6-23 バカンス
トトスの港町は南方大陸や中央大陸に通じる貿易の盛んな港であると共に、貴族や上流階級向けの避暑地としても有名だった。船が多く出入りする湾から少し離れた場所に、波が打ち寄せる白い砂浜が広がっていた。
昼時は熱い日差しに砂は焼け、夕暮れ時になると沈む夕日に赤く染まり、夜には満天の星空が世界を彩る。海岸線に沿って別荘地が並んでいる。シュウ王国の国民の別荘もあれば、他国の人間の別荘も中にはある。
それだけに防衛は完璧で一帯を見回る兵士たちの数や練度は首都と同等と言われている。
その砂浜を一望できる小高い丘に、他の別荘とは一線を画す建物があった。
自己顕示欲の象徴のように塔が幾つも伸び、白亜の建物には砂金が混じっており、日の当たり方によっては黄金色に輝く。中を彩る調度品は、数も質もそれこそ一国の王宮に匹敵し、庭には巨大なプールが備え付けられている。
誰もが無視できない存在感を放つ別荘はほとんど使われていなかった。屋敷の管理を任された労働奴隷ぐらいしか出入りしない建物に、珍しく主が訪れていた。
日差しを乱反射するプールの傍に、屋敷の主は従者を伴っていた。
太陽の日差しを遮るように黒い日傘を掲げる従者は女性の身でありながら燕尾服を着込み、男装をしていた。黒を基調とした衣服に緩みは無く、この炎天下で従者は汗一つ流さない。
一方で主はあられもない姿を晒していた。
豊満な胸の一部を隠す胸当ては生地を紐で繋ぎ合わせており、背中で結ばれている。寝そべるような形の椅子に隠された背中は真っ白な肌を惜しげも無く晒している。下半身は逆三角形の布地がごく狭い範囲を抑えており、それを上からパレオで隠していた。
これは水着と呼ばれる衣服で、遥か昔、冒険王がエルドラドに残した文化の一つだった。布地に使われているのは、あるモンスターの皮膚で、水を弾く特殊な素材。かつて冒険王が残したデッサンを元に針子たちが何代にもわたって新しいスタイルを作り上げていく、いわば異世界交流の結果と言えた。もっとも、この危険極まりない世界において、水着を着て避暑を楽しめるのは限られた存在だけで、貴族のお遊びと揶揄されている。
女のきめ細かい滑らかな肌をくっきりと強調する黒の水着はシンプルながらも彼女の魅力を最大限引き出しており、主が足を組み替える度に、肉付きの良い白い肌がパレオの切れ間から顔を覗かせていた。
「あつーい。ねえ、ちょっと。太陽を滅ぼして来て頂戴よ」
主は従者以外にも使用人たちが居る場所で、とんでもない事を言いだした。冗談なのか、それとも本気なのか判断が付かない使用人たちは大きいうちわを必死に扇いだ。
「……それは流石に無理かと存じます」
「えー。使えない子ね。これはお仕置きが必要かしら」
「それは……望む所です」
期待に胸を高鳴らせた従者だが、主は頬を膨らまして、
「やーよ。昼間からこんなに暑いんだから、夜も暑いに決まってるでしょ。貴女ってば、一度火がつくと一気に燃え上がる性質だから、暑い夜にはちょっとね」
と、言って肩を竦めた。従者は表情を全く変えることなく、されど内心でぎらつく様な太陽をどうやったら消せるか真剣に考え始めていた。
煩悩塗れの従者の事に気づかず、主は脇に置かれたグラスを掴み中の炭酸水に口を付ける。氷をふんだんに使って外側から冷やされた炭酸水は火照った体を中から鎮めるような清涼さを持つ。
「それにしても。まさか私の船がトトスに無いなんてね。これでもう、何日足止めされたのかしら」
呟きに従者が背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。
「……申し訳ありません。全ては私の落ち度です」
「そうね。罰として……その顔は何よ、嬉しそうにしちゃって。被虐趣味の貴女だとどんな罰もご褒美になっちゃうのよね。ホント、虐めがいがあるんだかないんだか」
グラスの中で弾ける泡を見ながら主―――ウージアの女帝、ジョゼフィーヌは憂いを帯びたため息を零した。傍にいる魔人種の男装の従者はそのため息すら自分の中に取り込みたいという欲求に駆られてしまう。
この二人がトトスの港近くの、ジョゼフィーヌ所有の別荘に足止めされて数日が経過していた。
執務を放り投げて、水の都アクアウルプスに向かうと決め、ウージアを離れてトトスの方に来たのまでは良かった。ところが彼女所有の豪華船が港に無い事に気が付いたのはトトスに着いてからだった。
シュウ王国にはトトス以外にも港はある。ウージアから最寄りの港はロージャンといい、シュウ王国の沿岸線の中央付近にある事もあり、彼女が個人所有している船はそこに停泊していた。そして、彼女の向かいたい場所の最寄りの港まで先回りして待つのがいつもの手順なのだが、今回のアクアウルプス訪問はジョゼフィーヌの急な思い付き。準備不足がたたってしまった。
従者が船に連絡を怠ってしまい、まだ到着していないのだ。
「今朝がたの連絡では、明日には入港するとの事です。それまでの御辛抱を」
「やーだ。退屈、退屈、退屈よ!」
腕を振り回し、まるで子供が駄々をこねるかのような仕草。とても二十代後半の女性がするような行動では無い。しかし、不思議とジョゼフィーヌがするとみっともなさよりも前に、愛嬌のような物を感じてしまうのは天性の魅力だろうか。
豊満な肉体に、人を掴んで離さない眼差し。微笑まれるだけで、性別に区別なく人を魅了する。まさに美の化身だと従者は主の事を思う。
例え―――その中に宿る魂が、残酷なまでに醜悪だとしても、むしろそれを含めて彼女の魅力だと胸を張って言う。
天使のような肉体に宿る、悪魔のような精神。
そのアンバランスな部分こそ、ジョゼフィーヌの本質といえた。
「本当に退屈。……暇つぶしに若い子でも攫おうかしら」
ジョゼフィーヌがぼそりと不吉な事を呟き始めた。
「砂浜を幸せそうに歩いてる恋人とかいいかもしれないわ。打ち寄せる波の音に耳を傾け、愛を語らう恋人達。ところが、その愛しい恋人は無残にも目の前で奪われる。体を拘束され、しかし目を背ける事は許されず、略奪者の手でよがり狂う姿を延々と見せつけられ、心を狂わせる。一方で無垢に近かった体に強烈な快感を刻まれた方は、恋や愛よりも快楽に堕ち、これまで築きあげていた自我すら崩れてしまう」
陶酔しきった顔で、他人を不幸に落とす段取りを考えるジョゼフィーヌ。口から零れる邪悪な欲望とは裏腹に、その表情は美しく、清純でさえあった。
その顔が従者の方を向いた。
「ねえ。この場合、手を出すのはどっちがいいかしら。男の方か、それとも女の方か」
「貴方様の望む方に」
「つまんない、模範的な答えね。まあ、いいわ。綺麗な子にしましょう。綺麗な子がぐちょぐちょになる方が見ている分には楽しいわ」
言うなり、手元に置いてあった双眼鏡を持って、砂浜を一望できる庭先へと出た。慌てて従者たちは主の後を追いかけた。
「ふふん。いるいる。何にも知らずに楽しそうにしている子たち。どーれーにーしーよーうーかー……あら?」
鼻歌まじりに獲物を探していたジョゼフィーヌが唐突に固まった。何かおかしなものを見たかのように、双眼鏡を何度も覗きこみ始めた。
どうかされたのですかと従者が尋ねると、
「桟橋に軍船が止まっているのよ」
と、返した。
それは別段不思議ではない。貿易の盛んな港街、海賊が航路に潜んでいる可能性もあるため、海では軍船が見回りをしている。その軍船が寄港しているのはトトスでは珍しくない光景だ。
しかし、ジョゼフィーヌは膨らんだ唇に指を当てて不審そうに呟いた。
「たった一隻でね」
「……それは……奇妙と言えば奇妙です」
シュウ王国海軍において、軍船は常に二隻で一組とされていた。広い海で何かしらのトラブルに巻き込まれた時、もう一隻いれば生存率が格段に上がる。それに、二隻を一緒に行動させることで、互いを監視し合い不正をさせない見張りとしての役割もある。
それなのに湾内に停泊している軍船が一隻しかないのは確かに奇妙だ。
「あの軍船。掲げている旗に龍頭からすると、スヴェンと仲良しの船かしら」
スヴェンと言う名が出た瞬間、従者の顔に険が走る。手に力が入り、いつの間にか日傘の柄を握りつぶしていた。
シュウ王国先王の妃であるジョゼフィーヌと第二王子スヴェンは、いわば血の繋がらない祖母と孫である。年は同じぐらいなのだが、両者の中は険悪だ。
正確に言えば、スヴェンが蛇蝎の如くジョゼフィーヌを嫌い、ジョゼフィーヌはそんな風に感情的になるスヴェンを見て愉しんでいるのだ。時折、怒りの炎を更に燃やそうと、燃料を投下していた。
だが、従者にしてみれば、国内で明確に敵対している主の政敵の名前に怒りを露わにしていた。
「何だか面白そうな匂いがするわね。ちょっと港まで足を運んでみようかしら」
「ご随意に。……されど、宜しいのですか」
問いかけに、ジョゼフィーヌはこくびを傾げた。
「先程まで若い恋人を見繕っていたようでしたが、そちらの方は」
「ああ、あれね。良く考えたら、もって一晩程度の暇つぶしでしょ。中止よ、中止!」
人を二人ばかり破滅に追いやろうとしていたのにもかかわらず、それを暇つぶしと言い、更には気まぐれに取りやめる自由奔放な姿に従者はこれでこそ主だと思う。
「鬼が出るか蛇が出るか。どっちにしても退屈だけは勘弁してよね」
ジョゼフィーヌ・ヴィーランドは見ようによっては天使のような、悪魔のようにも見える微笑みを浮かべていた。
潮風が鼻を擽る。幌に囲まれ、山間に視線を遮られても容易にその先の光景が想像できた。曲がりくねった道をキュイが引く馬車の周りは異様な光景だった。
なにしろ前後左右全てを完全武装した騎士に囲まれて進軍しているのだ。馬車が中央に置かれているせいで、傍からは騎士たちに連行されているように見えてしまう。
(もっとも、護送も連行も大した違いはないよな)
オウリョウを出発する際、スヴェン麾下の騎士五十名が護衛に付くことになった。全員が、あのスタンピードを生き抜いた猛者であり、レベルもレイよりも高い。身元も調査済みのため、ガシャクラの付け入る隙は無いと太鼓判を押されている。
人というのは単独で威圧感を出せる者もいれば、集団で動くことによって威圧感を出せる場合もある。揃いの団服に鎧、磨かれた槍に手入れの行き届いた馬。そして一糸乱れぬ隊列はまさに威圧感の塊。道中、行く手を遮るような物は何一つなく、すれ違う人たちも思わず道を開けてしまう。
そのため、何の障害も無く、トトスの港町手前まで着いた。あとは山と山に挟まれた道を進めば、港が見えてくると隊長は言う。
「それじゃ、港に着いた時の段取りを今の内におさらいしようか」
馬車の中でレイは口を開いた。聴衆は車座に座った《ミクリヤ》のメンバーとダリーシャス。それに護衛部隊の隊長も中に居た。
レティも視線は前に、耳だけは後ろに向けながらキュイを操舵していた。
「現在、僕らはガシャクラの一派から追われている。そして、デゼルト国の刺客もまた、この港で罠を張っている確率が非常に高い」
「というより、ここで網を張っていなければ、俺の入国を止める手段はもうない。確率では無く、これは確定事項だろうな」
「でしょうね。この際、刺客がダリーシャスの暗殺を狙うのか、それとも誘拐を狙うかは考慮に入れず、近づく不審人物を片っ端から排除します」
本来のレイの計画では、こっそり港街に入り、夜の内に船を出してもらい静かに出発するつもりだった。ところが、ガシャクラ達に狙われてしまい、こうして大々的に騎士の護衛を付けて街に入る以上、人目を盗むのは難しい。
開き直って正面から街に入り、戦闘も視野に入れた作戦に切り替えたのだ。少なくとも、戦力で負けることはないだろう。
「それならば、話が早いですな。私たちはあまり、複雑に考えるのは苦手な性質なので」
護衛部隊を指揮する隊長はからりとした笑い声を上げた。護衛がそれでいいのか、と思うレイだがむしろそれでいいと考えていた。
一番怖いのは、正面切った戦闘で力負けする場合だ。搦め手なら、《トライ&エラー》を使い繰り返す事で光明を見出す自信はあるが、単純な力と力のぶつかり合いで負けた場合、それを覆す奇策を打ち立てるのは難しい。
基本的に、レイの使う奇策は強者に強者をぶつけるやり方だ。
ゲオルギウスも赤龍の時も、自分の手に負えない相手を、自分以外の強い味方にぶつけるまでの時間稼ぎをしていたに過ぎない。
他力本願なのは重々承知だ。
「港に着いたら、一気にスヴェン王子が用意してくれ軍船に乗船します。乗り込むのは僕ら《ミクリヤ》とダリーシャス。それにキュイにアスタルテです」
「……やはり、ニチョウも馬も置いていくつもりはありませんか」
「すいません。何度話し合っても、こればかりは譲れません。彼らを置いていくつもりはありません」
腕組みをして難色を示す隊長にレイは頭を下げた。
正面切っての戦闘に自信があると言っても、そこは戦場。何か不確定要素が無いとは誰にも言いきれない。隊長としては速やかに乗船し、船を出港してもらえればそれに越したことは無いのだ。躾が行き届いたとはいえ動物は動物。どんな行動をとるのか本番にならないと分からない。
「……まあ、いいでしょう。殿下からは貴方の指示に従うようにと命令されました。それが貴方の希望なら、叶えてみせるのが騎士の本懐です」
「ありがとうございます。……僕らが船に乗るまでの間、皆さんに矢面に立ってもらうことになります。それについては申し訳ないと思っています」
頭を下げようとしたレイに、隊長が慌てて、
「謝るのは止してください。……私は年下の貴方に敬意を抱いています」
突然の告白にレイは呆気にとられる。隊長は照れくさそうに髭を触りながら口を開いた。
「スタンピード最終局面。私の任された戦場は正門付近の防衛でした。貴方がトロッコに乗って赤龍を引きつけて駆け下りる所とすれ違いましたよ。……あれには痺れました。自分よりも年が若い小僧っ子があんな大それたことをしたんだと。そんな貴方を守れるというのは、騎士として、男として嬉しい事です」
隊長は誇らしげに、憧憬の眼差しをレイに送ると、馬車の中で剣を抜いた。刃先を上に向け、正面に構える。
「貴方達を守る事をこの剣に誓います。これは俺だけじゃなく、この隊全員の決意です。なあ、みんな!!」
「「「はっ! 剣に誓って!!」」」
馬車を四方で囲む騎士達が一斉に叫んだ。キュイが不機嫌そうに鳴くのは、囲んでいる騎士が全員男だからだろうか。
「そいじゃ、細かい所はこちらで詰めておきます。それじゃ」
軽く別れの言葉を言うと、隊長は馬車の後方から空馬へと飛び移る。重装備の騎士とは思えない身軽さだった。
そして太陽が中天に昇る頃、レイ達はついにトトスの港町に着いた。
無限大に広がる海の先にはまだ見ぬ南方大陸が待っている。
夏の間に水着ノルマ達成。
読んで下さって、ありがとうございます。




