第5話 祝・炎上。俺を追放した会社が消える日
スポットライトを浴びたステージの中央で、代表取締役の守屋が両手を広げた。
『私ども株式会社ノヴァシードAIが掲げる理念は、創業以来ただ一つ。「人とAIの誠実な未来を創る」ことです。本日皆様にお披露目する次世代統合解析AI「KAGUTSUCHI」は、その理念のもと、当社の技術陣が心血を注いで生み出した完全独自開発の結晶です』
会場を埋めた招待客から、儀礼的な拍手が湧き起こる。
マンションの一室に置かれたモニターの隅では、生配信の同時接続数がすでに二万三千人を超えて増え続けていた。コメント欄には「始まった」「注目度すごいな」「ノヴァシードAIの大型発表か」といった言葉が次々と流れていく。
「『誠実な未来』ですって。よくあんなに澄ました顔で言えるものね」
隣の椅子でメディア送信用リストの最終確認をしていた襟華が、呆れたように息を吐いた。
「見事なものですよ。俺がクビを言い渡された朝も、ロビーの大型モニターであの笑顔がリピート再生されていましたから」
「いい趣味しているわね、ほんと」
「ええ。おかげで朝のコーヒーが台無しでした」
任三郎は手元のマグカップから一口飲み、画面の中のステージを見つめた。
配信映像では、守屋の挨拶を引き継いだ開発統括部長の迫田が、演台の前に進み出ていた。真新しいオーダースーツの胸を張り、手元のタブレットを操作して背後の巨大スクリーンにシステム構成図を映し出す。
『開発統括部長の迫田です。このKAGUTSUCHIは、一年前のプロジェクト立ち上げ当初から私が基本アーキテクチャの設計を主導し、開発チームのメンバーと一丸となってゼロから構築いたしました。特筆すべきは、当社の高いセキュリティ基準を満たした社内専用サーバー群のみを使用し、外部ネットワークから完全に遮断されたクリーンな環境下で全工程の検証を完了させた点にあります』
スクリーンには、情報の伝播予測を示す華やかなグラフと、モジュールの相関図が大きく投影されている。
「ねえ、任三郎。あのスライドの三枚目……あなたが作った検証モデルの図面そのままじゃない?」
「ああ、ほんとだ。いや、よく見てください、襟華さん。グラデーションの色味だけは青から緑に変えてあります」
「あら、失礼。大仕事ね」
「きっと徹夜で塗ったんでしょう。それにしても、さっきからスライドの文字をなぞっているだけですね。なぜその重み付けになるのか、一言も触れていない」
「自分で作っていないのだから、触れようがないでしょう。下手にアドリブを入れてボロが出たら困るもの」
「せめて前日くらい、俺が共有フォルダに残した仕様書を読んでおけばいいのに」
「読んだところで、最初の三行が理解できるかしら?」
「それもそうですね。あ、もうデモンストレーションが終わりますよ」
ステージ上では、あらかじめ用意されていたサンプルデータの解析デモが完了し、会場から再び拍手が起こっていた。迫田は満足げに頷き、ハンカチで額の汗を軽く拭いながら守屋の隣へと戻る。
時計の針は午後二時三十五分を指していた。
『——ありがとうございました。それではこれより、メディアの皆様からの質疑応答に移らせていただきます。ご質問のある方は挙手をお願いいたします』
司会者の声が響いた瞬間、任三郎と襟華の視線が交差した。
「時間よ、任三郎」
「ええ。第一段階、行きます」
二人の指が同時にキーボードを叩いた。
襟華の手元から、会場入りしている八十社以上のメディアの取材デスクおよび記者個人の窓口へ、一通の検証資料と内部告発文が一斉送信される。同じ瞬間、任三郎は開設しておいた検証用ページを公開状態へ切り替え、SNSの主要トレンドタグへ初期リンクを投下した。
公開されたのは、決定的な音声や改竄メールを除いた「外堀」のデータだ。
『社内専用サーバー群のみで全工程を検証した』という迫田の言葉と真っ向から矛盾する、社内サーバーの長期保守停止通知。納期遅れを理由に個人環境での作業を命じた迫田自身の業務連絡。そして『開発統括部長による無理な再現指示と日常的な罵倒により、ここ数ヶ月で開発現場から退職者が相次いでいる』という元社員たちの告発概要——。
送信完了の表示が出てから、わずか数十秒後だった。
配信画面に映る会場の客席で、記者たちが一斉に手元のスマートフォンやノートパソコンへ視線を落とすのが見えた。
司会者が予定通り、前方の席にいた経済紙の記者を指名する。立ち上がった記者はマイクを受け取ったものの、手元のタブレット画面に目を走らせたまま、数秒間言葉を止めた。
『あ、失礼しました。東都経済新聞の佐伯です。事業計画について伺う予定でしたが、一点、至急の確認に変更させてください』
ステージ上の守屋の眉が、ぴくりと動いた。
『現在、ネット上および各メディアの窓口宛てに、御社の開発体制に関する内部資料と告発文が一斉に届いています。先ほど迫田部長は「社内専用サーバーのみで全工程を検証した」と説明されましたが、公開された社内通知には、検証期間中に該当サーバーが停止していた記録や、個人環境での開発を指示した文書が含まれています。さらに、迫田部長の高圧的な叱責によって開発現場から退職者が続出しているとの指摘もありますが、これらは事実でしょうか』
客席のあちこちで、後方の記者が隣の席へノートパソコンの画面を見せ、別の記者はスマートフォンを耳に当てて小声でデスクへ連絡を入れ始める。生配信のコメント欄でも「ん?」「内部告発?」「今リンク踏んだけどサーバー停止通知のスクショ出てるぞ」「社内サーバーのみって嘘なのか?」と、流れが急激に変わり始めた。
演台の迫田は顔色を変え、守屋の方を振り返った。
だが、守屋はすぐに笑顔を作り直し、一歩前に出てマイクを握った。
『ご質問ありがとうございます。皆様、どうかご安心ください。今おっしゃられたような情報は、当社のコンプライアンス規定に違反して先日処分された一部の元社員が、逆恨みから悪質な切り取りを行って流布しているものに過ぎません』
守屋のよく通る声が、ホール全体に響き渡った。
『当社の開発が適法かつクリーンな社内環境で行われたことは紛れもない事実であり、開発現場におけるパワーハラスメントや不当な指示といった事実も一切ございません。本日のような晴れの舞台を妨害する悪質な虚偽の流布に対しましては、すでに顧問弁護士とも連携しており、法的措置を含めて厳正に対処してまいります』
淀みない口調で言い切った守屋に、隣の迫田も勢いを取り戻したように大きく頷いた。
『社長の申す通りです! 私が率いる開発チームは常に一丸となっており、退職者が相次いでいるなどという事実は断じてありません!』
マンションのリビングで、任三郎はモニターの隣に表示していたKAGUTSUCHIの予測ツリーに目をやった。
「『悪質な切り取り』『逆恨み』『パワハラは一切ない』『法的措置』。九十一パーセントの予測ルートと、ほぼ一言一句同じですね」
「ええ。カンニングペーパーでも渡したのかしら、というくらい綺麗な満点回答だわ」
「迫田の『一丸となっており』だけは予測に入っていませんでしたが」
「そこはあいつなりのアドリブでしょうね。カメラとスポンサーの前で、よくここまで見事に退路を断ってくれたものだわ。社長自ら『一切ない』と太鼓判を押してくれたのよ。遠慮なく答え合わせをしてあげましょう。第二段階、お願い」
「了解です」
任三郎は待機させていた第二フォルダのロックを解除し、追加データの公開コマンドを実行した。襟華も即座にメディア各社へ第二報の直通リンクを送出する。
開発二課の月間タスク管理表および工数記録——そこには、迫田の部下たちがKAGUTSUCHIの中核モジュールに携わった時間が「ゼロ時間」であることが明確に記されていた。
続いて、最終テストの三週間も前に、守屋と迫田の連名で外部のデザイン会社へ送られた『すでに全工程の検証が完了し、大手数社での導入実績があるようにグラフの数値を書き換えろ』という改竄指示メールと、そのDKIM署名およびサーバー送受信経路の検証データ。
そして極めつきは、情報提供者の声にだけフォルマント変換をかけ、迫田の怒鳴り声を無加工のまま残した音声ファイルだった。
公開から一分も経たないうちに、客席の中央から、ネットメディアの記者が立ち上がり、マイクを握りしめた。
『迫田部長! たった今、追加で公開された音声ファイルは確認されましたか!? あなたが部下に対して、他人の設計を盗用しろと怒鳴りつけている録音です!』
『なっ……なんのことだ! そんな事実は——』
『では、今ここで再生します! これがご自身の声ではないと言い切れるんですか!?』
記者は握っていた質問用マイクの先端に自身のスマートフォンを密着させ、画面の再生ボタンをタップした。
『いいから佐藤のモジュール名をそのまま流用してガワだけ整えろ! あいつはもうすぐ用済みだから切るんだ! 最初から俺のチームで開発したことにすれば、誰も中身なんかわかりゃしないんだよ!』
『ですが部長、このアーキテクチャは佐藤くんが個人で構築してきた独自設計で、うちのチームには仕様書もありません。今からトレースするのは——』
『口答えするな! 嫌なら明日から来なくていいぞ、お前の代わりなんていくらでもいるんだ!』
会場の大型スピーカーを通じて、低く加工された部下の声と、それを遮る迫田自身の怒鳴り声がホール全体に大音量で響き渡った。
ステージ上の迫田が、その場で凍りついた。
「なっ……なんだ、今の音声は! 誰がそれを!」
「迫田くん、これはどういうことだ!?」
守屋がマイクのスイッチを切るのも忘れ、迫田を怒鳴りつける声がそのまま生配信に乗った。
コメント欄はすでに制御不能な速度で滝のように流れていた。
「本人の声じゃん!!」
「佐藤って誰だ」
「元社員の逆恨みじゃなくて成果の横取りじゃねえか!」
「デザイン会社へのグラフ改竄指示メールまで出てるぞ、社長の守屋の名前も入ってる!」
さらに前方の席から、業界紙の記者が立ち上がり、別のマイクを握りしめた。
『守屋社長! 今公開されたメールデータに、三週間前の日付で守屋社長と迫田部長の連名による「導入実績グラフの改竄指示」が含まれています! サーバーの署名情報まで一致していますが、これも元社員の捏造だとおっしゃるのですか!? また、開発二課の工数記録ではKAGUTSUCHIの開発時間がゼロになっていますが、一体誰がこのAIを作ったのですか!』
『そ、それは……現在、事実関係を』
先ほどまでの威勢が嘘のように、守屋の顔から血の気が引いていく。
最前列の特別席に座っていた大手広告代理店や金融系スポンサーの役員たちが、険しい表情で互いの顔を見合わせ、手元の資料を閉じ始めた。
その光景を目にした迫田が、血走った目で演台のマイクにしがみつくように身を乗り出した。
『ま、待ってください! あの音声は……現場の指導に熱が入った部分だけを意図的に抜き出したものです! それに、仮に一部で外部の補助を使ったとしても、KAGUTSUCHIの基本設計とコア・アルゴリズムを構築したのは間違いなく私です! 佐藤という元社員は単なるテスト作業員に過ぎません! 技術そのものは、私とノヴァシードAIの正当な成果なんです!』
悲鳴に近い大声で叫ぶ迫田の姿を、高画質の配信カメラが容赦なくアップで捉えていた。
リビングのデスクで、任三郎は静かに息を吐いた。
「単なるテスト作業員、ですか」
「指導に熱が入った、とも言っていたわよ。ずいぶん熱心な教育係ね」
「自分の部下に俺の設計図を丸写しさせようとして、それすら失敗した人間がよく言いますよ」
「まだあなたの技術を自分のものだと言い張る気よ、あの男。任三郎、あなたの番だわ。最後の嘘も剥ぎ取ってしまいなさい」
襟華の声に、任三郎は短く頷いた。
「ええ。これで終わりにします」
任三郎は最後のエンターキーを押し込んだ。
第三段階——決定打となる開発記録の全面公開。
画面に展開されたのは、コードが読めない一般の視聴者や企業役員にも一目で事実が伝わるよう、任三郎が昨夜のうちに作成した視覚的な時系列比較図だった。
左側に並んでいるのは、任三郎がノヴァシードAIに入社する半年以上前から、個人名義の公開リポジトリや技術論文に登録していた基本設計図とモジュール名。
右側に並んでいるのは、つい十分前に迫田がステージの巨大スクリーンに映し出し、「自分が一年前から設計を主導した」と胸を張ったばかりのシステム構成図。
二つの図面は、配置から独自の関数名、さらには初期設計時の微細な命名のクセに至るまで、寸分違わず一致していた。
さらにその下には、入社時の雇用契約書に明記された『既存研究成果の権利留保条項』、一行ごとの作成日時と暗号署名が刻まれた数万行の開発コミット履歴、そして会社側が懲戒解雇の根拠としてでっち上げた「不正アクセスログ」のタイムスタンプが、社内システムの実際の稼働記録と食い違っていることを示す検証データが並んでいた。
会場のざわめきは、もはや怒号に近いものへと変わっていた。
IT専門誌の記者が立ち上がり、ステージ上のスクリーンを指差して叫んだ。
『迫田部長! 今公開された佐藤任三郎氏の入社前のリポジトリと、そちらのスライドの四枚目、モジュール名まで完全に一致しています! あなたが設計したというなら、その「KAGUTSUCHI」の伝播減衰パラメータの算出式を、今この場で説明していただけますか!?』
『なっ……算出、式? それは、企業秘密に該当するため』
『先ほど自分で基本設計を主導したと断言されたじゃないですか! ご自身が書いたコードなら、概念くらい即答できるはずです! それとも、佐藤氏が開発したものを横取りして解雇したというのはすべて事実なのですか!』
『ち、違う! 私は統括として全体の指揮を!』
迫田は演台のタブレットを何度もめくろうとしたが、震える指先はスライドを前後に滑らせるばかりで、何一つ答えることができなかった。額から噴き出した脂汗が、スポットライトの光に照らされて頬を伝い落ちていく。
その時、最前列の中央に座っていた金融系スポンサーの役員が、無言のまま立ち上がった。
一礼すらすることなく背を向け、部下たちを連れて足早に通路を歩き出す。それを皮切りに、大手広告代理店の幹部や招待企業の役員たちが次々と席を立ち、出口へと向かい始めた。
『あ、お待ちください! 違うのです、これは誤解で!』
守屋が慌ててステージの端へ駆け寄ろうとしたが、立ち去るスポンサーの誰一人として振り返る者はいなかった。代わりにステージの前へ押し寄せたのは、カメラとマイクを構えた数十人の記者たちだった。
『守屋社長! グラフの改竄指示についてお答えください!』
『不当解雇された佐藤氏に対して、会社としてどう責任を取るつもりですか!』
『完成披露の場で他人の技術を自社開発と偽ったことについて、一言お願いします!』
四方八方から浴びせられる質問とフラッシュの嵐の中、守屋は顔を蒼白にして立ち尽くし、迫田は演台に手をついて俯いていた。
やがてステージ袖からスタッフが飛び出し、マイクの音声がぶつりと途切れる。
『——ただいま機材トラブルが発生したため、本日の配信はこれをもって終了させていただきます』
慌ただしいアナウンスとともに画面が暗転し、「配信が終了しました」という無機質な文字だけが残された。
室内には、パソコンの冷却ファンが回る微かな音だけが響いていた。
生配信が強制終了された後も、SNSのタイムラインとニュースサイトの速報欄は爆発的な勢いで更新され続けていた。検証ページの閲覧数はすでに数十万を超え、技術者コミュニティからは「開発履歴の署名を確認した、間違いなく佐藤氏本人のコードだ」「モジュール名すら変えずに発表するとか、迫田って部長はコードが一行も読めないんじゃないか」といった検証結果が次々と投稿されている。
「機材トラブル、ですって」
隣でタブレットの画面を見つめていた襟華が、小さく吹き出すように息を吐いた。
「ある意味、間違ってはいませんよ。ステージ上の二人が完全に壊れていましたから」
任三郎も背もたれに身体を預け、深く息を吐き出した。
「ええ。三万人近い証人と大勢の記者たちの前で、あれだけ派手に自爆してくれたのよ。もうどんな危機管理のプロを連れてきても、この火は消せないわ」
その時、部屋の隅のケージから「きゅぅ」と小さな鳴き声が聞こえた。
見ると、毛布の上で目を覚ましたクッキーが、短い前足を伸ばして大きなあくびをしているところだった。寝ぼけた丸い瞳でこちらを見つめている。
任三郎は立ち上がってケージの扉を開け、白い綿毛のような小さな身体をそっと両手で抱き上げた。
「おはよう、クッキー。騒がしくて起こしちゃったかな」
「わふっ」
任三郎の胸元で、クッキーが嬉しそうに身体を弾ませた。近くへ歩み寄ってきた襟華の指先にも、湿った黒い鼻先をすり寄せていく。
「ふふ、いいタイミングで起きたわね、クッキーちゃん。ちょうど嫌な音も全部終わったところよ」
襟華はクッキーの柔らかい頭を優しく撫でながら、穏やかな目で任三郎を見上げた。
「お疲れ様、任三郎。まずは、あなたの勝ちよ」
「襟華さんのおかげです。本当に、助かりました」
「あら、またそうやって素直にお礼を言う。調子が狂うわね」
「お礼を言って文句を言われるのは初めてなんですが」
「文句じゃないわよ。ただ、本当にうまくいってよかったな、と思って」
★★★★★★★★★★★
発表会が強制終了されたその日の夕方。港区の高層ビルにある株式会社ノヴァシードAIの社長室には、ひっきりなしに鳴り響く内線電話のコール音と怒鳴り声が交錯していた。
「『業務提携交渉の白紙撤回』だと!? 待て、広報はどうしている! 早く誤解だと説明するリリースを出させろ!」
デスクの前でスマートフォンを耳に押し当てていた守屋が、青筋を立てて叫んだ。
しかし、午後五時を回る頃には、発表会に招待されていた主要スポンサー候補の三社が、相次いで提携交渉の打ち切りを公式に発表していた。テーブルの上に置かれたタブレットには、既存の取引先から届いた契約停止とシステム導入見送りの通知メールが、画面を埋め尽くすように並んでいる。
ソファの端で蒼白な顔をして座り込んでいた迫田が、震える声で口を開いた。
「も、守屋社長……広報も営業も、抗議の電話でパンクしていて……それに、さっき開発部のフロアへ行ったら、エンジニアたちがみんな荷物をまとめていて、私の指示には従えないと」
「誰のせいでこうなったと思っているんだ、迫田くん!!」
守屋は手元の資料の束をテーブルへ叩きつけた。
「佐藤は何もできないと言ったのは君だろうが! 入社前のリポジトリに設計図が残っていることすら確認していなかったのか! それにあの録音は何だ! 部下に盗用を命じて怒鳴り散らす声が、そのまま世界中に流れたんだぞ!」
「ち、違います! あれは社長が、なんとしても今期の大型契約に間に合わせろと急かしたからで——」
「私が盗用しろと命じたとでも言うのか!?」
「だ、だって、デザイン会社へのグラフ改竄メールには、社長ご自身の承認署名も入っていたじゃありませんか! 私一人の判断じゃありません!」
「黙れ! あれは君が検証は完了すると報告したから判を押しただけだ! すべての責任は開発統括である君にある!」
怒鳴り合いが続く社長室のドアがノックされ、疲弊しきった様子の法務部長が青い顔で入ってきた。
「社長……お話中に恐れ入ります。たった今、出資元のベンチャーキャピタル三社から、共同で通知書が届きました」
「何だ、こんな時に! 後にしてくれ!」
「いえ、週明けに臨時株主総会および取締役会を招集するとの通告です。今回の虚偽発表と不正指示による重大な信用毀損について、経営陣の解任動議と……お二人個人に対する損害賠償請求を行う、と」
「そ、そんな……個人への損害賠償だと!? 待て、うちが今、あの発表会と広告にどれだけ資金をつぎ込んだと——」
守屋が言葉を失って立ち尽くす中、崩壊は止まらなかった。
翌土曜日には、ノヴァシードAIに在籍していたエンジニアたちが連名で『経営陣による開発成果の流用および広報資料の改竄指示に、現場の技術者は一切関与していない』という声明を発表し、開発部門は完全に機能を停止した。
そして週が明けた月曜日。
迫田は開発統括部長職からの即日解任を通告され、私物を詰めた段ボール箱一つを抱えて、警備員に監視されながらビルから追い出された。代表取締役の守屋も、株主たちから巨額の損害賠償請求を突きつけられたうえで代表権を剥奪され、経営陣からの退陣に追い込まれた。
主要事業とすべての取引先を同時に失ったノヴァシードAIは、事実上の事業停止状態となり、オフィスビルのフロアを引き払う手続きに入ったというニュースが業界紙を駆け巡った。それと同時に、KAGUTSUCHIの本来の開発者が佐藤任三郎であるという事実は、国内外のエンジニアやITメディアの間で広く認知されることとなった。
★★★★★★★★★★★
火曜日の昼下がり。
床に敷いたラグの上では、クッキーが小さなロープのおもちゃを前足で転がしながら無邪気に遊んでいる。
ローテーブルを挟んで向かい合った任三郎と襟華の手元には、淹れたての紅茶と、任三郎が用意した冷たい牛乳のグラスが置かれていた。
「ノヴァシードAIの臨時株主総会、かなり荒れたみたいね。守屋も迫田も、会社から損害賠償を請求される側になって、もうこの業界では二度と表を歩けないわ」
襟華がスマートフォンの経済ニュースを閉じ、テーブルの上に置いた。
「俺を追い出した連中への借りは、これで十分に返せました」
任三郎は牛乳を一口飲み、グラスを置いてから少しだけ表情を引き締めた。
「ただ、法的な権利関係の最終的な確定手続きはこれからですし……外へ流れた技術の件も、まだ終わっていません」
「ええ。あの技術を使った疑いのある連中を、まだ見つけられていないものね。私の名前につけられた泥も、完全には拭い切れていないわ」
襟華は紅茶のカップを手に取り、ゆっくりと一口飲んでから、まっすぐに任三郎の目を見つめた。
「ねえ、任三郎。これからしばらく、予定は空いているかしら?」
「予定も何も、今の俺は立派な無職ですよ。クッキーの散歩くらいしか入っていませんが」
「ならちょうどいいわ。私、まだここで終わるつもりはないの。あの連中を追うのはもちろんだけど、私たちみたいな目に遭って、反撃する手段さえ持てない人たちは他にも大勢いるでしょう?」
「ええ、そうですね」
襟華はカップをソーサーに戻し、少し身を乗り出した。
「だったら、今回私たちがやったことを、そのまま『仕事』にしない?」
任三郎は瞬きをし、目の前の襟華の顔を見た。
「仕事、ですか?」
「ええ。理不尽な嘘や炎上で人生を奪われた人たちの信用を取り戻して、逃げ得を決め込んでいる悪党どもに代償を払わせる仕事よ。会社を作りましょう、任三郎」
襟華は鮮やかに微笑んだ。
足元で、おもちゃをくわえたクッキーが「わふっ」と小さく鳴いて二人の顔を見上げた。
任三郎は少し驚いたように目を見張り、それからゆっくりと口元を緩めた。
「やっと自由の身になったと思ったんですが、ずいぶん人使いの荒いお誘いですね」
「あら、クッキーちゃんのおやつ代くらいは稼がないとでしょう? それに、ただの雇われじゃないわ。共同経営者として、悪くない話でしょう?」
「そうですね。理不尽に泣き寝入りさせられる人間を減らせるなら、そして襟華さんの過去にも決着をつけられるなら……断る理由はありません」
任三郎が頷くと、襟華は嬉しそうに目を細め、テーブル越しに右手を差し出した。
「決まりね。これからよろしく、私のパートナー」
「ええ。よろしくお願いします、襟華さん」
二人は再び、固く握手を交わした。




