6-36 アウローラサーカス
「……俺もいい大人だ。年下に大人げない態度をとったことも認めよう。だから、この傷に関しては水に流してやるぞ」
「あら。魔人種のワタシに生きた年数で上を行けると思っているの?」
腫れた頬を抑えながらも不遜な態度を止めないオルタナをシアラは挑発的に見上げる。あの後。シアラが芸術的な右の打ち下ろしをぶちかました後、レイ達は個室を出て店の外へと移動した。
あわや乱闘になりそうなのを察したジェロニモがレイ達を店から追い出したのだ。水を差された両者はどうにか矛を収めた。レイはジェロニモの好判断に何度も頭を下げていると、人のよさそうな笑みを浮かべた彼は、
「それではレイさん。本日は此方の宿をお使いください」
と、言いながら紙片を差し出した。そこには用意してくれた宿の名前と住所が書かれている。ダリーシャスが横から覗くと、軍船が停泊している桟橋から近い宿だと言う。
「商会の方で用意した宿ですが、幾つか偽装工作をしております。一泊程度なら、敵の目を誤魔化せるはずです」
「わざわざ、ありがとうございます」
「いえ。王……この方を支持する一族として当然の事。……それで、この後はどのようになさるおつもりですか。宿の方から部屋の準備は整っていると聞いているので、宿に向かっても問題はありませんが」
ジェロニモの質問にレイは考えあぐねる。時刻は夕方近い。太陽が水平線へと沈むように移動していた。いまから街を探索していたら、宿に帰るのは夜遅くなってしまう。元々、アクアウルプスに寄るつもりはなく、寄るにしても指輪の事を相談したり、魔法式を刻んでもらうつもりでいた。いま、五つの指輪の内、三つの指輪に魔法と精霊が封じられている。残り二つについては、どんな魔法を刻むのかまだ決めかねていた。
レイとしては対象や目標を選ばない範囲型の回復魔法か盾魔法にしたいのだが、いかんせんその辺りの伝手は無い。これから術者を探してという時間も無い。オルタナもその系統の魔法にはあまり自信がないと断った。アクアウルプスでこれ以上、指輪の件を片付けようとしても、時間の無駄になりそうだ。
「宿に行くのも悪くはないんでしょうけど、それだとちょっと勿体ない気がしますね」
「でしたら一つ、おすすめの場所があるのですが、興味はありませんか」
待っていたといわんばかりにジェロニモは懐から数枚の紙を取り出した。長方形の紙片は染料で染められ、絵が描かれている。
「それは一体なんですか?」
「この都で今一番流行っているサーカスの入場券です。ご存知ですかな、アウローラサーカスというのですが」
聞き覚えのある名前に反応したのはレティとエトネだ。
「知ってる! 飴を配っているサーカスだよね」「あめ、おいしかった」
それならば話が早いとジェロニモは言う。
「実は伝手でサーカスの席を頂いたのですが、生憎と見に行く暇がなくて。お時間の都合が良ければ、皆さんで行くのはどうでしょうか」
サーカスのチケットを受け取ると、どうやら用意された席はVIP席のようなもので、期間中ならいつでも入る事が出来るようだ。
レイはジェロニモに開演時刻を尋ねると、次の公演まであと二時間ぐらいと返ってきた。今から行けば、開演には間に合うだろうと付け足した。
(このまま宿に向かうのも味気ないし、これぐらいなら行っても大丈夫かな)
確認の為にダリーシャスに視線を向けると、彼は鷹揚に頷いた。依頼人の許可も出たし、何よりレティとエトネの二人が服の袖を掴み、これでもかというぐらい縋りつく、上目遣いをしていた。その無垢な目に逆らうことはできない。
「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
レイが言うと、ジェロニモは券が無駄にならなくて良かったと喜ぶ。
「それと、オルタナ。アンタにも世話になった」
「それはこっちの科白だ。……まあ、お釣りのような一撃は貰ったがな」
まだ痛むのか、頬を撫でるオルタナはくるりと背を向けた。僅かに首を回した男は、肩越しに視線を送ると、
「坊主に嬢ちゃん。アンタらの旅路に幸運があるよう、祈ってるよ」
「そっちこそ。息子さんに13神のご加護がありますように」
シアラの言葉に背を向けたまま、オルタナは夕暮れに染まりつつある道に、長躯の影を作った。
「サーカス。サーカス。楽しい、サーカス」
「さーかす。さーかす。たのしい、さーかす」
レティとエトネは自作の歌を口ずさみながらゴンドラの先頭に身を乗り出していた。二人とも上機嫌で、何よりエトネは尻尾をぶんぶんと振り回してこれでもかと楽しそうにしている。もっとも、彼女はサーカスが何かというのをおぼろげにしか理解しておらず、何やら楽しそうな事だと認識していた。
今度の船頭は全身が毛むくじゃらの熊人の雑種だ。寡黙ながら、子供たちが先頭に固まっているというのにゴンドラのバランスを崩さないのは見事の一言につきる。
レイは喜ぶ二人を眺めていると、ダリーシャスが小声で語り掛ける。
「おい、レイ。あの娘が『魔王』の血筋だと言うのは本当なのか」
「本当ですが……それが何か?」
不思議そうに首を傾げるレイに、ダリーシャスは信じられないという風に己の顔を手で覆った。珍しく、こめかみに青筋を浮かべながら彼は説教をする。
「何がじゃない。人魔戦役が終わって三百年は経つが、それでも当時の爪跡は今にも影響を与えるほど甚大な物だ。龍との戦争で疲弊した所に起きた戦争だけに、滅んだ国は数知れず、被害を受けた子孫にはいまだに魔人種排斥を掲げるような輩も居る。そいつらが一番憎悪をぶつけるのは、他ならぬ『魔王』とその血だ。なのに、お前はあの者の正体を俺達に口止めしようとはしないのは何故だ!?」
言われてからレイは己の不手際に気が付いた。気が付かされた。
慌てて口止めをしようとするレイを遮り、ダリーシャスが言う。
「幸い、と言うのは奇妙な話だが。デゼルト国は人間戦役の後に誕生した国。……とはいえ、魔人種によって酷い目にあわされた一族も中には居るがな。俺自身は特に何とも思ってはおらんし、ジェロニモにも他言無用と伝えた。ともかく、其方はもう少し仲間の事に気を配れ。どこでどんな奴が居るのか分からんのだぞ!」
真剣なダリーシャスの言葉に、レイは感心すらしていた。普段は酒にだらしない姿をしているというのに、ここぞという時は年長者として、王族としての振る舞いや気遣いを見せる。おそらく、ナリンザはダリーシャスのそういった面を良く知っていたのだろう。
そんな話をしているうちに、ゴンドラは街の中を縦横無尽に走っている水路を進んだり、下ったりして、アウローラサーカスの天幕近くの船着き場についた。
そこは驚いたことに、円形の街から出島のように突き出した場所だった。水の都アクアウルプスの外周部。外層の街並みから足場が伸びて、そこに円筒形のテントが置かれていた。広場にはサーカスのお客目当てに屋台が出店しており、人々で混雑していた。
大勢の人が夕暮れに照らされた円形の天幕の中へと吸い込まれていく。どうやら人気だと言う謳い文句に偽りはない様だ。船頭に料金を支払ったレイ達は人ごみに流されながら天幕へと向かった。
「入場券をお持ちの方は、こちらで確認しまーす。持っていない方はあちらで購入してくださーい!」
もぎりらしき少年たちが声高に叫ぶ。彼らの傍には屈強な男たちが控えており、チケットを持たない人物の侵入を阻んでいた。列は緩やかに進み、レイ達の番となった。
「入場券を確認しまーす。……っと。これは失礼をしました。特別席のお客様です!」
もぎりの少年が叫ぶと、屈強な男の一人が案内いたしますと告げた。レイ達は一般の人たちが使う入口とは別の場所へと誘導され、そこから中へと入った。日光を遮断した分厚い天幕の中は薄暗く、何かしらの仕掛けが施されているのか涼しかった。夏の日差しに照らされた肌には心地よい。
天幕の中はすり鉢状の構造となっている。サーカスの芸人たちがショーをするリングが照らされ、客席がリングをぐるりと囲むように階段状に並んでいる。その中でレイ達が案内されたのは最前列の升席だった。他の席はベンチのような硬い椅子が並んでいる中、升席は直接座るように柔らかな絨毯が敷き詰められている。六人が入っても、まだ余裕がある広さだ。
最前列は全て升席となっており、どの席にも身なりの良さそうな人たちが座っている。どうやら水の都でも有力者の家族や関係者が招待されているようだった。
開演まであと少し。すでに客席はほとんど埋まっていた。天幕の中は興奮と期待で温度が上昇していく。レティやエトネだけでなく、リザやシアラ。それにレイも気分が高揚していく。
それが最高潮に達した時―――ふっと天幕の明かりが消えた。
ざわり、と。暗闇の中を不安が忍び寄る。誰もが騒めき始める時を見計らったように、今度はリングの中央のみを明かりが照らす。その明かりを一身に浴びているのは、だぼついた派手な衣装に身を包み、けばけばしい化粧をしたピエロだ。
観客の視線がたった一人でリングに立つピエロへと集中した。
「あのピエロ。宣伝行列にも居たな」
飴を配っていたピエロに、エトネが手を振った。
ピエロは大げさな身振り手振りで自分の体を叩く。何かを探しているのか、しきりに何度も何度もたたき、袖口と首の裏とだぼだぼのズボンの中からボールを発見した。コミカルな動きに場内からくすくすとした笑いが起きる。
取り出した三つのボールはピエロの二本の手によって大きな円を描くように宙を舞う。ジャグリングだ。三つのボールは規則正しいリズムで、ぐるぐると回る。一周、二周、三周と続くうちにボールの高さは上昇していく。それこそ、天幕の天涯付近までボールが届きそうな勢いだ。
凄いな、と感心しつつもありきたりな芸だとレイが思っているとスポットライトの外からピエロに向かって新しいボールが投げ込まれた。ピエロはそれを見向きもせずキャッチするなり、ジャグリングの中に混ぜて行く。ボールの数が五個、六個、七個と増えて行くのに合わせて速度は増していく。観客の目にはボールの色が残像のように映る。
ピエロはボールの方を見ないで、周りの観客に向けて愛嬌を振りまいている。その間にも、スポットライトに投げ込まれるボールの数は止まらない。一方からではなく、四方八方に広がる闇から出鱈目に投げ込まれるそれらを受け止め、ジャグリングの輪に組み込んでいく。
そして、ピエロは回しているボールの方向を変えた。今度はスポットライトの中から外へとボールは押し出されていく。
暗闇に居る誰かに向けてボールは受け止められていき、ピエロが投げているボールの数は初めの三個に戻った。すると、今度は別の物がピエロの方に投げ込まれた。それを見て、観客の中から短い悲鳴が上がった。
投げ込まれたのは短剣だ。
決して作り物では無い鈍い輝きをした短剣が山なりの軌道を描いて、ピエロの手に吸い込まれる。その勢いから、下手に刀身に触れれば、指すら斬り落ちそうなほどだ。
しかし、ピエロは短剣の柄だけを正確に指で弾くと、ボールと同じ軌道でナイフを空へと舞わせる。その間もピエロは残っていたボールを外に追いやり、今度は代わりに短剣が投げ込まれていく。
いつの間にかピエロのジャグリングは短剣を用いた物になっていた。八本の短剣がスポットライトの光を浴びて反射する。観客は息を飲んでショーを見守った。
そして、ピエロは短剣の刃を指の間で挟んで掴む。一回、三回、五回、八回。合計八本の短剣が全てピエロの指の間に収まると、観客は割れんばかりの拍手を送った。
同時に、天幕の中に明かりが戻ると、いつの間にかリングにはサーカスの団員たちが勢ぞろいしていた。中には行列で見かけた芸人も居る。そんな中から小太りの男が前へと出て、観客に向けて頭を下げた。
「紳士淑女、並びに坊ちゃま嬢ちゃまの皆さま。本日はアウローラサーカスの公演にようこそいらして下さいました。吾輩、座長のアンドリアスと申します」
座長はシルクハットをかぶり直すと、口上を続ける。
「ただいまより皆さまをめくるめく、摩訶不思議な世界へと誘いましょう。どうか、最後までご堪能ください!」
読んで下さって、ありがとうございます。




