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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第4章 エルフの隠れ里
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4-17 朝靄の来訪者 『前編』

 レイが目を覚ました時、視界には知らない天井が写っていた。寝起きで動きの悪い思考はやや遅れて、ここが何処なのかを思い出す。クライノートの森に点在する、木こりたちの村の一つ。モンスターが荒らした家屋を綺麗に整えて、一泊の宿として借りたのだ。


 三人家族なのか、ベッドは三つしかなかったが、レイとリザとシアラの三人で二つを使いまわした。体調の悪いエトネや攻撃向きでは無いレティに見張り役は任せられない。この三人が交代で起きていた。


 むくり、と。上体を起き上がらせて、室内を見渡せば、日本では見慣れない中世ヨーロッパ風の家具や家の作りが飛び込んでくる。横に並べられたベッドにはシアラが。その向こう側にはエトネが穏やかな寝息を立てていた。


 レティとリザの姿は無かった。朝食でも支度しているのだろうとレイは予想した。ベッドを降りると、片方が自分からレイに声をかけた。


「おはようございます。ご主人様。よく眠れましたか?」


 リザは台所から顔を出した。昨晩の見張りは最後がリザだった。日が昇り始めた頃から見張りをしていたので、表情にまどろんでいる様子は無かった。


 身に着けているエプロンはこの家の物を借りている。勝手に不法侵入し、勝手に台所を使っているので詫び賃は置いていくつもりだ。それで『窃盗』の認定を免れるかどうかレイには分からないが、審判官の心証をよくできるはずとリザは言う。


「うん。そっちこそ、朝からお疲れ様。朝飯の支度? 手伝うよ」


「ありがとうございます。……それでは、鍋の様子を見ていてください」


 頼まれたレイは鍋の前に立ち、煮込まれている具材に視線を落とす。しかし、すぐさま、視線を横にずらした。


 視られている事にも気づかず、リザは鼻歌まじりに朝食の準備を進める。レイたちの方針は一昨日決めた通り、クライノートの森を抜けて、アマツマラに戻るつもりだ。少なくとも、リザはその方針に不満を抱いていない。不満を抱いていたのはレティだった。彼女は食事中も、そして寝る寸前までエトネに森を出ないかと誘っていた。だけど、エトネの方は首を縦に振る事は無かった。


 ふと、そういえば。と呟いた。


「そういえば。レティはどこに行ったの?」


「レティには井戸まで水を汲みに行ってもらいました。もうじき帰ってくると思うのですが……」


 リザはちらり、と窓の方を振り返った。


 ―――その時だった。


 朝靄が薄らとかかる、静寂な村に、地響きのような音が広がったのは。






 レティは井戸から水を汲んでいた。彼女の背丈からすると少々背の高い井戸に対して、背伸びをしつつ、釣瓶式の滑車を回す。井戸が高めに設計されているのは、子供が誤って転倒しないようにするためなのだろうが、今は聊か不便だった。


 必死にロープを引っ張って、やっと桶が水を運んできた時。


 どしん、と。地響きが一つ起きた。レティは驚いて、ロープを手放してしまった。井戸の底で桶が水に飛び込んだ音がするが、それどころでは無かった。


 用心の為にとベルトに挟んでおいた杖を抜くと、周囲に向けてナイフのように振り回した。しかし、付近に怪しい動きをするものは居なかった。胸をなで下ろすと同時に先程の異音について思考を巡らそうとして、彼女の翠の瞳は捉えた。


 村の北側から、朝靄を掻き分けてモンスターが一体、姿を見せたのを。


 人の背丈を優に超す体格。灼熱の鋼の様な色合いの皮膚。四肢には毛皮が巻き付き、羊の頭部が荒い息を吐く。手にした、金棒の石突きが地面を打つ度に、地響きが起きた。


 モンスターの名前はレッサーデーモン。かつてアマツマラの迷宮にてレイが単身挑み、幾度も敗北を喫した超級モンスターだった。


 もっとも、レティはその事を知らず、レッサーデーモンという名前も知らなかった。ただ、一目見て自分がアレの前に立った瞬間、即死する事だけが分かった。


 距離は離れているのに、濃厚な死の気配が少女の首筋を撫でた。


 レッサーデーモンの黄ばんだ瞳が村の様子を観察しようと横に滑る。咄嗟にレティは井戸の影に隠れた。この時ばかりは大きめに設計された井戸に感謝する。少女の体をすっぽりと隠していた。


 鼻息荒く、レッサーデーモンは村の中を練り歩く。時折、建物の中を覗きこむ。一般的な大きさの家屋はレッサーデーモンにとって狭く、そのためモンスターは金棒を振るって出入り口を広くしてから中に入ってく。


 レティは井戸の影からレッサーデーモンの動きを観察していた。モンスターは家屋に入るなり、すぐに出てきて、次の家屋の入り口を壊して侵入。そしてすぐさま出るという行動を繰り返していた。


 目的は不明だったが、このままいけばレイたちが泊まっている家に着いてしまう。もうすでに三件隣の家からレッサーデーモンは出てきていた。あと数分もしないでレイたちの居る家の番だ。


 厄介な事にレイたちの位置からではレッサーデーモンの姿は見えない。井戸の影から顔を出しているレティには家の様子が多少なりと分かるのだが、直ぐに出てくる気配はない。


(どうしよう! お姉ちゃんたちに知らせに行けば、あたしが此処にいる事がばれるし。かといってあのモンスターの意識を他所に移すなんて方法は思いつかないよ)


 焦るレティに対して、レッサーデーモンは無情にも間の二軒を調べ終え、遂にレイたちがいる家に辿りついた。家の入り口を吹き飛ばして入る姿にレティは声にならない悲鳴を漏らす。


 しかし、予想に反してレッサーデーモンは直ぐに出てきた。今までの家と同じように、中の様子を確認してあっさりと引き返したのだ。


 レイたちとレッサーデーモンは出くわさなかったのだ。


(よかった……けど、なんで?)


 主たちの無事に喜ぶあまり、レティは弛緩したかのように動きを止めてしまった。―――それが命取りとなる。


 家の様子を伺える位置に居るという事は、家の中からもレティの姿が見える。


 レッサーデーモンの鋭い瞳が井戸の影でへたり込んでいるレティを捉えた。


「メェェェェ!!」


 自らを鼓舞するかのような咆哮に、レティはびくりと体を震わした。同時に自分の失敗を悟った。彼女がすべきだったのはまず、自分の身の安全を確保する事だった。


 レッサーデーモンは哀れな獲物に向けて歩き出した。速度は緩慢で、金棒を引きずっている。それなのに、レティは動くことが出来なかった。技能スキルや魔法の効果では無い。圧倒的な死への恐怖が彼女を縛っていた。


 現実逃避の一環として一瞬、家の中に居なかったレイたちの事を思ってしまった。彼らは恐らく、外の異音に対して直ぐに行動したのだろう。窓か、もしくは裏口か。とにかく家の中を脱出したのだ。


 自分を置いて・・・・・・


 自分は見捨てられた・・・・・・・・・


 黒い思考が増殖して、死への恐怖を倍増させる。理性はあり得ないと訴えかけるが、恐怖で縛られた心は理性を受け入れることが出来ない。足はすくみ、指は震え杖を取りこぼした。


 ゆっくりと。だが確実に死が迫って来るのを前に、レティは諦めてしまった。


 かつて、誘拐された時も、赤龍に挑んだ時も、自分の前に背中があった。自分と同じ、弱い人間のはずなのに、困難に立ち向かった少年の背中があった。だから、レティも立ち向かえた。


 その背中が無いだけで、レティは臆病な少女となってしまう。


 すると、レティまであと数歩の距離まで歩を進めていたレッサーデーモンが突然止まった。何かを察知したかのように体を強張らせると、手にした金棒を後ろへと振り回した。


 がきん、と。固い金属が噛みあう音がレティの耳に飛び込んできた。


 いつのまにか、空中に姿を現したレイがレッサーデーモンの羊頭に向けてファルシオンを振り下ろしていたのだ。奇襲を受け止められたレイは苦い顔をしつつ、剣に力を込める。


 だが。


「うぉっと!!」


 わずらわしげに表情をゆがめたレッサーデーモンは力任せに金棒を振るう。するとレイの体が大きく振り回されて、井戸の屋根へと吹き飛ばされた。まるで砲弾のように飛ばされたレイは屋根の上に激突した。


 鎧などを身に着けていない少年は、脇腹に手を当てたまま屋根の上でバランスをとった。


「ご主人さま。……逃げたんじゃないの」


 言ってから、レティは耳まで赤面した。自分が場違いな事を告げたと恥ずかしい思いを抱く。怪我の具合を聞くのでもなく、作戦を聞くのでもなく、最初に出たのが恨み節というのが恥ずかしかった。


 しかし。レイは呆れた顔をしながら断言する。


「はぁ? 僕が君らを見捨てて逃げる何てことすると思ってんの? 一度仲間になったからには、最後まで面倒を見るよ」


 それはレティに向けての言葉だったのか。昨晩のリザに向けての言葉だったのか。口にした本人にも分からなかった。ともかく、本心から出た言葉だったのは間違いない。


「……あっはー。そうだよね。それでこそ、幼女に優しいご主人さまだよね」


「聞いた人が誤解を招くような言い方しないでくれるかな!?」


「相手はモンスターしかいないもん。平気だよ」


 レイは嘆息しながら屋根から降りて、レティの前に立つ。自然と、レティの胸中に灯が宿った。それは紛れも無く、困難に立ち向かう勇気だった。


 レッサーデーモンはレイに意識を向けながらも、背後の方を伺っている。続けての奇襲を警戒した動きだった。


 今のうちにと思い、レティはレイに囁く。


「それで作戦は?」


「逃げる……って言いたいけど、それは無理そうだ。本来なら、隠れている君を自由にするために僕が囮をして、その隙にリザ達が君と合流。僕が適当な所でレッサーデーモンを引き剥がして、逃げるつもりだったけど……難しいからな」


 レイの脳裏にアマツマラの迷宮での戦いが走馬灯のように流れた。モンスターとは思えない程卓越した技量に、眼にもとまらない程の瞬発力を兼ね備えた怪物。それがレイから見たレッサーデーモンというモンスターだ。


 距離がある程度開いている状況なら、引きつけてから撒くことも可能かもしれない。でも、今は手を伸ばせば触れられる距離。ここまで接近していると逃げ切る自信は無かった。


 懸念すべきはレティたちの死だ。いくら《トライ&エラー》で戻れるからといって、彼女らの死を容認するつもりはレイには無い。今回も確実に戻って来られるという保証は存在しない。もしかしたら、レティがイタミに屈するかもしれない。


 だとしたら、やるべきことは一つ。


「逃げられないなら、倒すしかないだろ」


 レイは手にしたファルシオンを固く握りしめた。






「あの馬鹿。やり合うのを選択したわよ!」


「レティは動けないのでしょうか?」


「ここからじゃ、詳しくわかんないわよ!」


 リザとシアラは勝手に使わせてもらった家屋の影からレイたちの様子を伺っていた。彼女らは、異音がした瞬間に、すぐさま脱出した。バックパックと武器だけを持って、裏口から外へと飛び出した。


 あとはレイがレティに説明したように、レイに気を取られている間に彼女たちは村を出る予定だった。レイの持つ技能スキルなら距離をとった上で自分に意識を向ける事が可能だからこその作戦だった。


 しかし、三人の見ている前でレイはレッサーデーモンの金棒と打ち合う。人を容易く死に追いやる一振りを、ファルシオンでどうにか凌いでいた。一歩も引かない姿はまさに鉄壁。エトネは驚愕した。自分と戦った時と違い、堂々としたレイの戦いぶりに。


 だが、実際の所、動くに動けないのだとリザは推測していた。それは事実正しい。背後に居るレティが動けないでいるのに加えて、暴風のような攻撃を前にしてレイは足に力を入れないと吹き飛ばされかねない。翻って、動き回れる状況では無かった。


「……どうする?」


 エトネが難しい顔で悩むリザに向けて尋ねた。彼女は一度嘆息すると、シアラの方を向いた。晴れた青空のような瞳には揺るぎない覚悟が宿っていた。


(止まれって言っても、止まるような女じゃないわよね。この娘も)


 困った様にシアラは頭を掻いて告げた。


「行くのはいいけど。ワタシもアンタもあの超級モンスターを倒し切れる技が無いわよ。その辺りどうする気? まさか、消耗戦を仕掛ける気なら、危険すぎるわよ」


 レイのパーティーで一撃の威力が一番高いのはシアラの《アイスエイジ》。しかし、彼女の力量ではレッサーデーモンを数秒間動けなくする程度が関の山。倒すには不十分である。


「分かっています。ですがあの魔法なら氷漬けにすることが出来ますね。あの巨体が動きを止めた瞬間を狙って全員で攻撃します。狙いは足です」


 リザの指し示す方角を三人は見た。巨体を支えるにふさわしい太い両足だ。あれを壊すのは一筋縄ではいかないかもしれない。しかし、他の部位を狙うよりも命中率は高く、片足でも潰せたら戦局は変わる。


「……足を削いで、移動速度を落とすのね。それじゃ詠唱の時間を稼いで頂戴」


 応じたリザはそこでエトネと視線を合わせた。びくり、と少女の細い肩が震えた。


「エトネ様は……戦えそうですか?」


 幼い少女は首を横に振って否定した。リザもある種諦めていたのか。あっさりと応じると、立ち上がる。そして、風の如き速度で戦場へと突撃した。


 シアラは一瞬、エトネに何かを言いたげに口を開いたが、結局何も言わなかった。


 周囲を見渡して、魔法を放つのに最適の場所を探した。それはすぐに見つかった。彼女は近くに積んであった木箱を駆けあがって家屋の屋根の上へと昇った。


「あ、あの」


「おちびは隠れてなさい!」


 その一言に弾かれたようにエトネは家屋の裏手に身を潜める。


 シアラはその姿に人知れず嘆息した。本当ならエトネにも戦ってほしいのが彼女の本心だった。


 これから先、一人で生きるかもしれない同輩・・に言ってやりたい言葉があった。氷から出た時、両親も友も頼るべき相手も居らず、世界中でただ一人と感じたあの恐怖。真っ暗な海に溺れているかのような、逃げ場の無い閉塞感。


 自分はレイたちと出会えたから、その絶望から一歩出られた。だからこそ、エトネにも一歩踏み出してほしいと思うのは傲慢だっただろうか?


(いけないわね。今は戦闘に集中しなくちゃ)


 シアラは自分の頬を叩くと、『宣言』する。


「《器を満たせ》!」


読んで下さって、ありがとうございます。

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