6-26 トトスの港町Ⅲ
船の甲板にて二人は睨みあう。レイはファルシオンを抜き放ち、剣先を下へと向ける。対するガシャクラは左腕だけにトンファーを構え、腰を落とした。右手は自由にしていた。
二人とも、雷撃で蹲るフジワラの方を見向きもしない。視線を外した方が負けると言わんばかりに睨みあっていた。
「……アンタ。後先考えていないよな」
口火を切ったのはレイの方だった。ガシャクラは眉を動かすだけで押し黙り、レイも返事を求めていないため、そのまま言葉を重ねた。
「これだけ大掛かりな事をすれば、アンタの主。ウージアの女帝とやらも庇いきれないんじゃないの。第二王子と先王の妃との対立は避けられないだろ」
スヴェンとジョゼフィーヌの溝はレイの想像では深く、大きい。両者とも面子やしがらみ等があるため直接対決は避けていたが、ガシャクラの暴走が明るみになれば対立は避けられない。
下手をすれば、シュウ王国で内紛にまで発展するかもしれないのだ。ガシャクラが自分を殺す為にそこまでは望んでいないだろうという希望的楽観は消えた。
「それほどまでに僕が憎いか。無関係の人間を巻き込むことになっても、僕を殺したくて仕方ないのか」
「……ああ、そうだ」
真一文字の口が開かれ、どろどろとした感情が吐き出される。臭気すら宿る声がレイの耳から体内に侵食しようとする。
「それほどに、貴様が憎い。無いはずの腕が痛み、潰れた目が疼き、死した同胞が夜な夜な訴えるのだ。お前を殺してくれ、と」
「自業自得だろ! レティを誘拐して、あんなに酷い目に合わせておいて、自分たちが痛手を負ったら被害者面なんて筋が通ると思っているのか!」
レイの罵声が飛ぶと、奇妙な事にガシャクラは笑った。皺だらけの顔が無理やり笑みを作ると、背筋にうすら寒い物を過った。
「全くその通りだ。レイ。お前の言う事は全く持って、間違っていない。これは逆恨みだ。悪逆には罰が与えられるのが世の理だ。……じゃがな」
ガシャクラは自らの内に湧き出た感情に言葉を詰まらせると、それを一気に吐き出した。
「だからどうした! 因果応報だから、自業自得だから、悪因悪果だから納得しろと言うのか。故郷を追われ、苦渋を飲まされ、流浪の末に残った同胞の死をそれで納得しろと言うのか!!」
がしゃんと音を立ててトンファーの先端が落ちた。だが、先端は甲板に落ちず少し上の所で静止した。外れた先端は鎖と繋がっていた。プラプラと揺れる姿は鎖分銅のようだった。
「この事が原因で女帝がスヴェンとの戦争に突入したら、我は単騎でもあの男の首を獲ろう。幸いにして、あの者は身動きが取れない様子。これぞまさに天の采配だな」
「……そうか。話が通じないのか」
残った眼は正気とは思えない程どす黒い色に濁っていた。この老人の妄執は言葉では止まらないし、同様に黒装束の一団も止まらないだろう。ガシャクラの狂気に従っているのだ。彼らも同じように狂っている。
―――殺さないと、止まらないのだ。
レイはガシャクラの思想も、過去も、信念も、何も知らない。彼がどんな人生を送り、どんな決断をして今日まで生きて来たなんて、これから先も知ることは無いだろう。ただ分かっているのは、彼の中に宿るどす黒いまでの憎悪を生み出したのが、他ならぬ自分だと言う事だ。
あの日。雨に濡れたウージアで彼を生かした事で、余計に壊れたのだ。その過去は《トライ&エラー》でも変える事は出来ない。無かったことには出来ない。
おそらく、ここでガシャクラを生かした所で、この男の狂気は止まらない。海を渡り、地の果てまで追いかけてくるだろう。
レイは下げていたファルシオンの刃先をガシャクラに突きつけた。
「来いよ。これは僕の役目だ。……死ぬ事でしか止まらない、悲しい老人を止める役目は」
「笑止! 止まるのは貴様の息の根だけだ!」
両者は互いに甲板を蹴り、前へと駆けだした。相手に狙いをつけ、互いの武器を激しく打ち鳴らした。共に近距離武器のため、顔が触れそうなほど近くまで接敵した。
肉薄する二人の鍔迫り合いはほとんど互角と言えた。だが、均衡を崩したのはガシャクラだった。
鍔迫り合いで意識をガシャクラに向けていたレイの背中に衝撃が走った。なんと、トンファーの先端が弧を描いて襲いかかったのだ。
レイの背中を狙った分銅だったが、《耐久の加護》に阻まれてしまう。しかし、意識を背中に向けた事によって、レイに隙が生じた。その隙をガシャクラは逃さない。
鍔迫り合いの最中に力を抜き、態勢が崩れた所を狙い、足払いを仕掛けた。レイは背中から甲板に倒れてしまう。
空と顔を合わせたレイは、青空の中に黒い点を見つけた。
それは次第に近づいてくる。
咄嗟に体を捻ったのが正解だった。レイが居た場所に向けて分銅が空から急襲し、甲板を砕いた。
《耐久の加護》とて万能ではない。耐えきれる許容値はあるし、胴体以外を狙われたら加護の範囲外だ。捻った勢いを利用して起き上がると、レイは距離を取ろうとする。
だけどそれをガシャクラは許さない。距離を取ろうとするレイに向けてなんとトンファー自体を投げたのだ。予想外の一手に反応できないでいるレイは額に直撃を受けてしまう。
幅広の分厚いファルシオンを受け止めるトンファー。当たり前のように重量のある鉄の塊を受けて、レイは意識が遠ざかりそうになる。
(ま、不味いだろ、これは!)
咄嗟に口の中を噛み切った痛みで意識を保つ。額から流れる血を拭い、軽傷だと判断した。回復する必要はないし、その時間すらもったいなかった。
なにしろガシャクラは武器を持っていないのだ。トンファーを投げたことで無手の老人となり下がったガシャクラに向けて吶喊する。
しかし、それは甘い判断だ。
無手のガシャクラは懐から武器を取り出さないで、あろうことかレイに向けて突進した。両者が二度目の激突をする直前、彼は甲板に突き刺さった分銅を掴んだ。そしてそれをぐいと引っ張った。
当然、鎖に繋がったトンファーも引き寄せられる。
レイの後頭部に衝撃が走り、体が前に傾く。そこに待ち構えていたガシャクラの一撃が放たれた。
かつてレイによって切り落とされた右腕は今や鋼鉄製の義手へと変わっていた。血肉と神経の代わりに歯車と螺子と鉄で構成されたそれは、ガシャクラの怨念が形となったような物だ。
振るわれた拳が《耐久の加護》を打ち破り、レイの腹部を撃ち抜いた。
突き刺さった拳の衝撃に酸素が全て吐き出されてしまう。体から力が抜け、膝を屈しそうになる時、横合いからガシャクラの蹴りが飛んだ。無抵抗のレイはそのまま吹き飛ばされ、欄干にぶつかった。
すかさず、ガシャクラの追撃が飛ぶ。トンファーを手に持ち直した老人はレイの頭部めがけてそれを振り下ろす。
「死ね、小僧!」
だが、攻撃は届かない。最短距離を走るファルシオンの斬撃によって下から弾かれたのだ。レイは一呼吸も挟まず、上に持ち上げた剣を降ろした。
がきん、と。固い金属音が響いた。
ファルシオンの刃はガシャクラの右手に阻まれていた。かつて失ったはずの腕は、黒い手袋に覆われている。
「新しい腕は馴染んでいる様だね。むしろ、前の腕よりも使いやすいんじゃないのかい」
「ふん。それで挑発のつもりか。口元が引き攣っているぞ、小童!」
ガシャクラの左腕が勢いよく振られ、遅れて鎖分銅が襲い掛かる。ガシャクラが握りしめるファルシオンを手放して、欄干を蹴って避けた直後、レイが居た場所は鎌にえぐり取られたように削り取られてしまう。
立ち上がり、ダガーを構えたレイは、そこである異変に気が付いた。
―――熱いのだ。
夏のぎらついた日差しとは別のナニカで肌を熱せられている。たき火に当たっているかのように甲板の温度が上昇していた。
鞘に収まったコウエンのせいではない。これは別に原因があると推測したレイは息を飲んだ。
なぜなら、奪われたファルシオンの刀身が溶け始めていたのだ。同時に、ガシャクラの装束の右腕部分が灰となって散った。
剥きだしとなった義手は火に炙られたかのように真っ赤に輝いて、周りの空気が揺らめいてさえいた。みるみるうちに、ファルシオンの分厚い刃は形を保てなくなり、二つに割れて甲板に落ちた。
「アンタ、正気か! 魔法工学の兵器を持ち出したのかよ」
レイの言葉に甲板にいた全員がぎょっとした。それが何を意味するのか、軍に在籍する者なら誰もが理解していた。しかしガシャクラは無知を嘲るような笑いを浮かべて否定した。
「《機械乙女》の事を気にしているなら、問題はない。あの皆殺しの人形は、魔法工学を生み出した人間が作り上げた、原典の兵器以外には反応しない。これは今の時代を生きる者達が作り上げた、いわば劣化版だ」
自分がえぐり取った欄干の欠片を右手で摘み上げると、木くずも黒ずみ、あっという間に灰となって散った。
「この温度になるまでに時間は掛かるわ、燃費が悪くて魔石を大量に使うなどの欠点を持つ。……もっともそんな欠点は、些細な事だ。お前を殺せれば、それでいい」
隻眼の瞳が血走り、レイを捉えて離さなかった。
「本当に正気じゃないな、爺さん。鉄を溶かす温度だろ。それがどれ程の熱か分かっているんだろうな」
龍刀コウエンの放つ熱を浴びているレイにしてみれば、ガシャクラの右手の異常性は十分に理解できた。いくら魔法工学の道具とはいえ、そこまでの威力を引き出すのに、リスクが無いはずがない。
それは正しい。
ガシャクラはリスクを背負っていた。
「無論。いくら耐熱素材を使っているとはいえ、長時間使えば腕そのものが溶け始めるし、右腕の熱が伝わり、生身の部分は内側から壊死している」
無事な服の袖を捲ると、そこにあったのは人の肉とは思えない程損傷されたていた。思わずレイは目を背けてしまう。
「それでいいのだ。貴様を殺せるなら、右腕を全て使い潰しても、それでいいのだよ」
狂った男の妄執が灼けた右手となって男に宿っていた。
その時だ。船の帆が風を受け止め膨らみ、前に進みだしたのは。船が遂に出港する。
レイが辺りを見回すと、ガシャクラの部下たちは船に乗り込むことはできなかったようだ。船員にもレティたちにも目立った怪我はなく、その上護衛の騎士達が数人乗船していた。
つまりガシャクラとフジワラの二人を排除すればレイ達の勝利なのだ。
だけど、全員が感じていた。ガシャクラの右手は生半可な攻撃では太刀打ちできない、と。鉄を溶かせ、木を灰にする熱ならば、軍船と言えど一たまりも無い。下手に乱戦になってマストに傷をつけられれば、船の損傷は計り知れない。
じりじりと、ガシャクラの逃げ道を塞ぐように取り囲むしかできない。
故に、レイはコウエンを抜く。
目には目を。歯には歯を。熱には熱を。
「コウエン。お前の真似をして勝った気でいる奴が居るぞ。さっさと起きて暴れちまえよ」
『はっ。そのような戯言で妾を担ごうとするつもりなら下手糞にも程があるぞ。じゃが、こと熱においてこのコウエンが遅れを取ったと思われるのも癪だ。今一度、其方の刀となってやろうではないか』
平時と変わらない尊大な口調に苦笑いを浮かべつつ、レイはコウエンが熱を発し始めたのを感じていた。
いつもなら、その熱に肌が痛みを覚え始める頃だというのに、レイの両手は悲鳴を上げていなかった。炎鉄の手甲にブレイブサラマンダーの手袋という二重の耐熱装備が成功したようだ。
刀身が紅く煌めくにつれ、空気が陽炎のように揺らめく。
「火を吐く剣か。……面白い。どちらの熱が上回るか、試してみるか」
ガシャクラは呟くと、トンファーも鎖分銅も使わない、義手のみのシンプルな殴打を繰り出した。レイはコウエンを構えて、拳を受け止めた。
拳と刀。
ぶつかり合う両者の熱は互角に近く、ぶつかり合うたびに空気が歪む。
「相当な業物と見た。未熟な貴様には過ぎた逸品だな」
「そんなの、僕が一番分かっているんだよ!」
数合打ち合い、拮抗したような鍔迫り合いを力づくで解くと、レイはコウエンを振るい続けるが、刃はガシャクラを捉えない。能力値では僅かに上回っているのだが、戦闘経験、特に対人戦の経験で先を行かれてしまう。まるで舞い落ちる木の葉のように斬撃を躱して下がるガシャクラは、レイの攻撃の切れ間にトンファーを捻じ込んだ。
その攻撃を下手に受け止めれば、鎖分銅が死角から迫って来るのを知っているレイは、避けては攻撃、避けては攻撃を繰り返した。
一進一退の攻防。だが次第に、押されていくのはレイだった。相手の攻撃を避けるたびに後ろに下がっていく。
狭い甲板。いつまでも逃げ回ることはできない。ついに鎖分銅が蛇のように絡みつき、レイの右腕を捉えた。
「これで、捕まえたぞ」
トンファーを引いてバランスを崩そうとするガシャクラ。だけど、レイは不敵に笑い返した。
「勝ち誇るにはまだ早いんじゃないか、爺さん」
左手に握るコウエンで鎖を溶かし切ると、逆にガシャクラが前に倒れそうになる。そこは歴戦の暗殺者。無様に倒れる事だけは避けられた。
しかし、体を踏ん張らせたせいで、レイの鋭い踏み込みからの一撃に反応が遅れてしまう。下からの一撃にガシャクラは右腕を前に構える事で防御した。
だが、息を吐く暇は無い。レイが渾身の力を込めた一撃は次第にガシャクラを押し返していた。真っ赤に輝く右腕が次第に男の顔面へと向かっていく。
「く、く、くそぉおおおおおおお!!」
絶叫と共に顔の肉が灼ける音が戦場に響く。哀れにもガシャクラは自分の怨讐が具現化した熱に顔を焼かれてしまった。
「と、頭領!」
船員たちが取り囲む二人の戦いに介入する者が居た。フジワラだ。レイの雷撃で伸びていた男は船が出港してすぐに目が覚め、これまで船員と騎士とシアラから逃げ回っていたのだが、隙を突いてレイに体当たりを仕掛けた。
横に突き飛ばされたレイは欄干を掴みながら立ち上がり―――ふと、視界に入った光景に違和感を覚えた。
それは船上では無く、海上にあった。
いつの間にか湾を抜けようとする船に向けて、中型船が真っ直ぐ向かってきていた。帆を張り、風を受け止め進む。このままでは斜め後ろからぶつかってしまうのではないかと素人のレイですら想像してしまう。
当然のように甲板の上は慌ただしくなった。
「停止信号を送れ! 舵を切り、帆を畳め。直撃を躱せるようにしろ!」
船長の怒号じみた指示に、船員の悲鳴がかぶさる。
「停止信号に反応しません。というか、甲板に誰も居ません!」
「……なんだと。……あの船はどこから現れた」
「おそらくですが、俺達が出港してから桟橋を離れた一隻かと思われます」
「どういうことだ。空っぽの船が何故、動く。何が狙いだ」
信じられないといった船長の言葉を合図に、無人船が正体を現した。
突如、船が炎を上げて燃え始めたのだ。軍船よりも一回り小さい船はあっという間に、海の上だというのに、火だるまになった。巻き起こった炎はまるで紅い塔のように垂直に伸び船のシルエットを隠しておきながら、その足が止まる様子はない。此方の船の進行方向にぶつかるように進んでいく。
「ガシャクラ! あれもお前の策略か!!」
レイが叫ぶと、顔に手の形をした火傷を帯びた老人は否定するように呟いた。
「あんなもの。ワシの指示には無い」
(だったら、あの船の役割は……くそっ。間に合え!)
レイは右手を突き上げ、命令を下した。
「リザ! 《エトネとダリーシャスを連れて海に飛び込め》! シアラ! 《レティを連れて海に飛び込め》!」
二人に下した命令はすぐさま彼女らの体を縛る。シアラは驚異的な反応を見せて、レティを掴み海に飛び込んだ。遅れて船室から上がったリザが二人を脇に抱きかかえて掴んで海へと飛んだ。船員たちも我先にと海に飛び込み、一刻も早く船から離れようとする。
混乱する甲板上。火だるまとなった船はもう目と鼻の先まで迫っているのだ。
レイも火船とは反対側の方へと飛び降りようとして―――横合いから体当たりを食らった。
またしてもフジワラがレイの体にぶつかったのだ。それも今度は一本しかない手でしがみつく。
「離せ! お前も死にたいのか!?」
「お前が死ぬなら、それでいい。本望と言えるのさ」
フジワラの瞳をレイがのぞき込むと、背筋にうすら寒い物を感じた。ガシャクラと同じ、ドロドロとした色に濁っていたのだ。
体にしがみ付くフジワラを引き剥がそうとするも、手遅れだ。
速度を落とさない火船が斜め後ろから軍船に衝突し―――火船が爆発したのだ。
レイの体はフジワラ共々吹き飛ばされ、海に落ちた。
(やっぱり、自爆船かよ。火薬は貴重だって言うのに、こんなことに使うのかよ。それとも別の方法で爆発させたのか)
衝撃波で海面に叩きつけられる間も、レイの思考は止まることなく回り続けていた。
青い海面を見上げると、軍船の物と思しき破片が降り注ぐ。如何にか生きているのに、これに押しつぶされて死んでしまうのは御免だと思い、いつまでもしがみ付くフジワラを引き剥がそうとする。
しかし、尋常ならざる力でレイの四肢を抑えるフジワラ。隻腕の身で足まで駆使しての執念には脱帽してしまいそうになる。
だが、それでもレイの方がまだ優勢だ。自分も感電するリスクを背負ってでも、ダガーを使おうと決めたその時だった。
海の温度が上昇した。
幾つも飛来物が落ちてきて乱れる海面から、真っ赤に輝く腕が沈む。人よりも比重の重い金属製の腕を錨にして、ガシャクラが真っ直ぐに落ちて来た。
逃げ場はない。フジワラがレイの体に絡みついている。
(この爺! 仲間の命を奪ってでも僕を殺す気―――いや、違う。コイツの能力は!?)
そこでレイの思考は遮られてしまう。
ずぶり、と。
自分の心臓を真っ赤な腕が貫き、燃やし、溶かしたのだ。海の中に居るというのに、焼けた鉛を飲まされたように体が熱くなる。
その腕はレイを拘束していたフジワラの胸も貫いていたはずだ。しかし、男はレイの拘束を解くと無傷の体を使いガシャクラを支えようとする。
物理攻撃無効化。
彼の持つ技能によって、彼はガシャクラの右腕を躱したのだ。
黒に染まっていく視界の中、レイはガシャクラの澱んだ瞳が嬉しげに歪むのを見た。
★
息が苦しい。
肺は石を詰められたかのようにぱんぱんに膨らみ、横隔膜は破けたのか動きもしない。ひたすらに吸い込めない空気をもがいて、口が半開きに固定される。
薄暗い世界に置いて、唯一の光源は自分の胸の内を突き破る腕だ。
鉄を真っ赤になるまで熱した腕は体の内から溶かしていく。逃げ場はない。心臓も、血も、肉も、神経も、何もかもが一纏めに溶かされ蒸発していく。
耳朶を震わすのは自分の体が焼けていく音だけ。
ふと、見上げた先には澱んだ黒い穴が一つ浮かんでいた。
そこから黒い泥があふれ出し、全てを呑み込んでいく。体を包み込むこの泥の正体は―――怨讐だ。自分でも抑えきれない憎しみがあふれ出ていた。
★
「―――っああ!!」
イタミに声が漏れる。眠っている周りに気を使い、口を押えたレイは何度か深呼吸を繰り返してイタミの波が静まるのを待った。
そして、馬車の幌を見上げて呟いた。
「敵はガシャクラだけじゃなくて、デゼルト国の刺客もかよ。しかも、ダリーシャスの誘拐じゃなくて、殺しが目的とか」
街の住民を巻き込む復讐鬼に、暗殺のためなら船一隻を自爆させるという刺客。とんでもないコンビを前にレイは重いため息しか出なかった。
読んで下さって、ありがとうございます。




