6-32 リストランテ
サーカスの演奏が通りの端から微かに聞こえつつ、ゴンドラは水路を進む。船頭はお喋りなのか、誰も聞いていないのに、先程のサーカスについて語り出した。
「あのサーカスはいま、街でも一番の人気を誇っていてね。いつも満員御礼、立ち見客が僅かな隙間でもいいから覗きたがるんだよ。それにしても、お嬢ちゃんたち、運が良かったね」
「運がいいって、それってどういう意味ですか?」
レイが尋ねると、船頭は二人が持つ飴を指差した。
「その飴さ。飴の外袋が入場券の優先販売の手形になってるんだ。それを持っていれば、券を購入しやすいから、子供たちが飴を欲しがって集まるんだよ。それでも飴には限りがあるから、手に入るのは運しだいさ。だから、運がいいね」
イベントの優先申し込み券のような物かと納得していると、二人は袋を開けて飴を取り出した。乳白色のいびつな形をした飴を口に入れると、その甘さに頬を緩めた。
「おいしー!」「おいしぃ」
釣られてレイ達も笑みを浮かべた。ふと先程の船頭の話が気になって二人から飴の袋を貰うと、内側に優先的にチケットを購入する手順が書いてある。要約すると、入場券は全て当日販売だが、この袋があれば正規の販売する時間よりも前に購入する権利をくれるとの事だ。
(行くかどうかは置いとくとして、袋だけは持っていようか)
裏面にはサーカスの大まかな位置が書いてある。レイは袋をポケットへ放り込んだ。
そうしているうちに、ゴンドラは水路の行き止まりへとたどり着いた。そこは半円状に広い空間で、他の水路とも繋がっている。広場には他のゴンドラが集まっていた。
見上げると、高い壁が聳えていた。アマツマラの城壁と同じぐらいの壁は、全て内層の基部とのことだ。この基部の上に街が広がっている。
ここに至るまで水路は緩やかな坂になってはいたが、この壁をゴンドラで超えるのは不可能に思える。陸地の方を見れば、上の階層に行く坂道があった。ただし、何度も居り返す必要がある、長い坂道だ。歩いて上に行くのは時間がかかりそうだ。
「ここからは陸路で行くんですか」
「いやいや。ちっと待っててくれれば……お、来ましたよ」
船頭が鈴の音に反応して前へ向くと、内層の壁が一部だけ横に開いた。中からゴンドラが幾つも吐き出されていく。船頭はその中をすいすいとぶつからずに進み、扉を潜った。
中は薄暗く、縦長の空間となっている。先程の壁の前に集まっていたゴンドラが薄闇の中に集まると、背後の壁が閉まる。
逃げ場のない空間。足元から何かが排出されるかのような、ごぼごぼと言う音が響く。同時に、レイは気が付いた。目の前の壁の汚れや明かりが水に飲み込まれているのを。
「これは……水かさを増しているのか」
緩やかに、しかし確実に、自分たちのいた高さが上昇していることに気が付いた。
「御明察です。こいつは水を使った昇降機で密閉された空間の下に穴があって、上にお客さんを運ぶときは水かさを増して、逆の時は水を抜いているんですよ」
流石は水の街。階層を跨ぐ時も水を使った方法だった。
あっという間に上へと押し上げられ、内層へとたどり着いたゴンドラは半円状の広間を抜けて、水路を進んでいく。
船がひっきりなしに出入りし、外来の渡航者を受け入れる市場や工場区がある外層と違い、商業施設や住宅地がある内層はどこか穏やかな時間が流れている。道端でコーヒーを飲みながらチェスに興じる老人や、テラス席で食事をするカップル。絵を画く男性とそれを後ろから見物する大人たち。
夏の日差しを浴びて、地元民が日常を過ごしている場所だ。
「ここが最寄りの波止場になります」
船頭がゴンドラを止め、固定する。レイ達は料金を支払い、ゴンドラを降りた。
「そいじゃ、あっしはこれで。アクアウルプスは良い街です。是非、心行くまでお楽しみください」
陽気に手を振って見送る船頭。それは南国の気風なのかもしれない。
ゴンドラを降りてからの道案内はダリーシャスが請け負った。見覚えのある景色なのか、迷うことなく歩を進める。レイ達はそんな彼を囲いながら警戒を続けていた。
もっとも、ここでは仕掛けて来ないだろうとレイは推測していた。ここは人が多すぎる。
トトスの港町での一件に置いて、デゼルト国の刺客が使った手は自爆船を用いた事故死だ。事故死のメリットは幾つかあるが、一番は誰かの命令を受けて殺したという事を誤魔化せる点だ。神前投票に置いて、相手に弱みを見せるのは死活問題。仮にも王族であるダリーシャスが同じ王族に殺されたのが公になれば、命令した王族の失脚は免れない。つまり、ダリーシャスの命を狙う者は、自分が命じたことだとは絶対に知られたくないのだ。
つまり、デゼルト国の刺客は、こんな人目の多い所で正々堂々と襲ってくることだけは無いのだ。目撃証言から、デゼルト国の関与がばれてしまえば、それだけで厄介な事になる。トトスでの火船は、ダリーシャスを狙った犯行なのか、シュウ王国海軍を狙った他国の軍事工作なのか判断がつかないからこそ、実行したのだろう。
そうなると、問題なのは食事や宿の方だ。毒殺や、闇に紛れた襲撃は人目も気にせず行えて、なおかつ証拠さえ隠滅できれば自分たちの関与を消す事が出来る。
頼る伝手もない異国の地で、ダリーシャスが信頼できる店があると言ってくれて正直助かったのがレイの本心だ。
そのダリーシャスがここだと言って足を止めた。
たどり着いた店は刺激的な香辛料の香りが食欲を掻きたてる飲食店だ。昼時を大分過ぎたというのに、店内は幾らか賑わっている様子だ。外から店の中を覗くと、席が幾つか埋まっているのが見えた。どうやら、ティータイムを楽しむ奥方達や遅い昼食を取っている人たちの様だ。
「うむ。変わらずに繁盛しているようで何よりだな」
「何よりはいいんですけど、ここはどういう店なんですか」
「説明していなかったか。ここはオードヴァーン家を支援している十四氏族の一つが運営している店だ」
何気なく言い、入ろうとするダリーシャスの首根っこをレイとシアラが止めに入る。冒険者の膂力に負けて、王子は引きずられていく。
「……前から思っていたのだがな、どうして其方らは俺の首根っこを掴むのだ」
「アンタが猫のように自由に振る舞うからでしょ。……それよりもダリー様。ご自分の置かれている立場をお忘れではなくって」
こめかみを引きつらせたシアラが恫喝じみた声色で問いかけると、ダリーシャスは大人しくなる。だけど、怒られている理由が分からなそうに、
「……どういう意味だ」
と、言うので、レイは頭が痛くなりそうになる。
「貴方を狙っている勢力は身内かもしれないんでしょ。だったら、オードヴァーン家を支援している十四氏族と言えど味方とは限らないじゃないか。もしかすると、貴方を裏切るかもしれない、いやもう裏切っているかもしれないだろ」
すると、ダリーシャスは納得したように頷いた。
「ああ、なんだ。そのことを心配していたのか。それならば問題ないぞ」
今度はレイ達が首を傾げる番だ。ダリーシャスが服の襟元を正しつつ、
「前にも話したと思うが十四氏族は王族に自分の娘を送り込み、子を作る事で縁戚となる。関係を強固にしているわけだな」
「……ああ、もしかしてこの店を運営している一族って」
「うむ。俺の母方の一族。つまり血の繋がった親戚が経営する店なのだ。そして、俺が男子である以上、父上が王位を継げば、彼らはその次の王位継承候補である俺の後ろ盾になる事で、王の後ろ盾に成れるかもしれない可能性を持つ。油断ならぬ十四氏族の中で、ここだけは俺を裏切らないという訳だ」
言うとダリーシャスは店の中に入っていく。慌ててシアラ達が追いかけて行く中、何故かリザは看板を見上げたまま硬直していた。思い返すと、店の前に立ってから彼女は身動き一つしていなかった。
「どうかしたのか、リザ」
不審に思ったレイが声を掛けると、リザは青い瞳を丸くさせて言う。
「……ご主人様。店の名前を御覧ください」
「店の名前? えっと……リストランテ・フェスティオ。……フェスティオ。…フェスティオ?」
聞き覚えのある名前に互いに顔を見合わせて、二人は勢いよく店の中に飛び込んだ。店内は静謐ながらも、そこかしこで歓談の花を咲かしている。そこに冒険者の一行が入って来るのを見て、静まり返ったが、興味が無いかのように直ぐに話に戻った。
そんな中、ダリーシャスは近寄ってきた店員に対して自らの装飾品を見せつけた。
「そこの給仕。スマンが店の責任者を呼んできてくれまいか」
店員はちらりと装飾品を見て、何かを察したかのように折り目正しく一礼すると、最低限の品を残して小走りに去っていった。
入口で待つダリーシャスに対して、レイが慌てて駆け寄った。その姿に、ダリーシャスを始めとして、シアラ達も驚いた。
「どうかしたか。そんなに血相を変えて。何かあったのか」
「あの、もしかして、ダリーシャス……いや、ダリ―。貴方の親族ってもしかして」
混乱から言葉が出ないレイはしかし、最後まで言葉を出せなかった。なぜなら、彼の予想が現実となって現れたのだから。
「これは、これは! 何とも珍しきお方がいらっしゃってくださいました」
頭にターバンを巻いた、人当たりの良さそうな柔和な表情が驚きで彩られている。声に振り返ったダリーシャスもまた驚きの声を上げていた。
「ジェロニモか。息災そうで何よりだが、其方、なぜここに居るのだ?」
「仕事で少々。貴方様こそ、ご無事で何よりです」
一瞬跪きそうになったジェロニモをダリーシャスが無理やり立たせて抱擁を交わした。何処にどんな目が潜んでいるか分からないからだろう。
ダリーシャスの肩越しに、ジェロニモの瞳とレイは視線が合った。彼は更に驚いたように声を上げた。
「これはレイさん! 貴方までどうしてここに……どうしてこの方と」
驚きのあまり言葉が続かないのか視線だけが何度もレイとダリーシャスを行き来する。
「えっと、お久しぶりです、ジェロニモさん。その節はお世話になりました」
レイと、彼を知っているリザとレティが頭を下げた。つられてシアラとエトネも頭を下げる。
レイが挨拶すると、ジェロニモは落ち着いたのか背筋を正し、一礼する。この人は初めて会った時から新米冒険者である自分に対してきちんとした態度をとっていてくれたなと思い出す。
「此方こそ、お久しぶりです」
「なんだ、其方らは知り合いだったのか」
驚いたようにダリーシャスが言う。レイとジェロニモは肯定するように頷いた。
「前に……精霊祭前に護衛の仕事をお願いしたのです。……あれから幾らか月日は経ちましたが、随分と……変わりましたね、レイさん。それに、なんという巡り合わせか」
彼の視線がレイの頭髪や後ろの仲間達を撫でる。そして、店内を見回して言う。
「ここでは少し騒がしいですね。店の奥に賓客専用の個室があります。そちらにご案内しましょう。ちなみに、お腹は空いていますか?」
その質問に全員が頷いた。
そして傍に控えていた店の責任者らしき男に席を用意するように伝えた。
数分後、案内された個室は円形のテーブルに銀食器などが並べられたシンプルな部屋だった。表の店内とは違い、装飾品も調度品も淡泊な物で統一されている。食事を楽しむ場所といよりも、人目を憚る人たちが極秘裏に集う隠れ家のような部屋だ。
席は人数分用意されており、ジェロニモとダリーシャスの勧めに従いレイ達も座った。食事はジェロニモが適当に責任者に用意するように頼んだ。
すると、入れ替わりに奇妙な男が顔を覗かせた。この茹だるような暑い季節に長いコートを着込み、中折れ帽子を被った青年はちらりとレイ達の方を眺めてからジェロニモの方に声を掛けた。
「若旦那、もしかしてそいつが」
「申し訳ありません、オルタナさん。今は親しい友人との再会の場。お引き取り願えませんか。……あとで場をこちらで用意いたしますので、席に戻っていてください」
丁寧な言葉遣いながらも、確固たる意志が秘められた強い口調に長躯の青年は静かに頷いた。そのまま扉から外へと出て行く。
「なんだ? 今の男は」
「少々困った方でして。……あの者の事はまた、後で説明いたしましょう。それよりも、ダリーシャス王子。そして、レイさん。どうして、貴方がたが一緒に行動し、このアクアウルプスに居るのか。説明をお願いします」
扉が閉じたのを確認したジェロニモが一堂に向かって語りかけると、ダリーシャスが薄く笑い、
「話すのは構わないが、いささか長い話になるぞ。せめて喉を潤したいな」
と、砕けた言い方で空のグラスを指ではじいた。室内に硬質な音が響く。
ジェロニモは主に2章に出てきてます。
読んで下さって、ありがとうございます。




