6-15 ガシャクラ
「……戦って、そんな。一体、どういう事なんですか」
スヴェンの衝撃的な発言から復帰したレイは複雑化する状況に顔色を曇らせながらも問いかける。
「まあ待て、レイ。話には必ず順序というものがある。水が源から流れるように、始まりがあるのだ。其方はジョゼフィーヌ・スプランディッドを知っているか?」
カンネに車いすを押してもらい、食堂の上座に移動したスヴェンがレイに尋ねるがレイには心当たりが無かった。人名のようだが、音として聞くことが出来ることからすると、認識の喪失には含まれていないようだ。単に知らない人物の名前ということになる。
スヴェンに促されて食堂の席に座る仲間達に視線を向けて助けを請う。誰も知らないように首を振るが、二人だけおかしな反応を示していた。
リザとレティだ。
リザは顔面の筋繊維が凍りついたかのように固まり、出会った頃の鉄面皮の仮面をかぶり直していた。そしてレティは首を振った後にじっと机の一点を見つめて、心ここにあらずといった具合だ。あからさますぎる反応だが、レイはここで尋ねるのは後回しにして話を促した。
「今の名をジョゼフィーヌ・ヴィーランド。……シュウ王国先王の妃だ。通り名としては、ウージアの女帝と呼ばれる女狐さ」
どこか苦々しく、吐き捨てるようにスヴェンは言う。
名前では分からなかったが、通り名を耳にすれば覚えがあった。かつて、ファルナが興奮したように語っていたシュウ王国の王室に纏わる噂話の登場人物だ。
当時、海を挟んだ帝国との外交に置いて、帝国の姫君を迎え入れる事になったシュウ王国は次の世代に帝国の血を残さないようにとある策を用いた。それは既に皇太子が存在する王の妃とすることだった。
帝国にすれば同盟を結ぶための人質を送り込んだに過ぎないため要求を呑んだ。本音を言えば、次期王のテオドールに嫁がせ、生まれた子が王位を継ぐのが良かっただろうが、帝国はそこまでの展望を持たず同盟を結ぶための鎖として自国の姫を使った。
かくして60を超えた老王の元に、15の姫君が嫁ぐことになった。
その姫は夫が死去した後、王宮を離れ自らの離宮をある場所に作る事になる。その都市から各地方へと伸びる街道を整備し、観光業に投資し、屈強な傭兵達を雇い近隣の安全を確保した。
再編された街の名はウージア。
快楽と堕落が交差する、眠らない街。その頂点に君臨し、まるで帝の様に振る舞う女の事をウージアの女帝と呼ぶ。
「俺から見れば血の繋がらない祖母に当たるのだが、ともかくこの女狐が飼っている手勢の一人に頭領と呼ばれている男が居る。皆揃いの黒い装束に身を包み、珍しい形状の棒の武器を使う集団を率いている。レイ。お前が遭遇した頭領に何か目立った特徴は無いか?」
スヴェンに尋ねられて、レイはウージアでの戦闘を思い出す。頭領と戦ったのは二度。一度目は雨雲が月を隠した建物の屋根で。下からの歓楽街などの明かりがあった物の、目元以外を布で覆い、顔を隠している頭領の特徴など無いに等しい。
それでも辛うじて拾い上げた情報をスヴェンに伝える。
「年の頃は多分、六十歳前後。少し小柄で、《暗夜紅露》という戦技を使っていました」
「戦技名を伝えられてもな。……他には何かないのか?」
包帯の下では困り顔を浮かべているだろうスヴェンが更なる特徴を聞きだそうとする。この場で頭領を見たことがあるのはリザとレティだが、二人ともこれと言った反応を示さない。しかたなく、レイが記憶を遡りある事を思い出した。
「そういえば、顔に傷が。それに腕も、右腕が無いはずです」
「顔に傷。それに隻腕か。それは確かか」
急き立てるように繰り返したスヴェンにレイは頷く。
「はい、間違いありません。どちらも僕が与えた傷です」
正確に表現するなら、顔の傷は左目を縦に切り裂き、右腕は半ばから切断した。
「それだけの深手を負ったからてっきり死んだのかと思っていたのですが……。この特徴だけじゃ足りませんか」
「いいや。それで十分だ。やはり俺の思った通り、其方の言う頭領は女狐の手勢。ガシャクラの事だろう」
「ガシャクラ……それが頭領の名前ですか」
頷くと、スヴェンは口を開く。
「ガシャクラは元を正すと帝国における影だった」
「かげ? ……まっくろだから?」
「そうじゃないわよ。この場合は、暗殺とか密偵とか裏工作に従事する人間、ってことでいいのかしら」
シアラの補足にスヴェンはその通りだと肯定した。意味の理解できなかったエトネが尊敬のまなざしをシアラに送っているのを恨めしそうに見ながら彼は説明を続ける。
「帝国には……というか、どの国にもそう言うのを生業にする一族は居る。ガシャクラもその類の一人で、帝国の、それも帝室に仕えるほど裏の世界では有名な人物だったそうだ」
「……それは解せんな」
突然、ダリーシャスが話を遮る。腕組みをしながら、デゼルト国の外交官は口を開いた。
「帝室の人間に仕える隠密の類が、他国に嫁いだ姫の元で変わらずの忠誠を誓うのはおかしい。言い方は悪いがジョゼフィーヌ殿は帝国からシュウ王国へ送られた人質。本国から外交のために売られた立場の人間だ。そんな人物に海を渡ってまで付き従うものだろうか」
ダリーシャスの疑問は正しい。裏の世界に生きる者にとって、自分の、引いては一族の安全を保障できる強い存在を主として求める。裏に生まれた以上、真っ当な死に方を選べない彼らはせめて自分の死を無駄にしない存在を本質的に求める。
その点からいえば人質として使われるジョゼフィーヌに付き従うのは、よっぽどの理由がなければ不自然なのだ。
「あるのだよ。ガシャクラがジョゼフィーヌに付き従う理由がな。この老人は、本国での権力争いに負け、一族の頭から引きずり下ろされたのだ。それもよりにもよって息子にな。息子に追放されたガシャクラとその取り巻きはジョゼフィーヌに保護を求めたのだ」
母国に居られなくなった暗部の人間が、身を寄せる場所として他国に売り払われた姫を頼る。この側面だけを切り取れば、何かしらの貴種流離譚の一説になりそうな話だ。
「ガシャクラにしてみれば、女狐のひざ元が自分に残された安全な場所なのだろう。そこでの地位を確立するためには女狐のために行動するしかない。おそらく、レティちゃんが誘拐されたのは女狐の指示か、あるいは女狐の為の行動なのだろう」
スヴェンの言葉にレイの頭の中でピースが埋まり、ある絵が浮かびあがった。ウージアでの誘拐劇の時は見えなかった全体図だ。
「宝石か!」
「きゃぁ! ちょっと急に叫ばないでよ。大体、宝石って」
文句を言うシアラに対して、レイは自分の辿りついた答えを口にする。
「だから、頭領が探していた宝石。あれは本来なら女帝ジョゼフィーヌが受け取るはずの品だったんだ。ところが、それが手に入らなくなって焦れた女帝か、あるいは頭領が気を利かせたのか、宝石の行方を追いかけて、それを知っているだろうレティを捕まえたんだ」
「……ふむ。話の筋は通るな。しかし同時に分からない事があるぞ」
興奮するレイの頭を冷やすように、ダリーシャスが絶妙なタイミングで言葉を挟んだ。彼は指を二本立ててみせた。
「一つはどうして先輩はそれほどガシャクラなるものに詳しいのか。そしてもう一つがどうしてウージアを根城にしている者達がこの街に居るのか。まさかとは思うが、スヴェン殿下。その者らをこの地に招いたりはしていませんよね」
ダリーシャスの瞳がスヴェンの方を向くと、虚偽は許さないと言わんばかりに睨む。後輩からの容赦ない視線を浴びて、スヴェンはどこか居心地の悪そうにする。
「……それなんだが。……ガシャクラは数週間前からこの街に滞在していたんだ。俺を頼ってな」
「――――っ! それって僕らの事を先回りして待ち伏せていた事ですか」
「話を急くな。そして、それは断じて違う。ガシャクラが俺の元に来たのは、奴の無くした腕について助けを求めに来たのだ。其方を狙い、この地に先回りしたわけではないはずだ」
自分が無実であることをアピールするようにスヴェンは自由に動かせる手を横に振る。レイはスヴェンの説明を聞いて、頭を冷やすと同時にバラバラの出来事が繋がっていくのを感じていた。
この街の研究所で開発されている最先端のある物。優先的に配布されるのは貴族や王族の紹介がある者。右手を無くした男。そして、この街を預かる王族であるスヴェン。
「まさか、ガシャクラがこの街に来た理由は……義手が目的なのか」
食堂に誰かの納得したような吐息が零れ、スヴェンが重々しく頷いた。レイの推理が正しいと言わんばかりに。
「俺の義理の祖母からの紹介状なるものを携えていたガシャクラとその一団は、俺に義手を用意して欲しいと頼み込んできたんだ。かつて、女狐の周りを調べていた事もあり、ガシャクラの事を知っていた俺は断ろうとしていた。女狐の手勢を街に入れたくはなかったし、帝国と繋がりのある人間に研究所の最先端技術の塊を渡したくなった」
スヴェンはガシャクラとのやり取りを思い出しているのか、どこか口調に悔しさを滲ませながら語る。
「ところがガシャクラ、いやその後ろに控えているジョゼフィーヌはこちらを脅迫してきた。曰く、スタンピードにおける復興財産の提供を渋らせる、と」
シュウ王国における経済の柱は大きく分けて三つ。
鍛冶の聖地にして、無限に近い鉱石を秘めている迷宮を持つアマツマラ。
北領最大都市にして、他大陸との交易の中心となっているハイドラ。
そして、シュウ王国の中央部に位置し、一大歓楽街を築いているウージア。
この三つの都市によって国の経済の大部分は支えられている。ところがスタンピードによって一時的にだが、アマツマラの経済力は落ちてしまった。
最近になって経済活動の再開に至るが、それも不安定な状態。経済は良く川の流れと例えられるが、川の流れが止まれば水が濁るのは必定。経済力の完全な正常化にはもう少しかかると言われている。
そのため、スタンピードの復興に関する資金は残りの二都市だよりの所があった。ハイドラを治めているのは第一王子スクリロ。そしてウージアを治めている女帝ジョゼフィーヌの二人が担っていた。
どちらも緊急的な税の徴収として民から復興の資金をねん出しアマツマラの為に消費していた。そのため、二都市の民から王家に対する不満は表立ってはいないが確かに存在する。
もう一度税の徴収をすれば確実に暴動が起きてしまうやも知れない。そんな状況下で頼りになるのが―――腹立たしい事に―――女帝ジョゼフィーヌだ。
帝国に売られておきながら、いまだ帝国とのパイプを持つ女帝は諸外国に対する影響力が強い。彼女が働きかければ各国の王族や貴族から復興の資金を回収することは可能だ。
「向うの要求を飲まなければそれを打ち切るとは言わないが、滞ってしまうだろうとガシャクラは伝えてきた。……そんな事をされればアマツマラの復興は、そしてダラスの復興も遅れてしまう。俺は仕方なくガシャクラに戦闘用義手の手配をしたのだ」
「まさか、この屋敷に居るってことは無いですよね」
「それこそまさかだ。あの女の手勢を屋敷に入れるつもりは無い。奴らはオウリョウの宿屋に寝泊まりしている」
ハッキリと断言したスヴェンの言葉にレイは胸をなで下ろした。同時に、これである可能性が出て来た。
ウージアでの誘拐劇から時間が経って今頃になってからガシャクラの手の者がレイの前に出てきたのは、単なる偶然だったという可能性だ。レイにしてみれば不幸なタイミングで両者が街を訪れた時期が揃ってしまった結果、このような状況になったのだ。
それでもガシャクラが主の命を受けて、デゼルト国の王子に何かしらの工作を施す為に先回りした可能性も捨てきれない。
「偶然か故意かはともかくとして、この街には其方の敵となる人物が居る事は事実。……退屈だろうが、残りの期間は屋敷に滞在するのがよいだろう。確か街にて品を幾つか頼んでいたそうだな。それらは配達してもらえるように、カンネに手配させよう」
「畏まりました。その方が安全でしょう」
「それに俺の方からガシャクラに使いを出し、其方ら一行に手出しをしないように厳命させる。……もっとも、主でもない俺の言葉がどれだけ奴らに通じるか不明だ。だが、さしもの奴らも、屋敷に逗留している間は手を出さないだろうし、ルルスまでの道中も騎士団を出して護衛させよう」
かつての敵が再び自分の近くにまで来ているという事実がレイの心に影を落とす。ゲオルギウスやフィーニスと同じぐらい許せない存在と憎み、同時に初めて人を殺した罪悪感が自分の中で渦を巻いて混じり合う。
果たして、ガシャクラが再び自分の前に出てきたとき、自分はどうするのか。
感情の赴くままに殺そうとするのか。
あるいはまたしても剣を引いて見逃すか。
答えは出ない。
レイは迷いを脇に置くと、スヴェンの申し出に対して返事をした。
「……分かりました。委細全てスヴェン王子にお任せします。ダリーシャスもそれでいいかな?」
「両国間の友好を守るため、何より神前投票に出るためにもここで死ぬわけには行かない。よろしく頼みますぞ、先輩」
「承った。其方らに指一本触れさせはしないと誓う」
力強いスヴェンの返事に食堂の中にほっとしたような空気が流れる。そのままカンネに指示を出すスヴェンを眺めつつ、ダリーシャスは、
「つまり俺はあの地獄のような書類仕事から解放されたのか!」
と、狂喜していた。しかし、翌日になって仕事を屋敷に持ち込んだスヴェンに引きずられて手伝わされることになるとは誰も知る由は無かった。
「この愚図がッ!」
男の絶叫と共に、人を殴打する音が暗い部屋に響く。肉を打ち、皮が破け、血が溢れ、骨が軋むのもお構いなしに男は手にした警棒のような物を振るう。
「貴様の役目は、小僧を尾行する、フジナミの、補助であろう! あれが、失敗したのなら、せめて、小僧に一太刀浴びせろ! それなのに、仲間を、無駄死に、させて、どうするのだ!!」
いや、男が握っているのは警棒では無い。トの字型のしたトンファーと呼ばれる武器だった。鋼鉄製の棒を振るう男の横顔は修羅のような形相で、片目を覆う眼帯のせいで一つ目の怪物のようにもなっていた。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ。……もういい。貴様は下がっていろ」
十分近く続いた懲罰の音は、隻眼の男が雨を浴びたかのように流す汗によって中断した。男の前で黙って棒を受け止めていた男は一礼すると痛む体を引きずって男の前から下がった。
黒装束の所為か、それとも何か別の要素があるのか、さして広くも無い部屋の中で男は姿を消した。まさに闇に溶けて消えたのだ。つい先程まで居たのか疑わしいほど鮮やかに存在していない。
だが、幻では無い。滝のような汗を流す男の手にしたトンファーに残された血が、先程の男がそこに居た証拠に他ならない。
「ふぅ。……これであの小僧はこちらの存在に気が付いたはずだ。おそらくオウリョウに滞在する間はスヴェンの屋敷を出ることは無いだろうな」
汗を拭う男の独り言に対して、どこからか声が発せられた。
「……確かに手はずに狂いは生じましたが、いくらでも取り返せる事でございます。フジナミの死は想定外ですが、まだこの地には貴方様の指が十本以上も残されております」
「然り。我等は貴方様の指であり、刃であり、毒でもあります。何より、あの小僧は同胞を、この異国の地に流れた同胞を殺した怨敵」
「御下命を頂けるのならば、この身に変えても仕留めてごらんに入れましょう」
「その任、我に」「いえ、我こそ」「汚名を雪ぐ機会を」「同胞の死を、奴に償わせます」
部屋には隻眼の男しか居ないはずなのに、室内に幾人もの男たちの声が重なり合った。汗を拭った男は残った眼で周囲の闇をねめつけると釘を刺すように言う。
「ダメだ。貴様らの決意は嬉しく思うが、この地で直接的な行動には出られない。それよりも、重要なのは情報だ。……あの小僧がどうしてこの地に来て、いつこの地を離れ、どこに向かうのか。連れ立つ仲間の実力や素性も合わせて調べるのだ」
「「「御意」」」
男の言葉に返事が響く。誰も居ないはずの闇から人の気配が遠ざかるのを確認すると、男は机の上に置かれた燭台に火をつけた。
淡い明かりに照らされ、男の素顔が闇の中で露わになる。
くすんだ色合いの白髪を逆立てて、顔の左半分を眼帯で覆う老人は残った右目に憤怒の色を宿らせて自分の右手を睨む。
暗褐色の右腕が軋み、持ち上がる。老人の激情が伝わったのか、指先が丸まり、拳の形となった。
「小僧。……レイよ。この地で巡り合ったのは偶然ではない。天啓である。神々がワシに雪辱の機をお与えになったのだ。失った配下の命と、己が左目と右手に誓う。貴様だけはこの手で殺す!」
老人の名はガシャクラ。復讐に猛る暗殺者だ。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は二十二日月曜日頃を予定しております。




