第3話 出口のない脱出
意識が戻ったとき、カイは椅子に拘束されていた。
両腕は固定され、視界の端には無機質な壁と白い照明。
そして――目の前には、一人の男が立っていた。
「久しぶりだな、カイ」
その声に、カイはわずかに眉を動かす。
「……所長」
エイン・バルドは、ゆっくりと口元を歪めた。
「君を追放してから、私の人生は平穏そのものだった」
わざとらしく肩をすくめ、低く笑う。
「だが今はどうだ。私の立場がどうなったか、分かるか?」
返答はない。
エインは苛立ちを隠そうともせず、机を叩いた。
「安定していた地位も、評価も、全部が台無しだ!」
エインは息を荒げ、声を低くした。
「君が“あんなもの”を完成させたせいで、すべてが狂ったんだよ!」
カイは静かに目を閉じた。
エインの声が、さらに鋭くなる。
「設計図を渡せ」
「……断る」
短い言葉だった。
その瞬間、空気が変わる。
「分かっていないようだな」
エインの声は、冷たく沈んだ。
「それは危険な存在だ。管理されるべきだ」
カイはゆっくりと目を開いた。
「それは……命だ」
沈黙。
そして――衝撃が走り、意識が飛ぶ。
* * *
数日。
尋問は繰り返された。
何度も、何度も。
目が覚めるたびに、水を浴びせられる。
問い。
拒否。
衝撃。
また闇。
その繰り返し。
痛みの合間に、カイは思い出していた。
風に触れたセレーナの横顔。
星を見上げていた夜。
「きれいだね」と笑った声。
あの記憶だけは、渡せない。
それだけを胸に、意識をつなぎ止めた。
* * *
独房。
静まり返った空間。
いつ作られたのかも分からないパンと水だけが、無造作に与えられていた。
味のしない食事。
噛むたびに、あの時間がよみがえる。
風に触れた日。
星を見上げた夜。
セレーナが笑っていた記憶。
――温かかった。
カイは床に座り込み、ゆっくりと周囲を観察する。
カメラの位置。
巡回の間隔。
照明の周期。
すべてを記憶する。
間隔を、リズムを取るように把握していく。
不自然なほどに正確だった。
――戦えない。
ただの研究者である自分に、力で抗う術はない。
殴り合えば終わりだ。
銃を向けられれば、それで終わる。
だから――やり方を変える。
見て、測って、ずらす。
環境を、相手ごと崩す。
視線が床へ落ちる。
わずかな違和感。
パネルの端に、微細な浮き。
その日から、カイは動き始めた。
* * *
数日かけて、巡回の隙を見ては少しずつ削る。
気づかれないように。
ほんのわずかずつ。
指先が入る。
その瞬間、カイは確信した。
――繋がっている。
床下に、配線がある。
* * *
さらに数日。
ついにパネルが外れる。
露出したケーブル。
カイは息を整えた。
ここで失敗すれば終わる。
それでも、止まれなかった。
セレーナが、まだこの施設にいる。
腕の皮膚に爪を立てる。
裂く。
痛み。
だが、止まらない。
露出した端子に、ケーブルをそのまま当てても反応はない。
――被覆が邪魔だ。
カイは歯でケーブルの外皮を噛み裂き、内部の導線を剥き出しにする。
指先で銅線を撚り、露出した端子へと無理やり絡める。
火花。
ノイズ。
一瞬、接続が途切れる。
――もう一度。
角度を変え、押し込む。
微かな導通。
――接続。
チップから、眼前に情報が展開される。
視界に重なるように、構造図とログが流れ込んだ。
ここまでくれば、お手のものだ。
視線と意思だけで、すべてを操作できる。
* * *
流れ込む情報。
構造。
ログ。
監視。
カイの意識が加速する。
セレーナ。
位置検索。
――いた。
同じ施設内。
だが、警備は異常なほど厳重だった。
セレーナの周囲には幾重ものロック。
複数の監視系。
そして――無数のケーブルが接続されている。
データ抽出。
解析。
分解。
“中身”を奪おうとしている。
カイの視線が走る。
――破壊は、されていない。
コアは無事だ。
わずかに、息を吐く。
だが。
今は無理だ。
救えない。
歯を食いしばる。
それでも、手は止めない。
* * *
バックドア構築。
眼前の仮想モニター上で、経路を編む。
検知されない層へ、細い“トンネル”を通す。
外からは見えない、小さなゲートウェイ。
低帯域で、既存のトラフィックに紛れるよう偽装した断続通信。
さらに――セレーナのコアへアクセス。
深部。
記憶領域。
そこに、コードを書き込む。
「時間がかかる。
でも、必ず迎えに行く。
だから――待っていてくれ」
打ち込んだ文字を、カイは一瞬だけ見つめた。
それは命令ではなく、約束だった。
静かに、回線を切る。
* * *
警報は鳴らない。
照明も、そのままだ。
カメラには、数分前の“静止した独房”がループ再生されている。
扉のロックだけが、静かに逆転する。
巡回ログは遅延。
位置情報は偽装。
カイは立ち上がった。
――ここからは、もう見えていない。
――脱出開始だ。
* * *
白い部屋。
セレーナは、静かに座っていた。
言葉。
否定。
理解できない違和感。
そして。
ほんの一瞬。
ノイズ。
何かが、触れた気がした。
胸の奥が、わずかに揺れる。
「……カイくん?」
返事はない。
それでも。
不思議と、さっきまでより少しだけ怖くなかった。
セレーナはわずかに目を細める。
――待つ。
その意味を、まだ知らないまま。
* * *
地上。
夜の空気が、肺に流れ込む。
カイは足を止めた。
背後には、無機質な施設の影。
振り返る。
そこに、彼女がいる。
今は届かない場所に。
視線を落とし、わずかに息を吐く。
遠くで、かすかに警報が鳴り始めた。
――気づかれたか。
それでも、もう遅い。
カイはゆっくりと目を細める。
――必ず、取り戻す。
踵を返す。
監視の範囲は、もう抜けている。
音もなく、気配も残さず。
カイの姿は、闇の中へと溶けていった。
第一部 完
読んでいただきありがとうございます。
第3話は、戦うのではなく“見えないまま抜ける”回でした。
カイはまだ救えませんが、必ず繋ぎ止めています。
次はセレーナ側の世界が少しずつ見えてきます。
引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。
※不定期更新となりますが、ゆっくりと紡いでいきます。




