5-32 ユマン・ゲンニュ
ずきずき、とレイは激しい頭痛に歯を食いしばっていた。これはイタミとは違う理由による頭痛だった。その痛みは例えるなら、頭の中を返しの付いた針でかき混ぜられているようなもの。レイは途切れる事のない頭痛を耐えるしかなかった。この頭痛こそが、レイが戦っている証といえた。百を超すやり直しは、レイの脳にこれまでにない負荷を与えていた。
記憶の蓄積は《トライ&エラー》の利点であると同時に、欠点でもあった。死に戻る度に、レイの脳にはそれまで積み重ねてきた死亡時の記憶が、余すことなくレイの脳内に焼き付く。死を重ねるごとに、焼き付く量は増えていく。
赤龍戦の時、二百を超えるやり直しをしたとはいえ、どれも十分も生き延びてはいなかった。赤龍を倒した二百八十七回に十分を掛けると、最大で二千八百七十分が焼き付いたことになる。
時間に換算すれば、約四十七時間。二日分程度だ。実際は、出落ちのように死んだこともあるし、五分以上生き延びられたのは後半以降。レイに焼き付いた時間は合計しても一日程度だろう。
だが、今回の累積時間は、すでに六十時間を超えていた。回数を増すごとに、生き残るルートが確立していき、その分、記憶することが増えていく。レイの脳はオーバーヒート寸前だった。
顔は土気色に染まり、目は虚ろで、魂すら抜け出しているのではないかとナリンザは危惧していた。そのくせ、少年の歩みは正確にモンスターや罠を掻い潜る。体がどこをどのタイミングで通ればいいかを覚えており、最適解を出していた。
それにも限界が訪れようとしていた。遂に、レイは崩れるように倒れる。
床に体が着く寸前のレイをナリンザが抱える。息は荒く、汗は滝のように落ち、とてもじゃないが二時間歩いてできた疲労とは思えなかった。
(死に戻りの力とやらが、相当精神を蝕んでいるようですね)
ナリンザの見立ては正しい。イタミに耐えられるレイでも、この状況は精神の消耗が激しかった。なにしろ赤龍の時とは違い、明確なゴールが見つからないまま、リトライを重ねる。光無きトンネルを延々と彷徨っているようなものだ。尋常じゃない疲労がレイを襲っていた。
「すい……ません。少し……休めば……大、丈夫、です」
「その台詞は大抵、大丈夫では無い時に言うものです。どこかで休みましょう。休むのに、適した場所は見つけていますか」
ナリンザの質問に答える気力もないレイは首を横に振るのが限界だった。
レイ達が居る場所は変わらずに狭い通路。隠れるような場所はなく、モンスターと鉢合わせすれば戦闘は避けられない。少なくとも、休息を取るような場所ではない。
周りを見回したナリンザは近くの側道を指差した。
「あそこは、行きましたか」
レイはまたしても首を横に振る。
「なら、あそこに行きましょう。もしかしたら、開けた場所に出るかもしれません」
レイに肩を貸すと、ナリンザは通路を進む。それから数分後、レイ達はこれまでとはいささか毛色の違う場所へと出た。今までのように整然とされた狭い通路では無く、縦に長い長方形の広間だ。岩や柱が点在し、青い鉱石は天井から明かりを注いでいるが、全体的に暗い。モンスターの姿も無く、身を隠すには都合がいい。
「ここなら、休むには打ってつけですね」
ナリンザは広間の隅へと移動すると、岩陰にレイを横たわらせた。浅い呼吸を繰り返すレイに向けて、両手を出すようにと言う。
レイが差し出した手に向けて、ナリンザは魔法を詠唱した。
「《超短文・低級・真水》」
生活魔法に分類される新式魔法だ。一度に出せるのが少量のため戦闘には向かないが、どんな環境でも、清潔な水を出せる事から、冒険者のみならず旅人などにも人気の魔法だ。
差し出した両手に溢れんばかりの水が落ちる。レイはその水を口元に当てると、喉を鳴らして飲む。体に水が行き渡ると、澱んでいた体内が浄化されていく。
「ありがとうございます。少しは楽になりました」
「それは良かったです。よろしければ、しばらく休まれた方がいいでしょう。私が見張りをしています」
休憩を進められたレイだが、少しばかり抵抗があった。
《トライ&エラー》の性質上、一度眠り、目覚めた瞬間が死に戻りのポイントとなってしまう。これまで積み重ねてきた蓄積が無駄になるのと同時に、ここでセーブをすると詰んでしまうかもしれなかった。
だけど、体力では無く、精神に限界が来ていた事も事実だった。これ以上は頭も回らないと感覚で理解したレイは素直に従う事にした。
コートを畳み即席の枕を作ると、ひんやりとした迷宮の床に横になった。目をつぶり、自分の心臓が起きた後にも続いていることを祈った。
ところがだ。
十数分経っても一向に眠ることが出来ないでいた。
(参ったな。頭が疲れているのに、体が元気な分、眠くなんないや)
レイの状態は徹夜のようなもの。それも徹夜なのは記憶と心だけで、体の方はブレイブサラマンダーとの戦いを終え、二時間近く探索したのだが、まだ元気が残っている。いくら目を瞑っても眠ることが出来ないでいた。
何度も寝返りを打つレイに、ナリンザが気遣って声を掛けた。
「もしかして、眠れませんか」
「……はい。体の方は何ともないのに、記憶と心だけが消耗している分、寝つきにくくて。眠気が来るまで何か話をしてくれませんか」
「寝物語ですか。……生憎とそちらの方面には疎くて……なにか、話題があればいいのですが」
生真面目に考え込むナリンザに、レイはふと思った事を尋ねた。
「あの、オジマンティって何なんですか」
ギクリ、と。ナリンザの肩が震えた。あからさまに動揺する褐色の美女にレイは慌てて言葉を取り消した。
「あのその、すいません。……触れちゃいけない言葉……でしたか」
薄々感じていた事だが、ナリンザの動揺で確信に至る。ナリンザは困った風に、
「そう言う事もありますが……過去の私は貴方に意味を教えていませんでしたか?」
「はい。この言葉なら、確実に僕が死に戻っていることを私は信じる、とだけしか教えてくれませんでした。聞いちゃいけない言葉なら、もう聞きませんが」
ナリンザはしばらく沈黙を貫くと、重い口をようやく開いた。
「いえ、むしろ貴方には知っておいてもらった方がいいかもしれません。王子がレイ殿を気に入っている以上、このことは知っておくべきでしょう。ダリーシャスという王子がどのような人物なのかにも関わっていきます。それは貴方たちの身を護る事に繋がるかもしれません」
話が物騒な方向へと向かい始めた。レイが怪訝な顔を浮かべていると、ナリンザは言葉を選ぶように迷ったあと、話を切り出した。
「オジマンティというのは、王子の弟の名前です」
「ああ、それって、母親が違う―――」
「―――いえ、ダリーシャス王子の双子の弟です。そして」
そこで言葉を区切ると、ナリンザは不吉な声色で言う。
「生まれてすぐに間引かれた王族たちの名でもあるのです」
ぞわり、と。首筋に悪寒を感じる。
「覚えていますか? デゼルト国の王族に置いて、母から生まれる子は常に一人しかいないと。私が説明したことを」
ナリンザが口にした内容は、時系列で言う所の一昨日の真夜中の見張りの事だ。もっともレイにしてみるとすでに四日以上前に感じられる。
そこで、ナリンザの言いたいことが分かった。子供が生まれる時、必ず一人だけとは限らない。
「双子や三つ子で生まれた赤ん坊は……まさか」
言いよどむレイの後をナリンザが引き継いだ。
「かつて、国を乱した男女の双子が居りました。その者らは処刑されましたが、それ以降デゼルト国において、王族の双子は忌み嫌われるようになり、双子が生まれた時は片方に死の名を付けるのが習わしになりました。国を乱した王族にちなみ、男の子ならオジマンティ。女の子ならネフェタリスと」
「どうして、その双子の王族の名を付けるんですか?」
「正式な名を与えれば、情が湧きます。縁が生まれます。それを断ち切るのは難しく、それならいっその事不吉な名を与え、死者として間引けばいいと考えたのです。ダリーシャス王子の時も慣例にしたがい、もう一人の王子にオジマンティと付けたのです」
双子という理由だけで死ぬ運命にある赤子に、レイは同情してしまう。
「惨いですね。……どうやって、その、間引く方を決めているんですか」
「その時々で違うそうです。例えば、それぞれの赤子の前に蝋燭を並べ、先に火が消えた方に死の名を与えるやり方。他にはデゼルトでは馬が重要視されています。そこで、それぞれの赤ん坊が触れた水を二つ用意し、どちらの水を飲むかで決めさせたとか」
「それじゃ、ダリーシャスの時も似たような事をしたんですね」
レイの質問に、ナリンザはいいえ、と返した。
「王子の時だけは、違ったと言います。……生まれた子を一目見て、母君が選んだのです。どちらを間引くか。選ばれたのは弟の方でした」
「そんな……」
レイは不快感と共に衝撃を受けた。間引くというのがデゼルト国のルールであり伝統ならば、それを外野である自分がとやかく言う権利はない。虫唾が走る事ではあるが、自分に何かできる訳でも無い。
どちらの子が生き延びるかという重要な取り決めを、運否天賦に任せていた。ある意味、自分たちに責任がないと言いたいがための卑怯なやり方だ。でも、それでも平等なやり方といえた。どちらにも平等に生き延びるチャンスを与えていたのだ。
それなのに、ダリーシャスの時だけ恣意的な判断で生き残る子供と死ぬ子供が決められてしまったのだ。生き残るチャンスを奪われた事になる。
「レイ殿は……殿下の事を悪くは思っていないようですね」
「え……ええ、まあ。悪くっていうか、嫌いとは思えないですね」
急に話が変わった事に戸惑いつつも、レイはナリンザにダリーシャスへの感情を伝えた。
「おかしいとは思いませんか。王子は貴方に護衛になるようにと一方的に言うばかりで、自分から明確な報酬を告げず、貴方の善意に付けこむ形で馬車に乗り村まで付き纏っている。それなのに、貴方や他の仲間達も王子に対してあからさまな嫌悪感を抱けないでいます」
「それは……そうかもしれませんが……まさか!?」
レイの中で二つの事柄が繋がった。
生まれたばかりで特に差もないはずの双子。それなのに、母親は明確にダリーシャスを生き残らせた。伝統を破り、恣意的に選んだ。そして、レイたちがダリーシャスの振る舞いに対して、嫌悪感を持たないでいる事。そこから導き出される答えは一つしかない。
ナリンザは肯定するように頷いた。
「あの方は生まれつき、ある技能を持って生まれました。名を《ユマン・ゲンニュ》。無意識に、そして無自覚に発動しています。あの方と言葉を交わし、行動を共にすれば、それだけであの方に対して悪感情を抱けなくなり、好意的に接するようになります。あの方を憎もうとするには、相当な手間暇がかかります」
生まれつき能力を持って生まれる事は珍しい事だがあり得る話だ。シアラの《ラプラス・オンブル》もその一つだ。
だけど、レイの脳裏には別の可能性が浮かんでいた。彼が《招かれた者》の一人で、転生してこの世界で生まれた可能性だ。
(ダリーシャスも僕と同じ《招かれた者》なのか。……いや、確証がない以上、下手に探りを入れる訳にもいかないし。でも、どうするべきなんだ)
レイはダリーシャスが《招かれた者》かどうかを判断するために、いままでされてきた彼にまつわる話から推測しようとする。確か、ダリーシャスは諸外国と友好関係を築く、いわば外交官をしていたと思い出した。
人から好かれやすくなるという力は外交官向きかもしれない。海千山千の強かな官僚。感情をコントロールする術を持ち、自国の利益を守ろうと固く殻に篭る国の要人たちの心を、歓談し、会食するだけで解きほぐす。ダリーシャスに悪意を持てないのなら、無碍に扱うことが出来ない。知らず知らずのうちに、自分の懐に飛び込まれてしまうのだ。その厄介さはレイ自身味わっていた。
「あの方は、自分に弟が居た事を。そして、その弟がどうして死んだのかを五歳の時知りました。自分が生まれつき持つ技能によって生かされた事を知り、その事を憎悪しました」
ダリーシャスは悪人では無い。正しい行いをしようとする善良な人間だ。それなのに、自分が望んでいない技能を持っていたから、弟が死んだとすれば、ダリーシャスは自分を許せないのだろう。
「生き残る機会すら与えられずに死んだ弟。その事について誰も自分を罰しないことで、あの方は自分を罰して欲しいと思うようになったのです。困難を望み、それを生き残る事で自分が生き延びたことは正しいと証明したいと願うようになり、あえて窮地に赴くのを好む様になりました」
レイの中で、バラバラのピースが嵌っていく。暗殺者に狙われておきながら、ナリンザだけを連れてレイを追い駆けたり、死ぬかもしれない迷宮に同行しようとするのは、自分が死ぬかどうかを天秤に掛けていたのだ。どちらに傾くか、試さずにはいられない。それがダリーシャスという男だ。
「レイ殿に興味を抱いているのは、《王者ノ勘》による引っ掛かりもあるでしょうが、おそらくレイ殿の持つ死に戻りの力。それが齎す死の気配なるものを感じ取っているのかもしれません。レイ殿を傍に置いておけば、自分を罰する存在を呼び寄せてくれるんじゃないかと。自分が生き残るにふさわしかったかどうかを試せると無自覚に気づいているのかもしれません」
「死にたがりの王子ですか……護衛する側としては相当厄介だったんじゃないですか」
ナリンザは大きなため息を吐いた。
「全くその通りです。あの方は、王族としての責務を全うするという信念を持つ一方で、自分は無価値であり罰せられるべきだという自責の念を抱いています。それがあの方の中で争い、矛盾した行動をとらせます」
「良く見捨てようと思わないんですね、ナリンザさん。……もしかして、それって」
レイは、ナリンザがダリーシャスの技能によって感情を操られているのではないかと想像してしまった。口籠ったレイを見て、ナリンザはその事に気が付いた。
「私自身、自覚はありませんが、もしかしたらそうなのかもしれません。感情を操られて、主の願いを叶えてやりたいと無意識に行動しているかもしれません。ですが、私の偽りない気持ちは、あの方に生きて欲しいのです」
一度言葉を区切ると、ナリンザは自らの本心を打ち明けた。
「あの方には生きて、王となってほしいのです。そうなれば、王という衣があの方に死を許さないはずです。元から優秀な御方。王となればきっと善き王となりうる。ですから、共に首都まであの方を守っては頂けませんか」
膝を揃えて頭を下げるナリンザに、レイは起き上がると、同じように膝を揃えて座る。そして頭を下げて、
「……すいません、やっぱり僕は……引き受けられません」
「……そう、ですか。それなら仕方ありませんね」
頭を上げたナリンザの顔はどこか泣きそうで、それを隠そうと笑っていた。レイはその表情を見て、胸がちくりと痛む。罪悪感から逃れるようにナリンザに背を向けて横になった。
あれほど眠れなかった体は、あっという間に眠りへと誘われたのが救いだった。
「レイ殿、レイ殿。起きてください」
びくり、と。レイの体が震えた。耳元で囁かれ、吐息が耳を擽ったせいで背筋を伸ばして起き上がった。
「ど、どうかしたんですか。敵襲ですか」
寝ぼけた頭が急速に回復する中、ナリンザはレイに広間の中央を見るようにと説明した。レイが目をこすりながら、中央を見ると、そこには眠る前まで無かった小山が鎮座していた。
いや、正確には小山では無い。
小山と間違うほど大きなモンスターが広間の中央を横切ろうとしていたのだ。岩陰に隠れているレイたちに気づいている様子はない。
にちゃにちゃとモンスターが進むたびに粘ついた音がする。暗闇で浮かぶシルエットは、綺麗な曲線だ。間違いない、ハッキリとは見えないが、スライム系のモンスターだとレイは確信していた。
「あのスライムがどうかしたんですか」
「実は、スライムの上の方をご覧ください」
ナリンザの指さす方へと視線を動かすと、レイは驚きの声を上げそうになる。暗いシルエットではあるが、スライムの上の方に何やら突き出たものが見えたのだ。それはどこか、人間の足のようにも見える。
「人ですか……でも、どうして深層に人が居るんですか」
レイの疑問にナリンザは推測で返す。
「おそらくですが、私達と同様に転移魔法陣で落ちて来たのではないでしょうか」
「だとしても、一体誰なんですか。僕らよりも前に迷宮に来ていたのは」
「自警団の誰かしら、という事になるのでしょうか。もしくは、アマツマラから派遣された人員が予定より早く到着し迷宮に潜ったものの、転移魔法陣に引っ掛かりここまで飛ばされたとか」
ナリンザ自身、希望的観測だと分かっているのか、語尾が曖昧になる。いまの正確な時刻は不明だが、探索に費やした時間などを考慮すれば、早くても夕方ぐらいだ。はず。半日以上も早くアマツマラから冒険者や兵士たちが来るのか微妙な所。だけど、あり得ないと断じられない。現に人と思しき存在がスライムに捕食されているのだ。
「どうしましょうか。あれを見過ごすか、それとも助けに入るのか」
尋ねられたレイはしばらく悩んでしまう。あれが人だとしたら助けないわけには行かない。
ただし、あれが人の足ならば。
仮に、モンスターの足だとしたら、救出は無駄な行為だ。危険なだけで終わる。そもそも、生きているのかどうかすら不明なのだ。
悩むレイは絞り出すように告げた。
「生きているなら助けましょう。……あれが、自警団の人では無く、本当にアマツマラから送られてきた人なら、上の、地上の情報を持っているかもしれません。それに超級モンスター相手に、あの状態で生き残っているならそれなりの実力を持っているはず。戦力になります」
レイは一度言葉を区切ると、先程まで自分が寝ていた場所を指した。
「幸い、セーブポイント……死に戻りの地点がココに変更されました。何度か試してダメそうなら、あの人には悪いけど諦める事にします。……付き合ってもらっていいですか」
「構いませんとも」
力強く告げたナリンザはレイにとって頼もしかった。そして、レイたちは暗がりにシルエットしか浮かばないスライムへと近づき始めた。
読んで下さって、ありがとうございます。




