6-21 エトネの夏休みⅥ
「逃げた……のか」
掌を焼く熱に顔を顰めながら、レイは黒装束が消えたことに安堵した。いくら鉄柵があると言っても、相手は複数。どのような攻撃手段があるか不明だったし、何よりレイには鉄柵の向こう側に攻撃を与えられない。
一方的にやられてしまうだけだ。
窮地を乗り切ったレイは雨を浴びて蒸気を放つコウエンを鞘に仕舞う。相変わらず、炎の熱だけで掌は火傷に覆われていた。降りしきる雨が灼けた掌に心地よかった。
「助かった。あのまま胸倉を掴まれていたら、もしかしたら向う側に引きずり込まれていたかも。……でも、お前から協力するなんて珍しいな」
『呵々。手出しをするつもりは無かったのだが、中々面白い敵だったのでな。物体をすり抜ける力。わが身もすり抜けるとは、見事也。しかし、妾の炎はすり抜けられなかったようだな』
敵を褒めるコウエンに呆れつつ、レイは林を抜けエトネの元に戻った。エトネは疲れ果てたのか地面に寝そべっていた。
雨は次第に弱まってきたが、それまでに浴びた雨のせいで体がぐっしょりと濡れていた。
薄着だった事が災いして、肌が透けて見えたが、レイは全く動じることなくエトネに向けて声を掛けた。
「エトネ……の中に居る誰かに重ねて尋ねる。君は敵か?」
「敵じゃないって言ってるでしょ。……この子の友達よ」
返ってきた声は二重に聞こえた。素の状態のエトネに加えて、誰かの声が重なっている。すると、腰のコウエンが口を挟む。
『何じゃい。其方、ミヅハノメかぇ。……否。妾の知るミヅハノメとは違うのう』
「そう言うアンタこそ……赤龍……なのかしら。随分と可愛らしい姿になって人間に使役されちゃって。笑えるわね」
『笑止。精霊の頂点に座するおぬしこそ、そのような人間の中に納まるとは。耄碌しておるのじゃなかろうな』
「エトネをそのような人間って言わないでよ! この子はあの子以来の寵愛を受けし者。精霊の子供なのよ。そんなちんちくりんのへっぽこいのと一緒にしないで!!」
びしりとレイに向けて指が伸びた。それって僕の事か、と肩を下げたレイに、
『確かに、ちんちくりんのへっぽこの未熟者ではあるが、この妾が認めた所有者じゃ。舐めるなよ』
と、フォローになっていないフォローをされる。その後も一本の刀と一人は口喧嘩を止めようとしない。到着したリザ達が見たのは芝生の上で寝そべるエトネと刀が言い争い、その間で諦めた表情を浮かべている主の姿だった。
「あの……ご主人様。どういう状況なんでしょうか」
「やあ、リザ。僕もよく分かんないけど、とりあえず敵が来て、それが逃げた所だよ」
三人は敵と聞き警戒を強めるが、その後に続いたレイの説明を聞き、肩の力を抜いた。
「詳しい話をしたいけど、このままだと風邪を引いちゃうね。えっと、ミヅハノメだっけ。立つことはできるかい」
「うーん、無理そうね。おんぶして」
「生憎と、僕も両手がこの有様でね」
レイは焼け爛れた両手を見せた。ミヅハノメは納得したように頷くと、代わりにリザがエトネの体を持ち上げた。
そして一行は走り寄って来るカンネや警護の兵士達と合流するべく屋敷へと歩き始めた。
「それでは改めて自己紹介を。我が名はミヅハノメ。13神が一柱、水を司る神オケアニス様の僕よ」
食堂にて、濡れた衣服を着替えて髪をタオルで拭いてもらいながらエトネは、いやエトネの中に居るミヅハノメは名乗る。
「今はこの子。エトネの中に宿り、彼女の体を借りているけど、本来なら貴方達程度と言葉を交わす事はしない。存分に敬いなさい」
エトネの体でふんぞり返りながらミヅハノメは言う。しかし、リザやレティに世話をされている姿は、ちょっと偉そうにしている女の子の姿そのものだ。
「……本当に精霊がエトネの中に居て操っているのか。まだ、エトネの二重人格の方が納得できるんだけど」
『事実だ。あの小娘の中に、ミヅハノメは確かに居る。ただし、本物のミヅハノメとはいささか違うがの』
「本物とは違う? それって一体」
どういう意味だ、と続けようとするレイだが、無言の視線に気づき顔を上げた。食堂には《ミクリヤ》のメンバー以外にカンネや騒ぎを聞きつけたスヴェンやダリーシャスも居た。レイとエトネを除く全員が奇異の視線をレイに、正確にはレイの持つコウエンに向けられていた。
「……主様。先程から、その刀が喋っているように聞こえるんだけど、どういう事かしら」
「え!? 皆きこえたの!?」
驚くレイに全員が頷いた。腰のコウエンに視線を向けると、
『其方以外にも声が届く様にしておる。そうしなければ、傍から見ると刀に喋りかける危険人物に其方がなってしまうぞ』
というコウエンの気遣いが返ってきた。それは想像すると悲しい姿だ。
レイは全員に龍刀コウエンの中に宿る、赤龍の記憶を引き継いでいるコウエンの事を説明した。誰もが最初は驚いていたが、素材に赤龍の背骨と六将軍第二席ゲオルギウスの血。そして当代最高の鍛冶師テオドールの作となればそのような奇跡が起きるのだと納得した。
「ねえ、ちょっと。あんまり時間が無いから、話を戻したいんだけどいいかしら」
不機嫌そうに声を上げたのはミヅハノメだった。ちなみに彼女は何故か屋敷で働くメイドと同じメイド服を着ていた。カンネが持ってきてくれた替えの服がこれだったのだが、誰かの影が見え隠れする。
ミヅハノメは全員にレイが来るまでの間に何があったかを語る。フジワラが襲来し、なし崩し的に戦闘が始まり、そして自分がエトネの体に取りついたことを。
「僕らは何度かエトネの『憑依』を見て来たけど、今の状況とはだいぶ違う。ミヅハノメ。君がエトネの体を乗っ取っているように見えるんだけど、違うか」
語気を強めたレイの問いにミヅハノメはそうね、と返した。
「でも、誤解しないで。悪意を持って乗っ取っている訳じゃないの。まだ、この子に私を召喚するだけの精神力が無くて、召喚した瞬間に精神力切れで気絶しちゃったの。そこで仕方なく不完全な状態の私が憑依して体を使っていたわけなの」
「じゃあ、エトネの意識は」
「まだ眠っているわ。私が体から抜けて、しばらくすればまた目が覚めるわよ」
無事と知り、全員が胸をなで下ろすと、シアラが気になった事を質問した。
「ミヅハノメ様。どうして、貴女程の存在がちみっこに協力しているわけ。そりゃ、『憑依』なんてレア技能を持っているけど、それ以外は普通の子でしょ」
「ちみっこ言うな。……私がこの子を手助けしたのは、偶然と必然の結果よ」
「どういう事かしら?」
ミヅハノメはレイの持つコウエンを指差した。
「偶然の方はそれの所為よ。赤龍の魂を引き継いだコウエン。それがこの地に現れたことで、この辺りを漂っていた中枢にして末端である私が浮上しちゃったわけ」
かつてミヅハノメは赤龍の呼びかけに応じてスタンピード最終局面に姿を見せた。大地に溜まった魔力を消費し、大地に潤いを齎し消える―――はずだった。
大陸を網のように走る魔力の流れの中を漂い、世界中に魔力を届けようとしている最中、赤龍の巨大な魂を引き継いだコウエンに引き寄せられるようにミヅハノメは実体化してしまう。それも魔力不足からの不完全な実体化。ミヅハノメとしての知識や経験はあるが、力だけが無い無力に近い存在。
誰かに見える訳でも無く、触れる訳でも無く、声を掛けられる訳でも無い。
ただそこに存在し、魔力が切れたら消えてしまう、いわば世界が無意識に作ったバグ。
―――それと出会ったのがエトネだったのだ。
「ハヅミと名乗った私はミヅハノメという精霊の一部分でありながら、人格を有していた。人で例えるなら、心臓や脳が勝手に動き回っていたようなものよ」
「エトネが口にしていた友人は君の事だったのか」
屋敷に居ないはずの子供の正体が精霊だと分かり、レイは納得した。
「必然の方は……まあ、簡単な話よ。この子、エトネは精霊の寵愛を受けし者。生きながらにして、人の世とずれた精霊たちの存在を感じ取る事が出来るの。精霊と直接対話でき、触れる事も出来、力を借りる事の出来る存在。それがこの子」
ミヅハノメは愛おしそうにエトネの体を抱き締めた。だけど、その表情はどこか冴えず、悲しげでもある。
「精霊はこの子を守るためなら、喜んで力を貸すわ。もっとも、まだ幼い子に私のような存在を呼び出す力は無いから……次に会えるのは……いつに……なる……かしら」
「ミヅハノメ? どうかしたんですか。体調でも……って、精霊に体調ってあるのか」
『戯け。そうではない。こやつがあの者の体に宿るのに限界が来たのだ。……じゃがミヅハノメよ。其方、もう一度この童に呼ばれると思っているのか?』
コウエンの質問に眉を顰めるレイだが、ミヅハノメは理解しているのかあっさりと答えた。
「ええ……無理……でしょうね。私は……二度と……この子に……会えないわ」
「そんな。確かに今のエトネじゃ召喚できないかもしれないけど、成長したエトネなら出来るようになるかもしれない。そうだろ、ミヅハノメ」
レイの呼びかけにミヅハノメは力なく首を振った。
「そうじゃないの……私は……確かに、ミヅハノメよ。でも……同時に……ミヅハノメじゃない。……無数の私が集合して……ミヅハノメを構成する。……無数の中から……偶然生まれた……一の私は……一でしかない。次に呼ばれるのは……ちゃんとした完全無欠のミヅハノメよ。……それは私に限りなく似た……私じゃない誰か」
精霊は世界の至る所に存在するために、己を細かい存在に分裂させる。精霊召喚は、その細かい存在をかき集めて精霊を形作る儀式だ。だが、ハヅミを介した超級精霊ミヅハノメの召喚は通常のそれとは違った。エトネの呼びかけに応じたハヅミが、己の分身をかき集めた作り上げたミヅハノメの殻を纏う事で、力を手にした奇跡。しかし、それはあり得ざる奇跡なのだ。
ハヅミと言う人格は偶然生まれた不安定な存在。表面化した際に持っていた魔力が消えれば、彼女と言う存在はミヅハノメを構成する一に戻ってしまう。仮に彼女の人格が消えずに残ったとしても、無数の一が混ざり合って召喚されるミヅハノメの意識において無数分の一に過ぎない。それはハヅミでは無く、ミヅハノメなのだ。
つうっと。エトネの目から涙が流れた。その涙を流すのは、きっと彼女の中に居る存在だろう。
友との別れを耐えがたく思い、涙を流しているのだ。
「そんなの、可哀そうだよ。エトネはまだ目を覚ましてないんでしょ。お別れも言えないでサヨナラなんて、そんなのあんまりだよ!」
「ああ、そうだ。どうにかできないか、シアラ、コウエン」
レティの言葉にレイは同意した。このような状況で頼りになる二人にレイは打開策が無いか尋ねた。
しかし。
「無理よ。精霊の……それも超級精霊の意識の一端を繋ぎとめるなんて事、出来っこないわよ。世界の理に首輪を付けるような物よ、それは」
『そこの小娘と同意見じゃ。そもそも、妾のように入れ物が無い。器が無ければ、水は零れるだけよ』
「入れ物……この龍刀の中に宿るってのは無理なのか」
「……もう、満室よ」
囁くような声に、消えていく存在感。ミヅハノメの、いや、ハヅミの消失が近いと全員が肌で感じていた。レイは何かないかと知恵を絞り出す。
(なにか、何かないのか。精霊を宿せるような道具は……龍刀がだめなら誰かの武器や防具。いや、素材が脆い。だったら、武器以外に、何か道具は―――あっ?)
瞬間、レイは閃きと共に、ある物の存在を告げた。
意識が浮上する瞬間、全身の感覚が周囲の状況を伝えようと起動する瞬間がある。
嗅覚。鼻をつくのはむせ返るような青い木々の香り。
聴覚。耳に飛び込むのは幾多の動物や虫、それに自然が奏でる合唱。
触覚。背中に感じるのは多くの生物が動くことで生まれた、大地の鼓動。
味覚。吸い込んだ空気に含まれた新鮮な風すら味のように感じる。
最後に視覚。うっすらと持ち上げた瞼に阻まれていた世界は、夏の日差しが射しこむ木々の屋根だった。
見覚えのある光景だ。
だけど、何処で見たのだろうか。
エトネは起き上がりながら見覚えのある光景に頭を捻る。すると、
「エトネ。こっちよ」
と、優しい声が掛けられた。その声は直ぐに分かった。ハヅミの声だ。
エトネは跳ねるように立ち上がると、声のする方に走り出した。ぐんぐんと視界の端を木々や藪が通り抜けていく中でも既視感を覚えていた。
ここは山だ。だけど、何処の山だろう。
答えの出ないまま、エトネは声の誘導に従い、湖へと辿りついた。
夏の日差しを浴びてキラキラと輝く湖。その淵辺に足を揺らして波紋を作っている少女が振り返った。
「エトネ。遅いよ、待ちくたびれたわ」
「ハヅミ。ごめんなさい」
薄水色の髪を揺らして怒る友人に謝ると、ハヅミは一転して破顔し、隣に座るように地面を叩いた。エトネは何の躊躇いなくハヅミの隣に座り、少女と同じように湖に足を沈めた。
ひんやりとした刺激に、何かを思い出そうとする。
この山の事。
そしてハヅミの事。
だけどエトネの記憶は靄が掛かったように何も思い出せなかった。
「ごめんね、エトネ」
記憶の発掘をしていたエトネは唐突な謝罪に戸惑った。湖に浮かぶ波紋を見ながらハヅミは言葉を続けた。
「本当の事を言わなくて。ハヅミって名乗って。貴女を騙していた」
「……ハヅミ。なんのことをいっているの?」
訝しげなエトネに答えを示すようにハヅミは湖に更なる波紋を浮かべた。すると二人の前にある湖の一部が変化した。
透明な水が色彩豊かな絵画のように変わったのだ。それは二人の少女の遊んでいる光景から無粋な侵入者が現れるまでを続けて映し出していた。
エトネはようやく思い出した。自分が襲われ、ハヅミを、いやミヅハノメを召喚したことを。そこから先の記憶が無い事を思い出す。
「エトネは……しんじゃったの」
「それは違うわ。貴女は生きているの。その後、貴女の仲間。おにいちゃんが来てくれたわ」
湖にレイが駆けつけ、侵入者を撃退した姿が映し出された。
「それじゃ、ここはどこなの」
「分かんないかしら。貴女はここをよく知っているはずよ」
よーく見てごらんなさい、とハヅミが言うので、エトネはきょろきょろと周りを見回した。揺れる木々。湖を憩いの場とする動物。見覚えのある草花。そして、やっと気づいた。
ここが何処なのか。
「エトネのおうちがあるやま?」
しかし、それはあり得なかった。エトネの家があった山は奴隷商人のせいで燃やされ、大部分が消失してしまったのだ。こんな短期間で元の姿を取り戻すはずがない。
「半分正解。ここは貴方の精神世界よ。心象風景といってもいい。分かりやすく言えば、貴女の心の中にある故郷の姿ってところかしら」
「……よく、わかんないや」
「あっははは。そうよね、急にこんなこと言われてもよく分かんないよね。……覚えておいてほしいのは、ここは何時だって貴女の心の中にあるってことよ」
ハヅミがエトネの胸を指差す。そこに故郷はあると言わんばかりに。
「まだ幼い貴女にはここに来れるほどの自我は育っていない。でも、夢としてならここを訪れることはできるわ。だから、故郷が恋しくなったらいつでもここに来なさいよ。……ここでなら私も貴女と会えるわ」
言いながら、ハヅミは寂しそうに笑った。
「それってどういういみなの?」
「うーん。……ちょっと訳ありでね。私が外にいると、私は本当の私に飲み込まれちゃうの。偽物の私は、外の世界だと存在できないからね。まあ、仕方ないよ、それが―――」
運命、と続けようとした言葉をエトネが遮った。
「―――ちがうよ! ハヅミはハヅミだよ。ハヅミはにせものなんかじゃない、エトネのともだちだよ!」
息を荒げ、森を揺らすほどの大音声にハヅミは驚いた。同時に、エトネがそこまで真剣に怒ってくれたことが嬉しかった。
「……うん。そうだったね。私はミヅハノメである前に、ハヅミ。エトネの友達のハヅミだよ」
だからね、と彼女は続けた。
「エトネの心の中に居てもいいかしら? 駄目ならすぐにでも出て行って、ここには二度と来ないから」
それは卑怯な言い方だと、ハヅミは自覚していた。友との友情を盾に、自分の要求を通そうとするやり方。
人ならぬ精霊の身でも浅ましいと、恥ずべきだと理解する。
でも、それでも。
エトネの傍に居たかった。
かつて、彼女ら精霊たちが助けられなかった先代の『寵愛を受けし者』、イーフェ。『エルフの英雄』と呼ばれた彼女の二の舞だけは避けたかった。
エトネは躊躇うことなく、答えた。
「もちろんだよ。うれしいなぁ」
「何が、嬉しいの?」
「だって、おともだちがずっとそばにいてくれるんだよ。こんなにうれしいことはほかにないよ!」
まさに花も綻ぶ笑顔を浮かべて、エトネはそう言ってくれた。それだけでハヅミは良かった。この笑顔を守りたいと、そう心に誓う。
エトネの意識はまだ眠ったままだ。メイド服に身を包む少女はベッドに寝かしつけられていた。周りを心配そうに付き添っていたレイ達が居るのだが、夜も遅くなったことで彼らの瞼も落ちていた。
ベッドで眠る少女の寝顔は嬉しそうに綻び、良き夢を見ているようで。
その指には青色の指輪が嵌められていた。
読んで下さって、ありがとうございます。




