ep.2 弟子志願(3)
暁を告げる鳥の声に、青は目を覚ました。
どこからか流れてきた冷たい風に身震いし、薄い掛け布団の中で体を丸める。
「………!」
二呼吸ほど微睡みかけて、はっとして目を開いた。上半身を起こして辺りを見渡す。
小屋の戸口は開け放たれ、朝陽が狭い室内を照らし、白光に舞う埃が煌めいていた。
「起きたか」
戸口に影が差し、長身が土間へ踏み込む。藍鬼だ。
昨夜と同じ黒ずくめの衣服に、黒い鬼豹の仮面と、同じいでたち。
だが明るい場所で見ると、印象が変わる。
仮面の隙間からのぞく、顎から頬にかけての鋭い輪郭や、首に浮かぶ筋――思いのほか、若いのだと分かる。
「くっそーー! カオが見れなかった〜……」
「残念だったな」
布団の上で足をばたつかせ、あからさまに落胆する幼い少年を軽くいなしてから、藍鬼は両手に抱えた竹籠を竈の上に置く。
ひとつの籠には数尾の魚。もう片方には子どもの拳ほどの赤い果実がいくつか入っていた。
「傷はどうだ」
「う、うん……」
藍鬼に促され、青は布団から這い出る。
袖や裾をめくると、サラシがどこも乱れず白いままだ。痛みも熱も感じない。
「痛くなくなってる、ありがとう! あ」
青の腹が空腹を思い出して、盛大な音を鳴らした。
「味付けは調合用の塩ぐらいしか無いが」
と前置きして、藍鬼は魚を手に取る。切っ先が削られた竹串を無造作に突き刺して掲げ、空いた手に小さな火球を発現させた。魚をひと撫で、ふた撫ですると、ほどよく皮に焦げ目がついて、湯気が立ち始める。
「うわぁあ、便利だね」
ぽかんと口を開ける青の前に、魚の塩焼きと赤い果実を並べた皿が置かれる。
「それ食って薬を飲んだら出発するぞ」
言われるや否や、青の手が魚を引っ掴む。
恐怖と傷の痛みから解放された安堵が、幼い体に生への渇望を取り戻させた。
藍鬼が棚から薬を取り出し振り返るまでの僅かな間に、皿の中はすっかり空になっていた。
「食欲が戻ったなら問題ないな」
満足げに、黒い仮面が小さく頷く。空になった皿に黒い丸薬を置き、その傍らに竹筒に汲んだ湧き水を置いた。
「抗炎症薬だ。飲め」
「コーエンショー……?」
「傷が悪くならないようにする薬だ」
「わ、わかった……」
青は指で摘み上げた黒い丸薬を見つめてしばらくためらった後、意を決して口に放り込む。
「……苦くない……」
見た目に反して、無味無臭だった。
薬を飲み終えた青が、ぎこちない手つきで身支度を整えている脇を通り抜け、藍鬼は居間の奥の部屋へ姿を消す。
青が片袖のサラシを巻き直すのに苦戦しているうちに、藍鬼は居間へ戻って来た。手に抱えていたのは黄土色の麻袋。それを、青の前にどっかりと置く。
麻と革で作られた背嚢だった。
「お前の荷物だ。中に、お前の道具袋に入っていた物と……お前の母さまの着物が入っている」
持っていけ、と差し出された袋を受け取るや、青はすぐに中を覗き込む。まず目に入ったのは、淡い浅黄色だった。
「母さまの……あ」
丁寧に畳まれた母の着物を取り出す。その下には、青が昨晩まで腰に巻いていた道具袋。そのさらに下、まるで着物と道具袋で隠すように、小さい布袋や小瓶がいくつも鞄の底に敷き詰められていた。
「うわあ、たくさん入ってる……」
青は小袋や小瓶を一つ一つ手にとっては、しげしげと眺める。
「予備の薬や痛み止めだ。あとは兵糧丸や乾物、要するに食い物もな」
青が顔を上げると、黒い仮面は目線を外して横を向く。
「いいの?」
「……余っただけだ。腐らせるよりはマシ。それだけのことだ」
「ありがとう!」
藍鬼に抱きつこうとしたが避けられ、そのまま青は土間へ転がり落ちるのであった。




