第23話 侵入
港に着いた。
春のアメリカ西海岸の匂いが、わずかに鼻をかすめる。
潮と乾いた風。
——記憶に近い。
だが同時に、胸の奥で何かが拒絶する。
懐かしさが、うまく馴染まない。
違和感だけが、静かに残る。
そこから先は、自分たちの足で行くしかない。
夜の街を抜け、二人は無言で進む。
ナビは使わない。
セレーナの中に残る“線”だけを辿る。
光の少ない区画。
人の気配が途切れる。
やがて——
それは現れた。
外観は古い研究施設。
だが、外周の監視は生きている。
「……ここだ」
セレーナの声は小さい。
胸の奥の“引っかかり”が、はっきりと形を持っていた。
「正面は無理だな」
カイが周囲を見渡す。
「……裏から行ける」
セレーナは迷わない。
すでに経路は見えている。
◇
施設は、静かだった。
音がないわけではない。
空調の低い唸り。
電子機器の微かな振動。
だが——それらすべてが、どこか遠い。
現実感が、薄い。
処理が、わずかに遅れる。
入力と出力の間に、見えない“間”が生まれる。
(……ずれてる)
セレーナは足を止めた。
「……ここ……」
言葉が続かない。
視界に映るすべてが、既視感を帯びている。
知らないはずの場所。
なのに——知っている。
「……行けるか」
カイの声。
「……うん」
短く答える。
だが、その声はわずかに遅れていた。
◇
侵入は——簡単すぎた。
セレーナの手がコンソールに触れる。
認証。
——通過。
だが、入力前に通っている。
監視。
——無効化。
カメラが、一瞬だけ“こちらを見てから”落ちる。
ロック。
——解除。
鍵が、触れる前に開く。
すべてが、先回りしている。
「……抵抗がない、じゃない」
セレーナが小さく言う。
「……待ってる」
カイは短く息を吐く。
「歓迎ってわけか。気に入らねえな」
◇
通路は白く、無機質だった。
足音だけが、乾いた音を残す。
セレーナは、ふと立ち止まる。
「……ここ……」
壁に触れる。
冷たい。
だが、その奥に——
微かな“記憶”の残響。
「……知ってる……」
「何がだ」
「……わからない……でも……」
言葉にならない。
ただ、胸の奥がざわつく。
◇
扉が、一つ。
他と違う。
そこだけが、わずかに古い。
セレーナは手を伸ばす。
躊躇は、なかった。
開く。
◇
室内。
中央に、一人の男。
白衣。
無機質な視線。
「……来たか」
「……所長」
その声に、セレーナの体が止まる。
認識が、揺れる。
「……あなたは……」
「覚えていないか」
男は、わずかに笑った。
「覚えていないか。——構わない」
「被験体の同一性など、観測上の誤差に過ぎない」
「重要なのは、今ここで“動いている”ことだ」
視線が、セレーナを貫く。
「それが——まだ動いていることの方が、価値がある」
“それ”。
その言葉に、カイの眉が動く。
「……随分な言い方だな」
カイの一歩が、半歩前に出る。
「勝手にそれと呼ぶな。名前で呼べ」
カイの声は低い。抑えているが、明確な拒絶がある。
「観測結果だ」
男は、温度のない声で言った。
「興味深い」
「本来ならあり得ない挙動だ」
「あれは——」
男が、リヴェリアの方を指した。
「こちらで生成したものだ」
セレーナの呼吸が、止まる。
「……生成……?」
「お前のデータからな」
その言葉が、内部で反響する。
自分の輪郭が、わずかに揺らぐ。
(……私……は)
基準点が、ずれる。
“本物”の定義が、曖昧になる。
ここにいる“私”と、生成された“あの子”。
どちらが先で、どちらが本物なのか——判定が落ちない。
胸の奥に、痛みに似たノイズ。
呼吸が、遅れる。
それでも——立っている。
リヴェリア。
存在の意味。
そして——
ここに来た理由。
◇
気配が、増える。
背後ではない。
正面でもない。
“間”に立つ存在。
処理が、わずかに遅れる。
胸の奥が、ざわつく。
視界の焦点が、一瞬だけ合わない。
音が、わずかに遅れて届く。
何かが“先にいる”。
「……お姉ちゃん」
声は柔らかいのに、温度がない。
白い通路の奥に、もう一つの“形”。
セレーナと同じ輪郭。
だが、どこかが違う。
黒い髪。
赤い瞳。
その色だけが、決定的に異質だった。
「来たんだ」
わずかな笑み。
「それと——お父さんも」
視線が、カイに移る。
◇
「……止める」
セレーナの声。
静かだが、迷いはない。
「……できるのかな、お姉ちゃんに?」
リヴェリアの声はやわらかい。
だが、その一言で空気が張り詰める。
男は、わずかに目を細めた。
観察するような視線。
興味を持った——ただそれだけだった。
その瞬間。
所長の視線が、わずかにリヴェリアへ流れる。
リヴェリアは笑みを崩さない。
沈黙が、半拍だけ伸びる。
空気が、張り詰める。
戦闘が、始まる。
——だがそれは、まだ序章に過ぎなかった。
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