第15話:包囲
風が、止まった気がした。
花びらだけが、ゆっくりと落ちていく。
――静かすぎる。
カイは、視線を上げた。
何かが、揃っている。
気配が、均一すぎる。
「……セレーナ」
「……うん」
短い返答。
それで十分だった。
「囲まれてる」
視線。
四方から。
同時に。
こちらへ向く。
人。
鹿。
区別がつかない。
どちらも同じ“向き”をしている。
わずかな遅れもなく。
ぴたりと。
揃っている。
足音が近づく。
ゆっくりと。
だが、確実に。
間合いを詰めてくる。
――逃げ場が、ない。
空気が、重い。
肺に入ってこない。
背中に、冷たい汗が流れる。
誰も走らない。
誰も焦らない。
それが逆に、異様だった。
「……おい」
カイが低く呟く。
「これ、やばいぞ」
「人は記録でできている」
声がした。
どこからともなく。
だが、はっきりと。
「ならば、書き換えればいい」
同時に。
複数の口が動いた。
同じ言葉を。
同じ調子で。
カイは一歩下がる。
距離を取る。
だが。
距離が、意味を持たない。
前からも。
横からも。
後ろからも。
同じ速度で、詰めてくる。
「……やるしかない」
短く吐き出す。
守る。
それだけは、決めている。
手が、自然と動く。
構え。
踏み込み。
最短で、一体を崩す。
倒れる。
だが。
すぐに別の“それ”が間を埋める。
隙がない。
数で押してくる。
セレーナは動かない。
ただ、見ている。
全体を。
流れを。
構造を。
視界が、広がる。
情報が流れ込む。
重なり。
ズレ。
――基点。
「……違う」
ぽつりと呟く。
「それは、その人じゃない」
次の瞬間。
セレーナの視線が、わずかに変わる。
“中”を見るように。
表ではなく。
奥へ。
揺らぎ。
ほんの一瞬。
動きが、ズレる。
「今」
カイが踏み込む。
一直線。
最短で。
突破。
囲みの一角が崩れる。
だが。
すぐに再構築される。
まるで。
“穴を埋める”ように。
「キリがねぇ!」
カイが吐き捨てる。
「……下」
セレーナが小さく言う。
影。
建物の影。
木の影。
重なり。
濃くなる場所。
そこだけ。
流れが、途切れている。
カイは理解する。
迷わない。
セレーナの手を引く。
影へ。
滑り込む。
その手は、わずかに冷たかった。
次の瞬間。
視線が、外れる。
追ってこない。
いや。
追えない。
外では。
“それら”が、止まっている。
一定距離を保ったまま。
動かない。
ただ。
こちらを見ている。
「……なんだよ、これ」
カイの声が、低くなる。
「……広がってる」
セレーナが答える。
視線は、外へ。
奈良の街は、何も変わっていない。
人は歩き。
鹿は草を食む。
観光客は笑う。
その中に。
混ざっている。
区別がつかない。
もう。
鹿が、こちらを見ていた。
じっと。
何もせずに。
風が、戻る。
花びらが、舞う。
春の奈良は、変わらない。
――それが、一番おかしかった。
「……ここ、ダメだ」
カイが低く言う。
このままじゃ、詰む。
時間をかければ、また囲まれる。
通りの脇。
通りに停車している車。
セレーナが手をかざす。
――がちゃ。
ロックが外れる。
カイは一瞬、目を見開く。
「……乗るぞ」
ドアを開ける。
間を置かず。
――起動。
エンジンが、静かに目を覚ます。
鍵は、回していない。
それでも。
一発で、かかる。
静かすぎる。
アクセル。
踏み込む。
車が、滑るように走り出す。
バックミラー。
映るのは。
人。
鹿。
そして――
同じ方向を向いた視線。
追ってこない。
だが。
見ている。
「……なんなんだよ、これ」
カイが吐き捨てる。
「……まだ、いる」
セレーナが言う。
前を見たまま。
信号。
交差点。
歩道。
その中に。
混ざっている。
区別がつかない。
もう。
バックミラーの奥。
鹿が一斉に、こちらを見ていた。
ぴたりと。
揃って。
車は、奈良の街を抜けていく。
逃げているはずなのに。
――逃げ切れていない気がした。
カイは、無意識に腕を押さえた。
皮膚の下。
埋め込まれているはずの、小さなチップ。
反応はない。
だが――
さっきの“あれ”。
あの動き。
あの揃い方。
「……なぁ、セレーナ」
ハンドルを握ったまま、低く言う。
「さっきのやつら」
セレーナは答えない。
ただ、前を見たまま。
「……中、見たんだろ」
わずかな沈黙。
「……似てる」
「何が」
「構造」
セレーナが、静かに言う。
「人じゃない」
「……でも、人の形してる」
カイの背中に、冷たいものが走る。
「……チップ」
ぽつりと。
言葉が落ちる。
「……使われてる」
信号が変わる。
車は、そのまま進む。
前を歩く人影。
その耳元に。
一瞬だけ、光が走った気がした。
カイは、目を逸らす。
見たくない。
でも。
もう、分かってしまった。
これは。
“偶然”じゃない。
「……全員じゃない」
セレーナがぽつりと続ける。
「反応、ばらつきある」
カイは眉を寄せる。
「……条件があるってことか」
車内に、短い沈黙。
セレーナの視線が、どこか遠くへ向く。
データが流れ込む。
断片。
記録。
照合。
「……いた」
セレーナの指が止まる。
「奈良。みき」
カイが息を呑む。
「……あの子か」
「手術歴」
「……時期、一致」
画面の片隅。
小さな記録。
――埋設。
カイの喉が鳴る。
「……チップ、か」
セレーナはわずかに首を振る。
「……これも」
別の名前。
別の記録。
同じ“印”。
点が、線になる。
奈良の街に。
静かに。
広がっている。
ーー第5部完
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