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手柄を奪われ追放された天才、悪党を破滅させる~株式会社・炎上リセット~  作者: 伊達ジン


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第4話 天才と悪女、反撃の準備を始める

 リビングのローテーブルの上に、白い湯気を立てるマグカップが二つ並んでいた。

 深夜一時を回っても、任三郎の部屋の明かりは落ちないままだ。


 デスクのモニターには、数時間前に発表されたばかりの『株式会社ノヴァシードAI・次世代統合解析AI「KAGUTSUCHI」完成披露および事業戦略発表会』の特設ページが表示されている。

 開催は六日後の金曜日、午後二時。都内の大型カンファレンスホールに主要スポンサーとメディア各社を招き、同時に公式チャンネルと大手動画プラットフォームで全編生配信されるという、ベンチャー企業としては異例の規模だった。


「六日間、か」


 ソファで手帳を開いていた襟華が、リストの最後にペン先でチェックを入れてから顔を上げた。


「ええ。ずいぶん派手な舞台を急ごしらえしたものね。あの会場、半年先まで予約が埋まっているはずよ。どれだけ無理を言ってねじ込んだのかしら」

「それだけ焦っているんでしょう。俺が解雇に対して法的な手続きに動く前に、大型提携と追加出資を一気に固めて『ノヴァシードAIの独自技術』という既成事実を作ってしまいたいわけです」


 任三郎は自分のマグカップを手に取り、一口飲んでからワークステーションの画面へ視線を戻した。


「手元には、俺が正当に保持している開発履歴とバックアップ、それに迫田が個人環境での作業を承認した記録があります。ただ……これを今すぐネットに放り投げても、連中は痛くも痒くもありません」

「よく分かっているじゃない。会社側から『懲戒解雇された元社員が、腹いせに改竄データを流している』と声明を出されたら、おしまいよ。世間の大半はハッシュ値より企業のロゴマークの方を信じるもの」

「残念ですが、その通りです」


 襟華はペンを置き、スマートフォンの画面に表示された連絡先一覧をテーブルの中央へ向けた。


「だから、あなたの開発記録は最後の決定打として取っておきましょう。その前にまず、あの会社の言うことなんて何一つ信用できないと、誰の目にも分かるような外堀を埋める材料が要るわね」

「開発チームの実際の稼働状況や、迫田たちの普段の指示が分かる記録ですね。念のため言っておきますが、今から社内サーバーへ忍び込むのは無しですよ。向こうの思う壺ですから」

「あら、私がそんな映画みたいな真似を頼むと思って? サーバーを覗かなくても、データを作った『人間』に聞けばいいのよ」


 襟華は画面をスクロールし、優先順位をつけた数名の名前を指先で示した。


「迫田の周辺を洗う中で、ここ数ヶ月の間にノヴァシードAIを辞めた元社員や、取引を打ち切られた外部業者のリストを作ってあるの。特に開発部門は、あなたのテスト環境が立ち上がった春頃から、何人も辞めているわね」

「ああ……それは見ていました。迫田のやつ、俺が組んだプロトタイプの仕様をまったく理解していないのに、自分の部下に『これと同じものを別ラインで再現しろ』と無茶を振って、失敗したら会議室で怒鳴り散らしていましたから」

「まずは先月辞めた開発二課の元主任と、同じく先月、広報資料の制作から外されたデザイン会社の担当者から当たるわ。みんな報復や訴訟を警戒しているから、接触はすべて人目のつかない貸し会議室を使って個別に行うつもりよ。名前や提供経路が絶対に表へ出ないことが条件になるけれど、データ側の処理はお願いできる?」

「そこは任せてください。端末固有情報や不要なプロパティは全部消します。公開用には声質変換や個人特定につながる箇所のマスキング処理をかけて、同時に、後から捏造だと騒がれないよう無加工の原本データとハッシュ値も第三者が検証できる形で保全しておきます」

「助かるわ。なら、明朝から三日間で全員に直接会って話を聞いてくる」


 任三郎は画面上のリストの人数を見て、少し眉を上げた。


「これ、三日で回れる数ですか?」

「回るのよ」

「移動時間だけでも相当かかりますよ」

「時間は作るものよ、任三郎。相手の警戒を解いて本音を引き出すのが、私の本業なんだから」


 襟華は落ち着いた笑みを浮かべ、明日の面会スケジュールを手帳に書き込んだ。

 部屋の隅に置かれたケージの中で、眠っていたクッキーが小さく寝返りを打ち、白い毛玉のような背中を丸めた。


★★★★★★★★★★★


 同じ週の水曜日。港区の高層ビルに入る株式会社ノヴァシードAIの社長室には、上機嫌な笑い声が響いていた。


「事前登録のメディアだけで八十社超えか。オンラインの同時接続予約も、うちとしては過去最高だな」


 窓際の革張りソファで、代表取締役の守屋がタブレットの集計画面を眺めながら満足そうに足を組んだ。


 向かいに座る開発統括部長の迫田も、我が意を得たりとばかりに胸を張る。


「ええ。特に大手広告代理店と金融系のスポンサーが、KAGUTSUCHIの反応予測エンジンに強い関心を示しています。金曜日の発表会でデモンストレーションを見せれば、来期の大型契約は間違いなく固まりますよ」

「頼もしいじゃないか、迫田くん。やはり開発のトップが現場を直接掌握しているのが強みだな」


 守屋がグラスの炭酸水を傾け、ちらりと迫田へ視線を向けた。


「ところで、佐藤の方はどうなっている? 解雇から一週間近く経つが、何か動きは」

「まったくありませんよ」


 迫田は鼻で笑い、手を振ってみせた。


「外部への告発も、弁護士を通じた抗議も確認できていません。業界紙やメディアの窓口に妙な接触を図った形跡もゼロです」

「そうか。まあ、あいつはコードを書くことしか能のない人間だったからな。会社という後ろ盾を失えば、一人で世間に向かって何かを発信する知恵も度胸もあるまい」

「ええ。人と目を合わせて世間話一つできない男でしたからね。せいぜい部屋の隅でモニターを睨みながら、自分の不運を呪っている頃でしょう。あいつには、金曜日の発表会を止める手段なんてありませんよ」


 迫田はテーブルの上に置かれた発表会用の進行台本を手に取り、表紙に印刷された自分の名前と肩書を愛おしそうに撫でた。


★★★★★★★★★★★


 その日の夕方、任三郎の自宅マンションのインターホンが鳴った。

 玄関の扉を開けると、少し風に吹かれた髪を指先で整えながら、襟華が紙袋とビジネスバッグを提げて立っていた。


「ただいま。と言いたいところだけれど、他人の家だったわね。お邪魔するわ」

「どうぞ。本当に三日で全部回ってきたんですね」

「言ったでしょう? 私の足を舐めないでちょうだい」


 リビングへ入ると、襟華はケージの柵へ寄ってきたクッキーに「あら、クッキーちゃん。いい子にしていた?」と声をかけ、慣れた手つきで頭を撫でた。そのままソファには座らず、デスクの脇へ歩み寄ってビジネスバッグを開く。作業用のスペースに、三つのボイスレコーダーと複数のUSBメモリ、そしてクリアファイルに綴じられた社内文書の控えが手際よく並べられた。


「これが三日間の収穫よ。迫田に恨みを持っている人はすぐに見つかったわ。しかも、ただの愚痴じゃなくて、自分の身を守るためにきっちり記録を残していた人たちがね」

「壮観ですね。どれから見ますか」

「この一番左のレコーダーとファイルから。先月まで開発二課にいた主任エンジニアの方から預かったものよ」


 襟華がクリアファイルを開き、月ごとのタスク管理表と工数記録の控えをモニターの横に広げた。


「迫田は開発チーム全員で作ったと主張しているけれど、実際の工数記録はまるで違うわ。開発二課が担当していたのは既存システムの保守と、春先に頓挫した別案件のデータ整理だけ。KAGUTSUCHIの中核モジュールに関する作業は、一時間も計上されていないの」

「計上できるわけがありませんからね。社内テスト環境を立ち上げるまで、迫田の部下たちはKAGUTSUCHIのコードに一行も触れていないんですから」

「ええ。でも四月にあなたがプロトタイプを作った後、迫田はその主任に『佐藤の設計をそのまま別環境へコピーして、うちの開発課で作った体裁にしろ』と命じていたそうよ。その時に、技術的に無理だと反論した主任を会議室で怒鳴りつけた時の音声が、このレコーダーに入っているわ」


 任三郎はレコーダーを手に取り、ワークステーションへ接続した。

 音声ファイルを再生すると、ノイズの少ない鮮明な音質で、迫田の荒々しい怒鳴り声がスピーカーから流れ出した。


『いいから佐藤のモジュール名をそのまま流用してガワだけ整えろ! あいつはもうすぐ用済みだから切るんだ! 最初から俺のチームで開発したことにすれば、誰も中身なんかわかりゃしないんだよ!』

『ですが部長、このアーキテクチャは佐藤くんが個人で構築してきた独自設計で、うちのチームには仕様書もありません。今からトレースするのは——』

『口答えするな! 嫌なら明日から来なくていいぞ、お前の代わりなんていくらでもいるんだ!』


 再生を止めると、室内に静かな沈黙が落ちた。

 ケージの中のクッキーが、聞き慣れない怒鳴り声に驚いたように首を傾げている。


「ごめんね、クッキーちゃん。汚い声を聞かせちゃったわね」


 襟華が小さく声をかけてから、任三郎の方を見た。


「迫田と一対一で呼び出される時は、いつも胸ポケットに録音機を入れていたんですって。結局その主任は先月、自主退職に追い込まれたそうよ」

「五月の第二週ですか。俺が初期プロトタイプの検証に入った時期と一致しますね。その頃からもう、俺を切るつもりだったわけだ」


 任三郎の声は穏やかだったが、キーボードに置かれた指先にはわずかに力がこもっていた。

 すぐに視線をモニターへ戻し、音声ファイルのプロパティと波形解析ツールを立ち上げる。


「周波数特性とタイムスタンプのメタデータを解析します」


 数分間、画面の上で波形データを拡大・照合していた任三郎が、小さく頷いた。


「編集された痕跡は見当たりません。ノイズも一貫しています。ただ、原本として出すなら、録音機の保存記録と入手経緯も確認しておきたいですね。それと、一対一のやり取りなので、公開用データでは元主任の声にフォルマント変換をかけて個人を特定できないように処理します」

「録音機本体の管理記録も預かっているから、後で照合してちょうだい。声の処理も、そうしてもらえればあの方も安心するわ。で、こっちのUSBメモリは、広報用の資料作成を請け負っていたデザイン会社の担当者からよ」


 任三郎はUSBメモリを受け取り、サンドボックス経由で中身を開いた。そこに保存されていたメールの文面と日付に目を走らせ、動きを止める。


「これ、最終テストが終わる三週間も前の日付じゃないですか」

「ええ。守屋社長と迫田の連名よ」

「『すでに全工程の検証が完了し、大手数社での導入実績があるようにグラフの数値を書き換えろ』。よくこんな指示をメールの文面で残しましたね」

「下請けなんて自分の手足くらいにしか思っていなかったんでしょうね。でも先方の担当者は、万が一問題になった時に責任を押し付けられないよう、サーバーの送受信記録とヘッダ情報ごと保存していたそうよ」


 任三郎はメールのDKIM署名と送信元サーバーの経路情報を確認した。


「電子署名も残っていますね。送信経路にも不自然な点はありません。これなら、下請け側の担当者名を伏せて公開しても、後から偽造だと主張された際に十分反証できます」


 任三郎は画面から目を離し、隣に立つ襟華の顔をまっすぐに見た。


「正直、ここまで揃うとは思っていませんでした。社外の人間にそう簡単に渡せるデータじゃないはずです。どうやって口説き落としたんですか」

「最初はみんな、ドアも開けてくれなかったわよ。でも、私の事情を話して、あの連中の不正を暴くつもりだと伝えたら、最後は向こうから出してくれたわ。『自分たちの名前が出ない形で、あいつらの嘘を暴いてくれるなら』って。あの人たちも、ずっと飲み込んできたものがあったんでしょうね」


 襟華はデスクの端に手を置き、静かに息をついた。


「俺が一人でパソコンの前に座っていたら、絶対に手に入らなかった証拠です。襟華さんに頼んで正解でした。これなら勝てます」


 任三郎がまっすぐに言うと、襟華は少しだけ不意を突かれたように瞬きをし、それから口元をほころばせた。


「あら、珍しいわね。あなたがそこまで素直に人を褒めるなんて」

「事実を言っただけです」

「そういうところが可愛くないのよ。でも、ありがとう。材料は揃えたわ。ここからどう料理するかは、あなたの出番よ、任三郎」

「ええ。では、この証拠をぶつけた時、守屋と迫田がどう逃げるかを予測しましょう」


 任三郎は向き直り、KAGUTSUCHIのメインコンソールを立ち上げた。


「今日までに集めた内部資料、俺の開発記録、それとノヴァシードAIの過去のプレスリリースや守屋たちのインタビュー記事をすべて構造化して入力してあります。さらに、過去五年間に国内のIT企業が引き起こした不祥事会見の釈明データと、SNSの世論推移モデルを組み合わせてシミュレーションを走らせます」


 画面上に、複数の分岐ツリーと確率パーセンテージが高速で描画されていく。

 襟華は次々と算出されるテキストと予測グラフを食い入るように見つめた。


「見てください。仮に金曜日の発表会当日に、手元の証拠を最初から全部まとめて公開した場合の予測です」


 任三郎が最初のシミュレーション結果を示した。


「この場合、会社側が取る最善の防御行動は『生配信の即時中断』と『第三者委員会の設置を名目にした回答保留』です。音声やメールの真偽については『現在、社内で事実関係を調査中であり、個別事案の回答は差し控える』とだけ発表し、メディア各社には名誉毀損のリスクをちらつかせて続報を牽制する」

「一番タチの悪い逃げ方ね。危機管理の現場でも、完全に追い詰められたクライアントが最後に使う時間稼ぎよ。最初に全部の手札を見せると、『調査中』の壁に隠れられてしまう」


 襟華は目を細め、別の分岐ツリーを指差した。


「じゃあ、こっちの分岐は? 最初に開発工程の矛盾と、現場のトラブルに関する告発の概要だけをぶつけた場合ね」

「はい。たとえば最初に、プレスリリースの『社内専用サーバー群のみを使用して全工程の検証を完了した』という記述と矛盾するサーバー停止通知や外部作業の指示記録、それに『迫田の無理な再現指示と高圧的な叱責で開発現場から退職者が相次いでいる』という内部告発の概要だけを出した場合です。KAGUTSUCHIの予測では、守屋と迫田が取る反応は九十一パーセントの確率で『全面否定』と『元社員への攻撃』に偏ります」


 画面の横に、守屋と迫田の過去の発言傾向から生成された想定コメントが並んだ。

『一部の元社員による悪質な切り取り・逆恨みである』『パワハラなどの事実は一切なく、開発はすべて迫田の主導のもと社内チームが一丸となって適法に行った』『虚偽の流布には厳正に対処する』——。


「九十一パーセント。目に浮かぶような場面ね」


 襟華は画面に並んだ想定コメントを見つめ、小さく口元を引き締めた。


「守屋たちがここまで強気に出るなら、話は早いわ。相手がどのカードを引くか分かっているなら、その先に罠を張っておけばいい」

「ええ。大勢のスポンサーとカメラが見ている生配信の最中なら、体裁を気にして強気な反論に走る公算が大きい。ただ、どうやってその言葉を会場で引き出します?」

「そこからは私の領域ね」


 襟華はホワイトボード代わりに開いたタブレットを手元へ引き寄せ、画面に素早くタイムラインを書き込んでいった。


「最初から全部出すのはもったいないわ。まずは向こうに気持ちよく嘘をつかせましょう。大勢の前で啖呵を切った直後に証拠を突きつけられたら、もう『調査中』なんて言えないもの」


 襟華はタイムラインを三つの段階に区切った。


「第一段階。発表会のプレゼンが終わって質疑応答に入る直前に、開発工程の矛盾を示す記録と、開発現場での無理な指示やパワハラによる退職者の続出を訴える内部告発文を、ネットと会場入りしている記者たちの窓口へ一斉に流すわ。決定的な音声や実績表はまだ伏せておくの」

「質疑応答の直前に記者の手元へ落とすわけですか。ただ、九パーセントの方も無視はできません。会場の質問を事前指名だけで固められたり、途中で質疑を打ち切られたりした場合はどうします?」

「その場合は、向こうの回答を待たずに第二段階へ進めましょう。会見を止められても、不自然に質問を避けた事実そのものが配信に残るわ。どちらに転んでも、そこで情報提供者の声を保護処理した迫田のパワハラ音声と解析データ、開発チームの実際の作業実績表、それに数値の改竄指示メールを追加公開するの」


 襟華のペン先が、二番目の枠を叩いた。


「『切り取りだ』『パワハラはない』と否定した直後なら最高だけれど、質問から逃げた直後にこれが出ても、視聴者やスポンサーの目はごまかせないわ」

「なるほど。ネット側の拡散とメディア窓口への同時送信なら、こちらでタイミングを制御できます。そうなると、追い詰められた迫田が最後にすがるのは『それでも技術自体は自分が作った』という一点に絞られますね」

「ええ、そこが第三段階よ。ただし、専門的な開発ログをそのまま出すだけでは一般の視聴者には理解しきれないわ。だから、公開リポジトリの設計図と会社発表の構成図の一致、それに入社前からの開発日時と権利留保条項を、誰が見ても一目で分かる時系列の比較図にまとめて、検証用の開発履歴と一緒に突きつけるの」

「図表の対照データなら、コードが読めない人間にも一目で分かりますね。今夜中に俺の方で作成しておきます。専門メディアや技術者が後から検証できるように、署名付きのログもすぐ参照できる形で紐づけておきましょう」

「お願いね。視覚的な分かりやすさと、専門家が検証できる裏付けの両方が揃えば、あの二人が頼りにしている技術的信用も、経営者としての立場も維持できなくなるわ」


 任三郎はタブレットに描かれた計画表と、KAGUTSUCHIの予測グラフを見比べた。


「データだけでは、ここまでの筋書きは描けませんね。ずいぶん性格の悪い設計だ」

「失礼ね、上品と言ってちょうだい。私を半年も泥の中に沈めてくれたお礼だもの、これくらい丁寧に返さないと礼儀を欠くでしょう?」


 襟華は妖艶に微笑み、それから真剣な眼差しで任三郎を見た。


「あの開発記録は、あなたが積み重ねてきた努力そのものよ。今度は誰にも奪わせないわ」

「ええ。きっちり取り返します」


 二人は視線を交わし、静かに頷き合った。


★★★★★★★★★★★


 そして、金曜日。

 午後一時五十五分。都内の大型カンファレンスホールの舞台裏では、開演前の慌ただしい熱気が満ちていた。


 特別控室での大口スポンサー役員たちとの挨拶を終えた守屋と迫田が、広報スタッフの先導でステージ袖へと歩み寄る。真新しいオーダースーツに身を包んだ二人の胸元に、音響スタッフが手早くピンマイクを装着していった。


 会場の客席は、招待された企業幹部やITメディアの記者たちで最後列まで埋め尽くされている。ステージ脇のモニターにはすでに生配信の待機画面が表示され、同時接続数は開始前から一万人を超えて増え続けていた。


「社長、質疑応答の進行ですが、事前申請のあった経済紙の記者から優先して指名する形でよろしいでしょうか」


 進行ディレクターの確認に、守屋はネクタイの結び目を整えながら鷹揚に頷いた。


「ああ、予定通りで構わない。カメラのスイッチングも頼んだぞ」

「かしこまりました。迫田部長、演台の操作用タブレットはこちらになります」

「ありがとう。スライドの同期も問題ないな」


 迫田はタブレットを受け取って画面を一瞥し、スポットライトに照らされたステージの袖へと立った。


 同じ時刻。

 離れたマンションの一室では、任三郎が並んだモニターの前に座り、最終チェックを終えた証拠データのフォルダを開いていた。

 隣にはジャケットを羽織った襟華が控え、メディア各社への一斉送信リストとSNSの拡散アカウント群の監視画面を立ち上げている。ケージの中のクッキーは、お気に入りの毛布の上で丸くなり、すうすうと穏やかな寝息を立てていた。


『——これより、株式会社ノヴァシードAI、次世代統合解析AI「KAGUTSUCHI」完成披露および事業戦略発表会を開始いたします』


 スピーカーから司会者の華やかなアナウンスが流れ、画面の中のステージに、満面の笑みを浮かべた守屋と迫田が姿を現した。

 生配信の赤いランプが点灯する。


「始まったわね、任三郎」

「ええ。行きましょうか、襟華さん」


 任三郎の指先が、キーボードのエンターキーへ静かに添えられた。

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