6-31 アクアウルプス
「アクアウルプスが見えて来たぞ!」
甲板で作業の手伝いをしていたレイは空から降ってくる声に反応した。メインマストに上がった船員が単眼鏡を覗きながら進路の方向を指差す。手すきの船員たちが前方へと駆け寄る中、レイもそちらの方へと流れて行く。同じように甲板にリザ達も姿を現した。
「あれが……水の都か」
船の先端より更に向こう側へと視線を向けると、レイは言葉にならない感嘆のため息を零した。
三大陸の外洋に位置する都市国家は絶え間なく続く白波を防ぐ防波堤を周囲に築いている。いわば、そこが国境線だと主張する城壁のように。その囲いの内側に都市はあった。
塔やら建物やらが海上から突き出て、それが天に向かうように伸びている。横から見ていると三段重ねのケーキに似ているなとレイは思う。カラフルな建物によって色彩豊かに彩られた建造物は、さながら一流の画家が緻密に構図を作ったのか。あるいは子供の落書きか。
ともかく、日本に居た時は考えられないような異色にして異端の街がそこにはあった。海の上に、人が暮らす都市があるのだ。そこでは人が生活し、恋をし、喧嘩もし、そして一生を終えるサイクルが、閉じる事のない螺旋が続いている。
「信じられないな。本当に海の上に都市があるよ」
「ご主人さまの故郷にはああいうのは無いの」
「いや。無い訳じゃないけど、こんな外洋のど真ん中には流石にないよ。陸地から飛び出した出島のような埋め立て地や、陸地が視える距離の群島を埋め立てた都市はある。でも、こんな場所に国があるなんて、とんでもない話だよ」
とんでもない事、と言う意味が引っ掛かったのかレティは首を傾げた。
「そうだね。例えば津波とかはどうするのさ」
地震が多い日本で生まれ育ったレイらしい疑問だ。四方を海で囲まれた都市に、高台があるとはいえそこに全ての国民が集まれるかどうか不明だ。もしもの時の逃げ場がなさすぎる。
「防波堤を超えて波が襲ってきたら、それこそ街が海に沈んじゃうだろ」
「その心配は無用だ」
背後からダリーシャスが近寄ってきた。上半身を肌蹴ているのはいつもの事だが、季節と合って違和感が無い。
「この都市国家には幾つもの防御策があり、その一つにこの防波堤がある」
都市を囲う防波堤にはいくつか細い隙間があり、そこを通過して船はアクアウルプスに出入りする。軍船が入国の列に並び、近づいてくる防波堤をダリーシャスは指さす。
「有事の際にはこの防波堤から巨大な盾の魔法が出現し、津波を防ぐことになる。他にも、独自の防衛策があり、この海域における安全圏を確保しているのだ」
(流石異世界。魔法の一言で大抵のことを片付けやがる)
内心で呆れかえっていると、軍船は行列を抜けて防波堤の内側にたどり着いた。すると、小舟が拡声器らしきものを持って軍船を誘導する。
船長はその誘導に従って、船を指定された桟橋へと接岸する。軽い振動が船を揺らし、船員たちが縄で船を固定した。
「レイ殿! それにダリー殿! 済まないがこちらに来てくれないか!」
慌ただしく動き回る船員たちの向こう側で船長が二人を呼ぶ。レイ達が近寄ると、船長は今後の事について説明を始めた。
「これから、水と食料の手配と積み込みをしますが、アクアウルプスを出立できるのは、明日になります」
てっきり、今日の内に出発できると思っていたレイは驚くが対照的に、ダリーシャスは納得した表情で頷いた。
「この国の決まりの一つに、最低滞在期間というものがあります。他国の船は最低でも一泊しないと出国が許されないのです」
「アクアウルプスは商人の国。あの手この手で金を踏んだくろうとするので有名でな。この桟橋を使うだけでも、使用料に保険金に保証金、桟橋の警備代などが掛かるはずだ」
その通りと船長は言う。
「まあ、食料と水の確保に半日以上は掛かります。今が昼ですから、終わるのは夜でしょうな。どちらにしても出発は明日の朝です。その間、貴方たちはどのように過ごされますか」
どのようにという質問にレイは戸惑う。元々、アクアウルプスによる予定ではなかったため、特にこれと言った考えはなかった。数少ない用事としては、指輪の事があるが、いつ刺客に襲われるか分からない状況で街をうろつく気にはなれなかった。
ところが船長は真剣な顔つきで、
「王子から貴方がたの身柄を預かっている者としては情けない話ですが、自分たちの戦力だけで貴方がたを守れる自信はありません。正直に申せば、船を降りるべきかと」
「どういう意味だ、船長」
「この港に敵が潜んでいるかもしれないという事です。シュウ王国の国旗を掲げての入港。敵にここに船が居るぞと回りに宣伝しているようなものです。下手に船に残っているよりも、街の人ごみに紛れた方が狙われ難いかもしれません」
船長の言葉にも一理ある。逃げ場のない船の中で襲撃に遭えば戦う時に不利になる。それに船が破損すれば、出港の時間が延びてしまう恐れもある。一刻も早く国に帰りたいダリーシャスは納得したように頷いた。
依頼人が納得した以上、レイに言うことは無い。
「分かりました。それでは明日の朝まで僕らは別行動を取らせてもらいます。……その代りに、水と食料の確保と、船の警備はそちらでお願いします」
任せてくださいと胸を張る船長から離れ、リザ達の元へと戻った。
「と言う訳で、船を降りて一泊。僕らだけで敵から逃げ回る事になった」
「あれだな。ていよく追い出されたな、これは」
暢気そうに告げる男二人にシアラがこめかみを抑えている。リザも無表情ながら、どこか悲しそうな瞳をレイ達に向け、レティもため息を吐いた。エトネだけは甲板から街の方に気を取られていた。
女性陣のどんよりとした空気にレイは言い訳を繕う。
「せ、船長の気持ちも分からない訳じゃないよ。警戒していた船に忍び込んで毒を入れた凄腕の刺客相手だと、自分たちだけでは守り切れないと考えるようになってもね」
そもそも、彼らは海軍。船対船の戦闘に特化している。船上での肉弾戦もあるが、それでも本職の騎士や、刺客たちに比べたら自信はない。
何より、軍船の入港は目立つ。いまもシュウ王国の国旗を掲げる船に街の人たちからの視線が集まっている。船長の言う通り、すでに入国は敵にばれているはずだ。
「船と言う狭い場所で乱戦になったら、僕らとしてもやりにくい。下手にコウエンが暴走して船が灰になりましたってオチは避けたい」
「……ありえそうなだけに笑えないわよ、そんな未来」
シアラの冷静な突っ込みが入る。
「それで、街で時間を潰しつつ宿を決めたいんだけど、この街の事を知っているのはシアラと……ダリーシャスもか」
手を上げた二人の内、シアラは早々に手を降ろした。彼女は、
「奴隷として登録したりした程度だから、詳しくは何にも知らないわよ」
と、肩を竦めた。全員の視線がダリーシャスに集まる。
「レイ。一応、この国の中ではダリーと呼べ。身分証ではそうなっているのだから。……この国にも外遊で来た。その際に市井の方にも出向き、色々と見て回ったからな。一通り案内できるし、信頼のおける者も居る。どこか行きたい場所があるのか?」
「それは助かります。まず、腹ごしらえがしたいので、信頼できる食堂を」
食堂と聞いてレティとエトネが揃ってお腹が空いたと呟いた。食料に毒が入っていることが発覚してから、食事の量も回数も減らされた。育ち盛りの二人にはきつかったのだろう。レイもまた空腹を感じていた。昼の時間を過ぎて随分と経つのだが、最後に取った食事は朝食の固いパンと薄いスープだけだ。
レイの頼みにダリーシャスはいい店があるといった。
当面の目標を決めると、レイ達は出発の準備を済ませる。船に残していくのはキュイとアスタルテの二匹だけで、他の荷物は全て持ち歩くことにした。二匹に別れの挨拶をして、歩み板を降りてアクアウルプスに上陸した。
桟橋を進むダリーシャスはまず、街の案内図へと向かった。
「船からも見えただろうが、この街は三つの階層に分かれている。船着き場や、市場、それに造船所や魔法使いの研究所があるこの階層を外層。そこから内側に向かって一段上がると、民家や商店などが並ぶ内層。そしてもう一段内側に向かうと、国の心臓部が集中している芯層の三つに分かれている。俺が知っている店は内層にある」
「それじゃ、今いる階層の上に行くんですね」
レイは視線を都市の中央の方へと向けた。そちらには立ち並ぶ建物よりも頭一つ抜き出ている壁が聳えていた。ダリーシャスはそれを内層の基部だと説明した。
「あの壁のように見える基部の上に建物が乗っているんだが、そこまで歩いて行くのは面倒だ。だから、ゴンドラを使って移動するぞ」
説明を終えたダリーシャスは勝手知ったる何とやら。近くのゴンドラ乗り場に当りを付けると、一人で行こうとしてしまう。これでは護衛の立場が無い。
(ナリンザさんも苦労していたんじゃないかな)
ダリーシャスの首根っこを掴んだレイ達はゴンドラ乗り場へとたどり着いた。
アクアウルプスは街の中に水路を引きこんでおり、馬車の代わりにゴンドラで移動するのが普通だとダリーシャスは言う。船頭に目的地の店を告げると、トカゲ顔の船頭は了解と歯切れよく答え、長い棒を使って水路を進んでいく。水路の幅はゴンドラが三つも四つも並べられるほど広く、いまも色とりどりのゴンドラたちがすれ違っていく。
「お客さんたち、アクアウルプスに長く滞在するんですか?」
「いえ、明日には出てしまいますが」
レイが返すと、船頭は肩を落として、
「そうですか、そりゃ残念。長く居てくれるんなら、滞在中の足にでもなろうと思ったんですけどね。何しろ、お客さん方。羽振りがよさそうに見えるんで」
「そいつは当てが外れたな。……ところで、アクアウルプスは久しぶりだが、何か変わったことは無いか」
何気ない風を装っているが、ダリーシャスの瞳は鋭く、獲物を狙う猛禽類のようだ。船頭は世間話のつもりか、軽く頭をかきながら答えた。
「変わった事ですか。うーん。特にないと思いますね。大陸のお客さんは変わらずに来てくれますし、近海で大型モンスターが出たって話もありませんし」
「そうなのか。シュウ王国はどうなんだ。あそこは最近スタンピードが起きただろ。客足が落ちたんじゃないか」
「いえいえ、とんでもない。むしろそのお蔭で賑わったぐらいですよ。大陸の救難物資や人手を積んだ船がここを経由してくれたんでね。こんな言い方しちゃわりいですが、スタンピード様様って言っている奴もいますよ」
船頭の他人事のような言い方に、その渦中に居たレイは複雑な感情を抱く。しかし、それを面に出しても意味はない。ダリーシャスはレイの気配を察して、話を本題へと進めた。
「それじゃ、デゼルト国とかはどうなんだ」
「へぇ? 南方大陸の。いやー、特に変わったことは聞いてませんけど、旦那さん。なんかあったんですか?」
「いや、聞いていないならそれでいいんだ」
そうですかと船頭は納得した様だ。反対にダリーシャスは難しそうに顔を手で覆う。王が不在の中、数か月が経つというのに、近隣の国にその報せが届いていないというのは、情報封鎖が上手く行っているのか、あるいは別の事が起きているのか。
海をあと一つ渡れば故郷にたどり着くと言うのに、その故郷の正確な現状を知る事が出来ずに、ダリーシャスはもどかしさを感じていた。
すると、陸地の方からわっと歓声が上がった。レイ達が見上げると、水路を跨ぐように掛かっている橋の一つに人だかりが出来ていた。
「あれは何ですか。お祭りでもやっているんですか」
「ありゃ、お祭りじゃなくて、サーカスの宣伝でしょうな」
船頭の言葉にレイはサーカスと繰り返した。
「ええ、そうです。何日か前から、外層の出島にテントを張って興行している一座が居て、日に一度こうやって都市を練り歩いて宣伝しているんですよ」
(異世界にもサーカスってあるんだ)
妙な所に感心していると、ゴンドラのバランスが乱れた。レティとエトネが先頭の方へ身をのり出したのだ。慌ててリザが二人の腰を掴んだ。二人は揃ってレイの方を振り向くと、
「ご主人さま、お願い! 見てみたいの!」「みてみたい!」
瞳を潤ませて頼み込む二人にレイは負けた。
「すいません。ちょっとここで止めて貰えますか?」
「いいですけど、ここからじゃ見えませんよ」
陸地より低い所にある水路の為、見上げる形となるのだが、人垣が邪魔をする。船頭は気を利かして、陸地の方へとゴンドラを寄せてくれた。
エトネはするりと陸地に駆け上がり、レティはリザの助けを借りてよじ登った。レイも一跨ぎで陸地に飛び移るとゴンドラに振り返り、
「リザとシアラはどうする」
「ここに残っています」「興味ないわ」
行かないと言う二人にダリーシャスを頼んで、レイは幼女二人を連れて人垣の中に飛び込んだ。
道の両端に人の列が並び、その間をサーカスの芸人たちが練り歩いていた。奇抜な格好をした踊り子たちが舞いながら紙吹雪をばらまき、楽団が陽気な音楽を奏でる行列。その先頭に立つ小太りの男が良く通る声を響かせた。
「お集まりの紳士淑女に坊ちゃん嬢ちゃんの皆さま。我らはアウローラサーカス。アウローラサーカスに御座います。我等の演目は皆さまを夢と現の狭間へと誘います」
立て板に水とはまさにこの事。舌に油を塗っているのではないかと思うほど、軽快な語り口は続く。
「ただ、皆様をお連れするのは昼と夜の狭間、黄昏時に御座います。何しろ夢と現の狭間。人が人の形を保った時間では開きません。人が人の形を保てない時間にこそ、狭間は開くのです。え? それまで待てない。そんな方のために、この場を借りて我がサーカスの誇る団員たちを紹介したいと思います。まずは、この男!」
小太りの男が杖を振り回すと、サーカスの列から飛び出したのは痩せた男だった。着ている衣装はサイズが合わないのか、袖も丈が余っており、こけた頬は骸骨のようだ。
「彼は生まれながらにして無限の胃袋を持っているのです。ご覧あれ!」
痩せた男はドラムロールに合わせて、取り出した大剣を周囲に見せびらかしてから、なんとその剣を口に押し込める。見ていたレティとエトネが小声で悲鳴を上げた。
どう考えても男の背丈の半分以上はある大剣は、あっという間に男の体内へと収まってしまう。痩せた体のどこに収納されたのかさっぱりわからなかった。男は問題が無いと周りに手を振った。
「続きましては猛獣使い。いえ、モンスター使いをご紹介しましょう」
モンスターと聞き、どよめく群衆の前を悠然と豹に似た怪物がのしのしと歩いて行く。赤いたてがみを持つそれをレイは知っていた。
レッドパンサー。獰猛かつ俊敏なそれは、スタンピードの時に戦った中級モンスターだ。
その鋭い牙と爪に悲鳴が上がるが、直ぐに収まった。なぜなら、そのモンスターの上には女性が座っており、レッドパンサーを撫でているのだ。
「ご安心ください。彼女の調教で御覧の通り、獰猛なモンスターが飼われた猫のようにおとなしくなります。彼女は幾種類ものモンスターの調教に成功した稀有な存在なのです! 続きましては双子の曲芸師をご紹介します」
モンスター使いと入れ替わるように宙がえりを繰り返しながら道を進む二人組が現れた。彼らは止まる事を知らないように何度も宙返りをし、最後の仕上げとばかりに大きく飛んで、橋の欄干にある針のように細い装飾の上に立つ。
「彼らの身軽さと息の合った演技は正に神業です。他にも我がサーカスには火吹き男やナイフ投げの達人、種も仕掛けも無い魔法使いを超える魔術師などが居ります。是非、足を運んで、この世ならざる奇跡をお楽しみください。え? 私? 私はしがない団長です」
団長の口上が終わると、団員たちは揃って一礼する。群衆から割れんばかりの拍手が起きた。
それに応えるように手を振る団員達に、一人だけ別の事をしている者が居た。派手な装飾が施された衣装に、白塗りの顔。でかでかと赤く塗られた唇が目を引くそれは、道化師だ。
剽軽な、コミカルな動きをしながら群衆の中の子供たちに向けて、何かを配っていた。それは団員が移動するのに合わせてジグザグに移動し、遂にレイ達の前に来た。
「お嬢ちゃんたち。飴どーぞ」
小さな紙袋に入った飴はレティとエトネの手に収まった。二人は揃って礼を言う。
「ふふ。どういたしまして」
少し甲高い声にレイは驚いた。道化師は女性の声をしていたのだ。レティたちに飴を渡す道化師の横顔は分厚いメイクに隠されてはいるが、白ユリのような凛とした清楚さが滲んでいた。
ただ、特徴的なのはそこでは無い。道化師のメイクに紛れて、目の周りにうっすらと火傷の痕があった。笑っているようなメイクをしているが、その瞼は開かない程焼け爛れている。それなのに、レティとエトネの掌へと正確に飴を置いたのだ。
道化師は、腰を折り曲げて大仰な動きでレイ達の前から立ち去っていく。おそらく、このまま都市を一周するのだろう。すると、群衆の中から子供達が駆けだしていく。彼らを追いかけて行くのだ。
(ハーメルンの笛吹男みたいだな)
遠ざかっていくサーカスの団員たちと子供たちの背中を見てレイはふとそう思いつつ、ゴンドラへと戻った。
読んで下さって、ありがとうございます。




