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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第5章 褐色の王子
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5-34 白い少年

 冷静になって考えてみれば、全裸なのは当然の話かもしれない。スライムのぶよぶよとした体は皮膚であり肉体であると同時に、捕食器官でもあるのだ。そのスライムの体に飲み込まれていれば衣服などが溶けても、何ら不思議ではない。


 迷宮で全裸になって横たわっている男は、哀れにも装備も衣服も全て溶けてなくなったのだとレイは推測した。


 幸い、生きてはいる。白い肌の胸は上下している。顔を隠すほど長い頭髪を掻き分けると、端正な顔立ちが露わになった。


 綺麗だ、と。レイは率直に思ってしまう。


 年の頃はもしかするとレイと同じ十代半ばぐらいかもしれない。西洋絵画から抜け出した様に整った顔は穏やかで、ついさっきまでモンスターに捕まっていた人間だとは思えなかった。


 少年の目は固く閉じられ、穏やかな呼吸は寝息のようだった。


「……って、この状況で寝てんなよ! おい! 起きてくれないか!」


 レイが肩を揺するも少年は起きる気配をみせない。仕方なく、レイは白い少年を担ごうとする。ところが、それを邪魔する存在が居た。


 グラントスライムだ。広間の中央を陣取るモンスターは体の一部を伸ばし、腕のような触手を二本、レイめがけて振り回した。


 レイは咄嗟に、コウエンを抜いた。冷たい沈黙は変わらないが、その魂すら斬りかねない鋭さに陰りは無く、振り回された触手を、ただ構えただけの状態でもバターのように切り裂いた。


(距離が離れてる分、相手の触手の振り方とかで攻撃の来る方向やタイミングは分かる。どうにか対応できるけど、この人を連れて通路までは行けない)


 後ろに庇った少年と、向かうべき通路を交互に見た。通路まで二十メートルはある。レイはコートを脱ぎ去ると、少年の上に掛けた。そして、コートの内ポケットにしまっておいた、自決用の鉱石を掴むと、一つを残してズボンにしまう。残した一つをどういう訳か砕くと、コートの上に振りかけた。そして、そのままスライムから距離を保ちつつ、二つある通路の内、事前の取り決めで決めていた奥側の通路へと駆けだした。


「こっちだ、グラントスライム! 《留めよ、我が身に憎悪の視線を》!」


 レイが発動した《心ノ誘導》に反応したグラントスライムは触手を振り回す。コウエンが切り落とした先端は既に再生しており、丸太のような太さの触手がレイに迫る。その間にある岩などお構いなしに破壊されていく。


 コウエンを触手と正対するように構える。それだけで、触手は気持ち悪いほど簡単に切断される。丸太の如き触手が、太鼓を叩く鉢の様に乱打される中、レイが対処できているのはコウエンの切れ味と、距離が開いているおかげだ。


 距離を詰められたら、あっという間に撲殺されているだろうとレイは考えていた。


 どういう訳か、広間の中央から離れようとはしないグラントスライム。レイはグラントスライムを中心に時計回りに移動する。目指すべき奥の通路を通り過ぎ、追いかけてくる触手を躱し、切り裂いて、反対側の壁に向かって走った。それは作戦に無かった動きだ。


 作戦と違う動きをするレイにナリンザは何か起きたのだと瞬時に判断した。薄暗い世界でレイが単独で移動しているのは見えた。つまり、救出した者に何らかのトラブルが起きたのだと推測した。


 彼女はグラントスライムの意識から逃れて岩陰に隠れたまま、そっとレイが弾き飛ばされ、壁にぶつかった辺りを覗いた。


 すると、青い輝きを発見した。


 この広間では天井付近にしか埋まっていない鉱石が、一カ所だけ地面にて輝いていた。弱々しくも、薄暗い空間でははっきりと映る。


 それはレイが自決用にと持っていた鉱石を砕いたものだ。コートを脱ぎ捨てた際に、目印になるようにと振りまいていた。まるで灯台の明かりのように少年の居場所をナリンザに知らせていた。


(あそこにいる人物を連れて向うの通路まで行くのを不可能と判断。グラントスライムの意識を自分に集中させている間に、あの人物を連れて、安全圏まで避難するのを私に託したという訳ですか)


 ナリンザは、レイからの無言のメッセージを受け取ると、慎重な足取りでグラントスライムから離れる。グラントスライムはレイにめがけて触手を振るうのに忙しく、ナリンザに気づくことは無かった。


 あっという間に、少年の元に辿りついたナリンザは、驚きのあまり目を見開いた。レイがこの少年を置いて一人で囮を買って出たのは、モンスターに囚われていた人物が何らかの事情で動けない状況だからだろうと推測していた。それは正解だったのだが、まさか助け出されたのが全裸の少年だとは思っていなかった。


 申し訳程度に掛けてあるレイのコートごと、少年を横抱きにしようとする。すると、ナリンザは少年の上に掛けてあるコート。その上に巻かれていた鉱石の欠片が、ある記号を作っているのに気が付いた。


 それは矢印だ。


 細かく砕かれた青い鉱石は、長い縦線と短い横線を二本組み合わせた矢印の形をしていた。少なくとも偶然でこのような形にならない。


(これもレイ殿からの伝言でしょうな。だとすると、この方角は……ああ、なるほど)


 ナリンザは矢印が向いている方向を、後ろを振り返った。そこにはレイ達や、グラントスライムが通って来た手前の通路がある。


 本来の計画では、グラントスライムの向こう側に着地したレイたちは一路、奥の通路へと駆けだす予定だった。単に距離の近い通路へと退避するのが目的だ。


 だけど、グラントスライムの横やりが入り、角度は変わって、横の壁に叩きつけられたレイ。幸か不幸か、落ちた場所はどちらの通路とも等距離の地点だった。


 ならば、一度通った事のある通路を選ぶべきだとレイは判断を下したのだ。その証拠のように、グラントスライムを中心に時計回りに走るレイの姿は、グラントスライムを挟んだ正反対の地点を通り過ぎようとしていた。彼はそのまま手前の通路を目指すつもりだ。


 レイの姿をナリンザはハッキリと視認できたわけじゃないが、レイを追いかけて繰り出される触手が、おおよその位置を彼女に教えている。


 少年を横抱きしたナリンザは、手前の通路の方へと移動を開始した。


(それにしても、不思議な少年ですね。衣服や装備品がスライムに溶かされたのは納得できなくもないですが……その割に肌や髪に溶けた跡がありません)


 病的なまでに白い肌や髪だが、ナリンザの見立て通り傷一つない綺麗な肌だった。それにナリンザにはもう一つ気になる点があった。横抱きになった状態で、ナリンザが移動するのに合わせて揺れる両足。その足もまた、何も履いてなかった。


(どうして、スライムから突き出ていた足が裸足なのでしょうか? 最初から履いてなかったのか。あるいは……衣類を溶かされてなお、体は解けないから吐き出されようとしていた)


 消化できない食べ物を体外へ吐き出すように、グラントスライムは白い少年を持て余していたのではないか。自分の想像に背筋がうすら寒くなる。深層という未知の領域で遭遇した違和感だらけの少年が、とてつもない怪物のようにナリンザは思ってしまった。


 それでも、助けられる可能性のある命。彼女は自分の中に湧き出た不安と折り合いを付けて、手前の通路へと目指した。


 一方その頃。グラントスライムを挟んだレイは追い詰められていた。


 変わらず中央から動かないグラントスライムは、壁際を走るレイに対して、触手を振り回す原始的な攻撃を繰り返していた。その数は増え、いまでは五本。矢継ぎ早に繰り出される攻撃にコウエンを構えているだけでは追いつけなくなった。


 かといって、ファルシオンも抜くのは無理がある。いまのレイの筋力と技量では、鋼鉄製の長剣を同時に二本も降り回すことはできない。それに、ファルシオンは切れ味よりも重量に特化した剣。グラントスライムの触手を切り裂くことは出来ないかもしれない。


 それでも、コウエン一本だと追い詰められていくレイは、ある賭けに出た。


 右から振るわれる触手をコウエンで受け止めると、上から降って来る触手に対して―――朱色の鞘を繰り出した。


 コウエンの鞘だ。


 鋼鉄製とはいえ、刀よりかは軽い鞘。しかし、その堅固さは既に証明された。至近距離から放たれた触手の一撃を防ぎ、ヒビの一つも作らなかった。流石は赤龍の鱗から生み出された鞘だ。


 レイはそれを武器として使う事に決めた。不格好なヤジロベエのような二刀流の構えを取る。


 グラントスライムの触手は、一定以上の衝撃を受けると形を保っていられず弾け飛ぶ。剣のように相手の体に対してどのように刃を入れればいいのか考えずに済む分、鞘は有効打といえた。むしろ、棍棒のように振り回す鞘は手に馴染もうとしないコウエンよりもずっと頼りがいがあった。


 ふと、レイの視界がグラントスライムと岩以外の何かを見出した。それはナリンザの姿だ。少年を横抱きしながら、岩から岩へと身を隠しつつ、通路を目指して進んでいる。


(良かった。僕のメッセージが伝わったんだ)


 レイは胸をなで下ろすと同時に、時間を稼ぐ必要が無くなった事に安堵した。ここから先は、如何に早く通路に飛び込み、グラントスライムを振り切るかにかかっていた。


(通路に飛び込む直前に、天井の鉱石を爆発。ついでに、手持ちの鉱石も爆発させて通路を塞ぐ。いくらグラントスライムとはいえ、塞がった通路を追っ手はこれまい)


 机上の空論かもしれなかったが、レイにはそれ以外の方法が思いつかなかった。


 ナリンザが通路に向けて走り出したのを見て、自分もそちらへ足を向ける。レイが通った場所を遅れて触手が絨毯爆撃のように轟音を響かせ、更地に変えていく。あと二メートル。このまま走れば二人とも通路に飛び込める。


 正にその時だった。


 グラントスライムがこれまでになかった動きをしたのだ。体の一部を鳴動させると、通路に向けて一直線に何かを飛ばしたのだ。高速で飛来した何かは通路の入り口を塞いだ。


「こ、これは、スライムの体……いえ、壁ですか」


 遅れて通路に辿りついたナリンザが、入り口を塞ぐ物の正体を看破した。それはグラントスライムの体から切り離された粘膜の一部だった。ぴったりと入り口を塞ぐ姿は確かにスライムの壁といえた。


「どいて、ナリンザさん! 《崩剣》!」


 レイはコウエンに精神力を纏わせると、スライムの壁に向けて一刀を振り下ろした。斬ッ、と音を立てた一撃は、しかし、不発に終わる。コウエンがつけた切り口は確かに残るが、それもスライムの壁が自己修復してしまい塞がってしまう。《崩剣》の効果はグラントスライムに届かなかった。


 レイ達が通路の前で立ち往生している間に、グラントスライムは奥の通路にも自分の体を飛ばして蓋をした。


「どうやら、あちらの通路も塞いだようですね」


「……ですね。この広間に閉じ込められたって訳ですか」


 蓋をした音が聞こえ、レイ達は広間に閉じ込められたことを悟った。レイはコウエンを鞘に納めると、代わりにダガーを抜いて、紫電を纏わせる。コートに置いてあった鉱石を一つ摘まみ、雷を当てると、スライムの壁に向けて投げた。紫の壁は青から赤へと変色する鉱石を飲み込む。急いで距離を取ったレイ達の後ろで、くぐもった爆音が響く。


 期待を込めて後ろを振り返ったレイだが、期待通りにはいかなかった。紫の壁は穴を作るどころか、爆発を飲み込んだようにさざ波一つ作っていない。


「これも駄目かよ!」


 結果を見て、レイは吐き捨てるように叫んだ。ナリンザも抱えていた少年を下ろし、岩に背中を預けた。


「ナリンザさんは、あそこを突破する技を持っていますか」


「申し訳ありませんが、手持ちの道具類では似たような結果で終わるでしょうね。……つまり、私たちに残されたのは―――」


「―――アイツを倒すしかないって事ですか。随分とまあ、シンプルになった分、難易度は上がってますね」


 レイは岩陰からグラントスライムの様子を伺おうと顔を出した。すると、二つの事に気が付いた。一つはグラントスライムの大きさが縮んでいる事だ。


 グラントスライムの触手は、自分の体からねん出している。先端とはいえ、幾度もレイに潰されていけばその分の体積を減らす。七メートルはあったグラントスライムは、いまでは四メートル程度に縮んでいる。


 もう一つは、その縮んだ体を震わせているのだ。表面が波打ち、爆発するエネルギーを貯めこんでいるかのようだ。


「ヤバイ。あいつ、この辺り一帯を吹き飛ばす気だ!」


「この辺り一帯とは……まさか広間全域ですか?」


「そのまさかですよ。ああ、くそ。急いで倒さないと、また死んでしまう」


 レイは焦るように岩陰から飛び出した。すると、それを待っていたようにグラントスライムは触手を伸ばす。いくらか目が慣れて来たレイはコウエンを抜き放つと、触手を切り裂いた。


 だけど、グラントスライムの振動は収まらない。震える湖面のように波が立つ。レイはグラントスライム目がけて駆けだそうとするが、二本の触手から繰り出される波状攻撃を凌ぐのに手いっぱいだった。


 遠距離だから、触手を撃ち落せていた。その事実を忘れ、レイはグラントスライムに近づいてく。そして近づくほどに目は追いきれなくなり、躱せなくなる。レイはあっという間に触手の薙ぎ払いを受けてしまった。水平に飛んだ少年は壁へと叩きつけられる。


「レイ殿!?」


 レイを追ってナリンザも岩陰を飛び出すも、待ち構えていた触手の嵐を浴びた。レイのコウエンのように切るよりも突くことに重きを置いている槍では触手を切り裂くような器用な真似は出来ない。その上、ナリンザは精神力を使い果たしていた。戦技を使う事は出来ない。


 背水の陣だった。


 レイ達に打つ手は無く、死を待つしかなった。


(唯一の希望はレイ殿の死に戻りですが、果たしてこの状況でも発動するのかどうか。それをいまの私が知る事は叶わないのが恐ろしい)


 幾らレイが死に戻り、時間の流れを変えられると言って、自分が数分後に死ぬというのは恐ろしい。


 だけど、それ以外に縋れるものはない。ナリンザはいまを生き抜くことだけを集中し、双頭の槍を振るう。


 ―――その時。自分の横から声が聞こえた。


 それは酷く冷たい声だった。この世の物とは思えない。まるで幽世の住人が霧の向こうから囁くような、尋常ならざる声だった。


「ああ……五月蠅いな」


 いままで眠っていた少年が発した声だと気づいたのは、グラントスライムが殺されてから・・・・・・だった。


 ナリンザの視界は、鞭のようにしなる触手の下。迷宮の床を闇より黒い影が通り過ぎていくのを見ていた。影はまるで意思を持つかのように伸びていき、グラントスライムの真下まで悠々と進むと、一閃。


 グラントスライムの体を漆黒の杭が貫いた。ナリンザの目には、影が起き上がったかのように見えた。


「ピギィィィィ!」


 体の中心を漆黒の杭で貫かれたグラントスライムは、魔石も貫かれていた。断末魔を上げると、その体は力を無くしたかのように単なる液体へと変化していった。


「超級モンスターを一撃……一体何が」


 双頭の槍を握りしめながら呆然と成り行きを眺めていたナリンザは、すぐ傍で聞こえた音に過剰に反応した。それは岩に凭れて眠っていた少年が立ち上がった音だった。


 存在感が希薄でありながら、あまりにも異常な少年の姿にナリンザは畏怖したかのように後ずさりした。


 彼女の勘が告げていた。


 グラントスライムを倒したのは間違いなく、この少年だと。


 証拠のようにグラントスライムを貫いた漆黒の杭は萎んでいき、平面の影に姿を戻すと少年の足元へと集まる。


 長い白髪で顔を隠した少年は、髪の上から口元を抑えている。腕を振り上げ、背伸びすらしていた。寝起きの人間が取る行動としては真っ当だが、緊迫したこの状況ではあまりにも異質だ。


 いや、そもそも。この少年はこの状況を緊迫した状況だと認識していないのではないのか。あまりにも自然体な振る舞いをする少年。少年にとって起きたついでにグラントスライムを片付けるのは、ごく自然な、それこそ朝起きて顔を洗うのと同じぐらい普通の事のようにこなしていた。


「人が折角、日光浴を楽しんでいたのに。起こすんじゃないよ、まったく。……あれ。なんでボクは裸なんだ」


 少年は呟くと、起きた拍子に床に落ちたレイのコートを拾い上げた。


「誰のか知らないけど、借りますか」


 コートに袖を通すと、レイと背丈は同じぐらいなのか、ほとんどぴったりだった。コートを着た自分を満足そうに見下ろしていた。


 その少年に対して、意を決してナリンザは声を掛けた。


「……お尋ねしたいのですが」


 すると、少年は「ひゃぁ」と驚きの声を上げた。慌てたように首を振ると、ナリンザの方に視線を固定した。もっとも、顔は髪に隠れて分からないのだが。


「うわぁ、めずらしい事もあるもんだね。こんな所で人に会うなんて。……君はどこの誰さんかな?」


「その質問は私が聞きたいぐらいです。貴方は一体何者……いえ。何なんですか!?」


 ナリンザはいつもの冷徹さをかなぐり捨てて叫ぶように尋ねた。槍を握る手は、いや、全身が小刻みに震えていた。少年と声を交わしているだけで、視線を向けられているだけで、ナリンザの体は怯えていたのだ。


 少年は首を傾けるのに合わせて体を横に反らした。すると、顔を隠していた長髪が乱れ、隙間から少年の瞳が覗いた。


 ゾッとするほど冷たい輝きを放つ瞳を前に、ナリンザは体を硬直させる。


「何……か。まあ、色々と呼び名は持っているけど、教えてあげないよ。だって……これから死ぬ人に教えても意味ないでしょ」


 少年は軽く言うと、それが合図だったのか足元の影が蠢き、実体を持つ。ドロドロと液体のような闇が少年の周りを漂う。ナリンザの脳裏に、グラントスライムを貫いた杭の姿が過った。


「それじゃ、まあ。バイバイ」


 何の感情も篭っていない、別れの言葉が殺戮の始まりを告げる鐘となる。


読んで下さって、ありがとうございます。

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