6-37 ダリーシャスの決意
「あー、楽しかった!」
サーカスの天幕を出てから何度目になるのか分からない、レティの弾んだ声にレイは笑みを浮かべる。追随するようにエトネが、
「すごかった。たのしかったよ、おにいちゃん!」
と、はしゃぐ。その度に乗っているゴンドラが揺れて船頭が渋い顔をするので、頭を下げておく。
時刻は月が空に高く座す頃。アウローラサーカスの公演が終わり、レイ達はジェロニモが用意してくれた宿屋へと向かう。手にはサーカスの天幕がある広場で買った食べ物が置かれていた。ジェロニモの店で食事を頂いたのだが、育ち盛りの腹は直ぐに減る。いつの間にかワインを購入したダリーシャスのつまみと共に、夜食を買い込んだのだ。一応、シアラの《ラプラス・オンブル》で死の確立を影として視てから、エトネの鼻で怪しい匂いがしないのだけを選んだ。
サーカスでのひと時はあっという間の、それこそ時の流れが違う幻想に誘われたかのようだった。
始まりのピエロのショーを皮切りに、天高くに張られた綱を左右から同時に渡る双子。獰猛な、人に懐かないようなモンスターを飼いならすモンスター使い。腹の中が異空間に繋がっているのではないかと思わせる痩せこけた男。合間合間に大勢が入り乱れるダンスショー。その中にはピエロがパントマイムを挟み込んだ。
その中でも特筆するべきなのは魔法使いのショーだろう。
昼間の宣伝活動で座長が言っていた魔術師が登場するなり、客席はわっと湧いた。どうやら、このサーカスのスターのようだ。
スポットライトに照らされた紫の髪を振り乱した男は、マントを翻すと幾つもの魔法を使いこなした。何が素晴らしいのかと言うと、複数の魔法を融合してみせたのだ。
炎を纏った雷の魔法が闇を切り裂く。
氷の鳥が連なって風に乗って客席を跳ぶ。
岩で出来た人形が動き出して行う寸劇も客に受けていた。助手役にあのピエロも登場していた。
ふと、観客席で見ていたリザがピエロの動きについて呟いていた。
「もしかして。あのピエロは目が見えていないのでしょうか」
「よく分かったね。どうやら、そうらしいよ」
レイは宣伝活動の時に、近くで見たピエロが火傷の痕をメイクで隠していたことを伝えた。納得したリザは逆に、どうして目が見えていないという質問に、
「あの方。顔の向きが微妙にずれているんです。今も、そうです」
リングでは、岩人形に襲われて逃げ出すピエロが、地面を揺らすほど巨大な岩人形に押しつぶされそうになっている。そのゴーレムの顔を見て、怯えるという演技なのだが、確かに顔の向きが若干見当違いな方向を向いている。
だが、その微妙な感覚の違いは、言われなければ気が付けないほど小さな差異だ。レイはそれに気が付いたリザを褒める。
「凄いね。この距離でよくその事に気が付いたね」
「私達の居た修道院にも全盲の方が居ました。彼女も、音や振動で周りの風景を感じ取ってはいましたが、顔を向ける方向が微妙にずれていたんです」
少し懐かしそうに呟いた彼女の言葉が印象的だった。
その後もアウローラサーカスの演目は続き、公演は万雷の拍手を持って終幕となった。帰路に着くレイ達は素晴らしいショーの思い出を語り合った。
ゴンドラは一度、軍船が停泊している船着き場近くで止まった。
レイ達が泊まる宿の名前を船長に伝えるためだ。彼らは、今夜は船を降りずに過ごす事になっている。その代りに一時的な下船の許可が出たらしく、大体の船員は出払っており、見張りとして留守番を押し付けられた船員が不満そうに伝言を受け取った。
用事を済ませると、待っていてもらった船頭に宿屋近くまで案内してもらった。ジェロニモが言っていた通り、用意された宿と軍船の距離は通り三つ分しか離れていない。走れば二十分程度で軍船に辿り着くだろう。もっとも、網目状に水路が走る街。水路で移動しないとなると、一々橋を探して回らないといけないのがネックだ。
船頭に料金を払い、レイ達は数階建ての宿屋へと入った。
「いらっしゃいませ。ご予約はございますか」
受付に居た恰幅の良い男が優雅な礼と共に質問を投げかける。レイは受付に近づく前にロビーの方へと視線を向けた。こじんまりとした宿屋ではあるが、清潔さは行き届いており、高級感がある調度品が並ぶ、品の良い宿屋だ。
従業員と思しき者達とは別に、置かれたソファーに座り談笑している子供づれの客が数人いた。彼らに聞こえないように、小さな声で、
「フェスティオ商会のジェロニモさんの紹介で来ました」
と伝えると、恰幅の良い男は静かに頷いて声量を落として返した。
「お話は伺っております。お客様の御芳名は要りません。こちらが鍵となっております」
渡された鍵をレイはポケットにしまう。
「ご用意したお部屋は最上階の角部屋です。ただいまご案内致します」
男は従業員に受付業務を任せると、レティの抱えているバックパックを受け取りそのまま階段を昇り始めた。後を追うと、歩きながら彼は自分が宿屋の責任者だと名乗り、用意した部屋の事や、宿屋について説明を始めた。
用意された部屋は宿屋の最上階。七階の部屋だ。どうやら、この宿屋に置いて最上階の客室は一つしかないようだ。
「此方の階は明日まで他のお客様も、従業員たちも近寄らないようになっております。仮に部屋に訪れる時も、伝声官を使って事前にお知らせしますので」
つまり、何の連絡もなしにこの階に来た人間は敵だと判断していいと言う事になる。宿屋側の気づかいか、ジェロニモの気遣いなのかは分からないが非常に助かった。
少し息を切らせた男は最後までバックパックを降ろすことなく、七階まで辿り着いた。
長い廊下の一番奥に、客室の扉はあった。レイが渡された鍵を回して部屋に入ると、宿屋の主が明かりをつけて回る。通された部屋は高価な調度品が並べられ、柔らかなソファが中央に鎮座し、簡易ながらもミニバーがある部屋だ。しかし、寝る場所が無かった。
「此方の部屋はいわゆる応接室となっております。そして、こちらが寝室となっております」
どうやら、この客室はスイートルームの様だ。応接室にある扉を潜ると、レイは眉をひそめた。寝室には凝った装飾に天蓋付きのキングサイズのベッドが中央に置かれていた。それ以外は、一般的な家具が並んでいる。つまり、ベッドは一つしかないのだ。
最初に入った応接室にはソファなどはあるが、ベッドは置いてない。この二つに繋がった部屋にはベッドは一つしかないのだ。
「申し訳ありません。急な予約の為、空いているお部屋がこちらしかご用意できませんでした。お客様には大変ご不便かと存じますが、どうかご容赦ください」
宿屋の主人は何度も謝りながら部屋から退出していく。あとで従業員が追加の寝具を用意するとの事だ。
天涯付きのベッドを前にして、ダリーシャスが含み笑いを浮かべつつ、
「レイ。一緒に寝るか。なに優しく手ほどきしてやろう」
「ふざけたことぬかしていると、もぎ取りますよ」
何処をとは言わなかったが、ダリーシャスは下半身を手で守る。
話し合いの結果、天蓋付きのベッドはリザ達女性陣が固まって使用することになった。リザやレティは難色を示したが、ダリーシャスが、
「一人で使うには広すぎるし、レイと共に眠って間違って手を出したら、もぎ取られてしまうからな。俺はこっちで一向に構わんぞ」
と、度量の広い事を言う。王子でありながら、諸国を旅し、野宿にも抵抗が無いダリーシャスは固い馬車の床でも文句を口にしたことは無い。レイも、絨毯の敷き詰められた床なら、野宿よりも何倍も良いと二人に言う。
レイとダリーシャスの二人がかりの説得を受け入れたリザ達は船旅の垢を落として、早々に床に就いた。一応、レイとシアラとリザの三人が持ち回りとなって寝ずの番をする事になっている。そのため、レイはコーヒーを飲みながら本を読んでいた。
応接室の中は幾らか様変わりしていた。箪笥が扉を押さえ、その上から鼈甲のテーブルがもたれかかっている。これは外からの侵入者を警戒して入り口を塞いでいるのだ。海が一望できる窓も似たように塞がれていた。
クッションを床に置いて座るレイとは対照的に、ソファに体を投げ出したダリーシャスは傍に引き寄せたサイドテーブルの上に置かれたグラスにワインを注ぎ、つまみと交互に口にしていた。
二人の間に会話は無い。静かな夜だった。ただ、その静寂を心地いとは思えないレイが沈黙に耐えかねて口を開いた。
「あの、昨日の話なんですけど」
「ん? 昨日の……未来予知の事か」
急に話を振られたダリーシャスは胡乱気な瞳をレイに向けた。月明かりも射しこまない室内。蝋燭の明かりに照らされた橙の瞳は、意外な事に酒気を帯びていない。なにやら、瞑想するように考え事をしていた様子だ。
「違います。……考える事があるって言っていたじゃないですか。あれって一体何の事なんですか」
レイの質問にダリーシャスは、
「辛抱できずに聞きたくなったか。我慢が足りないな、其方は」
と、からかうように言う。レイは冷たい視線を送り、軽口を黙らせた。
「この都を発てば、デゼルト国まで一直線です。国に着けば、後は迎えの人が来て、首都までは危険が無いんでしょ」
「うむ。ナリンザが生前に全ての手配をしてくれた。あれのする事だ。抜かりはない」
ダリーシャスは自分の従者を誇らしげに語る。
「そしたら、こんな風に軽口を叩けなくなるかもしれないじゃないですか。貴方は王子で、僕は一介の冒険者だ。もしかしたら、離れ離れになるかもしれない」
「なんだ、急に。寂しくなったか。ちなみに俺はそうなったら寂しいぞ」
「茶化さないでください。……だから、その前に聞いておこうと思ったんですよ。貴方が何を考えているのか」
レイの説明に納得したのか、グラスを置いたダリーシャスは床に座る。レイと同じ高さから、彼は語り出した。
「……レイ。俺は……王になる」
重苦しい、しかし、断固たる決意と共に放たれた言葉はレイを驚かせるには十分だった。
「……本気ですか」
「ああ」
「……それは次の神前投票で王になるってことじゃなくて、今回の投票でなるって意味ですか」
「無論、そのつもりだ」
しん、と室内は静けさを取り戻す。壁に掛かった時計が刻む音がやけに耳に大きく聞こえる。
「そんな。だって、出来るんですか。王に名乗り挙げられるのは、今の王の子供だけって」
「それは正確ではない。正確には現王の血を継ぐ男子だ。孫である俺にその資格は十分あるし、前例もない訳ではない」
問題ないと繰り返すダリーシャスとは裏腹に、レイは無茶だと思う。神前投票は文字通り投票で勝敗が決まる。勝敗を別つのは票の取りまとめだ。どれだけの票を自分に引き寄せられるのか、相手の票を削れるのかが重要になる。
言っては悪いが、ダリーシャスに政治的な力があるとは思えない。神前投票が開催されると報せが来てから数か月。未だに他国に居る彼は他の立候補者から大きく引き離されている。なにより、彼の対立候補の一人は彼の父親だ。
自分を支援する勢力と被っているのだ。これは致命的と言える。
「どうして、こんな土壇場でそんな事を考えているんですか」
「むしろ土壇場だからだろうな。こうして、命をつけ狙われている現状、俺は次の神前投票まで生き残れるかどうか分からん」
「……どういう意味ですか」
驚くレイだが、一方で同じことを考えていた。頭の中の冷静な部分がダリーシャスの言葉を肯定していた。
「父上が勝てば、王の血を継ぐ後継者は三人だ。兄上に弟。そして俺だが、生憎と国を空けている時間が長い俺に協力したがる者は少ないだろうな。多くは兄上になびくだろう」
一拍開けた後、ダリーシャスは血を吐くように告げた。
「何より、兄上は俺を恐れている。俺の持つ、《ユマン・ゲンニュ》の力を恐れているのだ」
ダリーシャスの持つ特殊技能。人の感情を操る力は勢力を切り崩されかねない、恐ろしい力だ。例え、味方であっても警戒してしまう。いずれ敵対すると分かっている相手なら、尚更だろう。
「長い時間をかけて行けば、兄上の勢力を切り崩す自信はある。だからこそ、兄上は俺にそのための時間を与えずに早い段階で始末する。……いや、正直な所、トトスに潜んでいた刺客は兄上の手の者ではないかと俺は睨んでいたぐらいだ」
「つまり、貴方の兄との対立は避けられなくて、自分の足場が固まる前に殺される、と」
「うむ。……あり得る可能性だろう」
あり得ないとは言えない。沈黙がレイの答えだった。
「故に、俺が王になるには、今回を置いて他には無い。ナリンザが……俺の誇るべき忠臣が望んだ事だ。主として、王となった姿を御霊に昇ったアイツに見せてやりたいのだ」
ダリーシャスの悲痛なまでの覚悟は伝わった。だけど、それが何を意味するのか、果たしてダリーシャスは理解しているのだろうか。
神前投票の恐るべき掟。それは敗者に待つのが死だという事だ。
ダリーシャスが王になるという事は対立候補は死ぬ。
「自分の……父親を手に掛ける覚悟はおありなんですか」
「無論。その覚悟無しに、このような事は口にしない」
酒に溺れていない。酷く冷たい眼差しがレイを射抜く。俺を舐めるなよ、とその視線は告げていた。
覚悟を溜めているダリーシャスだが、問題は他にもある。
「勝算はあるんですか。いまから、この劣勢を覆すような秘策は」
「これが困った事に全くないのだ。このままでは砂上の楼閣。夢で終わってしまうのだ。まあ、兄上が国を離れている間は神前投票は行われない。それまでにどうにか勝ちの目を作らねばな」
一転して、頭をかくダリーシャス。ことが戦闘では無く、政争なだけにレイに口を挟むことはできない。悩むダリーシャスをそっとしておくことしかできない。
そんな時だった。
―――街を震わす、大きな鐘の音が鳴ったのは。
澄み切った音でありながら、人の心に不安の種を宿すかのような鐘の音は波打つかのように何度も響く。
「……これって、街の中央にあった塔の鐘ですか」
時計を見ると、時刻はちょうど真夜中を指していた。レイはてっきり、時間を知らせる鐘かと思う。だが、この街を訪れたことのあるダリーシャスがおかしいなと呟いた。
「この様な時刻に、鐘が鳴るはず無い。そもそも、あの鐘は高波が来るときの避難を知らせる鐘だ。……まさか、津波か!?」
津波と聞いて、反射的にレイは行動を開始する。隣室で眠っている四人を叩き起こし、高台へと逃げるように伝えようとしたのだ。
「四人とも、起きて! 今すぐ、宿を離れて高台に―――っえ?」
扉を開け、大声を上げるレイだが、あり得ざる光景を目の当たりにして硬直する。応接室と同じように窓を塞いだ暗い室内。ベッドの傍に置かれたランプが室内を照らす中、浮かび上がったのは二つの影だ。
一つは金色の髪をした少女。晴れた青空を思わせる青い瞳が、レイの方を縋るように見つめている。
一つは栗色の髪をした少女。小さな体のどこにそんな力があるのか。金髪の少女に馬なりになって圧し掛かっていた。その小さな指先は姉の首に掛かっている。
レティがリザを襲っている。
そのあり得ない光景にレイは呆然と立ちすくんだ。すると、闖入者に気が付いたレティが顔を上げ、視線を姉から主へと向けた。
エメラルドグリーンの瞳は、今では見る影もないほど赤く濁っていた。
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