6-29 トトスの港町Ⅵ
時計の針が少しばかり戻る。北の街道にスヴェン麾下の騎士団が姿を現す少し前。レイ達の姿はもう一つの、オウリョウとトトスを結ぶ街道にあった。
手綱を握る手に力が入り、レイの指は不機嫌なリズムを取る。腰に手を回して捕まっているシアラにとってそれは不愉快に聞こえた。
「あのさ、主様。それ止めてくんない」
「……なにが」
首を後ろに向けたレイはきょとんとした顔を浮かべていた。自分が苛立っていることに気が付いていないようで、シアラは思わず嘆息した。
「その指よ。アスタルテも気になっているのか、不安そうよ」
シアラの言う通り、二人を乗せたアスタルテは嘶きを繰り返し何度か乗り手を振りかえろうと太い首を左右に揺らしていた。自分はそんな事にも気づかないでいたのかとレイは驚いてしまう。
白馬の首筋に手を当て、いつくしむ様に撫でた。
「ごめんな。不安にさせちゃったか」
言葉が通じたのか、あるいは手の温度に気持ちが和らいだのか、アスタルテは大人しくなりまっすぐ前を向いた。レイは後ろのシアラにも声を掛けた。
「シアラもごめん。それにありがとう、教えてくれて」
「別にいいわよ、それぐらい。それに、主様の気持ちも分からない訳じゃないし」
彼女は北の方角に目をやった。そちらの方で今頃起きている事態に思いをはせるように呟く。
「全部上手く行っているなら、そろそろあっちの別動隊が街の入り口に姿を見せる頃合いよね」
「うん。山越えが上手く行っていればね」
レイ達が居る場所は、オウリョウからトトスの港町まで伸びた街道の終わり。後は一直線に下れば港町の入り口だ。先程から往来を商人や冒険者や旅人が行き来する。彼らは道から外れて合図を待つ集団をちらりと見ては興味を無くしたように視線を切る。
合図を待つレイ達の数は、朝から比べるとだいぶ減った。アスタルテに騎乗したレイとシアラ。そして借り受けた馬に乗るリザとダリーシャス。残りは隊長を含めた五人の騎士と人数分の馬だけだ。
五十人も居た騎士の内、四十人は別動隊の方に回った。こちらにも別動隊にも組み込まれなかった者は、街道を少し戻った地点で物資と共に作戦の終了を待っている。
隊長を始めとした五人の騎士は全員鎧や軍旗を手放しており、ぱっと見は体格のいい成人男性の集団となっている。これは少しでも敵の目に触れないための策だ。
そう、シアラが立てた作戦は単純にして明快だった。
護衛の騎士。ガシャクラの一派。デゼルト国の刺客。
港町に集まった三つの陣営が三つ巴の戦いをしている隙に自分たちだけが横を通り抜けて港を離れるという、シンプルな作戦。
具体的に纏めると、このような流れになる。
まず、護衛の騎士を二手に分けて、人数の多い方に山越えをしてもらい別の街道から港町に入ってもらうのだ。そこにはレティとエトネ、それにキュイの二人と一匹が付く。
彼らの目的は二つ。一つはガシャクラ達にレイ達が別の方向から街に入ったと誤認させる事。もう一つがデゼルト国の刺客が用意した自爆船を押さえて貰う事だ。
レイの説明から、シアラは自爆船に使用されたのは油による発火ではないかと推測していた。もしそうなら、船を用意したのは今朝方。それもレイ達が街に入る頃合いを見計らってだろうと彼女は言う。
自爆船として使う船をデゼルト国側から用意できない以上、船は現地調達するしかない。かといって何日も前から船を押さえ置けば周りが不審に思う。つまり、自爆船は今朝の時点でたまたま入港していた商船だろうと彼女は考えた。
エトネの感覚なら、油かあるいは血の匂いをかぎ取る事で不審な船を見つけられる。そして、ガシャクラたちの目を欺くためにはキュイと馬車のセットが別動隊に居ないといけないので、レティも御者として必要だった。
作戦を聞く隊長が懸念したのは山越えの時における馬車だったが、それはレイ達にとっては問題では無かった。エルフ製の魔法の馬車は呪文一つで子供のポケットに入るサイズとなった。
少しでも身軽になろうと、鎧や武器をレイ達の馬車に積み込めるだけ積み込んだ別動隊に交じってキュイ達が山を登り始めたのが二時間前だ。
彼らの山越えが上手く行けば、ガシャクラ達は作戦を大幅に変更せざるを得ない。何しろ罠を仕掛けていた場所とは違う場所に目標の馬車が現れるのだ。いくら復讐に囚われ視野が狭くなった老人でも今の作戦を破棄し、様子を伺う。
そして、別動隊が頃合いを見計らって自爆船の内部に押し入ろうとする。レイとしてはここでデゼルト国側の刺客が剣を抜いてくれるのが一番良い結果なのだが、それは蓋を開けないと分からない。
仮に剣を抜いてくれれば、騎士と刺客の乱戦となり、ガシャクラも参戦する可能性が生まれる。例え乱戦にならなくても、軍船からガシャクラの目を逸らせれば十分でもある。要は三つ巴の争いになっている横をすり抜けるが作戦の目的なのだ。
この作戦で一番気がかりなのはレティ達と安全に合流する手段だ。
乱戦になり、ガシャクラたちの意識が軍船から離れたら、レティ達には戦場を離れて貰いたい。かと言って、桟橋を突きって軍船の方まで戻ってきてもらったらガシャクラに位置がばれて作戦が水泡に帰す。
そこで出た意見が、レティの《盾》による足場を作っての海越えだった。
過去の戦闘でレティの盾魔法を足場として使って来た事はあるが、デブ鳥ことキュイの体重を支えられるのか。そしてキュイにそこまでの脚力があるのか不明だった。下手をすれば海に落下してしまう可能性もあった。
一応、野営地で実験してみた所、幼女二人を乗せた状態で足場を蹴って跳ぶように移動することはできた。後は湾内を運航する軍船に追いつくかどうかだった。
不安だらけの作戦にレイが苛立つのも無理はなかった。場の空気は固く、重かった。
―――まさにその時だった。
太陽が中天に達する頃になって合図が来た。魔道具である魔水晶から羊皮紙が飛び出した。素早く開封した隊長が吼えた。
「全員、作戦開始だ!」
返事はない。無言のままレイ達は馬を駆けて坂を降りる。
ものの数分で港町の入り口へとたどり着いた。これまでの経験で、ここに見張り役が居るのは承知の上。此方の作戦が上手く行ったとしても、ここの見張りが残っている可能性もある。目くらましとして、目立つ鎧を外しや、顔を隠すためのマントを着用しているがどこまで上手く行くかは不明だ。
全員が祈る思いで入り口を抜けた。そのまま桟橋の方へと馬を走らせる。
「見えたぞ。桟橋、船着き場だ」
先頭を走る隊長の声に、顔を上げると、三度軍船の姿を見上げる事になる。すでに出港の準備は整っている。
桟橋にたどり着くと、船長との引き渡しの挨拶もそこそこに隊長は馬上に戻る。
「それではレイ殿。我らは仲間と合流し、不逞の輩の捕縛と排除をしてまいります。貴方達はこのまま桟橋近くを航行し、ニチョウとお仲間の回収を」
「分かりました。道中、ありがとうございました、隊長さん!」
甲板上から手を振るレイ。船は別れの時も惜しいかのようにさっさと桟橋を離れていく。船の後部に周り、騎士達が馬を駆けるのを見送っていたレイだが、シアラがぽかんとした表情を浮かべていたのに気が付いた。
「どうかしたのか、シアラ。まさか、何か視えたのか?」
咄嗟に《ラプラス・オンブル》の未来予知に身構えたか、シアラは違うように首を横に振った
「……そうじゃないわ。……あそこに同族が居るのよ」
「同族って、まさか六将軍!?」
「あいつらじゃないわよ。本当に普通の同族。ただの魔人種よ」
驚きのあまり、レイは遠ざかる陸地を睨みつけた。確かに、雑踏の中にこちらを見ている黒髪の人影が目に飛び込んだ。燕尾服のような物を着込み、日傘を持った中世的な顔立ちの人物の髪はレイと同じで黒色をしていた。
その隣には着飾った妙齢の女が惜しげもなく肌を露出し、栗色の髪が潮風に揺れる。双眼鏡でこちらを覗いている。まるで、従者と主のよう絵になる二人だ。
「目覚めてから、初めての同族よ。それも多分、純血。……まだ生き残りがこっちに居たなんて」
ポツリと呟いた少女の声が、潮風に紛れた。
「驚いた。あの金髪の子。お父様が固執している姉妹の片割れだわ。ウージアだけじゃなくて、こんな所にも居たなんて。私の方に縁があるのかしら。お可哀そうな、お父様。執念ばかりが空回りしているなんて。その横には……あら、あの子、目の色が左右で違うわ。金色に……黒色なんて珍しいわ」
ジョゼフィーヌの呟きが潮風に乗って従者の耳を震わした。軍船を見に行きたいと駄々をこねた主に随伴して桟橋まで来たが、こことは逆端の桟橋で何やら騒動が起きている様子。早くこの場を離れたいと考えていた従者は彼女の言葉で思考を停止した。
「紫がかった黒髪に、可愛らしい顔立ちだわ。ちゃんと着飾ればお姫様のようになるのに、勿体ないわ」
紫がかった黒髪に金色黒色の瞳。その特徴に従者は覚えがあった。
「我が主。おそらくですが、かの者は『魔王』フィーニスの孫娘かと存じます。名をシアラだったとか」
「へぇ、そうなの。それじゃ、あの子がカタリナの娘って事かしら。こうやってよく見ると、目とか鼻とかあの女によく似ているわ」
興味深そうに呟いていたジョゼフィーヌだが、彼女の双眼鏡からシアラが消えた。その代りにとある少年の横顔が飛び込む。黒髪の一部が白色化した、至って平凡そうな少年の顔を見て―――ジョゼフィーヌの息が止まった。
「……どういう事かしら、これは。聞いてないわよ」
ぞくり、と。従者の全身が冷たく凍えた。
これまでに聞いたことのないような、感情と言う物を一切排した無機質な声に全身の生気が吸い取られていくようだった。思わず、隣に立つ主の横顔を見下ろすと、男女の性に関係なく、人を蕩け指すような微笑みは消え去っていた。
「……ねえ。確か、ガシャ……クラだったかしら。何か月か前に腕を無くして代わりの義手を欲しがっていた、飼っている隠密の名前は」
「あの者がどうかされましたか」
「報告だと、お父様ご執心の姉妹に手を出して、仲間の少年に腕を切り落とされたんだっけ。その話、詳しく聞きたいわ。義手絡みでまだオウリョウに居るなら、至急呼びつけて欲しいの」
双眼鏡を降ろした主の目に有無を言わさない力強さがあった。畏まりましたと返した従者は既に遠ざかった船の後部を睨みながら思う。
敬愛する主の一度たりとも見たことの無かった顔を引き出した少年について。
貴様は何者だ、と。
船が白波を蹴って進む。風を上手く捉えたのか、ぐんぐんと進む。桟橋を舐めるように進んでいき目的地へと近づく。
海に向かって右端の桟橋から潮風に乗って聞こえるのは剣戟の音だ。どうやら予想通りというか、予定通りに乱戦となっている様だ。
「準備出来たぞ、レイ!」
ダリーシャスの声にレイは振り返る。褐色の肌をした青年は複数の船員と共に協力して一枚の旗を作り上げた。旗と言っても棒の先端に衣服を繋げただけの代物だが。
ありがとうございます、と言うレイは両腕に精神力を回して、軽々と棒を振り回した。風を切る音がするも、衣服が飛んでいくことは無さそうだ。そのまま、レイは旗もどきを振り回す。
レティとエトネにこの船が返る場所だと伝えるために。
「ご主人様。キュイが桟橋に居ます!」
双眼鏡を使っていたリザが叫ぶと、レイはますます旗を振り回した。甲板に居る船員たちも必死に声を出して、ここに来いと伝えた。
「キュィィィィ!!」
潮風と大音声に紛れながらも、キュイの鳴き声が届く。ニチョウは幼女二人を乗せたまま、桟橋を蹴り上げた。そして海に落下する前に、空中に出来た足場に着地し、また蹴り飛ばす。
まぐれではないと証明するかのように、キュイは足場を蹴って船までの距離を詰めていく。その度に、船からは歓声が上がった。
レイは旗を放り投げて、リザ達と一緒に欄干へと駆け寄った。
「提案しておいてなんだけど、上手く行くとは思わなかったわ」
不吉な事をぼそりと呟いたシアラを放置して、レイは叫んだ。
「あと少しだ! ここまで来い、キュイ!」
「キュ、キュイイイ」
男は黙っていろと言わんばかりに鋭く鳴くニチョウ。船との間が数メートルまで近づいた時―――事件が起きた。
ぶわり、と。
強烈な風が吹く。海から陸地に向けての海風がレイの背中を押して、ニチョウの体も押してしまう。跳んだ直後だけに態勢を立て直す余裕もなく、次の足場を前にして失速してしまった。
誰もが、それこそキュイさえも凍り付いたように固まる。あっという間に二人と一匹が海へ呑み込まれようとする。
「やらせん!《超短文・中級・引力!》」
鋭い声が二人と一匹の窮地を救おうとする。
不可視の巨人の手がキュイ達の体を掴む。ダリーシャスはこの場合を想定して、身構えていた。それだけに誰もが硬直している中、素早く反応できた。
しかし、それでも届かないのだ。キュイの体は船まで数十センチの所まで来て、またしても失速してしまう。
《引力》の弊害だ。
発動時の地点まで対象を引き寄せる魔法は、使用者が移動していると誤差が生じるのだ。キュイを引き寄せる速度と、船が全力で進む速度。この速度の違いによって、キュイが引き寄せられた場所は海の上になってしまう。
魔法の効力が切れて再び落ちそうになるキュイに向けて、レイが手を伸ばした。
「捕まれ、キュイ!」
しかし。
「キュイ!」
伸ばした手を男嫌いのニチョウは当たり前のように弾いた。余りの行動に、レイは叫んでしまう。
「こ、このバカ鳥。お前は何考えてんだ!?」
羽で手を叩いたニチョウはそのまま海へと落下する。
ところが、海に飲み込まれる直前、レティが魔法を放った。
「《超短文・低級・盾》!」
ニチョウの体が海に飲み込まれる寸前で止まる。そして、その両足が一気に足場を蹴り上げて跳んだ。でっぷりとした体は綺麗な放物線を描いて船の外側にぶつかり、なんとキュイは船の外壁を蹴り上げたのだ。
唖然としてしまうレイの脳裏を、エルフの里でキュイと初めて出会った時の事が過った。
―――「臆病な性格だが、四本の足を巧みに使う事でどんな悪路も踏破する優れ者だ。いまだって、洞窟内から垂直の崖を駆けのぼって此処に来た」
サファの言葉通り、キュイは船の外殻を使って甲板に飛び込んだ。
「キュキュキュイ」
どうだ凄いだろ、と言わんばかりに胸を張るニチョウにレイは参ったと言わざるを得なかった。その背中には目を回しているレティとエトネが居た。二人とも無事の様だ。リザ達が介抱にあたる。
「これで全員が乗ったんだな。それじゃ、沖に向けて針路を取るぞ!」
船長の声に、船員が応じ軍船が回頭する。離れていく陸地ではまだ戦闘が終わっていないのか、騎士と刺客との乱戦が続く。だけど、こちらが遠ざかっていくのに気が付いた騎士達が手を振るので、それぐらいの余裕はある様だ。
ふと、視線を上にあげると、桟橋に面した建物の上から此方を睨む黒装束の集団を見つけた。
その中で、特徴的な赤く輝く右腕を持った男と視線が交わった。
ガシャクラの怒りが具現化した右腕は朝焼けのように燃えている。
どうやらシアラの作戦通りに全てが動いたわけでは無かった。ガシャクラ達を軍船から引き離すことに成功したが、乱戦に巻き込ませて騎士達に排除してもらうという目論見は失敗に終わった。
(まあ、全部が全部上手く行くとは限らないよな)
レイの胸中には幾つもの感情が入り混じっていた。レティを傷つけたことへの怒り。始めての殺人に対する罪悪感。街一つを巻き込んだ復讐に対する困惑。幾種類もの感情が入り乱れる中、一つの結論を出していた。
「……アンタは死ぬべき人間だ、ガシャクラ。その滾るような憎悪は死ななきゃ止まらない。死ななきゃ、アンタは皆を傷つける。だから……僕が止めるしかないんだ。……殺してでもな」
遠ざかる船の甲板上に、黒髪の少年が居る事をガシャクラの目は捉えていた。間違いなく、レイだ。憎き仇がのうのうと手の届かない所へ行こうとしており、ガシャクラは怒りのあまり右手を起動していた。
赤く輝く右腕が空気を熱し、陽炎を揺らめかす。
「あの船の行き先はどうなっている!?」
声高な質問に部下の一人が、
「積み込まれた食料品の量からして、おそらくは他大陸の何処かかと。……それ以上の事は分かりません」
報告を受けたガシャクラは拳を屋根に突きつけた。レンガが砕け、熱によって縁から溶けていく。
「追いかけますか」
「……ならぬ。流石に国外へ赴くのに、女帝の許可なしでは無理だ」
頭領の苦悶の表情に、部下たちは言葉を無くす。打つ手がない。そう思った時、冷ややかな声がかけられた。
「ガシャクラ。なぜ、貴方がこのような場所に居るのですか」
黒装束の男たちが声のした方に一斉に振り返ると、いつのまにか屋上に燕尾服に身を包む従者が立っていた。自分たちに気づかれずに、そこに出現した男装の麗人に全員が気色ばんだ。
「まあ、いいでしょう。……我が主、ジョゼフィーヌ様がお呼びです。至急参られよ」
ガシャクラは右腕の機能を止めると、承知と短く返した。最後にもう一度、遠ざかる船を目に焼き付け、黒装束の集団は屋上から姿を消した。地上で起きた戦いにも決着がついていた。倒れ伏す船員の振りをした刺客たちの横で、騎士の勝どきが港町に木霊した。
読んで下さって、ありがとうございます。
一年かけて、やっと東方大陸脱出しました。




