第八話「始まりの社」
門は、想像していたよりも、小さかった。
苔に覆われた木の扉。錠も、鎖もない。ただ、長い年月、誰も触れていなかったことを示す、厚い苔の層だけが、それを「封鎖」していた。
「……これだけ、ですか」
「はい」志波が言った。「鍵は、力ではなく——血で開く、と伝えられています」
キミは、自分の指先を見た。黒い筋——綾の力。
「触れれば、いいのですか」
「恐らく」
キミは、扉に手を伸ばした。
指先が、苔に触れた瞬間——黒い筋が、扉の表面に沿って広がっていった。光る蔦のように、扉全体を、淡い金色の線が走る。
扉が、音もなく、開いた。
中は、思っていたよりも広かった。
石造りの部屋。壁には、古い絵が描かれている。人と、様々な形をした鬼たちが、並んで暮らしている様子。畑を耕す者。子供を背負う者。焚き火を囲んで笑う者——人と鬼の区別が、ほとんどない絵だった。
「これが……」颯が、絵を見上げて言った。「綾様の時代の、暮らし」
部屋の中央には、一つの石碑があった。
志波が、灯りを近づける。石碑には、文字と——名前が、何十も刻まれていた。
「これは……」
「一族の、歴代の灯し手の名前です」雪が、震える声で言った。「姉の名前も——ここに」
雪は、石碑に刻まれた一つの名前に、そっと触れた。
「セ……姉様。——ようやく、ここに来られました」
綾の声が、雪に向けて、静かに語りかけた。
「雪。——あなたのお姉さんは、最後まで、自分の務めを大切にしていた。その想いは、この石碑に、確かに刻まれている」
「綾様……」
「でも、もう——新しい名前を、刻む必要はない」
石碑の奥に、もう一つ——小さな祭壇があった。
その上に、古い布に包まれた、何かが置かれている。
「これは……」
志波が、布を開いた。
中から出てきたのは——小さな、鈴だった。古びた、しかし美しい細工の施された鈴。
「これが——?」
「綾の、形見」綾の声が言った。「私が、巫女として持っていたもの。——その鈴の音は、鬼にも、人にも、届く」
「これで、何を」
「七体の鬼たちに、この音を聞かせてあげて。——彼らは、長い間、人の声を聞いていなかった。鈴の音は、私の声と、同じ意味を持つから」
キミは、その鈴を、そっと手に取った。
驚くほど、軽かった。
「綾様。——一つ、聞いてもいいですか」
「何?」
「あなたは——もう、長い間、私の中にいました。——封じが解かれたら、あなたは、どうなるのですか」
綾の声が、一瞬、止まった。
「……それは」
「教えてください」
「私は——もう、長く生きすぎた。——本来なら、とっくに、終わっているはずの命」
キミは、その言葉の意味を、すぐには受け止められなかった。
「終わる、というのは——」
「封じが解かれれば、私の役目も、終わる。——私は、ようやく、休むことができる」
「……それは、いなくなる、ということですか」
「キミ。——あなたの中から、私が、消える。——でも、それは、悲しいことじゃない」
綾の声は、優しかった。
「私は、ずっと、誰かと一緒にいたかった。——あなたと一緒にいた時間は、私にとって、本当に——大切なものだった」
キミの目から、涙が、こぼれた。
「……まだ、聞きたいことが、たくさんあります」
「うん。——少し、時間はある。最後の灯りが消えるまで、まだ三つ」
「私、まだ——あなたのことを、何も」
「これから、教えてあげる。——七体の鬼たちと一緒に、ここで暮らした日々のこと。——綾の名前を継いだ、あなたに」
社の外で、月の光が、苔むした門の上に、静かに降りていた。
颯が、キミの隣に立った。
「キミ様。——大丈夫ですか」
「……颯。私、もう一度、社の鬼たちに会いに行きたい」
「分かりました。——一緒に行きます」
キミは、鈴を、しっかりと握った。
まだ、終わりではない。むしろ——ここから、本当の始まりだった。




