6-22 青の指輪
ブレイブサラマンダーの皮膚を使った手袋は薄紅色の、まるで地平線から昇る朝焼けを固めたような鮮やかな色をしていた。高級店のなせる匠の技なのか、手に馴染むどころか、付けている感触も無い。第二の皮膚のようにぴったりと張り付いていた。
その上に炎鉄の手甲を装着する。これで耐熱、対炎装備を二つ重ねたことになるが、それでもコウエンの炎に耐えられるかどうかは分からない。
服屋で購入した夏向けの薄い衣服の上に防具を装着していき、新調されたベルトにファルシオンと龍刀コウエンを差し込む。腰の辺りにバジリスクの魔短刀が吊るされていた。
ベルトにはポーチが付随しており、中には小瓶程度なら数本入る。その中に、レティ特製の回復薬セットを仕舞う。これは今後パーティーが分断された時に各自で回復手段を持っておくべきだと意見が出たので、全員が同じものを持っている。
耐石化の指輪を身に付け、忘れ物は無いかと室内を見回すと、椅子の背もたれに放り投げていたコートを見つけた。窓から差し込む暑い日差しに、いまは必要ないなと考えて置いていた。
それを手に取ってから、一度袖を通した。姿見の前に立つと、軍服のような黒いコートが暑苦しさに拍車をかける。
(本当に、こんなのが砂漠で役に立つのかね)
首を傾げつつコートを脱いで畳むのと同時に部屋にノックが響いた。躊躇いがちなそれに返事をすると、扉を開けたのはリザだった。
彼女も薄手の半そでに着替え、足首を出したズボンをはき、夏らしい軽装な格好の上に防具を身に付けていた。
「荷造りは済みました。あとは馬車に積み込むだけです。皆下で待っていますよ、ご主人様」
「分かった。僕も準備が終わった所だから、行くよ」
リザに返事をするとレイは最後にもう一度、室内を見回して忘れ物が無いかを確認してから部屋を出た。
遂にオウリョウを出発する日を迎えた。
スヴェンの屋敷は慌ただしい空気に包まれていた。短期間とは言え逗留していた主の客が出発するのだ。メイドたちは正面玄関にずらりと並び、下働き達は馬車に荷物を運び入れていた。カンネも朝から護衛の騎士団との橋渡しに奔走し、やっと屋敷に戻ってきた。
やる事が無くて暇をしているのはスヴェンぐらいだろう。まだ車いす生活を余儀なくされている王子は、自業自得とはいえ包帯を全身に巻いており、この炎天下では辛いはずだ。
だが、そんな様子を微塵も感じさせない。
「そう言えば珍しいよな。旅の足にニチョウを使うのは。力はあるが、近づけるのは女だけと聞くぞ」
「女の子ばかりのパーティーなんで世話をする分には問題ないですよ。……僕に懐く気配は皆無ですけど」
馬車に繋がれたキュイを眺めながらスヴェンは隣に立つレイに声を掛けた。応じたレイも割合暇だった。すでに自分の荷物は馬車の中に積み、いま運ばれている物資の確認作業などはレティ達が代わりにやっている。暇人同士が別れの時を待っていた。
「ガシャクラとその配下の行方は分かりましたか」
「いや。不明のままだ。少なくとも、オウリョウ付近に居ない、という事しか分からん」
「そうですか。……こりゃ、どこかで待ち伏せしているのは確実ですね」
エトネを襲ったガシャクラの一派は、潜伏していた宿屋から姿を消した。屋敷の敷地に侵入された事で、捕縛する名目が出来たスヴェン麾下の兵が押し入った時にはすでに、もぬけの殻だった。
その後、街の至る所まで草の根を掻き分けた探索が行われたが、ガシャクラたちの姿は無かった。オウリョウを出て、どこかに潜伏しているのだろう。
「すまんな。指一本触れさせん、なんてでかい事を言っておきながらこの為体。其方の仲間を危険に晒してしまった上に、とり逃すとは」
頭を下げるスヴェンにレイは冷たく、
「まったくです。あれだけ自信満々に言っておきながら、結界が作動すらしてないなんて。とんだ期待外れですよ」
「ぐふっぅう!!」
車いすの上で大仰に仰け反るスヴェン。レイは言いすぎたと思いフォローを入れた。
「……僕も気を緩めてしまいましたから、お相子です。それに……変な話ですけど、この結末が一番良かったかもしれません」
「この結末? ああ、あの指輪の事か」
二人が視線を馬車の方へ向けると、御者台からキュイの手綱を握るエトネの姿が見えた。その右手にキラリと光る青い指輪が嵌っているのは見なくても分かる。
魔法式を刻む事で、魔法を発動できる指輪には魔法とは違う物の名が刻まれていた。
その名はハヅミ。
水の超級精霊の一部にして末端にして中枢でもある存在の名がそこには書かれている。
「危うい賭けだったな。基盤、魔法を発動できる金属に精霊を封じ込めるなんて発想、普通は思いつかんぞ。成功したのが奇跡といえる。失敗した時は……想像したくもないな。それにしても、どうしてあんな方法を思いついたのだ」
「前に友人が精霊を召喚するのに立ち会った事があるのですが、その時の事を思い出して。精霊を召喚する術式があるなら、それを基盤に刻めるのではないかと思ったのです」
あの時。エトネの体に宿るハヅミが中心となっているミヅハノメが消える直前、レイは五色の指輪の一つを彼女の前に置き、尋ねた。
「この指輪を使えば、君は君という存在を残せるんじゃないか」
レイの言葉にハヅミを含めた全員が息を飲んだ。魔法を発動できる基盤に精霊を、欠片のような情報量とは言え、封じ込めるという考えは誰にも思いつかなかった。しかし、可能性はあった。
「魔法式は精霊の言葉を文章化したもの。普通の人間が基盤に何を書いても精霊は呼び出せないだろうけど、精霊本人が刻めば可能性はあるかもしれない」
「ハヅミ! 決断するのは君だ。エトネの傍にいたい。消えたくないと願うなら、この賭けに乗れ。その代り、君は未来永劫、この指輪の中に閉じ込められてしまうかもしれない。それでも良いなら、この指輪を使え」
返事は即答だった。結果は見ての通りだ。指輪にハヅミの存在が宿り、彼女の精神と結びついているとコウエンは言う。
「まさか、指輪に、いや人工物に精霊が宿るとはな。面白い物を見せて貰った。タオも問題はないだろうと太鼓判を押していた。あの指輪なら超級精霊ミヅハノメをいつでも召喚できると」
正確に言えば、召喚されるのはハヅミを中心としたミヅハノメなのだが、そこにスヴェンは大きな違いは無いと考えていた。通常のミヅハノメだろうが、ハヅミを主人格としたミヅハノメだろうが、水の超級精霊を呼び出せることには変わらないのだ。
指輪に宿る膨大な魔力によって、呼びかけるだけで精霊を召喚すると言う破格の性能が青の指輪にはある。シュウ王国の防衛を担うものとして、指輪の量産が出来ないかと考えていた。
ところが、レイは意外な事を口にした。
「あの指輪を使う事はありません」
「……なに。正気か、レイ」
スヴェンの語気が強くなるのも無理はない。超級精霊はエルドラドにおける最高の存在といえた。ひとたび召喚されれば自然の法則を意のままに操る。ミヅハノメなら乾燥した大地に湖を生み出し、逆に水害に苦しむ土地に救いを与え、敵意を向ける者を一睨みで屈服させることが出来る。
そんな超常の力を使わないとレイは言うのだ。
「正気ですとも。あの指輪に宿っているのはミヅハノメじゃなくて、エトネの友人のハヅミです。……指輪に宿る魔力が消費された時に回復するのかどうか不明。もし使っても回復しないなら、それは二人の別れを意味するじゃないですか」
指輪型の基盤に宿る魔力。それは普通ならあり得ない事態だ。魔法工学の専門家でもあるタオにも分からない、ブラックボックス。全ての指輪が同一の機能を有しているのかさえ不明なのだ。赤色の指輪には魔力の自動回復機能は付いているが、青色には付いていないという可能性は誰にも否定できない。
それを確かめるためにはミヅハノメを召喚する以外、方法はない。
「エトネは見ての通り、獣人種とエルフのハーフです。……これまで父親の故郷で暮らしていましたが、父の死をきっかけに故郷を離れる事になりました。母の故郷を頼ろうとするも、旅の終わりで母も死に、エルフたちは彼女を拒みました」
何か思い当たる節があるのかスヴェンは黙って話を聞く。
「僕らとエトネがあったのはちょうどそんな時でした。天涯孤独。頼れる人が誰も居ない彼女は故郷に帰りたいと言い、僕らはそれを引き受けました。……いずれ、彼女は僕らとも別れます」
「故郷を無くし、父を亡くし、母を亡くし。そんな幼子を一人にするつもりなのか」
「そこはエトネの選択次第です。……僕らと共に行くのを望むなら」
連れていく、と。レイは続けることはできなかった。自分の向かう先に待ち構えているだろう『七帝』の事を考えてしまう。自分はこの道を降りるわけには行かない。リザやシアラ達には『七帝』との間に、切っても切れない宿命がある。けどエトネは違う。降りられるなら、降りるべきなのだ。
迷いを振り切るように口を開く。
「……とにかく、望まなかったときは、彼女は王子の言う通り一人になってしまいます。だから、その時傍に居られる存在が居てくれればと思い、ハヅミを消さない方法は無いかって考えました。だから、ハヅミを使わせません。彼女と共に居て欲しいのです」
「……其方はあれだな。とんでもなく優しい男だな」
「それ、褒め言葉ですか?」
ジト目でスヴェンを睨むレイ。包帯で隠された顔の下で皮肉げに笑っているのだろうと想像していた。
「さてな。……まあ、あれだ。一人が寂しいと言うなら、俺の屋敷で働いてもらうという手も―――」
「―――却下です」
「反応が早いな! 少しばかりは考えろ。……いや冗談だ、冗談。だからそんな怖い目で見るな」
冗談も理解できないのかと呟くスヴェンだが、レイは冗談ではないだろうと考える。なぜなら、エトネが雨に打たれた時の着替えとして使ったメイド服。あれはいま馬車の中で眠っているのだ。一度使ったからという理由で強引に渡されたが真意は違うだろう。なぜならエトネの分だけじゃなく、レティのサイズに合うメイド服もついでに渡されたのだ。
どちらも黒を基調としたフリルの施されたメイド服で、二人ともそれなりに気に入ったのか返そうとレイが言うと、涙目で欲しいとせがんできた。結局、レイが折れる形となった。
メイド服の真意はともかくとして、色々な事をしてもらった恩人に対してレイは背筋を伸ばした。
「スヴェン・ヴィーランド王子。滞在中、並びにトトスの港までの護衛に軍船の貸与。大変感謝しております。このご恩、いつか何処かでお返ししたいと存じます」
「堅苦しい挨拶は止せ。前にも言っただろ。親父に頼まれただけじゃなく、個人的に俺もお前に詫びたいと思っていた。むしろもっと我儘を言ってくれればこちらも助かるというものだというのに。其方は欲が少ないぞ」
「十分ですよ。あんまり贅沢しちゃうと、それに体が慣れちゃいますから。人生ほどほどが良いんですよ」
「……言う事が爺むさいぞ。本当に十五か、其方」
呆れかえるスヴェンに曖昧な笑みを浮かべると、レイはスヴェンの車いすを押して馬車の方へと歩き出した。準備を終えたレティが馬車の後方で退屈そうに待っていた。
「お話は終わったの、ご主人さま」
「まあね。皆は揃っているよね」
確認の意味を込めて馬車の中を覗くと、積み込まれた物資の中で倒れている男が居た。誰あろう、デゼルト国の王子ダリーシャスだ。
彼は滞在期間中、ずっとスヴェンの仕事を手伝っていた。ある意味影の殊勲者といえた。その彼が体を引きずってレイの方へと近づいてくる。その姿はゾンビの様だ。
「レ……イ。やっと……俺は……解放されるのか」
「えっと。はい、そうです。……どれだけ酷使すれば、人はこんな風になるんですか」
「鍛え方がなってないのだろう。故郷に着くまで、少しは鍛えとけ」
スヴェンに抗議すると彼はさらりと言ってのけた。流石に親子そろって筋骨隆々の家系だ。発想が筋肉に染まっている。
いつの間にか、アスタルテを連れてリザが馬車の横に並ぶ。シアラも馬車の中に居た。これで全員が揃っていることになる。
「それじゃ、今後の進路を確認するよ。レティ、地図を」
最初から予想していたのか、レティは手に持った羊皮紙を取り出した。オウリョウからトトスまでの地域を描いた地図だ。
「まず騎士団の人たちと共に西南西に向かい、二日掛けてトトスの港町に行きます。そこではすでに軍船が用意され、いつでも出港できるようになっている……で、宜しんですよね」
スヴェンに確認をとると、彼は補佐官のカンネに視線を向ける。彼女は問題ありませんと返した。
「そしたら、その日の内に僕らは港町を出て、南方大陸に向けて南下します。ちなみに今回、水の都アクアウルプスには寄りません」
このことは昨晩の内に話した内容だけに驚きはない。そもそも、アクアウルプスに寄らないと決めたのは随分前の話だった。この旅の依頼人であるダリーシャスが一刻も早く首都への帰参を望んだため、寄り道はなしとなった。
「港を出て六日後には僕らは南方大陸に上陸する。……今の所、質問はあるかな」
手を上げたのはリザだった。
「ガシャクラ達の行方はまだ不明なのですか」
「ああ。王子の部下も追いかけているみたいだけど、見つかっていない。だから、この旅には最低二つの勢力が僕らを狙っていると思ってくれ」
「ガシャクラの一派と」
「我が一族が差し向けた者達……だな」
シアラとダリーシャスの言葉にレイは頷いた。そして、地図の上の一点を指し示す。
「確実に、この港に敵がいるはずだ。道中の警戒はもちろんだけど、トトスでは各自、いつでも戦闘が起きると思って行動してくれ」
「「「了解!」」」「りょうかい!」
力強い返事に頼もしさを感じつつ、レイは改めてスヴェンとカンネに向き直った。
「それじゃ、王子。それにカンネさん。本当にお世話になりました」
頭を下げると、リザ達も地面に降り立ち深々と頭を下げる。ダリーシャスだけが目礼ですませたが。
「其方らの旅路に十三神の加護が有らんことを」
「お体には気を付けてください。レイ殿、それに皆様も」
二人の言葉を受け止めると全員がそれぞれの位置に着いた。そして、キュイが動き出すと、固く閉じられていた門が開いた。
「またな、レイ! オウリョウに立ち寄る事があるならば、いつでも俺を頼れよ!」
スヴェンとカンネに見送られながら《ミクリヤ》一行はオウリョウを後にした。
読んで下さって、ありがとうございます。




