第七話「始まりの社」
志波が、地面に膝をついたまま、呟いた。
「始まりの巫女様……。それでは——一族が、最初に守るべきだったものは」
「鬼を封じることでは、なかった……?」
キミは、自分の中の声——綾の声に、問いかけた。
「綾様。教えてください。——本当は、何が起きたのですか」
綾の声が、静かに語り始めた。
「私が生きていた時代、この地には——人と鬼が、共に暮らしていた。争いも、あったけれど、それ以上に、助け合うことの方が多かった」
「それが、変わったのは」
「ある年、大きな疫病が流行った。——人々は、原因を、鬼に求めた。鬼が、人の魂を喰らうから、災いが起きるのだと」
「それは——本当だったのですか」
「違う。——でも、恐れた人々は、鬼を封じることを選んだ。私は、それを止めようとした。けれど、止められなかった」
綾の声に、深い悲しみがにじんだ。
「七体の鬼が、次々と、封じられていった。——私は、最後まで残った一体と一緒に、自分から、封じの中に入った」
「自分から……」
「彼らを、一人にしたくなかった。——それに、いつか、人々が間違いに気づいたとき、その時に、もう一度、彼らと話せる誰かが、必要だと思った」
「それが——巫女の血筋、ということですか」
「そう。——私は、自分の意識の一部を、子孫に分けて、託した。代々、巫女として生まれる者の中に、私の願いも、一緒に」
志波が、ゆっくりと顔を上げた。
「……では、私たち一族が、何百年も守ってきた『封じ』は——」
「間違い、というわけじゃない。——でも、もう、終わらせる時が来たんだと思う」
綾の声は、優しかった。
「灯りが消えるたびに、灯し手だった人たちの命が——尽きていく。それを、これ以上、続けたくない」
雪が、涙を流しながら言った。
「綾様……。姉は——」
「分かってる。雪。——あなたのお姉さんは、最後まで、自分の役目を、誠実に果たした。それは、誇るべきことよ」
雪は、何度も頷いた。
「でも、もう——次の世代に、同じことを、繰り出さなくていい」
社の奥の四体の鬼が、再び、ゆっくりと動いた。今度は、攻撃の構えではなく——どこか、安堵したような気配だった。
「キミ様」
颯が、静かに言った。
「綾様の言葉が、本当なら——封じを解くことは、村が消えたような、破壊を意味しないのかもしれません」
「……でも、確証はない」
「はい。——でも、綾様自身が、ずっとキミ様の中で、見守ってきました。もし、危険なことを望んでいるなら、もっと早くに、何か起きていたはずです」
キミは、自分の指先を見た。黒い筋は、もう、肘の近くまで達していた。
でも——怖さは、もう、感じなかった。
志波は、しばらく目を閉じていた。それから、武装した男たちに向かって言った。
「——構えを、解け」
「志波様!」
「綾様の名は、一族の祖として、最も尊い名だ。——その綾様が語ったことを、私たちが疑うことは、許されない」
男たちは、戸惑いながらも、武器を下げた。
志波は、キミに向き直り、深く頭を下げた。
「キミ様。——長年、巫女様方に、辛い役目を負わせてきました。——申し訳ございませんでした」
「志波……」
「これから、どうすればよいか。——綾様、お教えいただけますか」
綾の声が、答えた。
「七体の鬼たちを、すべて、封じから解いてあげて。——でも、急にじゃない。少しずつ、人々が、彼らの姿に慣れる時間が必要」
「具体的には」
「まず——一族の、最も奥にある『始まりの社』に、皆を案内して。そこに、私が、最初に鬼たちと暮らしていた頃の記録が、残っているはず」
志波は、頷いた。
「『始まりの社』は——里の最深部、長らく封鎖されている場所です」
「鍵は、ある」
綾の声が、少し笑うように響いた。
「鍵は——キミの、その黒い筋。——私の力そのものが、鍵になっている」
その夜、一族は、長らく封鎖されていた「始まりの社」へ向かうことを決めた。
四体の鬼たちは、社の奥の暗がりに留まり、キミたちが戻るのを、静かに待つことになった。
道を歩きながら、颯が、キミに言った。
「キミ様。——今のキミ様は、初めて会った時と、全然違って見えます」
「……そうですか?」
「はい。——御簾の向こうにいた頃は、声しか聞こえなくて。今は」
颯は、少し言葉を探した。
「ちゃんと、ここにいる、という感じがします」
キミは、初めて——自分が、笑っていることに気づいた。
「……ありがとう、颯」
二人の後ろを、雪と志波が、静かに歩いていく。
里の奥、長く閉ざされていた門の前に——一同が、辿り着いた。




