第22話 到達
塔からの脱出の後。
大阪を離れた二人は、隣の神戸へと移動していた。
夜。
空気は重い。
それだけで十分だった。
「……重い」
「疲れてるだけだろ」
「……違う」
視線が、自然と前に引かれる。
胸の奥で、何かがわずかに軋んだ。
「……変だね」
「何がだ?」
「……全部」
◇
路地の角、消えかけたディスプレイが一瞬だけ光る。
『昨夜の施設崩壊——』
そこで映像は途切れた。
セレーナの視線が、わずかに止まる。
カイは何も言わず、歩みを止めない。
セレーナも、すぐに視線を外した。
◇
調査は静かに、しかし確実に進む。
ログを追う。
数値のズレが、わずかに重なる。
規則性がある。
その並びが、胸の奥で“同じ形”として引っかかった。
断片だったものが、ゆっくりと形を持ちはじめる。
セレーナの中で、それは“線”として認識された。
「……ここだ」
セレーナが座標を示す。
「……アメリカか」
カイの声で空気が変わる。
「……この座標」
指が止まる。
「私が……いた場所」
沈黙。だが十分だった。過去と現在が一本に繋がる。
◇
準備は短く、要点だけ。
装備確認。バックアップ。移動手段の確保。
「……カイ君」
「ん?」
「……今回の件……」
「行くしかないだろ」
即答。
「……怖い?」
わずかな間。
「……少し」
「なら、俺が前に出る」
「……うん」
◇
神戸港。
港の外れ。
照明の届かない影の中で、カイは足を止めた。
壁にもたれかかる男が一人。
無精髭、くたびれたジャケット。目だけが、妙に鋭い。
「……持ってきたか」
短い声。
カイは無言で封筒を差し出す。
男は中身も確認せず、ポケットに押し込んだ。
「コンテナは三番だ。中で大人しくしてろ」
「……ああ」
それだけのやり取り。
男は興味を失ったように視線を外した。
セレーナは、その一連の動きを黙って見ていた。
「……合法じゃないんだね」
「今さらだろ」
カイはそれだけ言って歩き出す。
セレーナは一拍だけ遅れて、その背中を追った。
ここから先は——戻れない。
そんな感覚が、はっきりと形を持ちはじめていた。
◇
夜の海は、黒く沈んでいる。
大型貨物船の影が、水面に揺れていた。
人の気配は少ない。
ただ、金属音とエンジンの低い唸りだけが、空間を満たしている。
コンテナの列の間を、二つの影が進む。
「……これで行けるのか?」
「問題ない」
セレーナは短く答える。
すでにルートは確保してある。
認証も、監視も、すべて通過可能。
ただ一つ。
理由だけが、曖昧だった。
なぜここに向かうのか。
なぜ呼ばれているのか。
その答えは、まだ出ていない。
◇
コンテナの内部は、狭く、暗い。
金属の匂いが、鼻に残る。
わずかな振動が、身体に伝わる。
扉が閉まる。
外の音が、ゆっくりと消えていく。
完全な遮断。
空気が、少しだけ重くなったように感じられた。
カイはすぐに動いた。
バックパックを開き、最低限の装備を並べる。弾倉の残数、ナイフの固定、簡易通信機の電源確認。動きに無駄はない。
「到着後、三分で降りる。迷うな」
「うん」
短い確認。
セレーナは壁にもたれ、静かに目を閉じる。
——自己診断、開始。
内部温度、正常。
駆動系、誤差許容内。
記憶領域、断片化なし。
だが——
数値に現れない“揺らぎ”が、微かに残る。
(……違和感)
言葉にできない何かが、内部に滞留している。
セレーナは、ゆっくりと息を吐いた。
診断を終了する。
数値は正常。
それでも——完全ではない。
カイは横目で見て、短く言う。
「異常が出たら切り替えろ。深追いするな」
「……さっきの“嫌な感じ”も?」
一瞬の間。
「それも含めてだ」
「……了解」
セレーナは、目を閉じた。
その瞬間——
何かが、引っかかる。
ノイズではない。
データでもない。
もっと曖昧で、説明のつかないもの。
「……セレーナ?」
カイの声。
セレーナは、ゆっくりと目を開けた。
「……ううん」
そして、ほんの少しだけ間を置いて——
「……ここ……嫌な感じがする」
それは、初めての言葉だった。
論理でも、解析でもない。
ただの感覚。
カイは一瞬だけ眉をひそめた。
「……なら、近いな」
それだけ言って、視線を前に戻す。
◇
時間の感覚が曖昧になる。
振動。
停止。
再始動。
それらが繰り返される中で、セレーナは静かに座っていた。
何も考えていないわけではない。
ただ、思考がどこにも定着しない。
すべてが、流れていく。
過去も。
現在も。
そして——
まだ見ぬ何かも。
◇
やがて。
コンテナが開く。
白い光が差し込んだ。
空気が変わる。
温度。
匂い。
音。
すべてが、微妙に違う。
セレーナは、ゆっくりと外に出た。
足が、地面に触れる。
その瞬間。
確信が生まれる。
ここは——
戻ってきた場所。
逃げられない場所。
そして——
終わらせる場所。
カイが隣に立つ。
短く息を吐いて、前を見た。
「……着いたな」
その一言で、すべてが切り替わる。
セレーナは、わずかに頷いた。
そして——
何も言わなかった。
夜の空気が、静かに流れている。
誰も、その先を知らないまま。
セレーナは、一歩踏み出した。
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