表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

ヒロインの話 後編

 そこからは坂を転げ落ちるように全てが変わりました。


 王子に会うため、王子の声を聞くため、王子に振り向いて貰うため、記憶を総動員して、私は全ての攻略対象のイベントをこなしました。

 ゲームならやり直して後でイベントを回収出来るけれど、ここは現実です。やり直しなんて出来ない。

 他の攻略対象のルートに出てくる王子のサブイベントもどうしても落としたくなかった。

 王子がヒロインに向ける笑顔の全てを、私に向けて欲しかったんです。


 努力の甲斐あって、王子はゲームのシナリオ通りに私に会いに来てくれるようになりました。

 初めて会った小さな庭園でこっそり会うのが、繰り返される王子ルートの秘密イベントでした。


「マリリアはここの薔薇が本当に好きだね」

「見てて飽きないわ! だってとても綺麗なんですもの」

「好きなのは薔薇だけかい」

「もちろん殿下にお会いできる事も」




 王子に与えられた愛情に溺れながら、王子を失うことを恐れて私は必死でシナリオ通りに動きました。

 イベントをこなす事で、困ったことも起きました。

 元々貴族社会に知り合いのいない私が、イベントの為に学園内を歩き回らなければならないので、友達ができず、学園内の事情にも疎くなることです。

 でも王子ルートでハッピーエンドを迎えるためのシナリオは覚えているし、多少の不安はありましたが、王子の愛を失う事を恐れてそれに目をつぶりました。


 そして、半年が経った頃、あることに気づいたのです。


 王子と親しくなると不定期にやってくる、王子の婚約者の公爵令嬢からの嫌がらせが一つもないことに。

 この頃ではもう、ゲームのイベントは学園の生徒達にも目撃されていたので、私に話しかける人はおらず、話しかけても無視されるのが常でした。

 教師からの伝達事項の連絡がなく授業を受けられない事もしばしばで。王子の婚約者の公爵令嬢、ヒロインにさまざまな嫌がらせをして悪役令嬢と呼ばれる人の姿を一度も見たことがないことも、他の生徒と同じように避けられているんだろう、としか思いませんでした。


 けれど、悪役令嬢の嫌がらせがなければ、発生しないイベントもあります。

 特に、クライマックスの手前、悪役令嬢に階段から突き落とされたヒロインを見て、王子が婚約破棄を決意しヒロインに愛を告げるイベントを起こすには、どうしても悪役令嬢の存在が必要でした。


 しかしこちらから公爵令嬢を探して話しかけるわけにも行かず、私は途方に暮れていました。

 その頃にはもう、王子をはじめ学園でも上級貴族である人気者の子息達と親しくしている私に対して、無視する者と影で噂するもの、そして私を呼び出しては暴力を伴わない暴言を吐くもの、姿を見せず嫌がらせをする者、に生徒の反応は分かれていました。

 とくに嫌がらせをする者には、数は多くないとはいえ、ゲームのイベントさながらに心を抉る陰湿さがありました。


 ある日、階段の上からバケツの水をかけられ、濡れた服を着替えるために急いで寮に戻ろうとしたところを王子に見られ、部屋につれて行かれ暖かいお風呂に入り着替えを与えられるというイベントが起きました。

 前世の乙女ゲームのストーリーにはなかったイベントですが、ここはゲームの中ではないので、ゲームでは語られなかった、私の知らないイベントが起こることもあり得ます。

 身体を温められ、長いすに並んで座り王子に優しく抱きしめられ、ほっとしていた私に、その時魔が差しました。


 この姿の見えない嫌がらせの相手を公爵令嬢にしてしまえば、前世の乙女ゲームのストーリーと同じ悪役令嬢の役割を果たして貰えるのではないかと。


 誰がこんな酷いことをしたの、という王子の問いかけに、躊躇いながらも、私は悪役令嬢の名前を告げたのです。





 それからは簡単でした。

 嫌がらせは本当だし、その殆どの実行者は姿を見せません。

 嫌がらせを受ける私を見つけると、王子は部屋に私を連れて行き、優しく誰にやられたのかを聞いてきます。

 私は、その度に悪役令嬢の名前を仄めかしました。

 罪悪感と後ろめたさに震える私を、王子は愛情をこめて抱きしめてくれて、震えが治まるまで傍においてもくれました。




 同じ頃、私は驚愕の事実を知りました。

 薄々おかしいとは思っていたのです。

 悪役令嬢と並んで王子ルートのヒロインの邪魔をするはずの、幼馴染の少女が現れない事に。


「お亡くなりに」

「知らなかったのかい。私が婚約者を一度失っていることはそれなりに有名だと思っていたのだけれどね」

「それは」


 私が夜会や茶会に出席せず、噂にも興味を持たなかったから。

 男爵家にいた三年の間に、そんな暇はなかったから。


「申し訳ありません」

「構わないよ。むしろ気が楽だ」

「どのような方でしたか」

「そうだな。君に、よく似ていた」

「私に…」


 私に良く似た幼馴染の少女が王子ルートに現れない理由を知り、私は慄きました。

 いままでにも小さな違いはあったけれど、前世の記憶にある乙女ゲームのシナリオに、王子の幼馴染の少女の死はありませんでした。

 それに、彼女が王子の婚約者になるなんて、前世の記憶にはありません。


 この世界は記憶にある乙女ゲームのシナリオとは違うのかもしれない。

 その可能性は、ゲームのシナリオ通りにすれば王子の傍にいられると思っていた私を打ちのめすものでした。


「どうしたの」


 震える私に王子は優しく問いかけてくれました。

 本当のことなど言えるはずがありません。


「私が、」


「ん?」


「私が、その方の代わりにお傍におります。ずっと。殿下が望んでくださる限り」


「そう。マリリア、おいで」


 王子の部屋で初めて、私はそういう意図を持って王子に抱き寄せられました。




 王子さえいてくれれば、他には何もいらない。


 王子の愛情だけが、私の全てでした。

 だからこそ、私はゲームのイベントをこなさなくては。

 王子を失わないために。


 最大の見せ場は婚約破棄の起こるパーティですが、王子の確かな愛を感じるイベントは、その直前に起こる悪役令嬢がヒロインを階段から突き落とすイベントです。

 スチル付きのイベントで、階段から転げ落ちそうになる私を抱きしめてくれる王子は凛々しく、うっとりするようなスチルでした。

 でもその時期になっても、私は悪役令嬢と会う事が出来ませんでした。

 他の嫌がらせのように別の誰かが行ってくれることも期待しましたが、イベントの日が来てもなんの気配もなく、このままではイベントを逃してしまうと焦った私は、恐ろしい決意をしました。


 自分で、階段を落ちよう。落とされた振りをしよう。


 一歩間違えば、本当に落ちて大怪我をするかもしれません。

 とても恐ろしかった。でもそれより、イベントが失敗して王子の愛を失う方が恐ろしかったのです。

 目的の階段を下りながら、覚悟を決めて私は眼をつぶりました。

 そして誰かに突き落とされたように装い、足を踏み出した。何もない空間へ。


 途端に身体がバランスを崩し、私は宙に投げ出されました。

 恐ろしさに心臓がきゅっと締め付けられ、馬鹿な事をしたと後悔しました。

 その恐ろしくも長い一瞬の後、私は力強い腕に抱きとめられました。


「大丈夫か」


 愛しい、王子の声。涙が毀れて、小さく頷くのが精一杯でした。

 誰にこんな事をされたのかと、いつものように問いかけられて、私は悪役令嬢の名前を告げました。


 その時、王子が嘲笑ったような気がしました。


 そんなはずはありません。ゲームではここで王子は怒りに震え、卑劣な悪役令嬢との婚約破棄を決意するはずなのですから。


 ありえないことはなかったこと。

 感じた違和感を、私は胸の中で握りつぶしました。


 そして、最大の見せ場でもある、卒業パーティ。

 王子に婚約破棄を告げられ、罪を断罪された悪役令嬢が斬り捨てられる会場で、私は全てを失いました。


「男爵家は、破産して全ての権利を債権者であるアマーリオ家にお譲りになりました」


 そう告げられても、それらはみんな私のものではありません。

 はじめから私のものなどなかった。王子の愛以外には。

 けれど私は、王子から引き離され、一人取り残されました。


「では貴女は、殿下に婚約者がおられることを知っていましたか」


 そう問われた時、胸の奥底から込み上げてくるものがありました。

 だからなに、と。

 そんな、設定だけの婚約者が、どうして私の邪魔をするの。

 見知らぬ、けれどなぜか慕わしい少女が泣き叫んでいました。


「はい。でも! 婚約者がいる方とは、お話することも許されないのですか。同じ学園の生徒ですのに」


 同じではないと、ヒロインではない私は知っていました。

 でもヒロインでなければ王子の愛を失ってしまう。


 私を嘲笑う人々の中で、公爵令嬢だけが眉一つ動かさず私を見ていました。

 初めて会う公爵令嬢は、ゲームと同じ顔で、でもより生き生きとして美しい少女でした。

 私など存在しないようにその高貴な瞳が逸らされた時、私の中で最後まで頑張って私を作っていた何かが壊れました。


 どうして! どうしてこの世界は私を受け入れてくれないの!!


「私がヒロインなのに!」


 周りの人達はモブなのに。


「あんた達なんて私のためのモブなのに!」


 どうしてゲーム通りに動いてくれないの。


「なんでゲーム通りに動かないのよ!!!」


 お願い! 私からヒロインまで取り上げないで!!!!!




 私の叫びを聞いて、学園の人達が嘲笑います。

 なんと愚かな娘だろうと。

 見るだけで汚らわしいと。

 そう言いながら、目をキラキラと輝かせて、滅多にない不祥事の目撃者であった幸運を喜んでいました。


 愚かな私を見る愚かな人々。


 こんな人達の仲間に入る事が私の夢だったのでしょうか。


 いいえ。私はただ、王子を愛しただけです。


 王子に愛される『ヒロイン』になりたかった。








 愚かな男爵令嬢の話はここまで。

 気を失った私は着の身着のままで馬車に揺られ、北の修道院に送られました。

 修道院の生活は辛く厳しいものでしたが、修道女として必要とされた私は初めてこの世界に受け入れられた気がして、心の安寧を手に入れる事が出来たのです。


 だから愚かな男爵令嬢は、もう、おしまい。


 大好きだったヒロインの物語も、私だけが知る、御伽噺なのです。


 いまでも時折、学園での出来事を思い出します。

 前世の乙女ゲームの記憶なのか、私自身が経験した記憶なのか、もう定かではありませんが。


『どうして君がここに?』


 初めて会った庭園できいた、優しい王子の声。


貴方に会いに来たの! 貴方に会いに来たの!!

貴方に会いたかったの!!!


 私の中のヒロインが叫ぶ。


「マリリアさん? どうされたんですか、ぼうっとして」

「申し訳ありません、院長様。風が冷たくなったと思いまして」

「そうですね。もう雪の季節ですね」


 来たばかりの頃、何の役にも立たず居場所を見つけられなかった私に、修道院の人達は雪かきのコツを教えてくれた。

 他の修行はあまり得意ではないけれど、おかげで雪かきだけは院長様の褒められる程上達しました。


「風が冷たいわ。もう中に入りましょう」

「はい。院長様」


 北の大地で居場所を見つけた私は、その幸せを噛みしめ遠い王都と、私の愛した王子に背を向けるのでした。




 ごめんなさい。殿下。

 全て私が愚かだったせいなのに。

 目が覚めた時、私は。

 人を殺さずに済んだ事にほっとしていました。

 ずっと恐れていました。

 熱に浮かされたように殿下の愛情を求め、罪へと突き進んでいく私を。

 殿下を騙し、悪役令嬢を殺して幸せを掴もうとする私を。


 もし学園に行かなかったら。


 もし貴方に会わなかったら。


 私の一生は寂しいものでした。


 貴方を愛したことは、私の唯一の宝でした。


 貴方を愛していました。


 ほかの何もかもが、どうでも良くなるほどに。


 あの時の私は、私自身でさえどうでも良かった。


 ただ貴方の傍にいられさえすれば。


 貴方の優しい瞳に見つめられてさえいれば。


 優しい貴方を罪に巻き込む事さえどうでも良かった。




 前世の記憶にある乙女ゲームでは、悪役令嬢を断罪した王子はヒロインに求婚します。


 けれどゲームはそこで終わり。


 多分、乙女ゲームのヒロインは王子と幸せになったのでしょう。

 御伽噺のお姫様のように。


 ヒロインに罪はなかったから。




 私は、ヒロインにはなれませんでした。

お読みいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ