6-1 旅の再開 『前編』
「退屈……そう、退屈なのよね」
まるで塔のように積まれた書類を崩した女は、つまらなそうに言う。音を立てて倒れる書類は絨毯の上に散らばり、足の置き場もないほど制圧した。
自分の足元まで羊皮紙の津波が押し寄せた男装の麗人は、主の振る舞いに文句も言わず、その無聊を慰めようと口を開いた。
「退屈でいらっしゃいますか?」
「ええ、そうよ。来る日も来る日も陳情に上訴に意見具申。外側を変えただけで、中身は一緒。復興の予算を回せ! どれもこれも代わり映えしない、つまらない内容」
主はつまらないと切り捨てたが、自分の足元に散らばる羊皮紙の向こう側には切実な情念が込められているように従者は感じた。いまを生き抜こうとする者達の怨念とでもいうのか。
背筋に震えが走る。
恐ろしいと思うのは、有象無象の者達の怨嗟の声では無く、それを理解しながらつまらないと切り捨てられる主の方だった。才知に富んだ主ならば、羊皮紙の向こう側で苦しむ者達の姿をくみ取る事は造作も無いはず。
それなのに、彼女はそれらを全てつまらないと断言したのだ。
まさに傍若無人。人を塵芥のように見ている主の姿に敬愛の念すら抱く。
すると、主が何かを訴えるかのように従者を見た。瞳を潤ませ、頬は上気したように赤らみ、ふっくらとした唇にさしたルージュが妖しく笑う。
男のみならず、女も引きつけて止まない色香に、従者の喉が鳴る。白魚のような指が従者を呼び寄せると、まるで光に向かう蛾のように彼女は近づいていく。足元に散らばる羊皮紙、靴底の跡が付くも、従者は気にも留めていない。
「どう? 日も高い内から、愛を交わすなんて。それこそ、この乾いた退屈を潤してくれる滴となってくれるわ」
豊満な体を止めている衣服のボタンを外す主。白い肌が曝け出すたびに、成熟した女の色香が室内に立ち込めてくる。
「お……お戯れを」
口では諫めているが、しかし従者の体は止まらない。吸い寄せられるように視線は白い肌に釘付けになってしまう。まさに雪のように白い肌から昇る匂いは、従者の鼻孔から脳へと侵入し快楽物質を生み出していた。
あと少しでその胸元に顔を埋める所まで来て―――無粋な邪魔が入った。
控えめなノックの音が響くと、従者の脳内を理性の波が洗い流した。素早く元の位置に戻ると、彼女は主に確認をとった。
つまらなそうに唇を尖らせた主が頷くのを見て、入室を許可した。
入って来たのはメイドだった。
彼女は室内の様子に一瞬面喰うが、直ぐに己の職務を思い出して従者の元へ駆け寄る。
メイドが持ってきたのは数枚の書簡だった。封の蝋に付けられた印章でどこの国の、どこの貴族からの書簡かはすぐに分かった。メイドに退出を促すと、従者は再度ある人の元へ戻り読み上げた。
「本国経由で書簡がいくつか届いてます。まずこれは……デゼルト国からの親書ですね。それも二通」
主はあからさまに眉を顰めた。
次期王位継承を巡って揺れるデゼルト国はある人物の探索を行っていた。その人物の足取りがシュウ王国で途切れていることから、デゼルト国側では王族が何かしらの情報を握っているのではないかと書面で尋ねて来たのだが、少なくとも主は知らないでいた。
それを不審に思ったのかデゼルト国側は搦め手を使い、わざわざ帝国経由で親書を送りつけたのだ。
「あそこは馬鹿ね。私が放蕩王子を匿ってるって本気で思っているのかしら。そんな面倒な事、私がするはず無いのに」
受け取るなり、親書を読みもせずに破り捨てた主。瞳には先程までの淫靡さは無く、不快の色が浮かんでいた。
従者は爛れた行為を逃したことに虚無感を得つつも、書簡の送り主を読み上げていく。どれも主の興味を引く内容では無かったが、最後の一通だけ違っていた。
それは黒い書簡だった。封筒も、蝋も全てが黒く染まっている書簡に送り主は書いてなかった。
言葉に詰まった従者を不思議そうに見上げた主は、彼女が手にしている黒い書簡を見て目を輝かせた。有無を言わさず、書簡を差し出すように手が伸びた。
何かしらの危険な物が仕込まれているのではないかと疑念を抱きつつも、従者は主に書簡を渡した。
主がペーパーナイフで書簡を開けると、中から出てきたのは黒い便箋だった。従者の位置からでは何と書いてあるのか分からない。もっとも背後に居たとしても、彼女は主への手紙を読もうとはしない。
便箋の文字を追う瞳が細くなり、獲物を狙う肉食獣のような鋭さを持つ。
「ふーん。あの子が動くのね。それもあの都で。……カタリナったら、私に相談もせずに勝手に準備しちゃって。あの子だけに任せて失敗したら、おとうさまにどう申し開きをするのかしら?」
呟きは従者の耳には聞こえず、何かを納得したように頷く主は視線を便箋から窓の外へと向けた。
窓の向こう側には澄み切った青い空が広がり、巨人のような白い雲が浮かんでいた。
「随分と暑くなったわね。雨季も終わり、空が高くなったわね」
「……ええ。暦も夏の中月に入りましたから」
唐突な天候の話に戸惑いながらも従者は話を合わせた。すると、主が良い事を思いついたとばかりに提案する。
「そうだわ。これだけ暑いのだから、避暑にでも行きましょう」
「え。……そ、それは」
足元に散らばる書類に目を向けた従者。絨毯を制圧した羊皮紙はそのまま主の仕事量を表している。少なくとも、避暑に出かける余裕なんて無い。だけど、主は名案とばかりに繰り返した。
「思い立ったら何とやらよ。すぐに出発しましょう。もちろん、貴女もいくのよ」
返事を待たずに席を立つ主。彼女は執務室を縦断し、扉へと向かう。止まるつもりのない背中に従者は尋ねた。
「お待ちください。一体、どこに向かうと言うのですか?」
扉の前でくるりと振り向いた主―――眠らない街の領主にして、シュウ王国前王の後妻にして、エルドラド最強国家『帝国』の第一王女であるウージアの女帝は見た者が魂すら蕩けるような微笑みを浮かべて言う。
「決まってるでしょ。これだけ暑いのだから、向かう場所は一つしかないじゃない。……水の都、アクアウルプスよ」
その微笑みの下に隠れているのは、底なし沼のように果ての無い邪悪だった。
晴れた夏の空に鉄が削り合う音が響く。
迷宮を起点に急速に拡大していくシアトラ村の端。
人気のない原っぱにて剣戟が巻き起こっていた。一人は巨石のような大柄な男。全身に纏わせる雰囲気は熟練した戦士のそれで、手にしている大剣も、男の手に馴染んでいる一級品だ。並みの人間ならば両手で振る事すら叶わないような大剣を男は左手一本で操る。
筋肉が盛り上がり、腕が鞭のように振るわれると、鋭い剣戟は風を生み草を揺らす。
繰り出される刃を受けるのは一人の少年。巨石のような大男と比べるといささか小さく頼りなく見えてしまう、年のころは十四、五ぐらいか。平凡な容姿だが、人の目を引くのは頭髪だろう。艶やかな黒髪の一部。前髪の一部分が白く染まっている。まるで色を失ったかのような白き髪が少年の動きに合わせて揺れ動く。
少年が手にしているのはファルシオンと呼ばれる幅広の剣だが、大男の分厚い大剣と比べると木の板のような存在感しかない。
それでも少年は剣を振るい、大男の鋭い攻撃を左右にいなす。少年は一撃を丁寧に処理するあまり、顔は強張り、汗を流していた。それなのに大男は一切汗を流さず、それどころか余裕があるかのように唇を吊り上げた。
「どした、どした。躱していらだげだば、勝てねぞ」
鈍りのするエルドラド共通言語が大男の口から出ると、少年は嘆息するように呟いた。
「冗談じゃないよ。利き手と逆の手だけで振っているうえに、重りをつけてこれなんてさ。流石A級冒険者だよ。ホント、どいつもこいつも怪物だらけだ」
大男は鎧などを着けているが、その下には更に重りを着けていた。関節部分に負荷がかかるように調整された重りは男の動きを阻害しているはずだった。これは普通にやりあえば一合で決着がついてしまうからという事で用意されたハンデだ。左手で剣を振るうのもその一環である。
利き手とは逆の手のみと重りの二つで大男の戦闘力はいつもの半分、いや七割減といったところか。それでも大男と少年の実力さは天と地ほどの差がある。
しかし、少年も負けてはいなかった。
大男の剣を左右に散らし、動き続ける事で側面を取ろうとする。
片手の上に、動きを制限されている大男にとって厄介な選択。自然と、少年の方に場の流れが引き寄せられようとする。大男はそのいじましさにかつての自分を重ねていた。弱く、未熟な若かりし頃の自分。強者との手合わせの時にはいつも、無い頭を振り絞って戦っていた。
いつの間にか、自分が挑まれる側の強者になったのだな、と胸の内に宿る寂寥感を振り払うように大男は叫ぶ。
「やっど体があっだまって来たぞ! さあべ、あべぜ、レイ!!」
レイと呼ばれた少年は咄嗟に剣を構えたまま後ろに跳んだ。結果的にはそれが正解だったのかもしれない。
大男の左腕が盛り上がり、あからさまに横薙ぎの構えを取る。
フェイントも虚実もない、あからさまな宣告をした一撃は、レイの目に映らなかった。放たれた横薙ぎはこれまでの剣戟を全て合わせても足りないほど早く、何より重かった。
後ろに跳んだレイの体はそのまま砲弾のように吹き飛ばされ、直立して生えていた木の幹にぶつかり止まった。
青々とした葉を携えていた大木は揺れ、雪のように葉が降り注ぐ。レイを受け止めた幹は蜘蛛の巣のようなヒビが走っている。
普通の人間なら即死だろう。
即死を免れたとしても、内臓や骨が損傷するほどの大怪我を負ってしまう一撃。
だけど、大男は自分がしでかした事にいささかの後悔も抱いていなかった。大剣を地面に突き刺して笑う。
「どした、こいぐきやいで終りののか!?」
すると、木に背中を預けているレイが顔を上げた。大怪我をした様子も無く、その眼には臆病な色は無く、ただ力強い光を宿している。戦意はまだ挫けていなかった。
「誰が、これで終わりだって言ったんですか。まだやれますよ!」
ファルシオンを大男に突きつけて叫んだレイに、大男はニヤリと笑う。ふと、その笑みが消えて大男はまじまじと突きつけられたファルシオンを見つめていた。
技も理もない、単なる力任せの一撃。しかし、その一撃に込めた力は巨岩を砕くこともできた。いくら幅広で厚みのあるファルシオンといえど刃こぼれ一つしていないのはおかしかった。
だけど、大男の目には、ファルシオンの刃に纏わりつくオーラのような物が見えていた。
「随分ど精神力操作が上手ぐなたの。あべのわんつかで乱れらごどのぐ纏せてらだばねか」
「足の火傷で動けない間は、ひたすら精神力を練っていましたからね。剣に纏わせるぐらい簡単ですよ」
「へるだばねか。だったきや、早ぐこっちさこなが続きばさだばねか」
鈍りの強い大男の言葉をレイは初めて会った頃は理解できなかったが、今ではなんとか翻訳できるようになっていた。今のは、早くこっちに来いと言っているのだ。
これは大男なりの慈悲とも手心ともいえた。背後に大木があれば、レイは今までのような動きが出来ず、大男の大剣をまともに受け止める事になる。大男が勝利だけを求めるなら間髪入れずに襲えばいいのだが、こうしてレイが動くのを待っているのは、勝利がこの戦いの目的ではないからだ。
だけど、レイは予想外な返事をした。
「嫌ですよ。そっちが来てください」
レイの言葉に大男は意外そうな顔をする。畳みかけるようにレイは言葉を重ねた。
「それとも怖いんですか? 《オルゴウス》の『剛剣』ディモンドともあろう男が、僕にびびってんですか」
底の見え透いた安い挑発だ。歴戦の戦士ディモンドは考えるまでも無く、罠だと気づいていた。しかし、あえてそれに乗る事にした。大剣を引き抜くと、レイに向けて歩き出した。
レイとディモンドの距離は五メートル弱。障害物も無く、足元には草しか生えていない。
ディモンドは油断なく、レイの両手に注目していた。レイが両足で立てるようになってから、毎日とは言わないが、少なくない頻度でレイと手合わせをしていた。その経験からレイの武器をよく知っていた。
左腰に差してある龍刀コウエン。赤龍の体を素材とし、名工テオドール王の手によって生み出された名器は抜かれただけで空気が変わるほどの存在感を放つ。その上、この武器は炎を生み出すと聞く。
だけど、まだレイを主として認めていないのかいまは炎を出せないでいる。よってこの間合いで警戒する必要はないと判断した。
問題はレイの腰に差してあるダガーだ。バジリスクの爪を主体としたダガーは数奇な運命を経て魔短刀として生まれ変わった。レイの意思に従い雷を放つ。満足に剣を振るう事も出来ない間、彼がダガーを弄びながら雷を出していたのを遠くから何度も見ていた。
この距離はすでにレイの間合いである。
いつ、紫電が放たれるか警戒しつつディモンドは歩を進めていた。
二人の距離が四メートル、三メートルと確実に近づくにつれ、緊迫した空気は今にも破裂しそうなほど高まり―――レイが動いた。
木に背中を預けたままのレイはその状態から剣を放り投げた。
手にしていたファルシオンを水平に投げたのだ。
てっきり、ダガーの紫電が飛んでくると思っていたディモンドは虚を突かれる形となる。しかし、そこはA級冒険者。迫りくる刃を驚異的な反射神経で弾き飛ばした。
大剣に弾かれ宙を回転するファルシオンを見て、ディモンドは次にこそ紫電が来ると身構えていた。
だが、彼の予想は裏切られる。
ファルシオンを投げた態勢から、レイの両手はダガーに伸びず、背後の木を蹴って前へと走り出したのだ。
「破れかぶれの特攻か! 甘いぞ、レ―――っ!?」
ファルシオンを上に弾き、上段に大剣を構えたディモンドは硬直したように動きを止めた。なぜなら、彼の体を雷が蹂躙していたのだ。中級モンスターすら絶命できる雷を無防備な状況で浴びれば、さしものA級冒険者でも数秒間身動きが取れなくなる。全身を襲う雷に意識を保てたが、手にした大剣は意思に反して取りこぼしてしまう。
ディモンドは自分の足元を見て、何が起きたか理解した。彼の足元、死角の位置に雷蛇が絡みついていた。
(いつのまに、雷蛇を出していたのだ!?)
雷の影響で身動きの取れないディモンドは迫りくるレイに眼光を鋭くした。だけど、それに怯む少年では無かった。
彼は左腰に差してあるコウエンを抜き放つ。途方もないほど美しく、それ以上に恐ろしい切れ味をほこる刃は真っ直ぐにディモンドの頭に振り下ろされる。
「ぬおおおお!!」
吼えたのは、レイだったのか、ディモンドだったのか。あるいは両者の雄叫びだったのか。夏の空に男の咆哮が響く。
その時、奇跡が起きた。
ディモンドの足に絡みついていた雷蛇は文字通り雷で出来た蛇だ。己を構成する雷を消費して、ディモンドに攻撃していた。その攻撃が尽きて、蛇は姿を消した。
瞬間、全神経と筋肉を総動員させたディモンドは己に振り下ろされた刃を両手で受け止めた。両の掌で刃を受け止めたのだ。
「……真剣白刃取りかよ」
レイがディモンドの行動に呆れかえってしまう。片やディモンドも冷汗を浮かべつつも口の端に笑みを浮かべていた。
「勝負はまだ、こいか「はい! そこまで。勝者レイ!」何だど、わいはだ!?」
突如、草原に第三者の声が響き渡った。人気のない原っぱで腰を下ろしていた優男が二人に近寄ると、慣れた風にディモンドの首根っこを掴む。何処にそれだけの力があるのか分からないが、巨体を引きずると地面に寝かせて回復魔法を掛け始めた。
男の正体は《オルゴウス》のヒーラーだ。レイも世話になった人で頭が上がらない。この手合わせで怪我をした時に備えて審判を兼ねて同席してもらった
「オドゴの勝負サがっこば差すの。だいで、あべの状況かきやだばわが勝つ事は出来たはずだ」
今のは、男の勝負に水を差すな。そもそもあの状況からだって、俺は勝つことが出来た、と。言っている。その意見にはレイも同意だった。むしろ、次の瞬間には攻撃を食らっていたはずだ。
ごねるディモンドにヒーラーは肩を竦めた。
「あのね。やる前に取り決めしたの、覚えている?」
「あべあべ? 確か……相手ば殺したきや負け。それど……」
「君は右手を使っちゃダメ、だったろ」
言われて、レイもディモンドもあっ、と声を上げた。確かにディモンドはコウエンを止めるために右手を使っていた。
「納得したかい? それに、これ以上続けると、レイ君たちの出発が遅れてしまうだろ。ほら、彼の仲間が心配そうに待っているよ」
青年の指さした方を振り向くと、そこには栗色の髪をした少女が待っていた。手合わせが終わった事を確認するとレイの方に駆け寄る。
「大丈夫、ご主人さま。木にぶつかったみたいだけど。回復しようか?」
「大丈夫だよ。加護のお蔭でダメージは無い。ありがとう、レティ」
弾き飛ばされたファルシオンを回収したレイはレティと呼んだ少女の頭を優しく撫でた。嬉しそうに目を細めた少女は代わりに水の入った桶とタオルを差し出す。
「これは?」
「汗を流すようにって、シアラお姉ちゃんが。汗まみれで馬車に乗ったら、叩き落すわよって」
「あはは。手厳しいな。それじゃ、借りていくね」
レイは水桶を受け取ると、その場を離れていく。レティが手伝おうかと申し出たが、やんわりと断った。
人気のない方へと歩いたレイは辺りに誰も居ない事を確認すると鎧と服を抜きだした。パンツだけになった自分の体を見下ろした。
いくらか筋肉の付いてきた体には薄い戦傷が残っている。エルドラドに来るまでは学生をしていた自分には無縁の傷跡だ。
特に下半身。それも太腿よりも下は酷い傷跡が残っていた。火傷の痕は縦横無尽に走り回る地下鉄の路線図のようだった。
一月半以上前に受けた火傷の痕は完全に消えなかった。治療に当たってくれたヒーラーの言葉が蘇る。
「この火傷の痕は、一月や二月で綺麗になるようなものじゃないね。運動機能には問題ないだろうけど、それでも綺麗になるまで時間を使うよ。まあ、逆に言えば時間さえかければ、綺麗になるんだ。レティちゃんに火傷痕に効く薬液の調合を教えておくから、ちゃんと塗っておくんだよ」
その言葉通り、レイの両足に火傷は残った。だけど、今のように戦闘に支障を来すことは無い。長い時間を掛けて治せばいいとレイは考える。
水桶に浸してあるタオルを絞ると、レイは体を拭く。戦闘で火照った体が冷たい水によって洗い流されていくようだった。
タオルが水気を無くすとまた浸ける。その時、覗きこんだ水桶が鏡のようにレイの顔を映し出した。
初めてみた時は、十五歳の頃の自分とそっくりだと思ったが、エルドラドでの月日が影響しているのか微妙に違って見える。
黒髪の一部が白髪となり、夏の日に焼け始めた肌には消えない刃の傷が残されていた。左目の下に横に走る刀傷は、敗北の証だ。
一か月半の治療中、火傷の痕と同じようにこの刃傷は消えなかった。まるで『魔王』が残した約束のようにレイの顔に残っていた。
「こんなのが無くても、お前の事は忘れないよ」
水に映る傷跡に向けて呟くと、遠くの方からレティが呼ぶ声が聞こえた。
「ご主人さま。大丈夫? 出発の準備が出来たってお姉ちゃんが呼んでるよ!」
「分かった、今行くよ!」
レイは叫び返すと、大急ぎで体をふき終え、脇に置いておいた服を着こみ、鎧を着けた。木桶に溜まった水を捨て、忘れ物が無いか確認する。
そして、待ちくたびれて頬を膨らませるレティの元へと走り出した。
読んで下さって、ありがとうございます。
6章の開始です。変わらず平日投稿を目指して頑張っていきます。




