第13話:異常接触
京都を離れてから、まだそれほど時間は経っていない。
だが、背中に張り付くような視線は、ようやく薄れていた。
「……完全に振り切った、ってわけじゃなさそうだな」
カイは歩きながら、わずかに肩の力を抜く。
だが、その指先は無意識にわずかに開き、いつでも動ける位置にあった。
観光客の波。
日常の雑音。
だが――
その奥にある“何か”が、まだ消えていない。
「都市部はやめといた方がいいかも」
隣で歩くセレーナが、少し考えるように言う。
「人、多すぎるとさ、逆に目立つし」
「……だな。腰据えられる場所を探すか」
カイは頷く。
そうして選んだのが――奈良だった。
京都とは違う。
街の輪郭が、どこか曖昧だ。
観光客はいる。
だが、密集していない。
人と自然の境界が、溶けているような感覚。
そのはずなのに。
「……ここ変」
セレーナが、ぽつりと呟いた。
カイは足を止める。
「何がだ?」
「……空気、重い」
セレーナは空を見上げる。
「押されてる感じ。頭の奥……ちょっと遅れる」
言いながら、こめかみを指で押さえた。
カイは周囲を見る。
春の奈良公園。
桜が揺れている。
光は柔らかい。
人々は笑っている。
――なのに。
音が、遠い。
風の音も、足音も。
ほんのわずかに遅れて届くような違和感。
その時。
鹿がいた。
一頭。
セレーナの方へ歩いてくる。
距離が近い。
警戒がない。
さらに一頭。
もう一頭。
囲むように。
「……おい」
カイの声が低くなる。
鹿たちは、目を見ていない。
ただ“対象”を見ている。
「……これ、人見てない」
セレーナが小さく言う。
次の瞬間。
ひょい、と横から袋が引き抜かれた。
「……あ」
セレーナの手から、鹿せんべいの袋が消える。
少し離れた場所で、鹿が袋ごと食いちぎっていた。
バリ、バリ、と乾いた音。
だが。
食べ方が、雑すぎる。
噛んでいるのに、咀嚼のリズムが合っていない。
――ずれている。
「……ほら」
セレーナが言う。
カイは眉をひそめる。
「……納得はするが、例えが気持ち悪いな」
鹿は、何事もなかったかのように草を食べ始めた。
最初から区別などなかったかのように。
違和感だけが残る。
拠点になりそうな場所を探し、二人は歩く。
古い建物。
閉じた店。
人通りの少ない路地。
条件は悪くない。
――その時だった。
「みきちゃん、どうしたの?」
柔らかな声。
母親だ。
少女が、ゆっくりと振り返る。
その動きが――
一拍、遅れる。
カイの視線が止まる。
遅れ方が、不自然だ。
まるで。
“再生している”みたいに。
少女の口が開く。
「……お前は、この娘の母親か?」
空気が凍る。
母親の顔が、理解を拒む。
少女は続ける。
「関係性を確認する」
「記録照合――」
声に、感情がない。
ただの処理。
ただの確認。
「……おい」
カイが一歩、前に出る。
その瞬間。
セレーナが言った。
「……違う」
短い声。
次の瞬間。
周囲の人間が、一斉に同じ方向を向いた。
無音。
一瞬だけ、世界が止まる。
そして。
何事もなかったかのように戻る。
ざわめき。
会話。
日常。
少女の表情が、ふっと崩れる。
「……ママ?」
母親が抱きしめる。
「もう、びっくりさせないでよ」
涙混じりの声。
誰も、気づいていない。
違和感は、消されている。
上から、塗り潰すみたいに。
「……あれ、普通じゃない」
セレーナが呟く。
「重ねられてる。さっきの反応……上書き」
カイは目を細める。
「……見間違いじゃねぇな」
セレーナは答えない。
ただ、空気を見ている。
その時。
ざわめきが、沈んだ。
鹿が――止まる。
一斉に。
音もなく。
静止する。
カイの背筋に、冷たいものが走る。
嫌な予感。
次の瞬間。
そこにいた。
小さな女の子。
さっきまで、いなかった場所に。
自然すぎて、逆に不自然。
誰も気づいていない。
だが。
その視線だけが――
まっすぐカイを捉えていた。
「……カイ」
セレーナの声が低くなる。
女の子が、口を開く。
「逃げられると思うなよ」
声が低い。
年齢に合わない。
その瞬間。
空気が、歪む。
ほんのわずかに。
視界が、揺れる。
音が、遠のく。
「……来るぞ」
カイが低く言う。
だが。
女の子は――笑った。
「ひへへへへ……」
次の瞬間。
糸が切れたように、崩れ落ちた。
音もなく。
周囲は、誰も騒がない。
誰も見ていない。
まるで。
最初から、存在していなかったかのように。
カイはゆっくりと息を吐く。
視線は外さない。
「……やっぱり、違うな」
セレーナが、ぽつりと呟いた。
空気が、重い。
それはもう、感覚ではなかった。
明確な“異常”として、そこにあった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
もしよろしければ、ブックマークや下の「☆☆☆☆☆」で応援していただけると嬉しいです。
スタンプをいただけるとさらにやる気が出ますので、よろしくお願いします!




