6-44 真夜中のアクアウルプスⅣ
つい数時間前までは誰もが笑い合い、楽しんでいた広場は、今では血の匂いがこびり付いた異界と化していた。吸血鬼もどきの群れが各々好きに動き回るのは、ある意味似通っていなくもない。
もっとも、その吸血鬼もどきの群れはリザ達に気が付くと、興奮と威嚇の意味を込めた唸り声を上げる。その声は伝播していく。まるで水面に出来た波紋のように広がっていき、今では合唱となって足場を震わす。
「……これ、危ない状況じゃないかしら」
「ええ。凄く不味いと思うわ」
言葉少なく、リザとシアラは吸血鬼もどきの前で動けないでいた。アウローラサーカスのある場所は出島のように、外層から飛び出している。出島と外層を繋ぐ橋を超えたリザ達は前後を吸血鬼もどき挟まれていた。
そして、出島の吸血鬼もどきの咆哮に外層の吸血鬼もどきが呼応する。
それが、ぴたりと止んだ。
リザは直感した。来る、と。
彼女の予感通り、吸血鬼もどきの群れは押し寄せる波のように駆けだした。一人や十人では無い。それこそ百を超す大群が一気に押し寄せた。後ろからも地響きが聞こえてくる。
「キュイ! 合図をしたら、前に駆けだしてください! シアラ、魔法で道を!」
リザの指示が飛ぶと、シアラは何故と問いかけない。代わりに杖を引き抜き、すぐさま魔法の詠唱へと入る。
「《器を満たせ》」
宣言をしたシアラの前に風が砲弾のように圧縮されていく。狙いは前方、吸血鬼もどきの群れの中央だ。
「《ウィンドバレット》!」
風の砲弾がシアラの意思に従い、一気に突き進む。《バレット》はシアラが好んで使う魔法だ。無属性なら、単なる精神力の塊を飛ばすに過ぎない低級魔法なのだが、ここに属性を付与することで威力を上げるのと同時に副次効果を付け足せる。
《アイスバレット》なら着弾した部位をそのまま氷漬けにし、《ブリザードバレット》なら氷の塊をぶつける事で殺傷力を上げる。
《ウォータバレット》なら水の塊を中距離まで飛ばせ、《ファイアバレット》なら炎を纏わす事で相手に追加のダメージを与えられる。
なら、《ウィンドバレット》の効果は何か。
それは単純にして明快だ。
風の砲弾は吸血鬼もどきの群れに直撃すると、中で圧縮させてため込んでいた風を解放した。広場に暴風が吹き荒れ、屋台が悲鳴を上げる。
その風は吸血鬼もどきの群れのちょうど中心を縦に切り裂く様に駆け抜け、天へと帰っていった。これが《ウィンドバレット》の効果だ。あまり使わないのは、狭い迷宮で使えば風が逃げ場を求めて自分たちにも牙を剥くからだ。
ともかく、リザの指示通りに道は開けた。しかし、その道は大量の吸血鬼もどきに押しつぶされそうなほど細く、その向こう側に見えるアウローラサーカスの天幕は遠い。
流石のキュイでも一足飛びにそこまで行くのは無理だ。通っている最中に、吸血鬼もどきに押しつぶされてしまう。
だけど。
「今です、キュイ! あの道を進んで!」
リザは臆することなく告げた。あの今にも潰れそうな細い道を行け、と。
臆病で知られるニチョウは一瞬躊躇った。いくら自分に興味がない吸血鬼もどきとはいえ、数で押されれば何かの拍子で攻撃されるかもしれない。
しかし、キュイは顔を上げた。臆病風に吹かれた自分を恥じるように鳴いた。
「キュイイイ!」
―――「二人を頼むよ、キュイ」
桟橋で別れたレイの顔。例え気に入らない相手でも、キュイは自分が託されたのだと理解した。その信頼に応えるように、キュイは吸血鬼もどきの群れへと駆けだした。
「「「グルウウウッ!」」」」
突進するキュイを迎え撃つように吸血鬼もどき達は唾液まじりの咆哮を上げ、一気に加速した。あっという間に両者はぶつかり、そのまま飲み込まれるかのように思えた。
しかし。
「《この身は、一陣の風と為る》! 加速します! 舌を噛まないで!」
自らの足に暴風を纏わせたリザが警告を発すると、シアラもキュイも口を閉じて歯を食いしばった。そして、リザの足に宿る暴風が爆発した。それはまるで、リザというエンジンが爆発してとぶ、黄色いロケットのようにキュイの体を押し出した。
吸血鬼もどきの目には、キュイの姿が黄色の残像のようにしか映らなかっただろう。《風ノ義足》は一瞬で津波のような吸血鬼もどきの群れにできた細い道の、半ばまでキュイを飛ばした。
だけどまだ半分だ。瞬間移動したかのように傍に現れたキュイ達に、周囲の吸血鬼もどきは驚くことも無く、考える事も無く、ただ機械的に反応した。足を止め、仲間を突き飛ばしてでもリザ達に襲い掛かった。
しかし。《風ノ義足》は二発ある。
再び暴風が巻き起こり、キュイの巨体を押した。加速の付いた体は一気に吸血鬼もどきの群れを抜ける。
「上手く行ったわ! リザ!」
シアラから歓喜の声が上がる。リザも後ろを振り返り、吸血鬼もどきを振り切ったのを確認した。
前方に吸血鬼もどきの姿はなく、障害もない。ただ、闇夜を背負って揺らめく不気味な天幕が悠然とそびえていた。僅かに開いた隙間が闇へ手招きするように誘う。
「……って、ちょっと待って! これ、どうやって止まるのよ!」
「……あ」
「キュ、キュ、キュゥウウ!」
暴風の勢いそのままに、滑るように地面を移動するキュイは制動を掛けられない。バランスを崩さないようにするので精一杯で、下手に止まろうとすれば足を折るかもしれなった。
「不味いですね。このままでは天幕に突入してしまいます」
「そんな冷静に言わないでぇ! ああ、もう、どうにか止まんないの、キュイ!」
「キュ、キュイイイイイ!」
おそらく、無理と言っているのだろうなとリザはぼんやり思う。悲鳴を上げながら一匹と二人はサーカスの天幕へと滑り込んでしまう。
すると、リザ達を追いかけようとしていた吸血鬼もどきの群れが一斉に動きを止める。恐れ知らずの生きものである彼らが、恐れるかのように後ずさりをして、天幕から離れて行くのだった。
破砕音が天幕内に響き渡る。薄闇の中、少女たちの声が響いた。
「いたた。……あたま、うったわ。……敵地にこんなに目立つ方法で乗り込むなんて、無謀すぎるわよ。主様が来るまで無茶するなって言われたのに」
「戦いには勢いというものがあります。時には愚直のような突進が功を奏す時もあるのですよ、シアラ」
「もっともらしいこと言って誤魔化さないでよ、脳筋」
ぐさりと言葉の刃を胸に受けたリザは起き上がれずに地面に突っ伏した。代わりにシアラはいち早く立ち上がり、周囲を見渡して安全を確認する。
二人と一匹はサーカスのリングと客席を隔てる仕切りを壊して、リングの中へと入っていた。キュイが衝撃に目を回している。
天幕の中は吊るされているライトが淡い光を放っており、薄闇に包まれている。至近距離なら、リザやキュイの姿形を見ることはできるが、観客席の上の方は全く分からない。
だけど吸血鬼もどきの唸り声は全く聞こえなかった。おそらく、彼らはここに居ないようだ。しかし、シアラの顔色は冴えなかった。
(街中全部が地獄のようなこの状況で、一人も居ないなんて方がおかしいわよ。こりゃ、主様の予想が当たったかもしれないわね)
いつまでも地面に顔を伏せているリザを起き上がらせると、彼女は大音声で叫ぶ。
「ワタシは《ミクリヤ》のシアラ! 今回の騒動についてアウローラサーカスに聞きたいことがあって参ったわ! どなたかいらっしゃらないかしら!?」
「いいんですか。そんなに堂々と聞いてしまって」
「しょうがないわよ。本当なら、こっそり忍び込んで情報を探ろうとしたのに、こんなに堂々と侵入しちゃったんですもの。だったら、ここは腹を括って正面から相手を揺さぶるのよ」
「……なるほど。これで向うが手を出して来てくれたなら、無力化して話を聞きだすのが手っ取り早いという訳ですね」
リザが納得したようにロングソードを抜いた。すると、薄闇を切り裂く様にリングに煌々と明かりが照らされた。上から幾つもの明かりが照射され、リングが輝いていた。当然、そこに居たリザ達は白い世界から目を守るように瞑る。
敵襲かと身構えた少女たちの耳に、耳障りな声が聞こえた。
「ヤア! 吾輩、座長のアンドリアスでス。可愛らシい、お嬢さン方、ヨウコソ、アウローラサーカスへ!」
まるで錆びついた弦楽器を無理やり鳴らしているかのような、調律不足のピアノを弾いているような、出鱈目な声色に警戒心を強めた。目が光に慣れて来たリザはうっすらと視界を広げて、闇からリングの方へと近づく小太りの男を見た。
男は公演の時も座長と名乗った男だ。禿げた頭にシルクハットを乗せ、丸々と太った腹が燕尾服に悲鳴を上げさせ、手にした杖を振り回している。
サーカスのショーの時と同じ格好をした男なのに、全くの別人のような印象を受けた。
白い世界の中で、リザは男の目や歯に、吸血鬼もどきと同じ特徴が無いか探そうとする。しかし、顔を伏せたままの男からその情報を手に入れることはできない。
「我がサーカスハ、世界一のサーカスサ! お嬢サん達を、幻と現の狭間へ誘おウ!」
何処か陽気で、何処か陰気な男の様子に不信感を抱いたのはリザだけでは無い。光に目が慣れたシアラが団長を睨む。
「ちょっと団長さん。アンタ、外の様子は気が付いているでしょ」
「えエ。まさに地獄の蓋が開いタヨウな光景でス」
「……ワタシの仲間もアイツらの仲間入りをした。その原因と思われるのが、ここが宣伝の時に配っていた飴よ。……答えなさい、この事態はアンタらが仕向けたことなの?」
ある意味、言いがかりに近い内容だ。確証も無く、論理の筋道も立っていない。違うと答えられたら、それだけで話が終わってしまう問いだ。
だけど、シアラには確信があった。
目の前の男から感じている、粘つく様な悪寒が、この男が今回の事態に関わっていると告げていた。
座長はにんまりと笑うと、
「正解でス! おメでトウー。君たちガ一番乗りダヨ!」
と、高々と宣言した。あまりのあっけらかんとした暴露に、思わずリザとシアラは目を点にしてしまう。
「この地獄を齎しテイルのハ、間違イなく我がサーカスの誇る偉大ナ魔術師の御業。吾輩たチは、ソノお手伝いヲシテイまス」
「偉大な魔術師。……あの魔法使いの事かしら」
シアラの呟きに、サーカスの芸人である魔法使いの顔を思い浮かべる。紫の長髪をなびかせ、気障な顔つきをした青年。このサーカスの花形だ。幾種類の魔法を融合して使う男の実力は偉大と呼べるのかもしれない。もっとも、この状況を引き起こしているのなら、ただの敵だ。
「なら、その男が何処にいるのか答えて貰おうかしら。……嫌だと言うなら、悪いけど手荒な真似を取らせてもらうわよ」
脅迫するように杖を突きつけたシアラ。リザもロングソードの切っ先を団長へと向けた。しかし、小太りの男は動じることなく、ステッキで肩を叩いていた。ニヤニヤと口元を緩めている姿は気味が悪く、少女たちは悪寒が止まらなかった。
―――その時だった。
天幕の上から声が響いてきたのは。
「その話。もう少し詳しく聞かせて貰おうか」
「―――っ誰!?」
リザが上を見上げると、眩い明かりの中に黒い影が降って来る。影は座長とリザ達の間に割って入った。
全身を黒い装束で包み込み、揃いのトンファーを手にした一団がリングに姿を現した。リザ達に背を向けている彼らの事を、シアラが見るのは初めてだった。
ウージアでの騒動の時は、まだ仲間では無かったし、オウリョウでも直接対峙はせず、トトスの騒動においても今の時間軸では直接矛を合わせていないのだ。
しかし、レイやレティ達からの話で大よその姿格好は知っていた。なにより、リザの背中から立ち上る、炎に似た殺気を見て、そいつらが何者か分かった。
リザが絞り出すように名を告げた。
「ガシャクラ。……貴方達もこの都に来たのですか」
名前を呼ばれた老人はちらりとリザの方を見た。そして、その隻眼は誰かを探すように揺れた。
「……ふん。今宵の狙いは貴様等では無い。故に見逃してやる。疾くと去ね」
リザ達から視線を切ったガシャクラは団長を見据え、懐からある物を取り出した。
「そこの男。この騒動を引き起こした黒幕をここに呼べ。……我が主より、その者に書状を預かっている」
レイはまだ、真夜中のアクアウルプスを走っていた。自分が知らずに化け物になりかけているかもしれないと聞かされ、ショックは受けていたが、今はレティとエトネ達を元に戻すのが先決だと考えてサーカスを目指していた。
いくら噛まれても吸血鬼もどきにならないと分かっていても、多数に囲まれ噛まれ続ければ出血多量で死んでしまうため、遭遇は出来る限り避ける必要がある。
また、アウローラサーカスの方に近づくにつれ、散発的ではあるが生存者とすれ違うようになった。籠城を決め込んだ者も居れば、徹底抗戦に打って出る者も居た。そんな彼らの前で噛まれてしまい、吸血鬼もどきにならない所を見られればどんな目に合うのか分からない。
そのため、吸血鬼もどきの群れだけでなく、生存者からも隠れるように移動しなくてはいけなくなった。必然的に細かい路地を行ったり来たりする羽目になり、自分がどこをどう走ったのか、レイには分からなくなっていた。
有り体に言えば、迷子になったのだ。
「くそ。道が入り組み過ぎていて訳が分かんないよ!」
仮に、レイがこの都市を衛星写真のように真上から見ることができたのなら、この都市における水路こそが真の意味で道路だと気づいたはずだ。
全ての地区に満遍なく張り巡らされた水路を使えば、どれだけ遠回りしても最終的には目的地に繋がる道が存在する。だが陸地だと、建物の面積などもあり道が繋がっていない場合もあるのだ。
さらに言えば、街の建物が簡略化されおり、似たような造形、構造の建物が多く、来た道なのか、それとも違う道なのか分かりにくくなっている。これは潮風などで建物が傷みやすい事もあり、簡略化することで簡単にかつ、短時間で作れる技術が使われているのだ。
地元民なら迷わないのだが、始めて来た観光客は大人しくゴンドラに乗っていた方がいいと言われるぐらい道に迷いやすい。
「こんな所で時間をくっている場合じゃないのに。今頃、リザ達がサーカスに着いているんじゃないのか」
実は着いているどころか突入した上に黒幕の一味と接触した上に因縁のある敵に乱入までされているのだが、流石のレイも想像すらしていなかった。
「なあ、コウエン。何かいい考えはないか。もしくは、こう、炎を使った感知方法とかさ、何かないか」
『戯け。そのような都合のいい力。ホイホイと出てくるものか』
腰に差した龍刀から叱責が飛ぶ。肩を落としたレイだが、続けてコウエンは、
『しかし、まあ。単純な手ならあるぞ』
と、言うと途端に顔に喜色が走る。
「そうなのか! 教えてくれ」
『そうじゃのう……この哀れで役立たずで鈍間な愚図な私に教えて頂けませんか、コウエン様と言ったら』
「この哀れで役立たずで鈍間で愚図な私に教えて頂けませんか、コウエン様」
コウエンが最後まで言い終わるよりも早く、レイは言う。あまりの速さにコウエンが呆れたように、
『其方には矜持なる物は存在しないのか』
「うるさい。そんなのに固執して時間を無駄に使う方が馬鹿だろ。さあ、言ったんだからさっさと教えろよ」
『やれやれ。刀使いが荒い男じゃ。話は単純だ。蟻の視点で迷うなら、鳥の視点を使えばよかろう』
コウエンの謎かけめいた言葉に一瞬首を傾げたレイは何かに気が付いたように視線を鋭くした。空を見上げ、近くの建物へと飛び込んでいく。階段を蹴とばして、一気に屋上へと辿り着いた。コウエンが嬉しそうに正解だと告げた。
蟻の視点、つまり地上から見て分からないのなら、鳥の視点、つまり上空から全体を見ればいいとの事だ。流石に空を飛ぶ術を持たないため、高い位置をレイは探した。上った屋上は付近では一番高い屋上だ。
彼女の言葉通り、高所から外層を一望すると、月の位置や、船着き場の方向からアウローラサーカスの位置を大よそで割り出す事が出来た。
「なんだ。意外と近くまで来ていたのか」
目と鼻の先とまではいかないが、直線距離にして走れば三十分程度で辿り着く位置に天幕のある広場はあった。問題はそこまでの行き方だ。地上に戻れば、方向は分かるのだが道筋が分からなくなってしまう。そこに行くまでに建物が邪魔をしている。いくら非常時だと言っても、壁を突き破って進むわけにはいかない。
かといって、屋上を伝って渡るには足場が不安定だし、なにより屋上が繋がっているわけではない。時には水路と道幅を合わせた分の距離を飛び越えなければ進めない。
やはり、下から道を探して進むしかないと踵を返そうとしたその時。
レイは目撃した。
自分に向かってまっすぐに、流星が近づいてくるのを。
いや、正確に言えば、流星のように空を駆けている何者かが近づいてくるのを。
「そこをどけぇえええ!」
「うおおおお!!」
横っ飛びで流星の如き人影を避けたレイ。あと数秒遅ければ、それに激突していたのだろう。
間髪入れずに、耳元で衝撃音が響いた。
「いやー、参ったな。まさか着地地点に人が居るなんて思わなかった。アンタは無事……ってなんだ、見覚えのある顔だな」
名前を呼ばれたレイが振り返ると、ロングコートを着込んだ、くすんだ金髪の男が落ちた中折れ帽子を拾い上げていた。屋上の一部が人の形にえぐれており、衣服には瓦礫が雪のように降り積もり、粉塵を巻き上げていた。
「……オルタナ。なんでアンタは空から降ってきてんだよ」
レイの呆れたような視線に男は困ったように頬を掻いた。
読んで下さって、ありがとうございます。




