜しいが、お茶会はここまでとさせてもらうよ」
と、別れの挨拶を始めた。彼女がこれから何をするのか簡単に予想がついたジョゼフィーヌは止める事はしない。
それよりも、最も面白い事を思いついたのだ。
「ねえ、エレオノール。貴女、昨晩は可愛らしい男の子と楽しんでいなかったかしら」
問いかけにエレオノールが首を傾げた。
「男の子? レイの事を言っているのかい。もしかして、知り合いだったのか。だとしたら、すまない。彼は―――」
「―――死んではいないわ。戦奴隷と共に生きて、この船に数時間前まで居たわ」
「……ふぅん。それで? ぼくにそれを教えてどうするんだい」
エレオノールの探りをジョゼフィーヌは蠱惑的な微笑みを浮かべて応じた。悪魔二人の駆け引きで甲板の空気は凍り付く。
「あの子。戦奴隷との契約を主従契約では無く対等契約で結んでいるのよ」
「それは珍しい。あの『冒険王』と同じ愚行をしているとは」
「そうね。それも一人では無く、三人とね。……それでね、そのうちの一人が、貴女の仕掛けに嵌ってしまっているそうよ」
ジョゼフィーヌの言葉にエレオノールは心当たりがあった。レイも同じことを口にしていた。仲間が《アニマ・フォール》に感染していると。
「それでね。その子はこの辺りの沖合に停船している船に収容されているんですって」
「……それは実に興味深い話だ」
「そうでしょ。後は、貴女の好きにしなさい。私は傍観者としてここから見物させてもらうわ」
ジョゼフィーヌはひらひらと手を振った。盲目のエレオノールは応じることなく船の欄干に足を掛けると、そのまま空へと舞い上がった。遠くに消えて行く彼女の姿を見つめながら、甲板に残ったジョゼフィーヌは呟いた。
「ああ、これで退屈せずにすみそうね」
読んで下さって、ありがとうございます。




