6-3 西へ
頬で風を切るという表現がこれほど適切だったのかとレイは驚いていた。
自分の股下で熱く、激しくうねる馬に乗り、大地を駆け抜けると耳が風の声を拾っていく。エルドラドに来てからこれ以上の速度も味わっていたが、動物に身を任せるという経験は無かったので余計に新鮮に感じられた。
リザの細い腰に手を回しながら高速で流れる世界を眺める。なだらかな起伏が続く草原には幾筋もの街道が伸びており、それが交差したり、遠ざかったりしている。行きかう馬車や旅人たちが往来で挨拶をしていく長閑な風景が広がる。
だが、これもここ最近になってようやく取り戻した光景だそうだ。
スタンピードが発生してから約三か月。
首都アマツマラとそのひざ元のダラズ。この二つの大都市が大打撃を受けて一時的に滞っていた商業活動だったが、アマツマラの方では復興が進み最近になって普通の商いが行えるようになったのだと、シアトラ村を訪れた商人たちは言う。
今までは支援物資を一方的に送り付けていたが、これから先は迷宮で採掘した鉱石や、その鉱石から生み出される武器や防具。釘や歯車などの細かい道具などが送られてくるようになる、と。
喜ばしい話だが、一方で悪い話も耳にするようになる。
野盗が活発になって来たと商人たちは言っていた。
例えば、スタンピードの群れが踏みつぶした村や砦の生き残りや、アマツマラやダラズで家と仕事を失い、行く当てもなくなった者達にゴロツキ達が目を付けたのだ。
行き場のない者達を武装させ、野盗の一団を作ると往来が活発してきた街道で馬車を襲ったり、そこから外れた道で待ち伏せしたりするという報告が上がっているのだ。
兵士たちも手を打っていない訳ではない。巡回や討伐隊を派遣したりしているが、全部の場所をカバーできるほどシュウ王国は小さくなく、野盗たちも馬鹿では無い。彼らは闇雲に狙うような真似をせず、孤立している馬車や護衛を付けていない馬車などを優先的に狙うようにしていた。
そこでアスタルテの出番だ。
自由に動かせる馬を馬車と並走させると幾つもの役割をこなせる。
例えば、索敵。
前方の見晴らしが悪くこのまま進んでも大丈夫かどうか。あるいはこの先に夜営に適した場所があるのか。モンスターや野盗が待ち構えていないかどうかを確認する時、自由に動ける馬が一頭いるだけで便利だ。本隊である馬車を安全地帯において、確認できる体。
それに護衛としても役に立つ。
何のお供も居ない馬車が街道を進んでいるのと、鎧を身に付けた戦士が横を並走しているのでは後者の方が襲われにくい。周りへの牽制となる。
これ等の理由からレイはアスタルテの同行を認めたのだ。
ついでに、レイ個人の要望として、馬に乗ってみたいという男心があったのは否定できない。
馬車から少し離れた平地を駆けながら、いつもは背中で流していた金髪を、馬に乗ると乱れるからと団子の形に纏めているリザが風の音に負けない大声で手綱の役割や、足の使い方を説明していた。
「……以上が馬の操作になります。それではご主人様。ちょっとやってみましょうか」
「え? ちょ、まって」
軽くリザに言われてレイは動揺する。止める暇も無く馬車の横に戻ると、リザは手綱を握るシアラに速度を遅くするように指示を出した。
後ろの邪魔になるからと、街道を外れてまるで歩く様な速度まで減速する馬車。リザはそれを確認するとアスタルテの足を止めて軽業師のように馬から滑り降りた。
どうやらスパルタ先生は止める気は無いようだった。鞍の後ろから慌てて前に移動したレイに向けてリザが声を掛けた。
「ご主人様。位置はそこでいいですが、背筋をまっすぐ伸ばして。首は折らずに、頭が骨に乗っているのを意識して。そんなに肩に力を入れたらダメです、抜いてください。あと、視線を遠くに」
矢継ぎ早に飛ばされる指示に操り人形のように従うレイ。彼は言われた通りに背筋を伸ばし、脊柱に頭が来るように固定し、肩の力を抜いて視線を遠くに置いた。
―――それだけで世界が違っていた。
先程まではリザという壁が居たから見えなかった前方だが、彼女が居ないだけで世界が広がったように思えた。
視線がいつもより高い位置にあるという事もあってか、高揚感も増していた。自分が何処へでも行けそうな、そんな風に感じてしまう。
「……凄いや。何て言うか、想像していたよりもずっと凄い」
「ふふ。馬の高さだと見え方が違いますからね」
横で馬の口取をしているリザが我が事のように笑っていた。
「私も、幼い時分に兄から馬の乗り方を教わった際に、同じように思いました。視点が高くなっただけで、いつもと違う世界が見えて、何処へでも行けると……そう思っていました」
「……リザ?」
どこか遠くを思い見つめているリザをレイは呼びかけたが、彼女はぼうとしたまま数秒間何も言わなかった。再度呼びかける事で、意識を取り戻したかのように反応した。
「……っと。失礼しました。それではご主人様。早速ですが、先程教えたことの復習です。馬を歩かせてみましょう」
「えっと……手綱を引くんでいいんだっけ?」
「違います。それでは停止です」
ぴしゃりと否定されたレイはリザの瞳に燃えるような赤い炎が燃えていたことに気づく。レイ達が動き出すのを待っている馬車の中でエトネに文字を教えているレティがポツリと呟いた。
「ご愁傷さまだよ、ご主人さま。お姉ちゃんてば、馬術には一家言持ちだからね。……あれは長くなるよ」
エトネには、彼女の言葉が不吉な予言のように聞こえた。
そして、まさに予言通りだった。レイはそれから太陽が地平線に沈む寸前まで、鬼教官の元トレーニングを積むことになった。
シアトラ村を出てまだ一日も経っていないというのに、レイは疲労困憊の状態だ。いつまでも続くしごきに飽きたシアラが夕食と夜営の準備を言い出さなければ、飯は食べられなかったかもしれない。
馬から降りたレイの体は全身至る所がつっていた。激しい戦闘に耐えられる肉体だったが、馬術に使う筋肉はまた別の物らしく、馬から降りたレイは数歩歩いて倒れて動けなくなった。
夕食が出来上がるまでそのままの状態で放置されていると、馬車から千鳥足で降りて来た人影がレイの横で同じように倒れた。
彼は顔だけ上げて、周りの様子を確認するとレイに話しかけた。
「……おい。……その姿は何だ? 敵襲か?」
「いやあ、お恥ずかしい。リザから馬の乗り方を教わっていたら、こんな風に」
「そうか、敵は身内に居たのか」
呆れたように呟くダリーシャスは夕食と夜営の準備を始めるリザ達を眺めつつレイに尋ねる。
「それで。俺達をつけてくる奴らは居たか?」
意表を突いた質問に驚きつつもレイは首を振った。
この男、ダリーシャス・オードヴァーンは南方大陸の一国。デゼルト国の王子である。祖父である現王が倒れたことを受けて起こった、次期王位継承を巡る政争の登場人物だ。
紆余曲折あり、彼の護衛は全て死に、レイたち《ミクリヤ》で彼を首都まで連れていく事になったのは今から一月半前。その間、デゼルト国は沈黙したままだ。
伝え聞く限り、デゼルト国で王が代替わりをしたという話は無かった。
デゼルト国は次期王の決め方が少し特殊だ。王族に連なる男子全員が、立候補する権利と同時に投票権が与えられ、立候補した候補に票を投じる。多く票を手に入れた候補が次代の王となるのだ。
現在、王に立候補しているのはダリーシャスの父と、その兄だ。
彼らは自分たちに票が集まるように様々な謀略を仕掛ける。誘拐、監禁、暴行、洗脳、色仕掛、賄賂、脅迫。何しろ、負ければ自分だけでなく、自分に投票した者達まで処刑されてしまう神前投票。それこそ、殺人以外の手段を駆使して是が非でも勝とうとする。
ダリーシャスのような他国に居る者は格好の餌食となる。
それがどういう訳か、この一月半。何処の勢力からも狙われることなくレイ達は過ごせていた。これが本国でダリーシャスの行方が分からないのか、シアトラ村が注目を浴びておりそこで死体が出ると身元確認の関係で目立つから断念していたのか判断はつかない。
そこで、村を出てから馬に乗れるようになる特訓をする振りをして、移動速度を遅らせ尾行の有無を確認していた。その事はリザ達も承知だったのだが、どうやら彼女は途中から特訓に熱が入り忘れていたようだ。
「エトネの鼻なら、近くをうろつく存在の匂いをかぎ取ります。もし、ずっと張り付いて離れない不審者が居たら教えるようにと伝えてます」
狼人族の血が混じるエトネの感覚はここ一月半で研ぎ澄まされた。様々な人や物で溢れる街ならともかく、このように開けた場所で着かず離れずの怪しい動きをしている匂いを判断できる程度容易くなっている。
少なくとも、村を出てから怪しい者達が付いてくる様子はないそうだ。もっとも、エトネの鼻を警戒して、彼女の感知範囲の外から監視されているのなら話は別だが。
「実際の所、貴方がこうして生きていることは本国に伝わっているんですか。これだけ音沙汰無しだと、死んだと思われてるんじゃ」
「だとしたら、俺の分の票は排除され神前投票が行われて、新たな王が玉座に付いているだろう。いくら本国から距離があるとはいえ投票のとの字も聞こえて来ない以上、俺が死亡してるという判断はされていないのだろうな」
デゼルト国の神前投票にはいくつかしきたりがある。そのうちの一つに存命中の王族の全員参加がある。これは他国に居る場合は帰国が義務となり、代理を立てる事は許されない。
裏を返せば、首都以外の場所に居る王族を全て殺せば、直ぐにでも神前投票は行われるという事にもなる。
ナリンザの説明によれば、ダリーシャスの父親と、その兄との勢力差は父親の方が上との事。だけど、その差は逆転されるかもしれない砂上の楼閣。直ぐにでも神前投票を始めたいダリーシャスの父親は、いつまでも帰って来ない放蕩息子を殺すという選択をするかもしれなかった。
その上、未来のライバルを蹴落とすべく、国外に居るダリーシャスを狙う勢力はまだ居る。身内に多くの敵を抱えているダリーシャスは何時、暗殺者に襲われてもおかしくはない。
「俺の予想では、叔父上の配下あたりが血眼になって俺を見つけると思っていたが……本国での状況が変わったのか、俺達が何かに守られているのか」
「何かって、何ですか」
「……天運……とかか」
「確かにね。貴方は運だけはありそうだよ」
レイが肩を竦めながら言うと、夕食の準備を整えたレティたちが呼ぶ。二日酔いで苦しむダリーシャスに手を貸し立たせると、二人並んで皆の元へ進む。
今日の夕食は野菜のシチューにパンという豪華な物だった。
牛乳もパンもシアトラ村から貰った物だった。
日本人であるレイの習慣に合わせて、リザ達はいただきますと言う。《ミクリヤ》と行動を共にするようになったダリーシャスも慣れたように手を合わせて言ってから食事を見て驚いた。
「こんなに食料を使って、大丈夫なのか」
ごろごろと野菜が浮かぶシチューを受け取ったダリーシャスが心配そうにレティに尋ねた。調理担当の少女は力強く、薄い胸を叩いてみせる。
「問題ないよ。元々一週間分の食料と水は詰んであるから、しばらくは大丈夫だよ。オウリョウまで行く間にも動物とか食べられるモンスターが居たら食料にするしね」
「一週間? オウリョウまでだったら、ここからなら四日で着くだろう」
「そりゃ、馬車を急がせればの話でしょ。主様の計画だと、尾行の有無を確認するためにゆっくりと進むんだから」
シアラがスプーンに乗っている人参をエトネの皿に入れつつ説明した。エトネは気づく様子もなく、パンを啄む。
「むしろ怖いのはオウリョウですね。シュウ王国南領の大都市。多くは軍人とはいえ、旅人も出入りする街。シュウ王国に居る王子が港に向かう前に確実に寄るだろうと敵も予想して罠を張っているかもしれません」
心配そうに言うリザは、シアラの行動を目ざとく見つけ、手にしたスプーンを鋭く振るいエトネの皿から赤い塊を掬うとそのままシアラの口に放り込んだ。喉に人参がクリーンヒットしたシアラはもんどりをうって倒れてしまう。隣に座っていたレイが皿を取り上げなければシチューが大地に飲まれてしまう所だった。
「こらこら。食事中に食べ物で遊ばない……というにはレベルの高い戦いだったな」
睨みあう二人を仲裁したレイはリザの不安を晴らすべく答えた。
「オウリョウではそこまで長居するつもりは無いよ。ギルドでプレートの再発行をしたら、そのまま街を離れるつもりだ。……問題は港なんだよな」
オウリョウの西に位置するトトスの港町がレイ達の目的地である。海を隔てた向こう側にある南方大陸に向かう最寄りの港。確実に敵はそこを張っているはずだ。
「敵を躱しつつ、港で乗せてくれる船が直ぐに見つかればいいけど、タイミングが悪ければ港で足止めを食う場合もあるよな」
デゼルト国とシュウ王国の間を行きかう定期船は存在する物の、それが何日間隔なのかレイは知らない。着いたその日に船に乗れればいいが、タッチの差で定期船が出てしまい次に来るのが三日後とか四日後とか言われれば厄介な事になる。
「まあ、ここは出たとこ勝負だ。まずはオウリョウまで無事に着くこと。それを念頭に進もう」
レイが纏めるとリザが頷いた。
「それではオウリョウに着くまでの間に、ご主人様は一人で馬を乗りこなせるようになりましょう」
「……え?」
凍り付くレイを他所に、リザは拳を固く握り力強く言う。
「せっかく一週分もの食料を確保しているんです。この際、そこまでできるようになりましょう。大丈夫です。アスタルテは実に賢い馬ですから、五日か六日もあれば駈歩まで行きます。いえ、行かせてみせます!」
背後に燃えるような炎が巻き起こっているのは錯覚でありたいとレイは切に願った。
しかし、その願いもむなしく、リザは宣言通りにレイを六日で駈歩が出来るほどに特訓した。その指導ぶりは苛烈さを極め、レティは姉の蛮行に目を逸らし、シアラは口を閉ざし、エトネは耳を塞いだ。
そして、一行は遂にシュウ王国南領最大都市オウリョウに辿りついたのだった。
読んで下さって、ありがとうございます。




