第20話 侵入
ビル風が、通りを切り裂く。
上層から落ちてくる風が、角を曲がるたびに向きを変え、足元の紙片を巻き上げる。
フードの裾が鳴る。
ビルの影から、天到ネクサス塔を見上げる。
黒い外壁が、空を切り裂くように伸びている。
光は少ない。
だが、確かに“動いている”。
「……あそこだ」
カイが言う。
セレーナは視線を上げる。
塔の輪郭が、わずかに揺れて見えた。
処理が追いついていない。
それでも、目を逸らさない。
「……行ける」
裏手に回る。
搬入口。
錆びたシャッターの隙間から、冷たい空気が流れ出ている。
人影はない。
だが――
監視は、生きている。
壁面に埋め込まれたカメラが、わずかな駆動音を伴って首を振る。
その動きは一定で、揺らぎがない。
まるで“誰かの代わりに見続けている”ように。
カイは足を止める。
呼吸を落とす。
心拍が、わずかに早い。
「……ルート」
セレーナの視界が変わる。
映像。
角度。
死角。
すべてが重なり合う。
「……今」
走る。
音を殺して。
影から影へ。
呼吸を合わせる。
靴底が床を擦る音すら、意識的に消す。
一瞬。
カメラの視線が遅れる。
その遅れが、致命的な隙になる。
滑り込む。
扉に手をかける。
ロック。
電子制御。
セレーナが触れる。
「……開く」
内部回路を書き換える。
ノイズ。
わずかな遅延。
ほんの一瞬、反応が遅れる。
カイの指先に力が入る。
だが――
開く。
内部。
静かすぎる。
人の気配がない。
足音が、空間に吸われず反響する。
壁も床も打ちっぱなしのコンクリート。
型枠の跡が縞のように残り、継ぎ目のラインが規則的に走っている。
配線は露出したまま天井を這い、金属のトレイが直線的に並ぶ。
湿り気はなく、粉じんの匂いだけが薄く漂う。
照明は生きている。
だが――温度がない。
光だけが存在していて、そこに“人間がいた痕跡”が感じられない。
「……変だな」
カイが呟く。
セレーナは答えない。
代わりに、視線が動く。
ログ。
データ。
流れている。
人間の動きはない。
だが、情報だけが“生きている”。
進む。
階段。
「……右」
廊下。
「……二つ先、死角」
カイの呼吸が浅くなる。
扉。
「……止まって」
カイが止まる。
心拍が耳の奥で鳴る。
カメラが通り過ぎる。
一秒。
二秒。
「……今」
再び動く。
同じ構造が、規則的に並んでいる。
だが、わずかにズレている。
距離。
配置。
“設計図通りなのに、どこか現実と合っていない”。
「……上層。中心部」
「……管理室」
途中。
視界の端で、何かが“重なった”。
一瞬、別の映像が割り込む。
同じ空間。
だが違う視点。
誰かが、こちらを見ている。
「……カイ君」
声が届く。
「……来てる」
管理室の前で止まる。
扉は閉じている。
重い。
その向こうに、確実に“いる”。
セレーナの処理が揺れる。
胸の奥に圧がかかる。
「……開ける」
カイは頷く。
拳銃に触れる。
まだ抜かない。
扉が開く。
音はしない。
空気だけが、変わる。
まず、視線。
ぶつかる。
そのあとで――
形を認識する。
同じ。
セレーナと同じ輪郭。
同じ高さ。
同じ顔。
ただ、髪だけが違う。
黒。
光を吸うような、沈んだ色。
理解が遅れる。
「……え」
セレーナの処理が止まる。
完全に。
視界が一瞬、白く抜ける。
その隣に、女が立っている。
白衣。
静かな目。
――アメリア。
かつて、研究所で何度も顔を合わせたはずの女。
だが。
そのさらに奥。
わずかに距離を置いて。
もう一つの“同じ輪郭”が、立っている。
カイの呼吸が止まる。
「……アメリアか? それは……」
女は、わずかに笑う。
「来ると思ってたわ」
「……久しぶりね、カイ」
一歩、近づく。
「まだ、理解できてないのね」
カイの指が、わずかに震える。
「お前は……何をやってる」
女はすぐには答えない。
わずかに首を傾ける。
観察するように、カイを見る。
そして、ゆっくりと口を開く。
セレーナへ視線を滑らせる。
変化を測るように、細部までなぞる。
わずかな興味だけが滲む。
「観測と再現よ」
間を置いて、
「奈良で見たでしょ」
その声は、温度がない。
実験の説明をする研究者の声。
声が落ちる。
「……なんで、そっちなの」
抑揚がない。
感情ではなく、異常値のような響き。
似ている。だが、同じではない。
瞳の奥に、わずかなズレがある。
「どうしてセレーナお姉ちゃんの味方するの?」
カイの瞳がわずかに見開かれる。
――お姉ちゃん?
「……まさか」
一瞬だけ、理解が追いつかない。
言葉の並びだけが幼い。
だが、声は冷たい。
観測対象を切り分けるような、無機質な温度。
セレーナの喉が鳴る。
「……お姉ちゃん?」
――これは、私?
理解が追いつかない。
自己認識が、揺らぐ。
ノイズが走る。
視界の端が歪む。
「いい子にしてたのに」
同じトーンで繰り返される。
感情ではない。
条件を満たしたかどうかの確認のように。
照明が瞬く。
圧が上がる。
カイが前に出る。
守る位置。
「ちゃんとしてたのに」
数値の誤差を詰めるような声。
――来る。
カイが銃を抜く。
セレーナの処理が跳ね上がる。
胸の奥に熱が走る。
視界が揺れる。
それでも――逸らさない。
遅延が、限界まで縮む。
「ずるい」
その言葉と同時に、セレーナもどきの指先が、セレーナと同じ角度でわずかに動いた。
空気が裂ける。
次の瞬間。
すべてが衝突する直前で、カイの世界が止まったように感じた。
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