6-30 針路変更
「トトスの港の生き残りから連絡が入った。どうやら、襲撃に失敗したようだ。火船の人員は全滅だ」
薄闇に男たちの唸るような声が響く。
「王子が他国の軍船に乗った事を逆手にとって、火船をぶつける事で第三者によるシュウ王国への攻撃に見せ掛けようとした策が失敗したか。……仕方あるまい、次の手を打とう」
僅かに日差しが差し込み、埃が舞う中、倉庫と思しき場所を無断で使用する男たちは近海の地図を広げている。
「ダリーシャス王子はシュウ王国海軍の船を使い、港町を離れた。船の足次第だが、本国に六日の内には着くだろう」
「それはいかん。本国に着けば、我等に手出しは出来ない。オードヴァーンの手の者が本国側で手ぐすねを引いて待っているはずだ」
「奴らの目を躱してダリーシャス王子の命を奪う事は不可能だ。何より我らの主の命令は、他国での暗殺。生きたまま本国に戻られては困る」
倉庫の中に居る男たちは様々な身なりをしていた。ある物は高価な装飾が施された服を着て、ある物は奴隷同然のボロを身に纏う。彼らに共通しているのは全員が赤灼けた肌をしている事と、剣呑な空気を身に纏っている事だ。
彼らはこの地に先乗りし、市井の人に紛れていた。黒装束に身を包むガシャクラ達とは対照的に溶け込んでいた。
そんな彼らは近海の地図を前に額を突き合わせて喧々諤々の議論を重ねる。しかし良案は出ないのか、議論に切れ間が出来た。そこを狙ったようにこの場で一番若い男が発言する。
「一堂、心配するな。全ては俺の思う通りに動いている」
「というと、若頭」
若頭と呼ばれた青年は自信を顔に滲ませて告げた。
「あの船はデゼルト国に着く前に、必ずここに、水の都アクアウルプスに寄らなくてはいけない。仕掛けは済んでいると、トトスに残った報告役も告げている」
「おお、流石は若頭だ。そのような仕込みをしていたとは」「これなら我らが一族も安泰ですな」
男たちの声が響く中、若頭は風を浴びてくると言い残して倉庫から退席をする。全員の視線が自分に向いてないのを確認すると、表情が一転した。毒々しいまでに歪ませた顔には侮蔑の色が滲んでいた。
「何が我が一族だ。あの盆暗共が。……まあ、いい。あんな盆暗共だから俺が良いように動けるのだ」
日差しの下に姿を見せた男は三十代前半の青年だ。猛々しさが前面に押し出されている、精力を漲らせている男だ。
男の鋭い双眸がアクアウルプスの街並みから、その外。防波堤の向こう側に広がる大海原へと突き刺さる。
「来い、ダリーシャス・オードヴァーン。ここが貴様の死に場所だ」
そんな強い殺意をぶつけられていることも知らずに、レイ達を乗せた軍船は大海原を進んでいた。
「世の中はままならないものだな。自分たちの思い通りに事が進むかと思えば、このような事になるとはな」
「そうですね。だから、まあ。面白いんでしょうけど」
ダリーシャスのボヤキにレイが律儀に返すと、其方は暢気だなと王子は返した。二人は甲板の後部に並んで座り、欄干の向こう側に糸を垂らしていた。手には釣り竿がある。糸の先にある針にはクズ野菜が突き刺さっている。
「釣れんな」
「ですね」
傍らに置いたバケツの中は海水しかなく、暑い日差しに温くなっている。そもそも、動く船から糸を垂らしたからと言って魚が釣れるわけがないのだ。それでも万が一にモンスターが引っ掛かってくれたらという希望的観測から二人は釣りに挑戦していた。
周りが無駄な行為をと白い目を向ける中、二人が釣りをしていたのには理由がある。
ガイウス船長が指揮する軍船に積み込まれた食料と水は補給無しでデゼルト国の港まで行くはずだった。ところがその食料品と水に毒が混じっていたのだ。そのことが発覚したのは昨日、トトスの港町を出港した夜の事だ。
気が付いたのは調理の手伝いを買って出たレティとエトネだった。エトネが匂いから毒に気づき、レティが船で飼われている鶏に毒味をさせた所、ことりと倒れてしまったのだ。
いつ、どうやって毒を仕込まれたのかは不明だ。それに明らかになった所で毒入り食料なのは変わらない。
ただ、仕込んだ犯人には心当たりがあった。おそらくデゼルト国の刺客だろうとレイは推測する。あれだけ自分の手で殺すことに固執していたガシャクラがここに来て毒を使うとは思えない。消去法でデゼルト国の刺客が残る。
元々、海でのトラブルを想定して多めに購入したのと、分散して購入したこともあり、数日分の食料と水は残っている。それに水に関しては、シアラが魔法で補給する事も出来る。もっとも、この真夏の気候だとじっとしていても汗が噴き出す。そのため水の消費は激しい。船室にて精神力切れで倒れるシアラにこれ以上働くのは酷と言えた。
何より問題は食料だ。意外な事だが広い大海原で補給する手段は少ない。海鳥などが魚を狙って低い所を飛んでいてくれれば獲れるのだがと船長がぼやく。あとはモンスターだが、シュウ王国近海のモンスターは大体駆除されてしまった。シュウ王国海軍の優秀さが裏目に出た。
他の船の助けを呼ぶという案もあったが、ダリーシャスという爆弾を乗せた船。下手に自分たちの居所を外部に知らせたら何が起きるか分からない。
纏めると、デゼルト国に補給無しでは着けないという事だ。
船はいま、当初よりも針路を南寄りにしている。目的地は水の都アクアウルプス。そこで食料と水を購入して、改めてデゼルト国に上陸すると船長は説明した。
「明らかに罠の中に飛び込んでますよね、僕たち」
「だな。あからさますぎて、逆に笑えて来るぞ」
これがデゼルト国の刺客が仕掛けたのなら、狙いはダリーシャスの暗殺―――ではないだろう。水や食料に毒を入れたとしても、それを真っ先に口にするのがダリーシャスと言う保証はない。確実性が無いやり方だ。
つまり、相手の狙いはトトスの港町を無事に出港した船を真っ直ぐにデゼルト国に向かわせず、途中にあるアクアウルプスに補給で寄らせようとしているのだ。
当然のように、そこに罠を仕掛けて待ち構えているはずだ。
「それを防ぐためにも、こうして釣りをしているというのだが、一向に掛かる気配はないな」
「まあ、船がデカい上に海も目標物が無いから分かりにくいけど、これって動いている馬車の上から糸を垂らしているようなもんですよね。だったら、魚は餌に反応できても追いかけるなんて不可能でしょう」
「だな。まあ、やるだけやって、ダメなら仕方ないだろう」
欠伸まじりに暢気に言うダリーシャス。オウリョウでの滞在期間中、ずっと書類仕事をしていた反動なのか随分と気が緩んでいる様子だった。
その眠気まじりの瞳で海を眺めながら、彼は切り込んだ。
「レイ。其方らの中に未来予知が出来る者が居るのか?」
唐突な発言にレイは動揺を隠せなかった。釣り竿を握る手が震えてしまう。ダリーシャスはそれを目敏く見つけ、若いなと笑う。
「どうして……そう思ったんですか」
問いを発する声が石のように固い。
「港での一件だ。どうやって護衛の騎士を説き伏せたか知らんが、あそこまで鮮やかな策はどう考えても事前にどのような襲撃が起きるか知っていなければ組み立てられん。……それこそ未来予知が必要なほどにな」
確信めいた口調に、誤魔化すことはできないなとレイは思う。かといって、《トライ&エラー》の事も《ラプラス・オンブル》の事も説明するつもりはない。誤魔化しはしないが、核心は隠す。
「僕らの中に未来予知が出来る者はいます。ですが、それがどういう形で未来を知り、誰が所有しているかは」
「構わん。未来予知となれば間違いなく特殊技能に相当する。軽々に口に出せないのは分からないでもない……ただな」
ダリーシャスは口にするか迷ったように沈黙し、絞り出すように尋ねた。
「ナリンザの死は予知できなかったのか」
―――心臓が止まりそうなほど、衝撃を受けた。
未来予知をダリーシャスから尋ねられた時にこのことを真っ先に思い浮かべておくべきだったとレイは自分を恥じる。
視線は遠く、海のはるか先。東方大陸の方を向いているダリーシャスが重ねて尋ねた。
「どうなんだ、レイ。あの死は避けられない死だったのか」
「……ナリンザさんの死は……避けられた死です」
悔恨の思いが噴きあがる。ベッドの上で何度も思い出す。ああすれば良かった。こうすれば良かった。どうすればナリンザは死ななかったのか。
幾晩も幾晩も考えた末に結論は出た。
いや、最初から結論は出ていたのだ。
「僕らがもっと強ければ、避けられた死でした」
僕らが弱かったから、ナリンザは死んだと暗にレイは言う。ダリーシャスは納得したのか頷いた。
「……そうか。……そうか。……弱かったから死んだか。弱いのは悔しいな、レイ」
ダリーシャスは釣り竿の糸を巻きあげると、欄干に立てかけ甲板に寝そべった。暑い日差しに抜けるような青空に彼は目を細めた。
「俺も王子と名乗っているが、一族での立ち位置は危うい。他国への外遊とは裏を返せば自国内での地位を確立できなかったことの表れだ。下手に自国に居れば政争にコマとして使われるか、あるいは毒でも盛られて寝台に括りつけられていただろう。故に俺は国を出て、諸国を旅するしかなかった。ナリンザは文句ひとつ言わずに良く付いて来てくれた」
かけるべき言葉が出てこない。
苦笑を浮かべたダリーシャスは器用にトンボを切ると、甲板に仁王立ちして言う。
「俺も、其方も、そしてナリンザも弱かったから死んだ。例えその結末を先に知っていたとしても、それは運命だったのだろうな。……だとしたら、俺はあの者の死に、忠義に報いなくてはな。あれはこんな弱い奴を主と仰いでくれた忠臣だ、無駄死にはできん」
「……それって一体、どういう意味なんですか」
レイの問いかけに、ダリーシャスは笑って誤魔化した。
「まだ秘密だ。誰にも言えん。しかし、考えて置きたいことがあってな。纏まったら、其方にも聞いてもらおう」
ダリーシャスは釣り竿を片手にその場を立ち去った。その背中はどこか憑き物が落ちたように晴れやかだった。入れ替わりに現れたのはシアラだ。起きたばかりなのか、どこか眠たそうな表情を浮かべている。
「……釣れたの?」
空のバケツを確認しておきながら質問をしてきた。
「いや、まったく。そっちは、精神力は回復したのかい」
欄干に気だるげに凭れかかるシアラは二割くらいと答えた。
「だったら、まだ眠っていればいいのに。どうして起きて来たんだよ」
「うーん。眠くないのに眠るってなかなか難しいのよ。それに……そろそろ主様が騒ぎ出しそうな物が見えてくるはずだからね。ちょっと説明しに来たのよ」
「説明? それって」
どういう意味だ、と尋ねる前にレイは気が付いた。彼女の視線の先。遠く水平線の向こうの空に黒いオーロラが揺らめいているのを。
「……オーロラ……なのか」
空が透けて見える薄黒いオーロラを見ても美しいとか、驚きの感覚は無い。ただひたすらに不気味な存在に困惑していた。見ていると、人の不安を掻きたてる。すると、シアラは視線の先の空を指差し、オーロラを睨みながら言う。
「あれがこの世の境。此方と彼方を隔てる闇の壁よ。……あの向こう側に魔界がある」
魔界。
その単語はこれまでに何度か聞いていた。かつて起きた人魔戦役の折に魔人種を率いていた『魔王』フィーニスが仲間と共に生み出そうとしていた世界だ。
「魔界ってことは、フィーニスが居るのか」
白色の少年を思い出すたびに怒りと恐怖が混ざり合う。絶対的な強者に対する複雑な感情だ。
「戦いに行こうなんて思わないでよね。あの壁は物理的に人の侵入を阻むのよ。通れるのは魔人種だけ。世界の半分を線引きしている訳よ」
「世界の半分。何処の魔王だよ……って『魔王』か、アイツ」
「そうよ。あの人は『魔王』。元々、世界全てを魔界に変えようとしていたらしいの。でも、人魔戦役の最中に、その儀式を邪魔したのが私の母にして『魔王』の娘、カタリナ。力を奪われた祖父は儀式の規模を縮小し、あちら側に魔界を生み出したの」
揺らめくオーロラの向こう側は、少なくとも普通の空が続いているように見えた。何が魔界なのかレイには分からず、その事をシアラに尋ねた。
「端的に言えば、魔界ってのは毒の世界よ。大地に水に空気。全てに毒が仕込まれた世界。その毒に反応するのは人間種と獣人種の血を持つ人間だけで魔人種には一切効かないの。向こう側で生きていけるのは純血の魔人種だけよ」
「……それじゃ、もしかして君は」
「半分人間族の血の混じるワタシが行けば死ぬんじゃないかしら。試したことは無いけどね」
「試したことがないなら、どうして毒が撒かれているって知っているんだ?」
すると、シアラは凄惨な表情を浮かべて言う。
「届いたのよ。向う側に居た、向う側の大陸に居た人間種と獣人種の死体が、こちら側に残った五大陸の各地にね。ご丁寧に立て札付きで、どうしてこうなったかを説明してあったそうよ」
余りにもぶっ飛んだ発想に恐ろしくなってくる。どれだけの憎悪があればそこまでの仕打ちが出来るのだ。
「祖父と六将軍の作戦だと、全世界規模に術式を仕掛ける予定だったの。だけど母の妨害に会い、規模は縮小。さらに人間側は死体を目にした事で激怒。連合軍はこちら側に残った魔人種を殲滅するために全戦力を投入したの。それこそ、魔法工学の兵器も投入したと聞くわ。オウリョウの南に広がる平野は聞いたことある?」
「ああ。メスケネスト平野っていう荒れ地の事だろ。屋敷の本で読んだよ。……まさか、その時の戦いで」
「そうらしいわ。平野はワタシの居た島からそんなに遠くないから、その時の戦闘の明かりが水平線に映っていたわ。夜なのに、太陽のように眩しい光が何度もね」
シアラの懐かしむ声に疑問を抱く。メスケネスト平野の近くと言う事は、
「もしかして、シアラの島ってアクアウルプスに近いのか」
「多分ね。氷の中から出された直後は意識が曖昧だったから気が付かなかったけど、島から離れた直後にアクアウルプスに寄っているのよ、ワタシ。そこで奴隷登録を受けたの」
アクアウルプスの名前を聞いた時のシアラの反応が納得できた。
「じゃあ、この船はシアラの故郷に近づいても居るんだ」
「ええ、そうよ。あのオーロラにほど近い場所にあるわ。危うく飲み込まれる所だったわ」
過去を懐かしむ横顔に、レイは郷愁の念に駆られてしまい、ついその事を口に出してしまった。
「いいな、故郷に近いって。僕はいつになったら帰れる目途がつくのやら」
すると、シアラははっとした顔になり、やおら伏し目がちに尋ねた。
「……ねえ。……本当に帰っちゃうの?」
「え? シアラ……どうかしたの」
顔を上げた少女の瞳にうっすらと涙が溜まっている。
「この世界に残ってさ、リザとレティとワタシ。それにおちび、ううん。エトネと一緒に暮らさない。王子を首都に送り届けたら、どこか平和な所で腰を据えてさ、穏やかに暮らすってのも悪くないんじゃないかしら」
「シアラ。それは」
レイが言葉に詰まると、自分の言った事の愚かさに気が付いたのかシアラは恥じるように目を伏せた。
「ごめん。いまのは忘れて。……故郷に近くなって、昔を思い出しちゃったの。平和だったころに。何も知らなかった頃の自分を思い出して、つい余計な事を言っちゃったわ」
そのまま、シアラは船室に戻ると言うと、その場を駆けだした。駆ける去る少女の背中を呼び止める事はレイに出来なかった。
―――そして、船は水の都アクアウルプスに辿り着いた。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は十二日月曜日頃を予定しております。




