6-43 真夜中のアクアウルプスⅢ
ダリーシャスがエトネに噛まれ、吸血鬼もどきになった時。
レイはそのダリーシャスに噛まれていた。歯茎までむき出しにして首筋を狙おうとするダリーシャス。その牙を押さえつけようとして、噛まれてしまったのだ。
左手小指の下あたり。甲と掌を挟むように牙の痕がくっきりと残っている。
噛まれて血を流す掌を見て、レイは自殺も考えた。まだ吸血鬼もどきという名称も付けてはいなかったが、この異常な現象が噛まれることで伝染するのはおぼろげに理解していた。そして噛まれた場合《トライ&エラー》が発動するかどうか不明な事もあり、より確実に発動できるように死を覚悟したのだ。
ところがだ。部屋に入ってきたシアラと会話をしている内に、おかしなことに気が付いた。どういう訳だが、自分に異変が起きないのだ。
ダリーシャスは噛まれて一分も経たない内にあのような姿に成り果てたというのに、一向に異変が起きなかった。屋上に出て、こうして船着き場に着いても、そして多数の吸血鬼もどきに噛まれてもなお、彼らの仲間入りはしなかった。
ダリーシャスたちを安全な場所に退避させるという問題に集中する事で、考える事から逸らし続けてきたが、ここに来て、レイはこの状況と向き合う必要が出来た。
たとえ話だが。
一つの場所に集められた人間たちが居るとしよう。老若男女入り混じる人々が一斉に苦しみ、体力のない者から死んでいく。それが毒のせいだと判明した。
そんな中で一人だけ平然と、何時もと変わらない様子の人物がいたら、そいつはどんなふうに周りから見られるのか。
考えるまでもない―――そいつが犯人だと誰かは指さすだろう。毒を自分だけ飲まなかったのか、あるいは毒に対する薬を持っているんだと思われるだろう。
この吸血鬼もどきが溢れるアクアウルプスにおいて、吸血鬼もどきに噛まれても感染しないレイは果たして他者からどんな風に見られるのか。
(……まあ、考えるまでもなく、犯人扱いされるだろうな。うわぁ。想像しただけで鳥肌が立ってくるよ)
外した防具を着け直したレイは衣服の下で皮膚が粟立つのを感じていた。周りには雷撃を何度もくらい、倒れている吸血鬼もどきの山が築かれていた。
バジリスクのダガーは魔力切れだ。シアラと合流するまでは補充は出来ない。桟橋に突き刺したコウエンを抜いて、レイは中に居る存在に声をかけた。
「どう思う。お前の意見が聞きたい」
目的語を省いた言葉に、コウエンは意味を正確に理解した上で返した。
『どうもこうも無いじゃろうに。其方はこの魍魎の列に並べない。ただそれだけの事じゃ』
「だから、その理由だよ。どうして、僕だけが吸血鬼もどきにならない。赤龍の知識を持つお前なら、何か知っているんじゃないか」
龍刀コウエンの中にいるコウエンは自らを赤龍の生まれ変わりと称し、生前の知識を持っているとも言っていた。長い時を生きる古代種の精霊ならこの吸血鬼もどきの解決法や、どうして自分は吸血鬼もどきを免れているかの説明をしてくれるんじゃないかと期待した。
しかし。
『知らん。妾の……赤龍の知識にこの魍魎らの知識は存在せん』
断定的に、どこか投げやり気味にコウエンは言う。期待が外れてしまい、レイは肩を落とした。ところが、コウエンは珍しく口籠った様子で、
『……じゃが。其方の身に起きている異変には幾らかの仮説があるぞ』
「本当か、それ!?」
『言っておくが、考察であって確信では無いぞ。妾の主観が入っておるから、間違っている可能性も』
「それでもかまわない。今は、少しでも多くの情報が、判断材料が欲しい」
ならば仕方ない、と言ってコウエンは己の仮説を語る。
『まず。この吸血鬼もどきが何かしらの毒なり呪いを用いた物だという前提で話すぞ。つまり、風土病や偶発的に起きた出来事では無く、れっきとした黒幕が存在し、悪意を持って行っている企みだという前提じゃ』
今回の事件が偶然起きた出来事という可能性はレイの頭の中にはあった。例えば誰かの実験の失敗が別の要素と絡みあいドミノ倒しのように連鎖して起きたとか、天文学的な確率によってたまたま起きた悲劇という可能性だ。
だけど、その可能性は最悪の可能性と言える。黒幕無き騒動なら、解決策が存在しないで終わるという結末もありえてしまう。そうなればレティとエトネは吸血鬼もどきのまま、次の真夜中を迎えてしまう。魂の変質が何を指しているのか分からないため、吸血鬼に成り果てるのか、それとももっと別の生命体に変化するのか見当もつかない。
奇妙な話だが、今回の騒動において、黒幕が居て欲しいとすらレイは願っていた。
『その場合。この騒動を起こしている毒ないしは呪いが未完成か、あるいは不完全なまま使われたという可能性が浮上する』
コウエンを鞘に納めたレイは話を聞きながら、桟橋を離れアウローラサーカスの方へと歩み始めた。船着き場に居た吸血鬼もどき達はレイが同類にならないと理解しているのかどうか定かではないが、変わらずに襲いかかって来る。
鞘に収まったコウエンで、そのまま襲い来る吸血鬼もどきを薙ぎ払う。
これは吸血鬼もどき相手でも傷つけたくないという考えからの行動だけではない。腕を切っても、足を切っても、腹を切っても。すぐさま再生する吸血鬼もどき。彼らは切られたからと言って、後ろに下がろうとはせず、切られそうだという恐怖心が無いから、歩みを止めない。
止まらない存在相手ならばいっその事、力任せに剣を振り回せばいい。斬撃では無く、打撃で相手を吹き飛ばし、距離を取るのだ。その点、ファルシオンよりも刀身が長いコウエンの方が相手との距離を近づけずに済む。
単純にして原始的なやり方だが、案外効果的なのだ。どれだけ強く叩いても、即座に回復すると分かっている分、手加減はしなくてもいい。
ただし、相手が子供だとその限りでは無い。小さな体格に見合わない俊敏な動きを捉えるのは難しく、子供相手という事で一瞬気後れしてしまう。その隙に懐まで潜りこまれてしまう。小さな口で御馳走を頬張るように牙を立てる。
防具の無い箇所を噛まれ、レイの体は痛みを感じる。それも一瞬だ。耐えていると、吸血鬼もどきは不思議そうに牙を離すのだ。そしてその隙を突いて、子供を遠くへ放り投げる。植え込みに落ちたのを確認すると、距離を取って逃げた。
『未完成という根拠は其方も見てきたように、噛まれた者は二つに分けられる。吸血鬼もどきにならない其方を除いて、吸血鬼もどきとして起き上がれる者と、起き上がれない者だ』
コウエンの言う通り、いまも道の端や、壁際辺りで倒れて動けない人影を何度か見た。彼らは息をしているが、意識はなく、吸血鬼もどきとなってはいるが、起き上がらないだけだ。
『此度の首謀者。その目論見が不明だが、噛むという行為で感染が広がる構造上、起き上がれないというのは致命的じゃ。起き上がる者と、起き上がれない者。今は前者が多いが、その数が反転すれば、感染が広まる速度は落ち、下手をすれば中途半端な所で失速しかねん』
「犯人は起き上がれない人が出るってことを知らなかったってことは?」
『それならば、其奴は阿呆じゃ。ここは一国の都。そこを襲うというのに、弱点を知らずに見切り発車で事を起こすものか。普通に考えれば、適当な村を襲い、どのように広まるのか観察をしているはず。知らぬ方がおかしいのじゃ』
おぞましい考え方だが、コウエンの言っている事は理屈に合う。この規模の都でこれだけの事をしでかしたのだ。中途半端な結果に終わって、生存者が出れば、確実に世界規模で犯人探しが行われる。黒幕の目的が不明だが、その状況は望んでいなはず。失敗しないようにと念入りに準備をしたはずだ。
「だとしたら、変だよな。噛むことで数を増やせるのに、噛めない吸血鬼もどきが増えたら失敗で終わる確率が高くなる。だったら、全員が起き上がれるように調整すればいいのに」
襲い来る吸血鬼もどきの女を鞘で突いて倒すと、橋の欄干へと跳んだ。牛若丸よろしく、橋の欄干を蹴り上げて、ショートカットして向う側の陸地へと着地した。
『さてな。そこは首謀者に聞かなければ分からんさ。不備を潰せなかったのか、あるいは実験段階では不備が出なかったのか。あるいは……。ともかく、この点だけを拾っても完璧とは言えない毒。其方のように何かしらの要因があれば魍魎の仲間入りをしないという可能性もありえるじゃろう』
何かしらの要因で思いつくことと言えば、やはり『招かれた者』ぐらいしかなかった。
(まさか、これって『招かれた者』を炙り出すための仕掛けなのか。だとしたら、敵はまた『七帝』の誰かなのか、あるいはその部下か。フィーニスはともかくとして、サファじゃないのは確実だ。まだ、会っていないのは『機械乙女』に『龍王』に『魔術師』。こいつらの内の誰かなのか?)
そんな風に考えるレイの思考は、コウエンの一言が一瞬で掻き消した。
『もしくは―――其方が既に別のモノに成り果てたかのどちらかじゃ』
「――――何だって?」
考えていたこと全てが吹き飛ぶほどの破壊力だ。思わずレイは足を止めてしまう。コウエンの不吉な物言いに反応して、心臓が鼓動を強めた。
『なに、大したことではない。あの阿呆鳥。キュイだったか。あの鳥はあからさまに無視されていた。傍を通り過ぎても、吸血鬼もどきは、あ奴を見向きもせずに其方らだけを狙う。それは恐らく、奴らの本能か、あるいは毒が人間に反応しているのだろう。この毒は人間にしか効果はない、転じれば、毒の効かない其方は、外面は人間で、中身がすでに違う存在になったと。あるいは、なりかけといえるじゃろう』
どちらも大した違いはないなとコウエンは言うが、レイにしてみれば衝撃的な内容だった。息が苦しくなり、自分の防具越しに胸に手を当てた。ドクン、ドクン、と叩く心音が、まったく別の生き物の息遣いのように聞こえてしまう。
「ど、どうして。そんな。……いつ、そんな事に」
『なんじゃ。其方も覚えがあろう。その眼の下に残された傷。考えられるのはそれぐらいじゃろうに』
コウエンの言葉にレイはシアトラ村の迷宮。その最下層、深層の戦いが脳裏を過った。
『魔王』フィーニス。白い少年は最後に自分に向けて、何かを仕込んでいた。寄生虫のような影を入れられ、それを聖印だとか抜かしていたのを思い出した。
顔の皮膚の下を何か得体のしれない物が這いずり回っている悪寒に身震いした。
『まあ、先も言ったがこれは単なる考察。仮説の域を出ない大法螺も同然じゃ。蓋を開けてみれば、大したことのない真実が出てくるやもしれんぞ』
半ば投げやりな、他人事のように醒めた口調のコウエンは付け足すように言う。
『いま一つ、確かな事は、其方はこの地獄のような状況で、たとえ仲間が全て魍魎と成り果てても生き延びてしまう。そんな因果に囚われた事だけは現実じゃがな』
アクアウルプスの道をニチョウが走る。四本足に巨体のキュイは迫る吸血鬼もどきを物ともせずに直進していた。背には少女が二人、しがみ付く様に張り付いていた。なにしろ、鞍も付けていない裸のようなニチョウ。丸みを帯びた背中に二人は重なり合っていた。シアラよりも体格のいいリザが押さえつけるようにバランスを取る。
「なに考えてんのよ、あの主様は!!」
シアラの怒声がキュイの羽毛に阻まれくぐもりながらも、リザの耳に聞こえた。先程から何十回と繰り返される罵詈雑言の嵐にいささか飽きもしていた。
「シアラ。いい加減、機嫌を直して。今はこの状況を一刻も早くどうにかしないといけないわ」
「それぐらい分かっているわよ! だからこそ、力を合わせないといけない時に、一人で勝手な行動をしている主様に怒っているのよ!」
振り返って自分を見る彼女はまるで炎を吐くかのように叫ぶ。誰が見ても分かりやすいぐらい、彼女は変わったと、リザは思う。
前の、アマツマラを出るまでの彼女はどこか一歩も二歩も引いてレイや自分たちを見ていた。遠巻きで、斜に構えて眺めて。こちらが困った時、行き詰った時に少しだけ手を貸しに近寄って、また離れて行く。
どこか警戒心を解けない猫のような印象が彼女にはあった。
それが今では、こんなに素の感情を惜しみなく出すように変化していた。昼間の時もそうだ。誰にだって触れられたくない過去はある。それをああも無遠慮に暴かれた時も、堂々とした態度を見せていた。心の内では葛藤や叫び出したい感情があっただろうに、それらを堪えていた。
(強くなったというよりも、しなやかになった、の方が近いかしら。心が柔らかくなったんだ。それはきっと、あの夜があったからかしら)
シアトラ村での夜。
ナリンザが死に、自らの過去を自らの口で明かしたあの夜。
彼女は遠巻きで眺めているところから、一歩前に踏み出したのだ。それは仲間というよりもどこか、そう、家族のような温かい場所を作ろうとさえしている。
―――自分とは違う。
自分は、いまだに何も話せていない。主と呼んでいる彼に対して何も明かせていない。自分の中に流れる血と憎悪を。妹の背負いし地獄と業を。
何一つ明かせないまま、仲間面をして一緒に旅している。
(ああ……なんて浅ましい女なんでしょう)
レイに対して感謝している、なんて言葉では言い足りないぐらいの恩を抱いている。前の主が死に、モンスターに襲われている所を助けに来てくれ、行き場のない自分たちに真っ先に手を差し伸べてくれた。
彼の在り様に、尊敬の念を抱いている。《トライ&エラー》という異常な力を持ち、幾度の死を乗り越えてなお折れる事を知らず、諦める事をせず、屈することなく、ただ前を向いて歩き続けていき、ゲオルギウス、赤龍、『魔王』という怪物たち相手に引かなかった背中に憧れてもいる。
彼の無鉄砲さに、いつだって心配し身を案じていた。自らを削りながら、それでも勝利の道筋を生み出そうともがき、更なる地獄へと容易く身を投じて行く。ある意味、レイ本人が自分の命に価値を見出しておらず、紙きれのように捨てて行くのを歯がゆく思う。
だけど―――それだけだ。
戦奴隷として主を守り、共に旅をしていく。その根底にあるのは、全てレティの為だ。彼女の命を守る為に、そうするのだ。極端な話、エリザベートは自分の命よりも、レティシアの命を上に扱っている。同じ戦奴隷のシアラや、仲間のエトネ、そして主であるレイ以上に妹を大切に思っていた。
自分にとって一番の願いは復讐と妹の平穏だ。
それだけを支えにして、ここまでやって来た。これからもそうするだろう。
それを裏付ける証拠もある。
シアトラ村の迷宮で自分はシアラを殺している。
その記憶は残っていない。この手に感触など無い。だけど、事実としてそれは確かにあった過去なのだ。いくら、そうするのが合理的で、それ以外の救済手段が思いつかなったとしても、自分は仲間を、友を殺す事が出来る女なのだ。
そんな自分がこの先、レイとレティ。どちらかの命を犠牲にする必要があり、その選択を自分がしなくてはならない時が来たら。果たしてどちらを選ぶのか。
考えるのが怖かった。
こんなもしもを想像してしまう自分が恥ずかしかった。
何より、どれだけ言いつくろっても、選択ができてしまう自分に、憎悪すら抱いていた。
結局、自分には謀反人の血が流れていて、そこから逃れらないのかと絶望した。
すると、シアラが通りの端を見て、ポツリとつぶやいた。
「この辺りは、まだ持っている方ね」
暗い澱んだ思考から浮かび上がったリザは、シアラが何を言っているのか最初は分からなかったが、彼女の指さす方を見て納得した。そこでは散発的ながらも吸血鬼もどきに対する抵抗が行われていた。建物の出入り口に即席のバリケードを用意し、高所から攻撃を仕掛けたり、水路に浮かぶゴンドラの周囲を魔法で固めて引きこもったり、冒険者の一団が一塊になって一般人の誘導を行っていた。
アウローラサーカスのテントがある地区付近は、船着き場よりも状況は良かった。
しかし、それでも吸血鬼もどきの方が有利なのは変わらない。なにしろ、彼らの数は減らないのだ。どれだけの重傷を負っても、回復するその姿は正に不死の軍団。一方で抵抗する側は時間が経つにつれて消耗していく。今は拮抗しているように見えても、いずれどこかが決壊してしまう。
幸い、二人はキュイによって守られている事もあり、問題なく進める。道行く吸血鬼もどきを蹴散らし、その大きさゆえに、少女たちに吸血鬼もどきの牙は届かない。
そして遂に、二人と一匹はアウローラサーカスのテントがある広場へと着いた。
そこはありていに言って―――地獄のような場所だった。
「これは……なんという」
「……ひどい、有様ね」
やっとのことで言葉を絞り出した二人は、地獄を前にして呆然としてしまう。数時間前までは、笑い合う人々で込み合っていた広場は今では獣が唸る魑魅魍魎の世界と成り果てた。
屋台は壊され、戦闘の痕が色濃く残る。幾重にも塗り重ねられた血のグラデーションは一体どれだけの人が血を流したのだろうか。これまで見た中で、最大規模の吸血鬼もどきがひしめいていた
その向こう側で、アウローラサーカスの天幕が風もないのに怪しく揺らめいていた。
読んで下さって、ありがとうございます。




