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時給九百円の彼女

バタバタとせわしなく廊下を走れば、周囲の視線がかなり突き刺さってきた。

それもそうかも知れないなと考えつつも、私はそれを無視して走り続ける。


そんな私を追いかけるように後ろから真由羅が声をかけてきた。


「ちょー!?優花ちゃんどこ行くの!?まだ終わってないのよ!?」


「ちょっと健太郎のところに!!」


「このクソ忙しい時に?!」


「すぐ戻るからー!」


私を追うことを諦め、遠くで叫ぶ真由羅にそう叫び返せば、真由羅は盛大にため息をついた。


あれから約一ヶ月。

時間はあっという間に過ぎて新学期が始まった。

学校は新学期が始まって早々、文化祭の準備で慌しくなる。


里も里で活気を取り戻していった。

周囲から隔離していた塀を全て取り除き、一般人に溶け込む目的で、里は忍者のテーマパークとして再構築することになったのだ。


再構築は私と健太郎が指揮を執った。

健太郎の指揮はとてつもなく優秀で、里の人間達はかなり健太郎を気に入ったようだ。

健太郎も健太郎でまんざらではなかったけれど、里の再構築を終えるとそこにやってくることはほとんどなくなっていた。

新しい指導者として最も適した人材だからという理由で、里の人間達は皆、健太郎を里に迎え入れたいと懇願したが、健太郎も健太郎で自分の生活があるからと、穏やかに断っていた。


それにしても驚いたのは健吾君だ。

里の再構築の資金を全て負担してくれたのだ。

もちろん、それは健吾君がそこの支配人として里が動いていくことを意味している。

健吾君曰く「俺のポケットマネーだから気兼ねなくどうぞ」と笑っていたけれど、資金援助はかなりの金額だったので、それには健太郎も失笑していたけれど。


日々、ボディーガードとして働いてきた里の人間達が、一般の人間としてすぐに切り替え生きていくことは出来ない。

徐々にではあるけれど、そういう形で慣れていくしかない。

ボディーガードの制度も取り入れたまま、私達は自分達が歩み行く未来を自分達の力で切り開いていく。

180度も違う新しい人生のスタートに、里の人間の表情は穏やかで、笑顔に満ち溢れている。


私達はまた普段の生活に戻っていく。


私は私で学校を辞めようと考えていたが、残り少ない学校生活を満喫するべきだと爺様に促され、それもそうかとその思いを留めた。


目的地にたどり着き、健太郎が居るはずの教室を覗き込めば、そこに健太郎の姿は見当たらない。

ふと、顔見知りの人を教室の端に見つけ、私は大きな声で呼びかけた。


「健吾君!」


「ふぁ?」


変な声をあげて振り返った健吾君は、名前を呼んだのが私だと知ると、可愛らしい笑顔を向けてくる。


「ねー健太郎は?」


「あー、アイツなら制作班だから実習室行ってる」


「あ、そっかぁ。頭いいんだったなアイツ」


「俺達と違ってね」


「おい、俺とお前を一緒にすんな」


「あれ?違ったこと言った?」


「違わねぇけどお前と一緒にされたくねぇ!」


吉倉君の小さな反論に、健吾君と私ははじけたように笑った。

それからふと感じた違和感に健吾君を見れば、健吾君は私の視線に気がついたように振り返る。


「ずいぶん、穏やかに笑うようになったな」


私がそう言えば、健吾君は驚いたような顔をする。


「いいことだな」


半ばその反応に苦笑しながら私が続けてそう言えば、健吾君はフッと答えるように微笑んだ。




二人に手をふり、私は健太郎を求めて再び廊下を走った。

目的の実習室はほとんどの窓が全開になっており、私はそこに顔を突っ込むように中を見渡した。


「あれ?優花?」


そう声をかけられ、振り返れば、健太郎が驚いたように私を見下ろしていた。

一瞬、私も健太郎の姿に唖然とする。


「髪、切ったんだ?似合うね」


「つーかお前のその格好はなんだ?」


健太郎の言葉を無視して、私が健太郎に尋ねれば、健太郎は手に沢山の資料を持ちながら「え?」と首をかしげた。

頭にはタオル生地のヘアバンドをつけ、おでこを全開にしている。

今まで見たことがない健太郎の眼鏡姿は、あまりにも似合わない。

いや、似合うのには似合うのだが、その変な格好にも、通り過ぎる女子生徒はキャッと黄色い声を上げた。

健太郎が立ち止まっていれば、周囲に自然と人だかりができる。

私と一緒に居ても、もう野次を飛ばす人なんて居ないし、暖かく見守られている感覚が、なんとなくこそばゆい。

健太郎はそんな周囲の視線に慣れているのか、気付いていないのか、意気揚々と私の問いに答えた。


「うん、髪の毛切りに行きたいんだけど時間がなくて。寝る暇も惜しんでたらコンタクトが合わなくなっちゃってさぁ」


ふぅっと大きくため息を吐きながら、手に持っていた資料を堂々と廊下の隅に置く。

それから疲れたといったような感じで肩を回せば、コキコキと骨が鳴った。


「忙しい…………ああ、生徒会長に立候補するんだっけ?」


私が思い出したようにそう言えば、健太郎は微笑みながら頷いた。


健太郎が生徒会長に立候補するということはある意味前代未聞の出来事だ。

神高では理数科か普通科からしか生徒会長は誕生していない。

それは頭の良さから反映されることだが、学科問わず学年で一位をキープし続ける健太郎が立候補したということになれば、初の情報処理科からの生徒会長誕生となる。


生徒会長に立候補しているのは全部で四人。


その中で当然のごとく一番注目を浴びているのが健太郎で、当選も確実だということだった。


「ご苦労なことで」


「ホント、今からこんなに忙しいとどうしようかと思うよ。あ、そういえば優花、何か俺に用事あった?」


「あ、そうだそうだ。私、今日先に帰るね。バイトの面接があるから」


「バイトの面接ぅー?」


私の言葉に、健太郎は酷く不機嫌そうな顔をして私に尋ねた。

私が黄龍でなくなった今、あの屋敷に居続けることは出来なくなった。

今まで真由羅のために貯めていた貯金を使って、小さなマンションに引越し、一人暮らしを始めたが、やはりお金はかかってくるためバイトが必要になってくる。

今日は新しいバイトの面接があるため、健太郎とは一緒に帰れないと伝えに来たのだ。


「何で今更バイトなのさ?貯金あっただろ?」


「今まで政府から支援受けてた部分もあったからそれがなくなった今、生活が苦しくて」


「何だよ、バイトしたら俺との時間減っちゃうじゃん」


「お前だって生徒会長になったら忙しいだろ?休みの日は会えるんだから文句言うなよ」


私の叱咤に、健太郎は納得いかないようにブツブツと口の中で何かを呟いているけれど、私は真由羅にすぐ戻ると言った約束を守るため、健太郎に背を向けた。


「優花」


名前を呼ばれ、ふいに体が後ろに引き寄せられる。


え?っと顔を上げた瞬間、人目もはばからず健太郎に唇を塞がれた。


「なんっ…………!」


私が叫んで抵抗しようとした言葉は、周囲の私と健太郎のキスシーンを目撃した衝撃の叫び声にかき消された。

すっかり怒鳴るタイミングを失った私が、ギッと睨むように健太郎を見上げれば、健太郎は可笑しそうにクスクスと笑ってこう言ったのだ。


「ねぇ、時給九百円で俺の彼女しない?」


ニッと微笑む健太郎の腕から逃げるように私は数歩間合いを取り、腰に手を当て、健太郎をビッと指差すと、鼻を鳴らして答えたのだ。


「私を誰だと思ってんの?アンタの彼女よ?時給九百円なんて安い安い!」


そう叫んで駆け出した私の後ろで、健太郎は「なるほど」と言ってはじけたように笑った。





2007.01.23執筆了

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