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悪人

 ヴァーゴが麻薬をばら撒いてから数日、パッと見たところではブルーカフスの街に変化はなかった。

 商人は遠洋祭に向けて商売の準備を進め、庶民も遠洋祭を楽しみにしながら日常生活を送っていた。

 しかし、酒場では暴力沙汰が相次いで起こり始め、路地裏では麻薬入りの酒に呑まれて座り込んだり寝転がる者が増えた。

 ヴァーゴは何食わぬ顔で商人ギルドに出入りした。

 想定した通り、そこでは街に広まり始めた異物のウワサで持ちきりだった。


 高級魔導具の取引予約を入れていたヴァーゴはリーブロ商会傘下の店をたずねた。

 前回とおなじ応接室に通されたヴァーゴはショルズの顔色に明らかな変化を見て取った。


「ご無沙汰しています、ショルズ殿」

「ああ。良い商品は手に入ったかね?」

「もちろんです」


 ソファに掛けるなり、さっそく魔導具の取引を始めようとしたヴァーゴをショルズが制止した。


「レオ・ヴァンドール、君は聞いているか?」

「聞いている、とは何をでしょう?」

「私に誤魔化しは効かんぞ!」


 ショルズは語気を強めてヴァーゴを威圧した。

 ヴァーゴは突然の言いがかりに驚きと戸惑いの表情を浮かべた。


「え、えっと……」

「いや、すまない。思わず当たってしまった。許してくれ」

「はぁ……」


 ショルズは額に浮かんだ汗をハンカチで拭き取り、ティーカップの茶をひと口飲んだ。

 初対面のときと比べずとも、明らかに焦燥を覚えているのがわかった。


「はぁ……。まったく、なんてことだ……」

「何かあったのでしょうか?」

「商人たちのあいだでウワサが立っているのは知っているか?」

「ああ、それなら商人ギルドで小耳にはさみました。何やら変なものが出回っているとか」

「その通りだ。詳しい内容については?」

「いえ、存じません。厄介そうな話には首をつっこまない主義ですので」

「それが正解だ。危ういものは金になる。だが一歩間違えれば自分の首を絞めることになる」

「おっしゃる通りだと思います」


 ショルズは大きなため息をつき、襟元を正して高級な魔導具の取引の話を始めた。




 数日経っても領主から遠洋祭の開催日程について告知が出されなかった。

 庶民からは不思議がる声もあがったが、遅かれ早かれ告知されるだろうと誰も気にしていなかった。

 ヴァーゴは情報交換のため、いつもの店でラッセルと会食した。


「とんでもないことをしたな」

「はて、なんのことでしょう?」

「この表向き美しい街が穢れていくと思うとさすがに気分が重いよ。あんたがここまでするとはね」

「偶然ですよ、偶然」


 怒りや恨みでもなく、もの寂しげな目で見つめるラッセルにヴァーゴは笑顔で答えた。


「偶然、利用するのにちょうどいい物と状況が揃っていただけですので」

「商会はかなりごたついてるみたいだ」

「でしょうね。会長代理の方も気が気でないようでした」

「酒に混ぜたのもあんたの指示かい?」

「どうでしょう? 私はただ『酒に混ぜるといいかもしれない』とメモ書きを残しただけです」

「悪だねぇ」

「横暴なほどの値上げをして恨みを買うのがいけないのですよ」


 麻薬そのものの形で出回らせるのはリスクが高い。

 だが、酒のように街の住人も自然と口にするものであれば出所がバレにくい。

 本人が酒に混ぜたのかもしれないし、酒場が混ぜたのかもしれないし、酒の卸し業者が混ぜたのかもしれない。

 そして誰でも口にする嗜好品の酒を禁止することは非常にむずかしい。

 遠洋祭の開催告知がなされないのも、祭りで麻薬入りの酒が広まるのを懸念してのことだろう。

 リーブロ商会に恨みを持つ者が多いからこそ、小さな種火は静かに、勢いよく広がっていった。


「正直、見誤っていたよ。あんたはまったく、これっぽっちも善人じゃない」

「何を馬鹿なことをおっしゃいます。復讐に身を捧げた人間が善人なわけないじゃないですか」

「それもそうだ」


 ラッセルは茶をひと口含み、


「新しい話だ。例の彼、未来が見えるらしい」

「ほぉ……」

「断片的にだが、直後に起こることがわかっているかのような素振りをしたって話だ」

「それは、かなり誇張されていますね」

「なぜだい?」

「未来が見えるなら、今この街はこんなことになっていないからです」

「なるほど、やっぱりね」


 ラッセルもさすがに言葉どおり未来が見えるスキルを信じていたわけではなかった。

 しかし、リブラの能力について、未来が見えるという前情報はそれだけで重要なものだ。

 ブルーカフスに麻薬が出回ってしまったことを考えると、スキル『予知』や『予兆』ほど強力なものではないだろう。

 ヴァーゴの見立てでは、異常なまでに鋭い嗅覚か聴覚による人の動きや行動の予測、そういった五感にかかわるスキルだと想定した。

 確証はないが、こうした情報があるだけで覚悟を持って襲撃することができる。


 ラッセルが身を乗り出して手のひらを差し出した。

 そこには質素な褐色の指輪が載っていた。


「俺たちもいろんな仮説を立てて、ビジーと一緒にもっとも役に立ちそうな、ちょー特別な魔導具を作ってあげたよ」

「それはありがたいですね」

「あんたの中にもう一人のあんたを作る魔導具さ」


 ラッセルはイタズラ好きな子供のようにニヤリと笑った。

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