5-33 グラントスライム
足の無いスライムは体を引きずって進む。そのため移動するたびに、皮膚の粘膜が川のような足跡を残す。粘度の高い粘膜は人の衣服に絡みつき、容易には剥がれなくなる。足で踏むと、固定されたように動けなくなることもある。
縦長の長方形の広間は出入り口が二つしか無く、レイ達が通って来た通路に繋がる入り口と、その正反対の場所にもう一つの出入り口がある。広間を縦断する巨大なスライムは、その巨体に見合った足跡を残して、奥側の通路を目指す。小川の横幅のような足跡を避けつつ、レイとナリンザは近づいた。移動速度は遅く、広間を通り抜けるにはまだ時間がかかりそうだ。
広間に点在する岩の影から影へと移動を続けながら、スライムに並走する。天井から放たれる青い鉱石に照らされているスライムの色は紫に近かった。
「フュージョンスライム……よりもでかいし、色が違うな」
レイが記憶にあった巨大なスライムの名を口に出すと、ナリンザが正体を言い当てる。
「おそらく、これはグラントスライム。スライム系最大の巨体と言われている個体かと」
なるほど、最大の巨体とは誇張ではないだろうとレイは思う。近くに行くほど、グラントスライムの大きさに眩暈すらしそうだった。少なくとも縦横七メートルを超える丸みを帯びた巨体は、スライムとしても破格の大きさだ。
むしろ、この巨体がどうやって狭い通路を通り抜けたのか疑問だった。
「スライム系のモンスターはある程度体を変化できると聞きます。推測ですが、通路に無理やり入ったのではないでしょうか」
グラントスライムが自分の体を器用に変化させて、通路に押し入る姿をレイは想像してしまった。体積が変わっていないのなら、グラントスライムが無理やり入った通路はスライムの体で満たされたはずだ。
その証拠のようにスライムの体の中には、人間の足以外にも何体ものモンスターが囚われている。おそらく、移動するグラントスライムに飲み込まれたのだろう。
ほとんど無傷のような綺麗な屍もあれば、骨がむき出しとなり、僅かな肉片がこびり付いた屍もある。スライムの体は単なる液体では無い。捕食器官でもある。自らの体で獲物を窒息させ、徐々に消化させて取り込むことが出来る。
かつてネーデの森で味わった死に方だ。顔を抑えられ、窒息死した記憶がまざまざと蘇る。
あの時とサイズが違いすぎるが、それでも恐怖心は体を縛る。レイにとって、この世界に来てから初めての死亡はスライムによるものだ。《トライ&エラー》で死に戻れる事を知らず、異世界に来てしまった不安と、モンスターとの初めての遭遇による動揺と、死への恐怖が融合し、絶望がレイの心に刻まれてしまう。
あれからスライムとは何度も戦っていたが、それでも苦手意識は拭えていなかった。《スライムに負けた男》という称号はある意味レイのトラウマを表してもいた。
すると、グラントスライムがぴたりと動きを止めた。
同じようにレイとナリンザも足を止め、岩陰から様子を伺った。縦長の広間のちょうど中央で止まるグラントスライムは己が体を波立たせ震えていた。
「あの動きの意味は分かりますか」
と、レイが尋ねるもナリンザは分からないと答えた。何しろ相手は超級モンスター。ナリンザのレベルでは遭遇する事すらまれな相手で、名前を知っていたのが幸運だった。
(どうしよう。様子を伺うか、それとも行動するべきか)
レイは波打つグラントスライムから視線を離さないまま、この先の作戦を思案する。前提として、グラントスライムを倒すという案は無い。
相手は超級モンスターだ。最初から戦う事は選択肢に入れてなかった。実力が違いすぎる上に、レイの体力は半分程度しか回復していない。いくらか、体は動かせるが、それでも倒すなんて不可能だ。彼が考えていたのは、グラントスライムの頂上付近から両足だけを突きだしている人間……と、思わしき者の救出だ。
それも相手が生きていればの話だが。
日本で有名なミステリーのように両足を突きだしている人物が死んでいるのなら、無理を押して戦う必要はない。こうしてグラントスライムの近くまで来て足を止めているのは、その確認を兼ねていた。
七メートルも上に突き刺さっている両足は確かに人間の物だ。細長い足首はもしかすると女性なのかもしれない。なにも履いておらず、素足だ。残念ながら、グラントスライムの体に飲み込まれている足首より上は見えない。
その時だ。
レイとナリンザの瞳は、突きだされた両足首が動いたのを確かに見た。
「ナリンザさん。いまのは」
「ええ。動きましたね」
二人は揃って顔を見合わせて、自分が見たことが間違いないかと確認し合う。やはり、見間違いでは無い。波打つスライムの体から突き出された二本の足は、確かに動いている。
「あの状況で生きているなんて、信じられませんね」
「それに関しては同感です。逆に言えば、それだけ強い人なのかもしれません。助ければ、戦力になるはずです」
グラントスライムに飲み込まれている時点で、その強さは怪しい物だが、ナリンザはあえてその点を指摘しなかった。二人よりも三人の方が心強いのはハッキリとしている。
「助けるのには同意ですが、一体どのように助けるのですか。あそこまでは七メーチルはあります。岩を足場に跳んだとしても、微妙に届かないかもしれません。それに、下手に足を掴んでグラントスライムの体に触れれば、逆に私達が飲み込まれるかもしれません」
ナリンザの指摘にレイはテオドールが使っていた空を跳ぶ魔法を思い出した。
「ナリンザさんは空を跳ぶような魔法や技能。あるいは足場を作れそうな魔法はありますか」
「空を跳ぶ。……《空中散歩》の事でしょうか。生憎と、そのような魔法も技能もありません。レイ殿も……あれば質問などしませんね」
手詰まりだった。
レイの手にある武器はファルシオンと沈黙を貫くコウエン、数発は紫電を放てるダガーに自決用にと取っていた鉱石。この広間に鉱石は天井付近や、壁の高い位置で顔を出している。仮にそれを爆発させたらグラントスライムは倒せるが、一緒に助けるべき人も爆発に巻き込まれてしまう。本末転倒だ。
その時、悩むレイ達に光明が射した。気が付いたのはナリンザだった。
「……確認ですが、レイ殿。あの者を助けた後はどうするのですか。確実に、グラントスライムと戦闘になりますよね」
「ああ、それでしたらこのダガーに残っている雷撃を使って、天井を爆発させます。爆発する前に僕らは通路に逃げ込むつもりです」
「つまり、直接戦闘をするわけではない、という事で良いのですね」
ナリンザの持って回った言い方にレイは疑問を抱くも、肯定の意を示す。
「でしたら、一発限りの方法があります。その代り、私は」
、と。ナリンザが何かを続けて言おうとする。けれど、レイはそれを聞く機会を失う事になる。
―――世界が速度を失った。
同時に側頭部に強烈な痛みを味わった。首が折れた事で、九十度傾いた世界で、同じように吹き飛ぶナリンザの上半身を見た。二人が隠れていた岩が、弾け飛び、砲弾のように二人に襲い掛かったのだ。
鉱石の爆発では無い。レイの視界がかすかに捉えたのは紫色の触手だった。
体を波打たせていたグラントスライムは何を思ったのか、体から無数の触手を伸ばし竜巻のように振り回したのだ。広間の中心に居ながら、広間全域が蹂躙される。あっという間に、レイの体は竜巻にもみくちゃにされた。洗濯機で回される衣類の気持ちが若干分かりかけた所で、レイの意識は闇へと沈んで、消えた。
★
酸の雨が真上から降って来る。見渡す限り、平らな大地に遮蔽物は無く、酸の雨は容赦なくレイの体に落ちていく。じわり、じわりと。時折吹き荒れる風が雨の軌道を変え、前後左右と容赦なく雨は襲い掛かる。
一滴一滴は大したことは無い。髪は溶け、皮膚は爛れ、肉が腐り、神経が途切れ、骨が折れる。たったそれだけ、死に至ることは無い。
その代り、再生されないのだ。溶けた髪は溶けたまま。爛れた皮膚は爛れたまま。腐った肉は腐ったまま。切れた神経は切れたまま。折れた骨は折れたまま。レイという人間がじっくりと肉塊になるまで酸の雨は降り続ける。立てなくなったレイは酸の水たまりへと倒れこんでも、死へと至らない。
じっくりと、じっくりと。全身が何も感じなくなるまで、酸の雨は降り続いた。
★
「レイ殿、レイ殿。起きてくだ―――」
「―――ッウウウウ!!」
肩を揺らして起こそうとしたレイが獣の如き唸り声を上げそうになり、ナリンザは己が手で口を塞いだ。先程まで穏やかな寝息を立てていたレイが、突然人が変わったように豹変しだしたのだ。驚きに目が見開く。
しかし、それを見るのは彼女にとって二度目だった。鼻息を荒く、何度も呼吸をしてイタミを耐え抜こうとしているレイに、ナリンザが尋ねた。
「もしや、死に戻ったのですか」
レイは声に出さずに頷くことで肯定した。
「それはつまり、あのモンスターに殺されたという事でよろしいですか」
再度、レイは頷いた。そして、ナリンザの手を退かすと、捲し立てるように何があったかを説明しだした。
「あのスライムはグラントスライム。巨体の中にモンスターの屍を取り込んでいます。そして、あそこに突き出ているように見える足は、紛れも無く人間の足です。そして、生きています」
「……やはり、先を知っていると驚かされることばかりですね。私が説明することが無くなりました。……それで、どうして貴方は死んだのでしょうか」
「よく分からないんですけど、あのグランドスライムは広間の中央付近に行くと、体を揺らすんです。それが次第に激しくなって、ある時を境に爆発します。無数の触手が嵐のように広間を蹂躙して、僕もそれに飲み込まれました」
レイの説明では想像できないのか、ナリンザは首を傾げつつも、レイの発言から一つの結論へと至る。
「つまり、あのモンスターが中央付近に到着後、しばらくするとこの広間に居る事で死んでしまう可能性があると言う事ですね」
ナリンザに指摘されて、レイはその事実に改めて気づかされた。ぼやぼやしていると、広間の隅に居ても死んでしまう。それだけ、あの触手の嵐は凄まじかった。
「でしたら、あのスライムがある程度まで移動したら、通路を引き返しましょう。それが安全―――」
「―――いえ。僕はあの人を。グラントスライムに囚われている人を助けたいです」
レイは前の回で口にした、アマツマラから送られた冒険者説を口にした。ナリンザもレイの説に一定の理解を示した。
「確かに、ありえる話です。ですが、どうやってあの上にいる方を救うのでしょうか。……前回の私達は何か、その手段を思いついたのですか」
「それなんですけど、ナリンザさん。貴女が何か手段を思いついたんです」
私が、と驚くナリンザに、レイは申し訳なさそうに言う。
「ですけど、それを口にする前にナリンザさんは死んでしまいました。……何か、思いついたことはありませんか」
レイに尋ねられて、押し黙り考え込むナリンザ。秀麗な顔立ちは思案に歪む。
「……とりあえず、移動しながら、どういう経緯だったのか説明します」
二人は前回と同じように岩陰から岩陰へと移動する。近づくにつれ、グラントスライムの大きさはハッキリとしていく。その間、レイはナリンザと交わした言葉を一言一句間違えずに再現していた。
「そして、ナリンザさんは、『でしたら、一発限りの方法があります。その代り、私は』、といったんです。その後は……聞けずじまいです」
最期の状況を濁したレイだが、説明は十分だったようでナリンザは何が起きたのか理解していた。そして、前回の自分が何をしようとしていたのか思いついた。
「レイ殿。おそらくですが、前回の私は戦技を使う事を思いついたのです」
「戦技ですか。……でも、ナリンザさんの戦技って、どれも返し技なんですよね」
返し技。
つまりカウンターの類は前提条件がある。
それは相手の攻撃を必要とする点だ。相手の攻撃をそのまま反射させたり、相手の攻撃を掻い潜って攻撃したり、相手の攻撃に合わせて先に攻撃したり。カウンターの種類は様々だが、基本は相手に攻撃させることだ。いわゆる後の先を取ると言うやつだ。
直接戦闘を避けるかと尋ねたナリンザが、レイに戦技を提案するのは矛盾していた。
「ええ。前回の私はグラントスライムに戦技を発動させるのではなく、レイ殿。貴方に戦技を放つつもりだったのでしょう」
「ぼ、僕にですか!?」
レイは小声で驚いた。隠れている岩の向こうではグラントスライムが体を波打たせ始めていた。直に、範囲攻撃が始まってしまう。ナリンザは口早に説明する。
「はい。私の戦技、《流転》。攻撃を仕掛けた相手を受け止め、弾き飛ばす戦技です。撃ち込んだ威力を倍増させ、相手をより遠くへと吹き飛ばします。レイ殿の実力なら、あそこまで飛ばせたうえで、減速することなく向こう側に吹き飛ぶはず。これなら、グラントスライムに囚われることなく、あの突き出た足の方を回収できるはずです」
「そ、それはそうかもしれませんが。弾き飛ばされた僕はどうなるんですか」
「それは問題ないはずです。貴方の鎧。付与されている加護はジャイアントラミアの時に、貴方の身を守りました。あの高さをあの速度で落ちても防げるなら、あの程度の高さ、何とかなるはずです」
軽く言ってくれるよと思いつつも、レイは鎧に触れた。ニコラス作の鎧に付いている《耐久》の加護はすでに回復済みだ。問題なく発動する。
そうなると問題は、
「前回の私が懸念したのは、戦技を使った私が次に狙われる可能性でしょう」
ナリンザは己の掌を見つめた。
「未だ精神力が回復しきっていない私では、《流転》を使えば、戦技をもう一度放つのは厳しい。戦技無しで超級モンスターとは戦えません」
「それだったら、モンスターの意識を僕に向けさせます。《心ノ誘導》を使って、意識が僕に向いている隙に離脱を」
「そうなったら、レイ殿の身が危険になります」
「大丈夫……とは言い切れません。ですけど、それ以外、あの人を救う手段がありません。……逃げる際は、あっちの通路へ全速で走って下さい」
レイはグラントスライムがこれから進もうとした通路を指差した。この位置から飛ばされた場合、レイが着地した時に一番近い通路は向う側の通路。ナリンザと分断するのを避けるため、レイはそちらの通路を指示した。
次第にグラントスライムの体が激しく揺れる。もう迷う時間は無い。そう悟ったナリンザもしぶしぶ作戦を始める。
「それではレイ殿。拳で全力を出して私を殴って下さい」
「剣じゃダメなんですか」
ファルシオンを抜こうとしたレイは、立ち位置を変えるべく岩陰から離れたナリンザに尋ねた。
「剣だと、片手が塞がってしまうでしょう。さあ、早く!」
ナリンザが両手で構えを取る。全身に精神力が立ち込めているのをレイは肌で感じていた。レイは左拳を握り、手甲を打撃武器へと切り替えた。利き手は右だが、拳を振るう時は左の方が慣れていた。
岩を蹴り、レイは駆けた。構えたまま動かないナリンザに向かって。
両者の距離がゼロへとなる寸前、ナリンザが動いた。レイの拳を受け止め、
「《流転》!」
グラントスライムの方へとレイを投げ飛ばした。まるで腰に紐でも付いているかのように、無理やりな方向へ弾丸のようにレイは飛ぶ。すると、グラントスライムが動きを止めたのだ。
実は、グラントスライムが体を動かしていたのは、レイ達を殺すためだった。
広間に入った時点で、グラントスライムの皮膚はレイ達の呼気に反応していた。細かい場所までは分からなくとも、不審者が居る事に気づいていた。
ちまちま探すのを嫌い、一気に広範囲に攻撃を仕掛けようと、大技を繰り出そうとしていた。体表の変化はその前準備だった。
それが、レイたちの方から姿を見せたので方針を変えた。波打つ体がぴたりと止まり。自分に向かってくるレイを叩きつぶそうと触手が数本、刺のように伸ばされた。
ところが、それらは全て躱された。レイの速度が速すぎたのだ。あっという間に、グラントスライムの上部付近へと迫るレイは、高速で流れる視界の中。
―――いや、速度を失った世界の中、レイは突きだされた足と、その傍で自分を突き刺そうと伸びる触手の両方を視界に収めた。
横合いから伸ばされる触手。胴を貫きかねない一撃を回避するのは不可能に思えた。
レイは突きだした足を掴み、精一杯体を捻った。それでは体が貫かれるのは変わらないと知りつつも。
ゆっくりと向かってくる触手。それがレイの左腰に迫り……コウエンの鞘に激突した。
世界が速度を取り戻すと、レイの体は横から加わった圧力によって、左へと流され、壁に激突して止まった。《加護》によって守られたレイは壁を転がりながら落ちた。
「ピギィイイイイイ!!」
一方で、グラントスライムは自分の触手が潰れた事に怒っていた。
あの瞬間。
グラントスライムの針のように鋭く細い触手はコウエンの鞘に防がれた。コウエンの放つ炎を封じ込めることが出来るこの鞘は、ただの鞘では無かった。赤龍の鱗と伝説級の鋼を溶かして混ぜて作られていた。テオドールの攻撃を耐える鱗で出来た鞘は最上級の防具といえた。
(こ、幸運だった! あの瞬間。体を捩じったのが偶然上手く行ったに過ぎない。もう一度やろうとしても、やれっこない!)
レイは落下の衝撃で痛む体を起こして、周りを見回した。壁際へと弾かれたレイの傍には、足の持ち主。つまり、スライムに囚われていた人間が居た。
その姿にレイは呆気に取られてしまう。
白い。
レイが最初に抱いた感想はそれだった。
レイの変色し始めた白髪よりも、更に濃い総白髪は伸ばし放題。まるで頭から真っ白なバスタオルを被ったように伸びていた。そのせいで、男の顔は隠れてしまっている。
どうして顔を見ずに男と分かったのか。理由の一つは体型だ。病的なまでに白い肌に薄い胸板、枯れ木のような手足。あばら骨は浮き出て、とても戦士のような体つきでは無い。そしてなにより、股の間からは男のシンボルが垂れていた。
そう、レイが助けた男は―――全裸だった。
読んで下さって、ありがとうございます。




