6-41 真夜中のアクアウルプスⅠ
戦技を使って不法侵入した建物は宿屋よりも一階分少ない六階建ての建物だ。
手探りで階段を降りると、痛いほどの静寂に包まれた廊下へと辿りついた。もっとも静かなのは室内だけで、窓の隙間などから街の断末魔が聞こえてくるのは変わらない。
どうやら、どこかの商会が使っている建物らしく、廊下にある扉を開けて隙間から中を覗くと机や椅子、書類などを収めた棚が並んでいるだけで、人の気配はない。
静かに扉を閉めると、レイは屋上へと戻る。入り口辺りで待っていたリザ達に、大丈夫そうだと告げると、そのまま全身を拘束されたダリーシャスを担いだ。
まだ気絶中のダリーシャスは全身がぐったりと弛緩しており、重力に従っている。意識の無い人間を担ぐのと、ある人間を担ぐのでは意外な事に前者の方が難しい。意識がある場合、例え足で立つことが出来なくても、体に力を入れたり、背負う人間に捕まってくれて落ちないように工夫してくれるのだ。意識が無ければそれはできない。荷物のようにダリーシャスは担がれた。
リザとシアラが先導し、レイはどうにかダリーシャスを廊下まで運ぶ。
「これで六階だ。次は五階に降りるよ」
小声なのは吸血鬼もどきのダリーシャスを起こさないためだが、この建物に潜んでいるかもしれない吸血鬼もどきに気づかれないようにするためだ。
五階に続く階段を見つけたレイはゆっくりと階段を降りた。
いつもなら、この手の索敵にはエトネの鼻と耳が頼りなのだが、彼女が吸血鬼もどき状態に苦しんでいる以上、頼ることはできない。
五階も六階と同じ作りの為、索敵は簡単に済んだ。一通りの部屋を確認して安全を確かめたら、ダリーシャスを担ぎに上の階に戻り、全員で下に降りた。
これを繰り返す事三回。レイ達は警戒の割に、難なく二階まで降りる事が出来た。
最大の幸運は隣の建物が人の住まう住居でも、宿泊施設でもなく、昼にしか人の集まらない会社として使われていたことだろう。夜も真夜中の時刻。どの部屋も暗闇が主のように振る舞い、人の気配は全くしなかった。
だけど。その幸運はここまでだ。
二階から一階へと続く階段。半ばまで降りたレイは耳を澄ませるまでもなく、獣じみた唸り声を聞き取る。一階に奴らが居る。
おそらく、通りに出て来た奴らが気まぐれで侵入したのだろう。声は一体分しか聞こえない。これが人間を襲って中に入ったのなら、襲われて仲間入りした吸血鬼もどきの声がもう一体分聞こえるべきなのだ。
レイはちらりと上を振り返る。そこには声を聞きつけたのか、リザがしゃがんで見下ろしていた。警戒のためにロングソードを抜いていた。
青い瞳がどうするのかと尋ねる。
レイは、自分が行ってダガーで昏倒させるとジェスチャーだけで伝えた。リザは意味を理解したかのように頷き、言葉を出さずに口だけを動かして、
「気を付けてください」
と、告げた。
ダガーを抜き放ったレイは慎重な足取りのまま、一階へと降りた。
一階は受付なのか、広いホールとなっており、遮蔽物らしいものは全くない。そのお蔭で、吸血鬼もどきの位置が直ぐに分かった。薄闇の中、射し込む月光を遮るように、吸血鬼もどきが壁に向かってもたれかかっている。シルエットからは男の様だ。
吸血鬼もどきの男はどういう訳か、額を壁にこすりつけているのだ。
ごりごり、という嫌な音が聞こえて来た。意味が分からない行動だけにレイは一瞬、唖然としてしまう。
だから、自分の足元にあった木片の欠片を蹴とばしたことに気が付かなかった。
乾いた音を立てて木片は床を滑る。しまったと気づいた時にはもう遅い。壁に向かって額を擦る吸血鬼もどきはぐるりと振り返ると、血走った眼をレイに向けていた。
皮が破け、血が流れていた額があっという間に再生し、牙を生やした口が大きく開かれる。
そして、獲物を見つけた肉食獣さながらに、レイに襲い掛かった。ダガーを構えたレイは自分の失態を恥じつつも、冷静に対処する。
足元に落ちていた大き目の木片を空いた手で掴むと、吸血鬼もどきの口に押し込めた。吸血鬼もどきは思考らしい思考を無くしたせいか、口に入った物に驚いたり、吐きだそうとはせずに噛み砕いた。
人とは思えない強靭な咀嚼力によって、木片は砕けて―――吸血鬼もどきの口を塞ぐ。吸血鬼もどきはレイに噛みつくことができずに、頭突きのように顔面から体当たりした。しかしそれも、《耐久の加護》に阻まれ、床に弾き飛ばされてしまう。
「悪いね。こうしないと、怖くて戦えないからね」
レイはそのまま、吸血鬼もどきに向けてダガーを向けて、雷牙を放つ。紫電が闇を切り裂き、吸血鬼もどきのくぐもった悲鳴が短く発せられた。
これなら吸血鬼もどきの悲鳴で外の同類をおびき寄せることは無い。レイは動かなくなった吸血鬼もどきの口から木片を可能な限り吐き出させた。この生物が不死になっていたとしても、人間に戻った時に呼吸困難で死にましたでは目覚めが悪い。
そして、吸血鬼もどきの衣服を破くと男の腕と足を結びつける。これで目が覚めても動けず、脅威ではないはずだ。
障害を一つ片付けたレイはふと、吸血鬼もどきの男の腿に、金属製の光る何かを見つけた。その何かを持ち上げて、それがナイフだと気づいた。街のチンピラが持つような薄いナイフでは無く、モンスターが相手の戦闘にも十分使える厚みのあるナイフだ。
男の正体はともかくとして、一つ分かった事がある。吸血鬼もどき状態に陥った者は思考能力が極端に落ちて、周りの状況が理解できなくなるのだ。
理由はこの使われなかったナイフと、先程の木片にある。一階の受付に如何して木片が散らばっているのか。薄闇に慣れた目が、レイの蹴った木片にぶら下がったドアノブらしい金属を見つけた。
一階で戦闘があったのかどうかまでは分からないが、この吸血鬼もどき男は外から中へと放り込まれたらしい。その際にドアが壊れたのだ。
そして、吸血鬼もどき男は外へ出ようと壁際まで行き、そこで壁に行く手を阻まれたのだ。すぐ傍に壊れて開け放たれた入り口があるというのに、そこに行こうとしないのだ。
(武器も使えず、外への出入り口にも気づかないなんて、ゾンビみたいだな。反応するのは音か、体温か、匂いか。ともかく、人間にだけ過剰に反応するんだな)
レイは気づいたことを頭で整理すると、二階に戻り待っていた二人に大丈夫だと伝え、ダリーシャスを連れて下へと降りた。
リザ達は一瞬、倒れている吸血鬼もどきに気色ばんだが、それが手足を拘束されていると知り警戒を解いた。そして、一同は壊れた扉を潜り、外へと出た。
二十分ぶりの夜風は、生ぬるく、精神を逆なでした。
レイは通りの端から端を何度も確認する。少なくとも、目視できる範囲に吸血鬼もどきの姿は無かった。すると、レイ達の所へと先に降りていたキュイが駆け寄って来る。
「キュ、キュイ!」
「しっー! 静かにしてちょうだい、キュイ」
シアラが指を唇の前で立たせると、キュイは自分の口を羽で塞いだ。レイとリザは武器を抜き放ち周りを警戒したが、吸血鬼もどきは姿を見せなかった。
「居なくなった……のでしょうか」
リザの質問にレイは渋い顔を浮かべながら肯定も否定もできなかった。
「情報が少ないから断定はできないけど……考えられるのは二つあるよ」
「是非、聞きたいわ」
キュイの体に括りつけた二人が緩んでいないのを確認しているシアラが尋ねた。
「一つは吸血鬼もどきの感知、つまり人間を見つけられる範囲が狭い場合。僕らがここに居る事に気が付かないだけで、どこかに隠れているかもしれない。そしてもう一つが……奴らがこの辺りの人間を全員吸血鬼もどきに変えてしまい、新しい人間を求めて別の場所に行ったかだ」
レイの説明に二人は顔を青ざめた。異変が始まってまだ四十分も経っていないのに、都市の一角を吸血鬼もどきに塗り替えた驚異的な速さに、背筋が震えてしまう。
しかし、レイの推測を否定するように、一つの影が通りに姿を見せた。建物の間の路地から、夢遊病者か酔っ払いのようにおぼつかない足取りで姿を現したのは―――吸血鬼もどきだ。それも複数人居る。
「どうやら、まだこの辺りに吸血鬼もどきは潜んでいると考えた方が良さそうだね」
距離にして十メートルぐらいだろうか。まだレイ達の事に気が付いていない様子だ。リザが静かに尋ねる。
「どうします。戦って拘束をしますか?」
「いいや、ほっとこう。戦闘の音に反応してこの辺りの吸血鬼もどきが姿を見せるかもしれない。囲まれたら脱出は難しいだろ」
レイの言葉に同意したリザとシアラはキュイの体を押すと、キュイは意味を察したのか先導するように歩き出した。リザはダリーシャスの体を背負い、シアラは杖を抜いていつでも魔法を唱えられるように身構えてキュイを追った。
最後尾となるレイは曲がり角から出て来た吸血鬼もどきの男をちらりと見た。
年の頃は三十代前半だろうか。赤灼けた肌に、港で働いている風の衣服に身を包んだ男の顔は血で汚れていた。
その男がこちらを襲いかかって来ないのを確認してから、レイはキュイ達を追い駆けるように走り出した。
「ええい! 何時まで我らはこうしておればいいのだ!?」
老人の怒声が響く。これが何度目なのか分からない。フジワラはもう数えていなかった。
場所はアクアウルプスから離れた海上。ジョゼフィーヌの乗船する豪華客船の一室だ。
船旅の間も、主を退屈させまいという従者の意向によって建造されたこの船は、ジョゼフィーヌの趣味が前面に押し出された部屋が幾つもある。
フジワラ達が押し込められた部屋もその一つだ。
薄暗い明かりが船の揺れに合わせて傾き、カビ臭い匂いに混じって、血と脂と人の体液のすえた匂いがかすかに残る。壁にはここに居た先客が、自分の存在を叫ぶかのように爪で掻いた跡が残る。
ここは、いわゆる拷問部屋だ。
表の煌びやかさとは真逆の、裏の世界で生きるフジワラでさえ眉をひそめたくなるほどの醜悪さが染みついていた。
ガシャクラとその部下は、トトスの港町でレイ達への襲撃が失敗に終わった直後、女帝の従者を通じて呼び出された。
本来、オウリョウで新しい義手を手に入れたならウージアに戻るはずなのに、別の街で作戦行動を展開していたのだ。叱責どころか処罰もあり得た。ガシャクラを含めた全員はジョゼフィーヌの庇護を諦める事も覚悟の上だった。
ところがだ。
ジョゼフィーヌの別荘に招かれたガシャクラ達への第一声は全く予想だにしていない内容だった。
「幾月か前に貰った報告。貴方の腕を奪った少年について詳しく聞きたいわ」
どうして、この状況下でレイの存在が浮上したのか分からないが、ガシャクラは自分の知る限りの情報をジョゼフィーヌに報告していた。
数か月前に、突如として中央大陸のネーデの街にて冒険者登録をした少年。出自も、それまでの来歴も不明なレイは冒険者になったばかりで二つの事件を起こした。
一つは単独で迷宮上層部突破。もう一つが、六将軍第二席ゲオルギウスとの戦闘。
どちらもギルドに侵入して得た、公式発表と機密情報だ。
そこから東方大陸に渡り、アマツマラにてスタンピードに遭遇し、赤龍撃退に一役買い、偶然立ち寄った村に発生した未踏の迷宮からの生存。
ガシャクラの説明を熱心に聞くジョゼフィーヌの姿は、まるで英雄譚に胸躍らせる少女のようだとフジワラは思ってしまった。もっとも、こんな血腥い部屋を持つ少女が居てたまるかとも同時に思う。
話を聞き終えたジョゼフィーヌはガシャクラにこう伝えた。
「今後一切、《ミクリヤ》とその関係者に対して、私の命無しに手出しはしてはならない」
居並ぶガシャクラ達は呼吸を忘れたように息を止めた。そして、一番に我に返ったガシャクラが叫んだ。
「お、お待ちください! あの者は同胞の仇。なにとぞ、なにとぞお許しを下さい!」
「くどいぞ、ガシャクラ!」
ジョゼフィーヌの傍を離れない従者の叱責が飛ぶ。それでも食い下がろうとするガシャクラにジョゼフィーヌがうっすらと微笑みながら口を開いた。
「アンタの無念はよくわかったわ。私や、スヴェンを敵に回してでも、街一つを焼き払おうとしてでも、その復讐心を全うさせようとする狂気にはこれでも理解を示しているつもりよ」
「それならば!」
「でもね。今はダメなの。今は……《ミクリヤ》のレイを殺してもらっては困るのよ。それにね、アンタが痛めつけた少女。そしてその子の姉は、本国から通達の来ている例の姉妹よ」
ジョゼフィーヌの言葉にガシャクラは驚愕を全身で表していた。驚きのあまり、魂が抜け出そうなほど、脱力しており、部下が慌てて支えに入る。
「これの意味が分かっているって顔ね。……まあ、そう言う事だから。……ああ、それと、ちょっとこれから人手が要りそうだから、アンタらも私の遊行に付き合いなさい」
その言葉に逆う事もできず、ガシャクラ達はそのまま豪華客船に積み込まれ、そしてこの拷問部屋に分散して押し込められたのだ。
まるで囚人のような扱いに、ガシャクラは苛立ちを隠せないでいた。
フジワラの《大地ノ海》を使えば、外から鍵の掛かったこの部屋から出る事は可能だが、今度ジョゼフィーヌの不興を買えば間違いなく追放だ。それゆえ、全員はこの陰鬱たる空間でじっと耐えていた。
すると、拷問部屋の扉が開いた。
室内に入ってきたのは、女帝の従者だ。男装の麗人は陰鬱とした室内に動じることなく、淡々と告げた。
「ガシャクラ。主様より、貴様に命が下された」
途端に、ガシャクラは先程までの苛立ちを消して従者の前に跪いた。今この時だけは、従者の言葉はジョゼフィーヌの言葉となるのだ。
従者は懐から紙片を取り出した。それは丁寧に蝋で蓋をされた封筒だ。一瞬だが、芳しい香りがしたのは、香水が吹き掛けられているのだろう。
「現在、アクアウルプス全域に置いて異常事態が発生している。具体的には不明だが、人に近い形をした人ならざる化け物が横行しているそうだ」
伝聞形式なのが気になるが、ガシャクラやその部下たちは疑問を挟まずに粛粛と命令を聞く。
「貴様にはその渦中にいる、異常事態を引き起こした首謀者である魔術師にこの手紙を送り届けろとの事だ。差配は全て貴様に一任する」
「……質問をしても宜しいですか」
顔を上げたガシャクラに対して従者は首を縦に振った。
「その首謀者とは一体どの者なのか。それを調べるのも任務の内に含まれているのですか?」
「いや。首謀者の名は宛名に書いてある。こちらが、その者が現在潜伏している場所の地図だ。受け取れ」
従者はどこか名残惜しそうに手紙と地図をガシャクラに渡した。ガシャクラの隻眼が書かれた文字を追う。
「命は以上だ。失敗は許されないと知れ」
ははっ、と頭を下げたガシャクラとその仲間の姿は、一瞬の後に船内から消えていた。あとに残された従者が明かりを落とすと拷問部屋は本当の闇に覆われた。
読んで下さって、ありがとうございます。




